不快な侵入者
すらりとして、かなり背は高い。しなやかな体つき。つなぎ服のようなものを着ていた。暗くて服の色彩はわからない。頭部は、マッシュルームみたいだ。髪型なのか柔らかな丸い帽子を被っているのか、わからない。ずいぶん観察したが、男なのか女なのかもわからない。
その人物は、しばらく身動きできないでいたが、やがて意を決して動き出した。僕の死体をよけて、リビングを横切り、隣の、僕がささやかな書斎として使っていた隣の六畳間へと忍び込んだ。後を追って行きたかったが、僕は動けなかった。「縁側」から僕は動けないものらしい。死体のある位置にしか存在しえない。
隣の部屋で、何か物色する音がする。戸棚を開け、引出を引っ張り、ベッドの蒲団をひっくり返したりしている。
泥棒か。
死んだ僕は、その家捜しの音で部屋の空気が震えるのを感じる。その空気の振動が、死臭とともにあたりに溶けだした死体の記憶と共鳴してゆく、事情が判明してゆく。
この男、死んでまで、こんな盗難にあうのか。
死んだ僕は、当然ながらすでに僕ではない、死体から離脱した別の存在なのだ。しかし彼が死んでから、彼とずっといっしょにいたから、あまり判然としていなかった。それが、侵入者を得て、ややはっきりしたのだった。
死んだ僕は、縁側にて、腐乱した死体を見下ろし、そこらに漂う記憶を理解する。
彼の母は、既述のとおり認知症で、毎日ヘルパーの世話になっていた。ヘルパーは日替わりで訪れ、人手不足のため、頻繁に異動があった。偽のヘルパーがまぎれていてもわからない。それがいかがわしい人間で、老人から、普通なら他人に喋ってはいけない重要な事実を上手に聞き出す人な場合もある。
その人は、いかがわしい人間で、実にうまく母にとりいった。
「気立てのいい人。親切な人だよ。ああいうヘルパーさんなら歓迎ね」
と母は満足げに語った。息子は、よかったね、といいつつ、釘をさした、
「母さん。だからって、何でもかんでも喋っちゃだめだよ、株券や通帳の場所とか」
「ああ、それは全部、息子にまかせてるから、私はわからないっていってるよ」
しかし認知症だから、そういうやりとりは忘れてしまうのだ、それどころか、ヘルパーが息子なのか、息子がヘルパーなのかわからなくなってしまい、
「私の株券と通帳、しまってる場所は、お前の部屋の本棚の、日本国憲法のブックケースの中でいいんだね、それから、実印は、・・・」
全部、しゃべってしまったらしい。
そいつ。いま、部屋に入ってきたのは、きっと、そいつだ。
・・・しばらくして、侵入者は、日本国憲法のブックケースを左手に持ち、右手には皮製の巾着(実印の入っているやつだ)を持って、隣の部屋から出てきた。巾着のほうは、歩きながらポケットにしまいこんだ。 そのままリビングを素早く横切って、入ってきた窓から出ていこうとした。
この男、死んでまで、こんな、盗難にあうのか、と死んだ僕は繰り返し、僕の死体に対し慨嘆した。まったくみじめな男なのだった。
しかし、侵入者は、そのままスムースには脱出できなかった。
なぜかリビングルームの真ん中あたりで転んだのだ。やはり緊張していたのか、足がもつれたようだ。かなり派手な音がした。下の部屋に聞えたかもしれない。おまけに転倒するときに悲鳴をあげた。
「きゃ!」
つづく・・・