15.伯爵令嬢、恐怖に震える。
ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか。
「あー、悪かった。俺が悪かったって、ごめんってば。だぁーから謝ってんじゃんよ?」
「うるさいばか、カイなんてもう知らない、カイなんてきらいっ! もー知らない、ばかばかばかばか、無神経っ! えっちすけべ変態っ! 意地悪筋肉馬鹿脳筋っ! 乱暴者無骨者無礼者ーっ」
街道から森の脇道へと飛び込み、そこから駆け抜ける事数十分。
やっとこ下ろされたリューティアはそのまま腰を抜かしてへたり込んだ。
幾らしっかりと抱きしめられていたとはいえ、不安定な腕に座る格好で高速で木々の間を右に左にと駆け抜け、倒木を飛び越え右に左に上に下に、更には殆ど直角だったのでは?と思うほどの勢いで岩を迂回する様に旋回され、下ろされた時には色々とまずいものが喉元から逆流し、膝は大爆笑してとても立ち上がれそうもない。
結果、止む無しとまた抱き上げられ、現在山道をのらりくらりと登るカイの頭をしこたま叩いているところだ。
確かに追手が迫っていたのだとしたら、一刻も早く逃げる必要があっただろう。
追われているのはリューティアで、カイはそれに巻き込まれただけ。それは判っているのだが、もう少しやり方というものは無かったのか。
見た目は兎も角花も恥じらう年頃の独身の乙女だというのに、無骨な男はお構いなしに片腕抱っこで抱き上げて、自らの腕に座らせ、しかも気遣う素振りも無く腕に乗せたまま多分全力ダッシュ(としか思えない速度)で走り回られれば、羞恥と恐怖で死にそうになる。
そんな速度で突っ走られれば、質素なスカートは太腿近くまで捲れ上がり、手を離せば落ちそうで、捲れたスカートを押さえる事も出来ずに男の頭に自らしがみ付くという醜態を出会ってから何度も晒してしまっているのだ。
仮にも名ばかりとはいえ、リューティアはれっきとした伯爵令嬢、恥じらわないわけがない。
幾ら相手が幼馴染だったとしても。
リューティアは恥ずかしいのと怖さからやっと抜け出せた安堵感で先ほどから涙目で止まることなく罵りながらカイの頭をぽかぽかと殴っていた。
とはいえ、全力で殴り飛ばせる程、リューティアも怒っては居ないし、人に手を上げた事など無いリューティアには罪悪感の方が勝り、本気で殴る事などできはしない。仮に本気で殴ったところで多分痛いのはリューティアの手の方だろう。カイにとってはリューティアのへなちょこパンチなど痛くもかゆくもなさそうだが。
つい先日まで、アーグウストに殴られても蹴られても表情一つ変えずにいられたのが嘘の様に涙目だった。
「悪かったって、リティはお嬢様だもんな、そりゃ慣れてねぇわな、そろそろ機嫌直してくんね? つってももういっちょ怖い思いはして貰う事になるんだけどさ」
「──へ……?」
「見えて来たぜ。橋だ」
涙目でひたすらカイをぽかぽかしていたリューティアはようやく手を止めてカイの指さす方へと視線を向けた。
森の木々の向こうに見えたのは、切り立った崖に掛かる、何とも頼りなげな吊り橋だった。
「──え。…カイ、まさか橋って…あれ? …じゃ、無いわよね…?」
──うそでしょお?
「いンや、あれ」
にっかり。悪びれもせずにカイが笑みを向けて来る。
カイの示した吊り橋は、ボロボロの蔓をぐるぐると巻いてより合わせ、木の板を渡しただけで、人一人渡るのがやっとな橋だった。それも、大分年期が入っているのか、随分と痛んでいた。
***
「無理無理無理無理、無理────っ!」
「だぁいじょうぶだって、おら」
カイが数歩橋を進んだところで手を差し伸べて来る。
リューティアは真っ青になって吊り橋を支える木の杭にしがみ付き、ぶんぶんと首を振っていた。
近づいてみたその橋は、渡した木の間から遥か下の川が隙間から見えまくっている。しかも片足を乗せればギシギシミシミシと今にも『私踏んだら崩れますんで』と言わんばかりの音を立てる。
しかも風に煽られ、ギィギィと音を立てて揺れたりするのだ。
いっそ気絶をしてしまいたい。
カイの重さだけでも落ちそうなのにその橋に乗るのは最早自殺行為としか思えなかった。
「ボロいけどこの橋現役だからよ。所々ちゃんと修繕もしてあっから。もしか落っこちても俺が守ってやっから大丈夫だっつの」
「筋肉で羽でも生やして空でも飛ぼうっての?! 馬鹿言わないで、この高さから落ちたら幾らあんたでも死ぬわよ!」
「俺はそんなにヤワくねぇ」
「私はヤワいのよ! 落ちてる途中で死ねる自信があるわよ! 筋肉武装してるあんたと一緒にしないで!」
「しかたねぇなぁ」
にぃ。カイの眼が意地悪く細められる。
──嫌な予感。
「んじゃぁ、俺に抱えられて超えるか、自力で渡るか。──選びな」
ぐっ。出たこれ二択。
リューティアの口がへの字に曲がる。
自力で渡るのは無理だ。絶対無理だ。
カイに抱えられて渡れば、この橋崩れそうな気がする。
戻って迂回する、というのが一番良さそうなのに、リューティアは恐怖で冷静な判断が見事にすっぽ抜けている。
すっかり二択しかないと判断を迫られていた。
カイを見る。橋を見る。カイを見る。橋を見る。
ううううう。
結果、リューティアはふるふるしながらそっと片手を差し出された手に乗せた。
「…お…お願いします…」
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