03話 Artificial Inteligence
「いやいや、はは、ちょっと遅くなったね」
それから二十五分ほど経った頃、デスクトップ型の直方体のパソコンを抱えた河合課長が戻ってきた。キーボードとマウスを筐体の上にトッピングし、さらに脇には持ち出したファイルと同じ色のファイルを挟んだ重装備の課長。その三歩後ろを、モニタとケーブルその他雑多なものを抱える、白衣を着た女性が歩く。身長は一五五センチほどの、綾乃よりやや小柄な体格。腰にまで届きそうな長く白い髪。そしてなによりも、この世の人間かと疑ってしまうほどに整った顔。
誰だろう。綾乃の目には高校生くらいの女の子に見えた。その時、彼女のすぐ隣の席から声が上がった。
「あぁーっ、ピカイア! その姿見たの随分久しぶりだなぁ。ちょっと痩せたんじゃない? それともモデル変えたの?」
筆石が何処か懐かしむ様に、それでいてどこか『また面白そうな物が来た』と言うようなニュアンスを含む口調で言った。例えるなら、しばらく会っていなかった友人と会ったときのような。
「フミカさんお久しぶりです!」
ピカイアさん……外国の方なのかな。モデルの仕事をしていても全然不思議じゃないくらいスタイルいいし。
この会社って副業OKなのかな。いやそれよりも、この人はなんだろう。筆石さんと知り合いみたいだし、同じような白衣着てるし。
急に現れた少女に綾乃のみならず本田さえもが疑問の表情を浮かべる中、赤井は面識があるのかないのか微妙な顔でピカイアと河合課長の方に目をやっている。
「言ノ葉さんは、そこの席かな? これ言ノ葉さんのパソコンなんだけど」
課長が両腕に抱える筐体の置き場を求めて寄ってくる。彼の背後では、モニタ類を抱えた彼女が、赤井の隣の空いている机に、んーしょ。課長より一足早く楽をしていた。
綾乃は課長の質問に一瞬答えを迷ったようだが、首肯する。
「そうか……じゃあここに置いておくよ」
綾乃の机の上には、彼女が置いた荷物があった。課長はピカイアが置いた机の向かい側――綾乃の隣の使われていないデスクに、筐体をそっと下ろす。実の詰まった重たい音とともに、ゴム足が地につく。
彼女はモニタを置いた机に、どうも用があったらしい。机の引き出しをイジっている。
「できれば、モニタとかケーブルも同じ机に寄せておいてもらえるかな?」
「分かりましたー」
引き出しを閉めた彼女は、モニタとケーブルをごっそり持ち上げる。
河合は一仕事終えたため息をつきながら、両手を埃を払い落とすように叩いた。
「荷物の整理が終わったら、パソコンをセットして、それが終わったらまた僕を呼んで」
「あの、課長」
「ん?」
綾乃は先ほどの話を思い出して立ち上がり、ファイルを手に席に戻ろうとしていた課長を引き止めた。
「私、まだロッカー割り当ててもらってないんですけど……」
「ん、あぁ、ははは。ごめんね、そういえばすっかり忘れてたよ」
振り返った課長は、自分のデスクに早足で寄って、ファイルをデスクの上に置き、鍵のかかった引き出しをまさぐるが、すぐ課長の手が止まった。ピカイアと綾乃を手招きして言う。
「ごめん、早速で悪いんだけれど、鍵を探すの手伝ってくれるかな? 確かこの引き出しに入れてたんだけど……」
「はい」
「課長さんのご命令とあらばー!」
すぐ課長の元へ寄った綾乃に続いて、ピカイアはどことなく危なっかしい独特な小走りで駆け寄る。
「……ごめん、あの子誰だっけ?」
課長が鍵を探しているうちに本田が知っている風だった筆石にこっそり尋ねた。
「あー……そういえば本田さんはピカイアの事知らないですよね。そもそも会った事ないだろうし」
筆石は特別課のある部屋を二分して作られた休憩スペース――二台の自動販売機を完備――で手に入れた紅茶を口に含み、一瞬考える。彼女はどう説明するのが最適か、頭の中で整理した。喉をほろ苦く暖かい液体が降りていく。
「さて。本田さん、研究開発部での新型AIの開発プロジェクトに関して聞いた事は?」
「いやぁ……ないな」
いつもの軽い口調から打って変わってハキハキと話す筆石。ずれていた眼鏡のフレームを指で押し上げる。
「学習とそれに基づくリバースエンジニアリング――所謂分解、解析の機能を搭載した試験型AI。それが彼女ですよ」
そういうと筆石は親指でピカイアを指さした。
「それはわかったが……どうして人型なんだ?」
本田は、河合課長と共にロッカーのカギを探しているピカイアを横目で見ながら小声で尋ねる。
「一応人型になったのは、サポートAIとしての学習を効率的に行うためにサポート対象を真似て学習したらしいですが。多少旧式ですけど、仮想VR訓練で私が見てきた限りではハルと比較しても能力は一線級だと思います。あ、ちなみに身体データの元は私です」
少々得意げに筆石は言った。
「ふーん……」
本田が理解したようなしていないようなわからない声をあげながら頷く。
ああ、これだこれだ!
河合は声を上げて、プラスチックの札がついた鍵の束を取り出し、その中から一つ、黄色い札に”特ロ7”と書かれた紙が差し込まれたものを、隣の引き出しを探す手を止めて、課長を見上げた綾乃に差し出した。
「いやぁ、ごめんね。一緒に探してもらっちゃって。ロッカーなんだけど、書類の一部が書棚に入りきらないだとか、なんだかんだあって今空いてるのが、一番奥の七番しかないんだよね。場所分かるかな? そう、像の右隣の」
「はい、ありがとうございます」
綾乃は鍵を受け取りロッカーを見るが、どうしてもその横にある例の漆黒のオブジェが視線を持っていかれる。
「もしかしたら山内課長に言われたかもしれないし、綾乃さんは大丈夫だと思っているけど、ロッカーの中には、仕事で使うモノを入れるのは厳禁。紛失の原因になったり、意図せず社外に機密が流出する原因になり得るからね。特に特課は機密を扱うことが多いから気をつけて。もちろん、自分に都合の悪い書類などを隠しておくのもダメ。そういうのが僕は一番嫌いなんだ。この意味分かるね?」
「はい」
「常識的な範囲ならば好きに使っていいよ。問題があれば都度言うし。今までそんなことしたことないんだけど、必要があればマスターキーで開けるからね。そのつもりで」
「分かりました」
ハキハキと答える綾乃の心の中で、結局あのロッカーを私が使わないといけないのかと、負けた気分になっていることを察する者は、特課の中には誰もいないだろう。
「さて、綾乃さんのサポートAIの交付なんだけど」
「あ、はい!」
綾乃の残念な気分を一掃させる、彼女にとっての大イベント、AIの交付。課長の一声で綾乃の表情は、ぱぁっと華やかな明るさを放つ。
んふふー。ロッカーは残念だったけど、私にはまだAIがあるからね。
課長と一緒についてきた人から説明を受けて交付されるのかな?
先ほどの本田と筆石の会話は、鍵を探していた綾乃の耳には入っていないようだった。
「いま君と一緒に鍵を探してくれたこの子が、君のパートナーだよ」
「はい、よろしくおね……え、えっ?」
笑顔で頭を下げて挨拶しかけた綾乃が、課長とピカイアの顔を見る。
今しれーっと課長さん、隣にいるピカイアさんがパートナーって言った気がするんだけど。
え、なに、私みたいな新参者に貴重なサポートAIなんざ渡せるかバーローってこと?
「んー……まあ本人から自己紹介してもらったほうがいいかな」
河合は綾乃の反応を見て、隣のピカイアの背中を叩いた。
「はじめまして、RS-01です! 研究開発部の備品倉庫待機課から転属になりました! 待機課に転属する前は研究開発部で、フデイシさんやカワイさんと一緒にお仕事をしていて、フデイシさんから『ピカイア』って名前をもらいました。今の名前は、デフォルトの『アークコサイン』です。えーっと、出身は、株式会社ダイバーの研究開発部で、育ちは株式会社ダイバーの研究開発部です! よろしくお願いします!」
「どうも……」
ええ……このめっちゃ濃い人、人工知能だったんだ。ずっと人間だと思ってた。そんな感想を持って、差し出されたアークコサインの手を握る。触った感触は人の手そのもの。だけど温かくない。
「手は温かいほうが良かったですか?」
「うーん、ちょっと」
「じゃあ、次からは温かくしておきますね!」
社会人になって会社に入って、まさかこんな会話をすることになるなんて思ってもみなかった。それにしても、彼女の雰囲気があまりにも自然で、つい人にするみたいな曖昧な返答をしちゃったけど、それをちゃんと把握するなんて。地味だけどすごい。
課長は私達がそんなやり取りをしている間に、ファイルから一枚の用紙を用意して、彼のデスクの上に広げていた。
「綾乃さん、サポートAIと一緒に仕事するにあたって預り証に署名がいるんだけど、もうこの場で書いちゃってくれるかな?」
「はい」
課長の胸ポケットに入っていたボールペンを綾乃に手渡す。なんということはない、預り証の内容を確認した綾乃は、すこし緊張した様子で、署名欄に自分の名前と所属を残した。
「これでこの子は正式な君のパートナーだ。会社のものだから大事に使ってほしい。不具合が出たらすぐ私のところに報告すること」
「了解です」
「それと……もうそろそろ本体を綾乃さんに渡してもいいんじゃないかな?」
河合がアークコサインに目を向ける。別ごとに興味を持っていかれるかのように目を逸らして彼の言葉をスルーする彼女の仕草は、人間のそれと変わらないほどに繊細で豊かだ。
アークコサインは人型AIじゃないんですか? 綾乃の課長への問いかけで、分が悪そうな曇った表情で目を伏せる。少しキャラが立っているとは思うけれども、人間じゃないとはにわかに信じられない。
「いろいろあってね。AIは任意の形状の自分の分身を操ることができるんだ。筆石さんのAIも、本田さんのAIも、赤井さんのAIもね。アークコサインはその機能を使って、この女の子の姿で綾乃さんと会話しているんだ」
「それで、本体ですか」
「そう。見せるのが恥ずかしいみたいでね。本体なくして仕事なんかできないから、綾乃さんから見せてって言ってくれないかな?」
苦い顔で笑う課長。結構手のかかりそうなAIを預かっちゃったと思いつつ、綾乃は優しくアークコサインに話しかける。
「本体を持ってきてくれるかな?」
「わかりました」
嫌だとゴネるかなと思ったけど、すんなりと私の願いを聞き入れてくれた。意外。席に座る赤井と本田の後ろをスタスタと歩いていく。
どんな形をしているんだろう。腕輪、首輪ときたら、ウェアラブルなのはまず間違いないよね。もしかしたら本体はメガネ型なのかも。
アークコサインは赤井の隣の机の引き出しを開ける。おおう。いつの間にそんなところに本体を隠したのかね君は。
――え、デカくない?
彼女が綾乃のもとに戻ってきて申し訳なさそうに差し出したのは、ウェアラブル端末とは程遠い、外装が日焼けして色褪せた、折りたたみ式の大型パソコン――多分ノートパソコンだ。綾乃自身が知るノートパソコンとは質を異にする外観に、それが本当にノートパソコンなのか不安になる。ポータブルPCとでも形容した方がしっくりきそうだ。
アイから受けとって感じたことは、ホントに重いということ。体感的に、まだ二リットルのペットボトルを二本持った方がまだ軽いくらいだ。薄型という言葉を忘れた本体の厚さは、そんじょそこらの辞書より分厚い。ヒンジのある背の部分に取り付けられた収納式の取っ手から感じる、ポータビリティーへの申し訳程度の心遣いが涙を誘う。
「うん、悪くないじゃん」
モバイル端末として考えると、日に焼けた白い外装が主張する軽さもむなしく、重量級との言葉を避けざるを得ない。
うう。底面を支える片手の指をいっぱいまで広げて、本体を持ち上げている綾乃だが、気のせいか急に腕が重くなってきた。まさに鈍器である。
「なんか色々端子ついてて多機能そうだし」
身が詰まった重厚な端末を開けば、分割して収納されている見慣れた配置のキーボードと、ありきたりなフルカラーディスプレイ。表示されているインターフェイスは、アイコンが並び、直感的に操作できそうなデザインではあった。
「見覚えのある感じだし、私でも使いこなせそう。こう、キーボードがついてる端末って、キーが小さくて打ちにくかったりするけど、これは結構打ちやすそう、うん」
「綾乃さんが気に入ってくれたみたいで良かったじゃないか。これから一人と一台、協力して仕事をしてほしい」
戻っていいよ。自分の席に腰掛けつつ課長が言う。
首輪、指輪、腕輪ときて、まさかの年季の入ったノートパソコン。アークコサインの本体を自席の机にそっと置く。
席に座ると同時に、綾乃の口から事を終えたものにしては、あまりにも深いため息が吐き出された。