16.吊り橋効果…?
人間恐怖が限界を超えると悲鳴も出ない。
嘲笑うかの様なヒュォォォという風の音に晒され、リューティアの髪がバサバサと乱れる。
ギシギシと軋む音が不安を掻き立てる。
真冬で水に浸かったかというほど、殆ど弾んでる?と言わんばかりに身体がガクガクと震えた。
ただいまカイに片腕で抱き上げられ、ゆっくりゆっくりとボロボロのつり橋を進んでいる。
リューティアは必死にカイにしがみ付き、声も出せずにいた。
やめときゃ良いのに人間とは可笑しなもので、見たら絶対怖いと分かっていてもついつい薄目を開けて足元を見てしまったりする。カイが下ろす足元の木の板の間からは、ずぅーっと下に切り立った崖の間を流れる川が見える。
髙い。めっっっちゃ高い。
吊り橋効果は適度な恐怖なら胸キュンにつながっても、過剰な恐怖はキュンどころか怒りしか沸かない。
もーやだ、怖い、死んじゃう、これなら迂回ルートの方が良かったじゃないの。
これしかルートが無いなら兎も角、他にルートがあると知ってしまっていると、罵らずにはいられない。
そう、全部リューティアの為、なのだが。
「カイ、まだ着かないの…っ?」
「あのな、今渡り始めたばっかだろ。まだ半分も進んでねっつの」
カイの言葉に嘘でしょう、っとリューティアは気が遠くなった。
そろりと目を開けて進んだ距離を確認すると、まだ吊り橋の三分の一程しか進んでいない。
流石の脳筋男でも、そのままずんずん渡ればあっという間に板を踏み抜き遥か下の川まで真っ逆さまだ。
故に足元を確認する様に、ゆっくり一歩一歩進んでいく。
勘なのか、カイは時々下ろした足に重心を移す前にピタリと止め、真顔でじっと見降ろした後、そろりと足を上げ、一つ先の板へと足を移していた。
仕方がないとは思っても、怖いものは怖い。
そのまどろこしい歩みに、リューティアは胃がキリキリとする。体感的にもう何時間もこうしている様な気分になる。
おねがいー、はやくー。はやく渡ってー。もーやだー。怖いよー。
ひぅぅぅぅ、っと声にならない声を上げ、リューティアはガクブルしつつ、ぎゅぅっとカイの頭にしがみ付いた。
***
ギシリ、ミシリ、ギギギ、ギィィ。
カイが進むたびに、橋が軋む。
「──あ。やべーかなこりゃ」
ぼそ、と小さく呟いた声が、しっかり聞こえてしまった。
「何やばいって! 何やばいってぇぇ! やめてよ怖いでしょおおおぉぉ」
「あー。 …切れそうだなって」
何が!? いや、言わないで。聞くのが怖い。
「かかかかかかかかカイィィィッィイ!」
「口閉じとけ、舌ァ噛むぜ」
またそれか! …ってこればっかり!!
ひぃぃ、っとカイの顔を見下ろすと、何故かとっても生き生きとした顔をしてらっしゃった。
目は楽し気に輝き、口元には笑み。蔦を絡ませたロープから手を解くと、ぺろりと赤い舌が親指を舐めた。
物凄く、嫌な予感がする。
──私…。案外奴隷に売られてる方がマシだったかもしれない…?
気が遠くなりそうになりながら、思わずそんな事を思っていると、スゥ、とカイの身体が沈み込む。
ああ、やっぱり。リューティアは頭の中で全力で罵りながらカイの頭にしっかりとしがみ付き、ぎゅっと目を閉じて腹を括った。
刹那、耳元で風が鳴る。グンっと体が後ろへと引っ張られそうになる。
足元でガンっと音がして、振動が伝わってくる。バキっと音が響き、一瞬の浮遊感。恐らく踏み出した足元が崩れる音。が、浮遊感は直ぐに止まり、今度は上に突き上げられる様に持ち上げられ、一瞬体が宙に浮きそうになる。
細い体をカイの太い腕がしっかりと捉え、カイの身体へと押し付けられる。
ガラガラと足元から崩れる音がする。後ろの方でブツンっと音が聞こえた。
同時にリューティアの中の何かもブツンと音を立てて弾ける。
「ぃ…いやあぁぁぁ、きゃ──ああああああああああッッ!!」
悲鳴を上げるリューティアを抱えたカイの口元は未だ楽し気に笑みを浮かべたままだ。
ガンっと板を踏み、板が割れて崩れる前に次の足が板を踏む。後方で切れた蔦のロープは、スローモーションの様にほどけながら、ゆっくりと落ちて行く。
支えを失った橋は、ゆっくりと崩れ落ちて行く。
身体が落下に合わせ斜めに傾いていく中、カイは一気に橋を駆け抜けた。最後の一歩で崖の反対側へと着地すると同時、橋はガラガラとけたたましい音を立て、遥か下の川へと落ちて行く。
ずっと下の方で、砕けた木の板が高く水しぶきを上げる。
周囲の木々から小鳥が一斉に飛び立っていく。
森が騒めき、幾重にも谷に木霊した。
***
「──ティ。おーい。リティ、大丈夫かぁ?」
のらりくらり、気の抜ける様なのほほんとした声に、リューティアは恐る恐る目を開けた。
見上げると、すぐ目の前にカイの顔。に、と見慣れた子供の様な笑みを向けて来る。
そろり、と後ろを振り返ると、支えの杭からだらりと垂れ下がる蔓のロープの端だけが見え、そこに橋はもう無かった。
崖の向こうにも橋のなれの果ての杭から垂れ下がった蔓のロープと、何枚か残った板が傾いで岩壁にあたり、カラカラと風に揺れて音を立てている。
「──さ…」
「?…さ?」
思わずカイの肩へと顔を埋め、小さくリューティアが何か呟いた。
カイがその顔を覗きこむ。
「サイテ────ッ!!」
聞き取れずに寄せたカイの顔面に、リューティアの拳がめり込んだ。
「…い…良いパンチしてんじゃねーのよ」
至近距離から全力の体重の乗ったぐーぱんを喰らい、巨漢と頑丈を誇るカイの身体がぐらぁりと揺れる。
タリ、と鼻から赤いモノが流れた。
吊り橋効果も、行き過ぎればマジ切れになる。
別の意味での吊り橋効果に遠慮も我慢も恥じらいも遥か彼方に吹っ飛ばし、初めて全力パンチを叩き込んだリューティアは、滝涙を流しつつ、般若もかくやという顔でカイの顔を睨み付け、ぷるぷると怒りに震えていた。
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