酩酊と後悔と泥酔と入眠
飲みながら、僕はいろいろ考えた。
やってきたのが妻とは限らない。恋人と二人か、あるいは恋人の単独行動かも知れなかった。写真でみた相手の男の顔を思い出した。僕より背も高くて、よっぽどいい男だった。ホストクラブのホストみたいだった。畜生。
でも、やはり叩いたのはいけなかったか。叩くほどのことではなかったか。ひどいことをしたか。田舎からでてきて、慣れない都会で、ずいぶん年上の夫と、ぼけはじめた姑と、それなりに精一杯やっていたのに、せっかくの新婚なのに、夫の帰りが毎晩遅くて、なにか誤解したかもしれない。
妻の顔を思い出して悔悛の涙がでた。
それにしても二人でホテルに泊ってしまうとは何事だろう。あまりに性急じゃないか。まずそれがひどい話じゃないか。何もなかったなんて誰が信じるだろう?しかも新婚時代に。僕の新婚時代は破壊されてしまった。この人生は二度と修復できないじゃないか。恋人君、いや、僕より五歳年上の浮気じじい。おまえはいったい自分が何を僕に対して行ったかわかっているか?
そのとき僕はまた、あの写真のホストクラブのホストみたいな恋人の顔を思い出した。
・・・わかっているはずはない。きっとうわべは殊勝な態度をするだろう。しかし、きっと心の中では舌をだして笑ってる、そんな奴に違いない。
そう思うと、今度は悔し涙が溢れた。
「だめだ」
僕はまだ外に出ることができない。ペットボトルをかかえて縁側に戻り、座りこんでミネラルウオーターをぐびぐび飲み、また寝そべってしまった。寝そべって、また、ぐだぐだ考えた。
・・・結婚は本当に大変だ。簡単な人にとっては簡単なんだろうが、僕みたいな奴にとっては至難のわざだ。一生結婚できないかと思っていたら、不意に僥倖がやってきて、分不相応な美人の妻をもらった。そしたらこんなことになった。やはり罠があったのだ。悪意に満ちた運命だ。もっとよく目をあけて相手を判定してから結婚すべきだった。身からでた無残な赤錆。
結局、アホにすぎない。僕はアホにすぎない。私はアホ、私はアホ・・・
自暴自棄な感じ。頭がクラクラする。気が遠くなる。気が滅入ってしまう。
気分を変えようと思い、ヘッドホンで音楽を聴くことにした。冷蔵庫からビールを出してきて、飲みながら聴いた。気分が少し良くなった。それから、テレビのスイッチを入れた。縁側の横手に置いてある二十九インチ平面ブラウン管テレビ。十年近く前の旧式な奴。耳では音楽を聴きながら、目ではテレビを見た。テレビではニュースをやっていた。
「・・・」
そのニュースを見た僕は、ヘッドホンをはずしてテレビの前ににじり寄った。
「・・・くりかえします。今日未明、京浜東北線山手駅で電車への飛び込みがありました。飛び込んだのは、年齢三十歳代なかばの男性です。男性はジャージ姿で、身元のわかるようなものは身につけておらず、ただいま警察で捜索中です」
この事故によるJR乗客への影響は、日曜日の朝ということで軽微・・・。それはいい。僕がブラウン管に釘付けになったのは、テロップに、こんな文字がでていたからだ。
「家出した妻の名をよびかけて」
何?僕の疑問に答えるように、アナウンサーが続けた。
「男性は、妻の律子さんの名前を呼び続けていますが、重体です。心当たりの方は警察までご連絡ください」(テロップに警察の電話番号が映し出された)
それから、電車に飛び込んだ男性の外見的な特徴を報道した。身長、体型、髪型。それは、僕とそっくりだった。
ニュースは終わり、コマーシャルになった。湯河原温泉のホテルの広告。地元テレビ局ならではのコマーシャル。
「僕が自殺しようとした」
いや僕ではない。僕とそっくりな男が、そっくりな境遇で、しかも妻の名前まで同じで、思い余って飛び込み自殺しようとした。変なことがあるものだ。
「しかし、ひとごととは思えない」
どうしたものかわからず、僕はまたビールを飲みながら音楽を聴いた。
「おかしなことがあるものだ」
同じ感想をくりかえし、ビールに飽きて日本酒を飲み、酔いがまわってからゴロリと縁側に横になり、ヘッドホンをつけたまま眠ってしまった。
・・・つづく