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あなたの小説、助けます! ~君が失くした物語~  作者: Glyph|↵
#1:乾燥かりい先生「ぶんぶっ!」
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04話 アークコサイン


「や、新入り。AIはどう?」


 隣の席の筆石が、何処か期待をにじませた様な口調で尋ねてくる。


「さっき話してもらったAIのイメージとはちょっと違いましたけど、素直ですし私でも扱えそうです」


 綾乃はアークコサインが自分の荷物をロッカーに収納する様子を横目で見ながら答える。筆石さんとアークコサインが懇意にしていたらしいことは、綾乃も十分認識している。ボロい外見の重厚長大なデバイスを割り当てられて、気落ちしているなどと言えるわけがなかった。


「思ってたのよりもボロくて、少しがっかりしてる。そんな事を思っているね?」


 筆石は綾乃に言う。彼女の漆黒の瞳が真っすぐ綾乃の瞳を見ていた。


「思ってないですよ」


 すると筆石は、意外、というか、少し予想済みというかそれでいて少し安心というか。ともかくそんな表情を浮かべたのだった。


「へぇ、意外ね。ああいうのを受け取ったら、周りが周りなだけに嫌がるかとも思ったのだけれども」


 筆石は少し本田と赤井を横目にちらりと見た。


「でもまぁ気にしてないなら構わないわ。あの子その事、結構気にしてるみたいだから」


「そうみたいですね」


 綾乃は閉じた状態でデスクに置かれている白い本体を指先で撫でつつしんみりと答えた。本体のフチが日に焼けてザラついている。

 使いにくいデザインのウェアラブル端末を預かったときのことを想像すると、この端末で良かったかもしれない。綾乃は思う。思い通りにいく事なんて世の中そうそうないし、最悪じゃなかった。


「さて、じゃあまずは彼女の事、知ってもらわないとね。ハル」


『分かりました』


 そう言うと、筆石の首から延びるマニピュレーターが一本、スルスルと綾乃の方に延びる。マニピュレーターは綾乃の手の届きそうなところで一回転し、地面に平行な円を作った。筆石の手元にも同じように円が出来る。

 筆石がマニピュレーターをなぞると、円の上にホログラムが出現した。いくつかのファイルが表示され、綾乃は興味深そうにマニピュレーターを見つめた。




「まぁ、楽に聞いて構わないわ。まず、ピカイア――今はアークコサインだっけ。ナビゲートAIの開発が始まった、最初期の頃に開発された子よ」


「へえ……」


「今のサポートAIには、ラタトスクシステムっていうOSが積まれているのだけれども、アークコサインはその前に開発していたシステムの初期の頃からいたのよ」


「詳しいですね」


「ハルの開発をするときに、結構参考にしたのよ。アークコサインはいわばすべてのサポートAIのプロトタイプみたいな物だからね」


 そう言って筆石は、ハルキゲニアの本体である首輪を指でなぞる。


「開発の方にいらっしゃったんですか」


 綾乃はハルの生みの親がまさか筆石だとは思っていなかったが、懐かしそうに首輪を撫でる彼女が白衣を着ている理由に合点がいった。


「ここに来る前は、技術部でAIの開発にも携わっててね。因みに河合課長とはその時からの付き合いよ。課長がこっちに特別課を創るって言うから、それに付いてったのよ」


「へえー、じゃあこの課のことは筆石さんが一番知ってるんですね」


 特別課が古くからある部署だと思っていたし、ここの部署の人の慣れた雰囲気を感じていた綾乃にとって、できたのがそう遠くないここ数年の出来事だという事実は、どことなく奇妙な感覚を覚えるものだった。


「昔話が長くなっちゃったわね。アークコサインの話に戻るわ」


「あ、はい」


「設計はよかったんだけど、開発の方に時間が掛かっちゃったらしくて、実用化には至ったんだけど後続の他のデバイスが出てきちゃって。それで倉庫送りになったって訳。それでもみんなの持ってるAIと性能は遜色ないから、安心して」


 他のAIと機能が変わらないならば、アークコサインが倉庫送りになったのは、元々古くて、本体の携帯性が悪かったことが原因なのだろうと綾乃は思った。


「次に、特殊機能についてね。どのAIにも何らかの特殊機能が搭載されているわ」


「特殊機能ですか?」


「ハル――XI.Roh-00/"Hallucigenia"の特殊機能は、まぁ見ての通りのこれよ」


 そう言うと、その言葉に呼応するかのように筆石の首輪から延びる、四本の紐の様な物が広がる。


「人工筋肉で出来たマニピュレーター。色んな機能が付いてるんだけど、そこは割愛」


「その本体だから使える機能ってことですか?」


 そういう事よ。筆石がそう言うと、マニピュレーターが筆石の手元に合った空のカップを掴んでデスク脇のゴミ箱に入れた。


「特殊機能って言うとわかりにくいかもしれないけど、どちらかと言うと個別技能って感じね。一つのAIにつき一つ」


 筆石がホログラムをなぞる。綾乃の目の前のホログラムにアークコサインのデータが表示された。

 綾乃は筆石の見せたそのデータに顔を近づける。

 アークコサイン本体に関するデータかな。ふむふむ、難しすぎて綾乃にはよく分かりません。


「あー、なるほど……」


 とりあえず、分かったような返事をする綾乃であった。


「アークコサインの特殊機能は、リバースエンジニアリング。解析した物を再構築する機能よ」


「リバースエンジニアリングって、技術者とか、ハッカーがやりそうな何かの作業です、よね……?」


 綾乃は自信なさげな表情で言う。

 そもそもリバースエンジニアリングとは、すでにある製品などを実際に分解したり、動かしたりして解析し、それが持つ機能や作りなどを明らかにする作業のことだ。

 さしずめ彼女の理解は、当たらずといえども遠からずと言えるが、普段生活で触れない世界の言葉ということもあるだろう、本人の中ではあやふやな理解しか持ち合わせがなかった。


「フムン。何か分かりやすい物はないかしら」


 綾乃の状態を把握した筆石は、そう言うとデスクの引き出しを開け、中を漁る。


「あ、これがいいかな」


 彼女が取り出したのはボールペン。黒いインクが入っているタイプだ。


「じゃあ、これをリバースエンジニアリング――解析してみましょう」


 彼女がボールペンのボタンを押すと、カチリという音と共に筆先が出る。もう一度押すと筆先が戻る。


「書くことができ、ボタンを押すと筆先が収納可能」


 次に、彼女は指先でボールペンのクリップを軽く弾いた。


「おまけに何処かに保持するためのクリップが付いている」


 彼女は次に、ボールペンを分解しだした。あっという間にボールペンがバラバラのパーツと化す。

 綾乃も今まで、暇なときにボールペンを途中までバラした経験ぐらいはあるが、手際よく徹底的に分解していく様、当たり前といった様子で、細かい部品を入れる小さな受け皿を取り出して使う様子から、彼女にとって、この手の作業が慣れたものだと綾乃は感じとった。


「解体という形で行ったリバースエンジニアリングで得られたものを見てみましょうか。まずはこれ」


 筆石はボールペンのインク、ばね、そしてスイッチの根元に付いているラッチを手に取った。


「ボールペンの仕組みは、スイッチを押すとラッチが動き、収納、展開時の位置にそれぞれ固定される。押したスイッチはばねで戻される」


 筆石がハルのマニピュレーターを動かし、ボールペンの先端にマニピュレーターの先端を近づけた。綾乃の前のホログラムに拡大映像が映し出される。


「ボールペンは先端のボールが回転することで滑らかに物を描けるようになっている」


 そう言うと、筆石は慣れた手つきでボールペンを元に戻した。


「どう? 少し観察して、簡単に分解しただけでここまでわかったでしょう? これがリバースエンジニアリングよ」


「どんなふうにそれが動いているのかを調べる機能なんですね。すごく分かりやすかったです」


 言ノ葉綾乃は、純粋に筆石をすごいと思った。


 当たり前だけど、ボールペンが分解できる事じゃない。身の回りにあふれる小物から的確にボールペンを選び、ほとんど素人の私にも分かりやすいようかみ砕いて――しかも淀みなくスラスラと説明してしまった事だ。

 同じようにこんなにも的確な例を選び出してすっきり説明できる自信は、綾乃にはなかった。


 特別課というからには、機転でこれくらい簡単にできないと務まらないんだ。

 ここで仕事をするからには、私も足を引っ張らないように頑張らないと――と、自分の頬を叩くようなつもりで、綾乃は密かに気合を入れなおしていた。


 ただ、物語を改変する仕事で、そのリバースエンジニアリングを行えるという機能が、どういうメリットがあるのか、それだけは彼女にはどうしても分からなかった。


「んーとつまり、アークコサインはダイブしてサポートするには、あまり向いていないってことですか?」


「まぁアークコサインはラタトスクシステム――オペレーティングシステムのテストに使われた物でもあるからね。搭載された学習機能を活かす為、と言うのもあるかな。形状も向いてないしね」


 筆石は少し苦笑いをして、言った。

 机の上の色褪せた筐体は、持ち運びにはやや大きいという第一印象を拭うことができない。

 昔の技術で、ハルや白雪と同等の性能を持つためには、これくらいの大きさがどうしても必要だったのだろう。


「でも、設計の柔軟性は十分に高いわ。もともと試験用に作られたのもあって、様々な機器への接続が可能だし、想定しうるあらゆる状況に対処するだけのアビリティも兼ね備えている」


 筆石の口調が、何処か自信に満ちた様なものになる。


「なによりあの子には学習機能で蓄積された膨大なデータとポテンシャルがある。きっとあなたの力になるはずよ」


「アヤノさん、作業終わりました!」


 まるでタイミングを見計らったかのように、綾乃の後ろからアークコサインが声をかけた。ロッカーへの荷物の収納と整頓が終わったのだ。

 綾乃は腰を捻って振り向く。両手を腰に据え、アークコサインの自信ありげな表情。


「いろいろ考えて、頑張って収納しました!」


「ありがとう。お疲れ様」


「あの、アヤノさん。意見具申です」


「うん、どうしたの」


 急に固苦しい言葉を持ちだして、アークコサインが歩み寄る。綾乃は床を蹴ってイスをターンさせ向き合った。


「私の名前は、今デフォルトのアークコサインですが、変えることができます。変えますか?」


 んー。綾乃はアークコサインから目を逸らし、ロッカーを見上げる。

 これからずっと、いちいちアークコサインと呼ぶのはやりくいし、面倒であるのは間違いない。


「じゃあ変えようかな」


 アークコサインにちらりと目を向けると、黙ってこちらを見て待つ目線とかち合った。

 口元に手を当てて考える。どんな名前がいいだろう。

 アークコサインから、アークとか。

 目の前の顔の整った白衣の少女にアーク。似合わない。もっとも、彼女の本体(AI)に名付けるんだから、課長いわく変幻自在に化けられるらしいその一形態を見て、似合うかどうか評価するというのも変な話だ。しかし、アークという名前に可愛げがないのも綾乃は気に入らない。


 ――じゃあ、AIからそのままアイとか。

 長すぎもせず短すぎもせず、ちょうどそろそろ答えが聞けると周りが期待しはじめる頃合いに、一周回った綾乃の頭脳はショートする。

 悪くないじゃん。AIだからアイ。人の名前みたいだし。


「じゃあ、アイちゃんで」


 白犬にシロ、黒猫にクロ、AIにアイ。無意識下で、ペットの命名用思考ルーチンで生成した名前であることなど、当の本人は気がつかず。


「アイちゃんですね! 分かりました」


 純真無垢な人工知能もまた、それに疑問を呈することなど考えに及びもせず。


 アイという単純な命名に少々複雑な感情を抱きつつ、それよりもほんの少し重大な違和感にいち早く勘づいたのは筆石だった。彼女はハルキゲニアとの脳波コミュニケーションリンクを開く。


『ねぇ、ハル』


『何でしょう?』


『ピカイア――アークコサインの認識と、言ノ葉さんの認識が食い違っている気がするのだけれど、意見を聞きたいわ』


 数瞬――とはいっても、数マイクロセカンドの思考染みた計算の後、ハルが返答する。


『――おそらく、その確率は高いかと。入力内容の再確認を推奨します』


 筆石はそれを”感じる”と、アークコサインに問いかける。


「アイちゃん、自分に設定された識別名の後に、『ちゃん』を付けて出力して(言って)みて」


「私の名前は、アイちゃんちゃんです!」


 ゴッ! 綾乃の額を机に打ちつける鈍い音が部署に響く。ちゃんちゃん。終わっちゃったよ!


「あなたの名前は『アイ』ね。ちゃん付けすると『アイちゃん』。分かった?」


「私の名前はアイです。ちゃん付けするとアイちゃんです」


「そう」


「修正しました!」


 人らしさがにじみ出ていたとしても、やはりコンピュータはコンピュータなのだと、自信に満ちた様子で自分の名前を間違えたアイを見て綾乃は思った。


「まぁ、これから学習していく事ね、アイも――言ノ葉さんもね」


 筆石が苦笑いを浮かべつつ言った。

 名前の話を終えて一段落。はて、そういえば何の話をしてたんだっけ。ああそうそう、危うく忘れそうになっていたが、アイが自分のロッカーの収納を代わりにやってくれたのだ。


「さてさて、どんなふうに片付けてくれたのかな?」


 席を立ち、ロッカーの前へ綾乃は歩く。

 アイは軽い足取りで筆石のそばまで近寄ると、彼女の耳元で囁く。


 ――フォローの件ありがとうございました。


 それを聞いた筆石は微笑むと手を軽く上げ、中指を同じ手の人差し指の上に乗せて曲げた。クロスフィンガー、『幸運を』の意味。

 アイも笑って同じ仕草で返すと、飛び石遊びをしているかのように軽く、ぎこちない足取りで綾乃の元に駆け寄った。


 ロッカーの前で綾乃は、背後の不気味なオブジェのことを気にしていた。こんなものに近寄るのは好みではないが、いちいち考えてどうにかなるものではない。気にしないことに決めた。アイが自分の後ろに立ったことを認めた綾乃は、金属の擦れる音とともにロッカーを開けた。



「えー……」


 中には、縦横奥行きの三次元において、隙間という隙間をみっちり埋めた”塊”があった。


「がんばって最適化しました! まだ六七パーセントの空き容量があります!」


「がんばったのは分かるけど、これ出し入れできないよね」


 あーあ、ショルダーバッグの中身も整頓してたのに全部出しちゃって……

 人間とコンピュータの深い溝を身に染みて実感した綾乃は心に決めた。

 あとで自分がもう一度やり直そう、と。


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