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縁側にて  作者: 新庄知慧
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死体は人生を歩く

死体は歩き続けた。


やがて病院が見えてきた。看板に「療養型病院」とあり、リハビリセンターが併設されていて、中に入ると、病室という病室には老人ばかりが収容されていた。そして、死体は母の横たわるベッドの傍らにまで辿り着いた。


母は待ってくれていた。


「ああ、死なないでいてくれたんだね」


「ああ、何だか、何もわからないよ、私」


「僕のこともわからないの?かあさん」


「わからない」


「困ったね、それじゃだめだよ」


母の、目やにいっぱいの顔。


「わからない」


母はくりかえす。


「わからない。どうすればいいの?」


死体は母の顔を拭いてあげた、目やにもきれいに拭い去った。


「私は、もう、何も、わからないのよ、ごめんね」


老人の肌の香り。石鹸の匂い。


「わかるよ、そのうちに・・・ちゃあんと、みんな、わかるさ・・・」


死体は首をかしげて、優しく笑う。


「そして、生きるんだよ、母さん」


死体は決意した。


母さんがこれから百歳まで生きるプロジェクトを発足させよう。


へ?死んだ僕はのけぞる。「死んだ僕」は間抜けな背後霊でしかない。


死体は続けて決意した。


そして、わたくし、死体、も、生きていこう。大空を、びいん・びいんと響いていこう、そうやって生きていこう。


「母さん。いや、母なる世界のみんな。俺は、やるぜ!」


そう叫び、死体は振り向き、大きく大きく、口を開けた。


恐ろしかった。


そのとき「死んだ僕」は、今やとても僕とは思えないこの死体によって、吸い込まれてしまったのだ。


それから、死体は、生きた。


死んだ僕には、死体がなんで生きていけるのか理解できなかった。が、現に彼は生きた。

現実というものは理解を超えてゆくものなのだ。


きのう読んだ本の主人公は、こんなことをいっていた。


・・・死が人の生を現出させ、鼓舞し、明らかにする


・・・自分の存在がゼロになってみて初めてわかった。星空の光がすべてを照らし出し、明らかにしたかように、劇的に、わかった。

  時間はもう、決して、もとに戻らないし、昨日の自分は、もう、どこにもいない。そして、自分の生は自分自身に属していて、ほか  の誰のものでもない。自分の人生は自分自身のものでしかないんだ・・・


そう。つまり、生まれたということは、すなわちハッピーエンドそのものなのだ。「最低の人生」なんて、どこにもないのだ。ん?


現実に体験しなければ、こういうことはわからない。


 死んだ僕にはわからないのだ、わかるのは、生きてゆく死体くんだけだ。


 それから、死んだ僕は、ずっと、死体といっしょにやってきた。ちゃんとまた結婚もしたし、子供もできた。いっしょうけんめい働いて、新しいマンションも買った。


 母も生きていて、今はグループホームという老人共同生活の施設にいる。でも過去に、ここに書いたような、辛いこともあったのだ。


 ・・・そんなこともあったのだ。若い時(といっても三十すぎだけど)には、いろいろあるなあ。でもまあ、なんにしろ、これは僕の、心の実話である。


今日も僕は新しいマンションの縁側にいて、酒を飲んでいる。


 人生と同じで、酒はなかなかやめられない。





・・・おしまい



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