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縁側にて  作者: 新庄知慧
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縁側とは何か?

 自宅マンションの小さなベランダに面したアルミサッシ戸。その前のフローリングスペースに、僕は横たわっていた。そこはわが家の「縁側」だ。


 ベランダはきわめて狭く、昔、妻がガーデニングをやりかけて投げ出したプランターの残骸が所狭しと置かれ、無数の空き缶ゴミの詰め込まれた大きなビニール袋も、ほったらかしにされている。これも妻が置き去りにしたものだった。


 僕は三十二歳。妻は二十四歳。新婚一年目。妻は一週間前に浮気相手とホテルに泊った。その証拠写真(ご丁寧に妻カップルはホテルの室内で写真をとっていた。相手は四十歳に近いと見えたが、ホストクラブでも勤務できそうないい男だった)を僕が見つけ、怒って彼女の頬を叩いたら、いなくなった。夜半に家出した。


 翌未明に、電話があった。警察署からだった。夫のドメスティック暴力を妻が訴えでたという。警察の男の声は、こころなしか同情的に聞こえた。妻は若い女(おそらく妻の友人)が迎えにきて、どこかへ去ったという。


 そんなことを思い出しながら、その昼下がり、わが家の縁側に寝そべっていた。


 仕事で昨日はほとんど寝ていない。ここ三か月、仕事でまともに寝ていない。休みもとっていない。今日は本当にひさしぶりの休みの日(まともな日曜日)だった。貴重な午前中だった。


 妻のことで苦しむ余裕もないほど仕事が忙しかった。

 僕は国の外郭団体で予算作成の下請けをやっている。別に大した仕事をしているわけではないが、連日、帰宅は深夜一時をまわった。下らない仕事かもしれないが、本当にきつかった。しかし仕事は真面目にやらなくてはだめだ。どんなに下らなくても、内村鑑三のいうような「いさましく・高尚な」人生でなくてはならない。笑われるかもしれないが、僕はそう思っていた。


 しかし、きつかった。

 おまけにお人好しのせいで、組合の委員長もやらされていた。労働条件改善のための活動。その活動も立派な労働で、毎晩、仕事が終ってからその労働に取り組むのだ。親元官庁からの再就職(いわゆる「天下り」)反対闘争もやっている。僕の属する部の部長やその上の役員が、なんとこの「天下り」だった。仕事中はこの部長や役員とうまくやり、一方で業後は、この部長を攻撃する大将をやらされていた。これは肉体と精神にこたえた。


 僕の父はとうに死んでいた。近所に住む母は生きていたが要介護者だった。老衰、脳には腫瘍。昼間は介護ヘルパーを頼んでいる。まだ排泄行為は自分でできるが、炊事・洗濯・入浴・散歩は自分でできない。こんなに忙しくなる前には、僕は夜や休日には母の食事の面倒をみた。日に日に弱り、記憶も朦朧となり、何についての判断もできなくなってゆく過程にあった。


「律子が家出した。腹がたって、つい、手をあげてしまったんだ」


 辛くなり、ついに僕は昼休みに電話で母に告白してしまった。介護状態の母にそんなことをいうべきではなかったのに。しかし母はそれを聞いて答えた。


「そう」

 正気の人みたいに、驚いた様子の声をあげた。あわてて僕は、

「でも、いっときのことだ。すぐ仲直りすると思うから」

 と、母を安心させようとした。

「でも、無理するんじゃないよ。だめだったら、だめなんだから。だめだったら、私とあなたと、二人でやっていけばいいよ。親子なんだから。一番ながくつきあってきたのは、私とあなたなんだから」


 そうして、もし離婚するなら、相応の慰謝料を払って、きれいに切れてしまうべきだと、まるで健常者の母であるかのように方針を述べた。母は、そのとき、母だった。


 僕は胸がつまった。

「うん」

曖昧な返事をして、でも、がんばってみるよ、と答えた。


 しかし、翌日、同じ話題をだしたら、母は全く覚えていなかった。新しい話題として、それを理解しようとした。しかし、だめだった。「だめだよ。もう。何もわからない。だめ人間になっちゃったよ。ああ。ふらふらする」といって、電話の向うで、ふさぎこんだ。


 僕はとっさに話題をかえた。テレビでみた特製野菜ジュースの話にした。めまいが治らないのは、ビタミンとかの栄養が不足してるんだ、今度ミキサ-を買ってきて作ってあげる、材料は、これこれ・・・

 説明しながら、しっかりしなきゃだめだぞ、と僕は僕自身を叱った。


 がんばれ。そのために気晴らしというものが必要だ。


 しかし、例えばキャバクラにでも行って発散するとか、そんな時間は全くなかった。過労の体でそんなことをしたら、倒れてしまうだろうと思った。帰宅後に部屋でタバコをふかしアルコールをあおるくらいが関の山だった。毎晩、寝る前にタバコを一箱もふかして酒を浴びるように飲んだ。昨夜は、ひさびさにとれた休みの前日ということで、わけてもたくさん酒を浴びた。そんなわけで縁側で寝そべる僕の体にはまだ深い酔いが残っていた。夜と朝がつながっていた。


 何をやってるんだ。早く起上がって、母のところへ行こう。新婚だといってこんなマンションを買ってしまったが、もう結婚がだめなら、はやくひきはらって母と同居しよう。そう考えながら、起きた。頭がふらふらするので、キッチンへ行きペットボトルのミネラル水を飲んだ。キッチンから、玄関ドアが見えた。鍵をかけ、チェーンまでかかっている。


 チェーンまでかけているのは、鍵があてにならないからだった。


 妻が家出した翌日の深夜。帰宅したら、かけたはずの鍵があいていた。

部屋の中に荒らされた様子はなかった。泥棒とは思えない。もしやと思って、戸棚の引出をあけた。すると預金通帳と銀行印がなくなっていた。妻がやってきて持ち出し、部屋の鍵もかけずに(悪意だろうか?)出ていった。そうとしか思えなかった。


「・・・・」


 妻は1年前までは働いていたが今のところ無職。生活費はない。だから?

考えるのもいやになった。その晩の酒量はひときわ多くなった。



・・・つづく

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