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11.伯爵令嬢、野宿をする。

「お前の事は俺が守ってやる」


 くしゃり、と髪を撫でる手は、幼い頃、カイがリューティアにくれた言葉と同じだった。

 リューティアは、これでやっとあの家から逃げ出せたのだと実感をした。


「んで? 何がどうしてあんなヤツが当主に収まっちゃってるわけ?」


 立てるか?と差し出された手を取って、リューティアも立ち上がる。

 疲れてはいるが歩けそうだ。


 カイと並んで歩き出すと、リューティアは今まであった事を話し始めた。

 話すうちに悔しくて、悲しくて、涙がぽろぽろ零れて来る。


「私っ…。あんな人がお父様の弟なんて、信じないわ…っ!」

「…ああ」


「あのドレスは、お母様が本当に大事になさっていたのよ…っ!」

「…ん」


 カイは静かに話に耳を傾けてくれた。カイなら、聞いてくれると思えた。


「私、悔しい…! あの家は私達の家、だったのに…っ!」


 堪えることなく泣きながら、思う存分ぶちまけた。

 誰かに、聞いて欲しかったのかもしれない。

 もう、堪えなくてもいいんだと、そう思えた。


「ん…。良く、頑張ったな」


 ぽんぽん。大きな手に、優しく背を叩かれて、、リューティアはぽろぽろ泣きながら素直にコクコクと頷いた。

 

「私…。あの家を、取り戻したい…。追い出された皆も、取り戻したい」

「俺が行って全員ぶっ飛ばして放り出すか?」

「いや、流石にそれは」


 脳筋か。

 そうしてやりたいのはやまやまだが、そう単純な事では無い。

 リューティアは小さく苦笑を浮かべた。


「そんなら、エッゲリングに行ってみるか?」

「エッゲリングに?」

「エッゲリングには別邸があったはずだろ? 確か先代から仕えるじいさんがいたはずだ。ついでに集落に顔出せば親父も喜ぶ」

「──あ。そうね!」


 ルフタサリ領エッゲリングは、"鋼の緋熊"のある国境の街だ。

 祖父の執事をしていたパーヴァリが、別邸の管理を任されている。

 十年くらい会っていないが、物静かで優しい紳士だ。確かに彼ならば、アーグウストの事を何か知っているかもしれない。


「エッゲリングに行くなら、ヒルトゥラ経由だな。次の村まではまだ距離があるから今日は野宿になるけど、行けるか?」

「私、六年間も屋根裏でオートミール一杯で過ごして来たのよ? それに、『妖精さん』がパンやケットも持たせてくれたもの」

「ああ、ペンダントを取り返してくれたってヤツな」

「うん」

「屋敷を取り返したら、きっと名乗り出てくれるだろうよ」

「うん、そうだったら、嬉しいわ。きちんとお礼は伝えたいもの」

「…ちぃーっとばかり妬けるけどな」


 ぼそ。 小さく呟いたカイの声は、リューティアの耳には届かなかった。

 お前を守るのは、俺の役目だと思ってたんだがなぁ。

 嬉しそうに微笑むリューティアの横顔を眺め、ほんの少し、モヤっとしたのは、きっと守る立場を取られたからだ。

 それでも、リューティアに、名乗り出ずとも味方が居た事は、素直に良かったと思えた。


***


「ご…ごめんね、カイ」 


 少し歩いただけで、体力の無いリューティアはすぐに息が切れてしまった。

 カイが足を止める。


 手を膝に付いてはぁふぅ息を整えていると、ずぃっと手が伸びて来た。

 あっと思う間もなく、ぐんっと体が持ち上がり、景色が高くなる。

 またも太い腕に座る格好で抱き上げられて、かぁーっとリューティアの頬が朱に染まった。


「か…カイっ! 私自分で歩ける…!」

「力出ねんだろ? 遠慮すんな」

「遠慮じゃないぃ~~~っ!」


 片腕で軽々と抱き上げられる。リューティアは顔から火が出そうになった。

 十六にもなって抱っことは恥ずかしすぎる。

 手の位置がとても困る。

 体力の無さが恨めしい。

 この男にはデリカシーなんて無い…んだろうなぁ。


 幾ら下ろしてと言っても気にすんなとどんどん歩くカイに、リューティアはかくんっと項垂れて抵抗を止めた。


***


「んし、この辺にすっか」


 少し森へと分け入って、陽が傾き、当たりが茜色に染まり始めると、小さな川の畔でカイは足を止め、ようやくリューティアを地面へと下ろしてくれた。

 リューティアは大きく息を吐くと、へたりと座り込んでしまった。


「疲れたか?」

「うん、ちょっとね」


 主に精神的に、とは口にせず、リューティアはへらりと笑って見せた。

 すぐ脇を小さな川が流れている。


「お魚だわ」


 川の中を魚がキラリと鱗を煌めかせ、泳ぐのが見えた。

 リューティアの口元が思わず綻ぶ。

 指先を川に浸すと、川の水は冷たくて気持ちが良かった。


「んし、ちょっと待ってな」

「え? カイ、どこか行っちゃうの?」


 不安そうなリューティアに、カイは可笑しそうに笑う。


「夜になりゃ獣も出るからな。薪集めて来るだけだ」

「薪?」


 リューティアは周囲を見渡した。


「薪小屋なんてあるの?」

「ぶっはっ!」


 カイに吹きだされ、リューティアはぷく、と頬を膨らませた。

 何か変な事を言ったらしい。かぁっと頬が赤くなる。


「何よっ!」

「いや、柵よじ登ったり逞しくなったなと思ったけど、やっぱお嬢様なんだなと思ってよ。よぉーく見てみな。その辺に幾らでも落ちてんだろ?」

「え?」


 リューティアの脳内に浮かぶのは、丸太を切った薪の形だ。意味が分からずきょとんと首を傾げる。


「コイツだよ。コイツ」


 カイは乾いた木の枝を拾い上げた。


「木の枝? 木の枝でも薪になるの?」

「ああ」


 カイは笑いながら手際よく枝を拾い集め、雑草の前で足を止め、枯れた草を集めている。

 手伝おうかとも思ったが、寧ろ邪魔になりそうな予感しかしない。

 カイの置いた荷物に視線を向けると、荷物は随分と少ないように感じた。


「カイって、ずっと旅をしてたのでしょう?」

「ああ、十五の時から」

「荷物が凄く少ないわ。野宿をするのに大丈夫なの?」

「旅なんてのは大抵は現地調達なんだよ」

「現地調達…?」


 貴族生まれの貴族育ちのリューティアには、さっぱり想像が出来ない。


「ま、見てな。貴族のお嬢様には過酷かもしんねぇけど」


 カイは集めた枝を隙間を作る様に重ね合わせ、枯れ草を脇に置くとナイフを取り出すし枝を一本削り始めた。

 リューティアはカイの手元を覗きこむ。


「…何を作ってるの?」

「削ってるだけ。コイツで火を起こすんだよ」

「…木の枝で?」


 平らになる様に削った枝に窪みを付け、落とした枝から更に余分な枝を払い、棒状にし、窪みに当てると両手で挟んで勢いよく回転させ始めた。すぐに摩擦で煙が出始める。


「煙が出て来たわ! え、凄い、何で!?」

「さぁ? 何でかは俺も知らねー」


 カイはケラっと笑うと枯れ草を手に取り、火種を落とした。

 両手で包み込むように持つと、静かに息を吹きかける。

 息が吹きかけられたところがポっとオレンジ色に光り、ジリジリと赤く広がり、やがてポっと炎が上がった。

 カイがその火を積み上げた枝の隙間に差し入れると、炎は枝に燃え移り、パチパチと音を立てて炎が上がる。


「火が付いたわ! マッチも使わないのに凄い!」

「こうやってな。火を付けていると獣が寄ってこねぇんだ」

「へぇぇ…。カイは物知りねぇ」


 貴族の娘はこんな事知らないのが普通だろう。感心するようなリューティアの声に、カイは可笑しそうに笑った。


***


「美味しい!」


 カイは慣れた様子で川にそのままざぶざぶと入っていき、なんと熊の様に魚をスパーンっと手で弾いて取り、岩塩を削って魚に振りかけ焚き火で焼いてリューティアへと差し出した。

 生きた魚に枝を刺した時は思わず悲鳴を上げてしまったが、焼き立ての魚のなんと美味しい事か。


 食べ方が判らず困ってしまったリューティアだったが、カイが魚にそのまま齧り付くのを見ると、恐々と齧り付く。

 口いっぱいに香ばしい魚の味が広がって、口の中でほろりとほどけた。程よい塩加減が絶妙だ。


「そいつァ良かった。一杯食っとけ? お前ちと細すぎだぞ」

「六年もあんな生活してたら誰だってこうなるわよ…」


 ふっくらとした久しぶりに美味しい魚を頬張りながら、でも、とリューティアは思う。


 もしも、屋根裏の生活が無かったら、こんなに美味しく食べられなかったかもしれないわ。


 感謝をする気にはなれなかったが、考え方ひとつで良かった事もあったのかもと思える。

 当たり前に、切られた薪。

 侍女が付けてくれた暖炉の火。

 座れば出て来る見た目も美しい料理の数々。

 それが当たり前と思っていた。

 貴族の生活を続けていたら、知らなかった事ばかりだ。


 やってみたいと駄々を捏ね、火おこしにチャレンジしてみたが、炎はおろか煙すら出なかった。

 火一つとっても、とても難しい。

 屋敷を出たら野宿をすればいいと軽く考えていたが、一人では到底無理だったかもしれない。


「あの…カイ。ありがとう」

「ぁん?」

「カイが助けてくれなかったら、私、途方に暮れていたと思うわ。だから、ありがとう」

「どーいたしまして」


 ハッと笑うと、カイは大きな手で、くしゃくしゃっとリューティアの髪を撫でた。


***


「星が凄いわ」


 食事を終えると川で顔を洗い、『妖精さん』のくれたケットに包まり、草の上に横になる。

 思ったよりも草は柔らかく、良い香りがした。

 仰向けに寝転がると、星が降ってきそうだ。


 顔を横に向けると、焚き火に照らされ、カイの大きな背中が見える。


「カイは? 寝ないの?」

「ん? ああ、先に寝てな」

「うん」


 不思議な気分だ。

 貴族の令嬢は、異性と二人きりになる事はご法度だ。

 なのに、今は2人きり。

 魚に齧り付く、なんて、とってもはしたない行為だった。

 結婚もしていない男の前で眠りに着く。

 全て、貴族としてはありえないこと。


 でも、こうして居ると、なんて堅苦しいしきたりだろうと思う。


 カイと居ると、とても自由だ。

 幽閉されていた間でさえ、脱走の時は兎も角、リューティアの中には常に貴族としての振る舞いをしなくてはという強迫概念の様なものが染みついていた。

 だが、こうしていると、堅苦しいしきたりも、貴族のしがらみも、不自由な生活も、全部洗い流される様な気がしてくる。

 重苦しい鎖が解かれ、身体が軽い気がしてくる。


 本来なら、きっととても怖かっただろうけれど、カイの大きな背中を見ていると、守られてるという安心感で気が緩む。


 ──昨日までの事が、嘘みたい。

 ──目が覚めたら、これが全部夢だったりして。


 どうか、夢じゃありませんように。


 パチパチと爆ぜる焚き火の音は子守唄の様で、リューティアは直ぐに深い眠りの中に落ちていった。


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