01話 業務特課
本編の内容や表記は予告なく修正される場合があります。
流れ弾にはくれぐれもご注意ください。
はじめまして。
この度は株式会社『ダイバー』にお越しいただきありがとうございます。
今回、物語の改変依頼のお見積りをされるとお伺いしております――はい。すでにご存知かと思われますが、まずはわが社の提供する業務内容について、もう一度ご説明させていただきます。
弊社の提供するサービスの一つが『物語の改変』です。
まず――これはお客様もよくご存じかと思いますが、文章を修正するには手間がかかります。ほんの少しの改変であっても、歴史の大幅な修正が必要になることも少なくありません。
普通、出来事というのは過去から未来へ矛盾なく影響していくものです。作者は世界の神様でありますが、想い描く世界を構築できる代償として、その世界の歴史を矛盾が無いように自分の腕で再構築しなければなりません。それは大変な労力がいる作業で、時として非常に長い時間がかかります。
ですが、もし文章を『内側』から改変することが出来たとしたら?
物語世界における因果律と時間的整合性の中で、あくまで一住民として物語を誘導できるとしたら?
物語の世界の中で改変を起こすのですから、そこに整合性の綻び、矛盾は生じません。
それが弊社の提供する『文章改変サービス』です。弊社では最新のテクノロジーを用いて、文章の世界に精鋭のエージェントを送り込み、物語の内側から、お客様の望むような改変を行っております。
弊社では改変以外にも、完結の補助や、行き詰まった展開の打破などの依頼も受け付けております。
改変以外でも、物語のことでお困りのことがございましたら、ぜひ弊社へご相談ください。
――さて、説明が長くなりましたね。本題に入りましょう。
本日お持ちいただいた作品を拝見させていただいてもよろしいでしょうか。
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”頭脳明晰、運動神経抜群の天才男子高校生『屋敷和真』は、目立つことが嫌で教室の片隅でひっそりと過ごしていた。
そんな彼の悩みは、最近幼馴染の『姫宮灯』に避けられている気がしていること。気遣ってこちらもあまり近づかないようにしているが、どうも気になって仕方がない。
そんなある日、ひょんなことから彼の実力を、教師である『玄峰志鳥』に見抜かれてしまう。
「そうだ。私は新聞部を一つ作ろうと思っているのだが、その部長をやらないか? お前の実力なら部長に据えても安心できる」
「胡散臭いな……本当は?」
「嘘は言ってない――ただ、職員室に居場所がなくてね。自分の場所が欲しかったのもある。まあ私が悪いんだけどさ。便宜は図るよ」
志鳥先生の普段から大雑把で乱暴な立ち回りを見ていれば、職員室に居場所がなくなるのは頷ける。だいたい、逃避先の部屋を確保するために生徒を利用して部活を立ち上げようという、その言動自体が乱暴なのだ。けれど、こんな断れない頼み方は卑怯だ。
「部室が欲しいだけなら、部長としての名前だけなら貸しても――」
「本当か!? さすがは私が見込んだ男! 屋敷和真! じゃあ早速部員を集めてきてくれないか!」
「えっ」
見事にハメられ、部員集めに苦労している和真が頭を抱えていると、廊下の曲がり角で灯とばったり出会う。
和真は逃げるように去ろうとする灯を呼び止め、部活動に誘う。
友人の『東堂機介』も加わり、部活の仮設立に必要な三人が揃ったが、副生徒会長は告げる。今学期中にあと二人集めないと正式に認められない、と。
副生徒会長の気に入らない態度に機嫌を損ねる灯をなだめ、三人は部員集めを再開する。
「でも、ポスターとかは生徒会の許可が必要なんじゃ……」
「大丈夫だ、あたしが許可する!」
不安を覚えるほど迷いない志鳥先生のサムズアップで、応急のやっつけ募集ポスターの制作を始める部員たち。
きっかけはどうあれ、なんだかんだ楽しそうな志鳥先生。
「できたっ!」
「じゃあ、あとは私が生徒会の人にOKをもらっ――」
ガラッ!
「生徒会室に認印があったから持ってきたぞ! 自由に使え!」
フタの開いた朱肉の缶にゴム印を叩きつけながら志鳥先生が現れる。職権乱用最高。
校内の掲示板に、応急のやっつけ募集ポスターを張り出す。
大して期待せず戻った部室に、ノックの音が響く。生徒会長の『汐御崎 凛』だった。
認印を勝手に使った彼らに、生徒会長からの鉄槌が下る――!
「私を養ってくれる旦那様がいると聞いてきたのだけれど」
……ポスターにそんなこと書いた覚えないわ。
しかし部の存続の危機がかかっているこの状況で、背に腹は代えられない。まさかの生徒会長を部員として迎え入れる事態に。こんなヤツが生徒会長で大丈夫なのだろうか、いや大丈夫であるはずがない。不安になる屋敷和真。
あと一人どうしよう。そんなある日の昼休み、和真は購買に飲み物を買いに行く途中、件のツンドラ副会長、『水城透希』と『木咲瑛里華』が言い合っているところを目撃する。特に興味もなく去ろうとする和真の耳に入ったものとは!?
続きはCMのあと!
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豊倉出版 様 16:43 RSNETSRV 記録”
「――いや、最後まで書けよ」
ダイバー社員の赤井 武は、組んだ足を自分のデスクに乗せたまま、今回の依頼作品のあらすじを読んで一人ごちた。なんだこれ。一体誰がこんな中途半端な資料をあげやがった。
昨日の内に営業部で受理され、今朝届けられていた新しい依頼の書類。赤井は、めくったばかりの表紙を戻して、受付担当印の苗字を記憶に留めておく。
小説にCMなんてあってたまるか。赤井は再びそう呟いて、マグカップのコーヒーをすする。
ゴトリと、マグカップを置く静かな音がまだ人気の少ないオフィスにやけに存在感を持って響いた。いつも水に近い感覚で飲めるアメリカンが、今朝はやたらと喉の奥に残る。
更にページをめくり概要に目を通していく。依頼主は商業作家で、取り扱いは一応個人依頼。ただし依頼作品は一度市場に出回ったもので、同伴した担当編集者の許可も確認済み、と。補足欄に走り書きされた所属出版社名は、赤井がよく知る名前だった。
しかし――。
必要な情報には目を通し、赤井はあらすじにページを戻した。
まさか本当にPR用の放送草稿じゃないだろうな。
そもそも目的をはき違えている。こっちが求めたのは作品の概要を説明した文字通りの『あらすじ』であって、作品の引きとなるような、いわゆる『表紙裏のあらすじ』ではない。どこかで小説の賞応募でも似たような事例があると聞いたが……出版社自身がこれではどうしようもない。何かの手違いだとは思いたいが、まあどちらにせよこんな資料を先に寄こされても、こちらとしては何の足しにもならん。普段なら比較的堅実な案件として大して構えることなく進めるプロ作家の案件だが――。あらすじの、中途半端で、まるで勢いだけで書かれたような文面を見ていると、どうしても湧き上がってくる不安がぬぐい切れない。
「まぁ確かに、小説にCMは普通入ってないよなぁ――今度の依頼か?」
後ろから急にかけられた声に顔だけで振り返ると、短めの髪をワックスで立て、無精髭を生やした老け顔のおっさん――――本田 一木が、生やした無精髭をポリポリ掻きながら、赤井が手にするあらすじを覗き込んでいた。その様子は少々眠そうだ。お前いつ入ってきやがった。
「あんたまた飲んだのか」
「夜にちょっと、な」
挨拶よりもまず酒気を散らすように紙束で宙を扇いだ赤井に、本田は遅まきながら口元を押えてそう言うと、申し訳なさげに身を引いて、また無精髭を掻いた。
「カミさんからもよく飲み過ぎって怒られてるしなぁ。控えなきゃいかんのは分かってるんだが、どうもやめられん」
「タバコの時は成功したんだろう?」
赤井は呆れ気味に言いながら、デスクに乗せたままだった足を下ろし、椅子を引いて半分振り返る。
「娘に言われちゃかなわんよ。ハハハ」
いまいち迫力のない笑みを浮かべて言った本田に、赤井は苦笑いする。
……タバコは娘よりカミさんがうるさかったろ。有言実行となることを祈るしかない。
「そういえば赤井君、このGWはどうだったかい?」
「特には」
赤井は端的に答え、続けて「そう言うあんたはどうせまた家族サービスだろ」とショートカットする。自分の話をする前に赤井に話題を振ってくるというのは、本田が家族の話をする時の決まり手だ。
「泊りがけ、という訳にはいかんがドライブに行ったよ。娘もカミさんも上機嫌だった。まぁ僕はその分運転運転でちょっと疲れたけどね」
「疲れて帰って、そのあと酒か。俺にはその気が知れん」
本田の話を聞いて赤井はまた呆れたように目を細める。そんな様子などお構いなく、本田はわかってないなとでも言うように表情を緩めた。
「疲れたからこそ酒がうまいんだよなー娘の嬉しそうな顔も見れたし」
「……あんたの肝臓は過労だろうな」
本田の緩み切った親バカの顔を見て、赤井は嘆息するようにそう言った。
「なぁに、代わりにサッカーやってるしある程度は心配いらんよ」
あんた、まだ酔ってるんじゃないだろうな。
赤井は一瞬、本田に疑いの目を向ける。確か本田のおっさんはバス通勤だったはず。嫁さんが昼間不便だと押し通したのだとか、特に気に留める様子もなく――むしろのろけるように言っていたのを思い出した。
「何言ってんだか」
まあ、こういう手合いは意外と長生きするものかもな。特にうちみたいな会社では。赤井はなんという事もなくそう心中で呟き、すぐに切り替えて手元の書類に意識を戻した。
原作の舞台は平凡な学校、ジャンルは特に代わり映えのない恋愛モノ。依頼内容も人間関係の変更。日常を舞台にしている以上それほど危険な要素があるとも思えず、また変に工夫しなければならない点もない。そういう意味では『簡単な依頼』であるのは確かだ。
「作者はそれ、元々は趣味の作家だったか?」
自分の席に鞄を置いた本田が、ジャケットを椅子の背にかけながら、何の気なくそう言った。
「知ってるのか、おっさん」
赤井は思わず顔をあげる。
普段から大体なんでも読むと言っている本田ではあるが、ジャンルとしても登場人物としても、作品に共感するには年を食いすぎているように見える。
「かみさんが好きでね。確か最初は個人ホームページで書いていた作者だよ。更新期間がまばらでかみさんがよくぼやいてたのを覚えてる」
本田が昔を思い出すように髭をさすってうんうんと頷いた。
また家族の話に逸れそうな雰囲気を見せた本田から目を離し、赤井は手の中のあらすじを眺める。
「……気が乗らないと、筆が乗らないとか言って仕事を後に回すタイプ、という訳か?」
赤井はあらすじの印象から思ったことをそのまま口にした。辛口な批評というよりは、そのツケを受ける可能性がある現場としての経験的な分析としての一言だ。
「だからといって、ネットに公開する人全員がそうだと限らんし、趣味で書いているものを無理やり進めたっていいものになるとも限らないだろう?」
贔屓目があるのか、本心か、本田がそう作者を擁護する。
「そうやって後に回すタイプは、そう簡単に気が乗ってくるとも思えんが」
「気乗りしないなら気分転換なりやめて他の好きなことを探すなりするしかないさ。少なくとも、ここに頼んでくるような人たちはまだ熱意は残ってるってことだろう」
『そもそもやる気が全く出ないならとっくに辞めてるだろうさ』そう言って肩をすくめた本田に、赤井は『そんなもんか』と興味のなさそうな言葉を返す。
「まあ俺たちは作家がどうだろうと、頼まれたように修正を行うだけだからなぁ」
本田は駄目を押すように言って、赤井の持つ書類を遠目に眺めた。
「確かその物語はハーレム寄りの学園恋愛ものだったか。人間関係の修正……というのは難しいものだが、危険な要素もなさそうだ。新入りの腕試しにもちょうどいいだろう」
本田の口から出た『ハーレム』という年不相応な言い回しに一瞬気を取られかけたが、その直後の腕試しという言葉に先ほど覚えた不安感が重なり、赤井は我に返る。
「待て。例の新入りの事か? えーと、名前は確か、コト……」
「言ノ葉 綾乃。先月入社した奴だ。今日付けで、四課からうちの課に転属になるらしい。課長が『新人の小手調べにはちょうど良いし、今回は筆石と組ませてみようかと思っている』って言ってたぞ」
「おいおい、あいつと組ませるのか? 確かに優秀だが、ありゃちょっと癖が強すぎるだろ」
赤井は苦い顔をして言った。本田も、『少し憂慮すべき点はある』と頷きつつ、『だが――』と付け足す。
「筆石ももう入社して三年近い。いつまでも新人扱いはできないだろう? ステップアップにはいい時期だと思うよ」
「そうは言うが――」
「確か赤井君もこのくらいの時期だったね」
「……」
赤井は口を噤む。人は誰しも自分のことを引き合いに出されると弱くなるもので、それは赤井とて例外ではない。ただまあ、普段から少しとぼけたような本田だが駆け引きの類が得意でないのは知っている。きっとただ偶然に、思いついたことを口にしただけなのだろう。
流れの悪さを感じた赤井は再び手の紙束を一瞥し、それをデスクの上に放る。そのまま、誤魔化す様にデスクの上のマグカップを手に取り、すっかり冷めたまずいコーヒーを一息にあおった。
「おはよーございまーす」
噂をすればなんとやら。
部屋のドアがノックと共に開けられ、入ってきたのはボサボサの長い黒髪を後ろで無造作に縛り、赤いフレームの眼鏡をかけた女性――筆石だった。襟元からは四本、セロテープ程度の大きさの白い紐の様なものが伸びている。手には湯気の立っている紙コップを持っていた。
「おーおはよう」
本田が彼女に片手を上げて返事をする。
筆石は自分のデスクまで歩いて行くと、肩に掛けていたメッセンジャーバックと紙コップをデスクに降ろす。そして彼女は上着を脱ぎながら自分のロッカーに向かって歩いて行き、脱ぎ終わった上着を片手で持ちつつロッカーを開けた。上着を中に仕舞うと、代わりに彼女が取り出したのは――くたびれた白衣。彼女はそれを慣れた手つきで羽織る。
「今日は珍しく課長が遅いね」
「あ、そういえばさっき河合課長に会って、伝えるよう言われたんすけど」
河合 綴。五十代半ばのガッチリした体格のその中年オヤジこそが、ここ株式会社ダイバーの業務部特別課――通称特課を束ねる課長その人だ。元は技術部の人間だったが、開発したモノをテストできる環境がなかったため、上に掛け合って新たに特課を新設。初代課長として現在に至る。今彼の下で働いているのは、赤井と筆石、そして本田の三人。そして今日付けで配属になる予定の言ノ葉綾乃で四人目となる。
そんな特課の一人である『筆石文香』は気怠げに言うと、自分のデスクまで歩いて行き、椅子を引いて腰掛ける。そしてコップを手に取り口をつけ――
「あっつぅ!?」
――慌ててコップを口から離した。カフェオレだろうか、甘い匂いがふわりと広がった。
「おいおい大丈夫か?」
本田が軽い笑いをこぼしながら気遣う。
「それで課長がなんだって?」
「あー……なんか四課の新人を迎えに行ったっぽいっす」
元凶の紙コップを片手に持ったまま、ヒリヒリ痛む舌を出し、手で仰いで冷やしながら赤井に答える。すると、彼女から延びる紐の様な物――マニピュレーターがするする動いて彼女の頭を小突いた。
『フミカ、行儀が悪いですよ』
彼女の首輪らしきデバイスから発せられる声。人が発していると感じれる自然な声だが、声質は男性でも女性でもない不思議な声。
AI、『ハルキゲニア』のコミュニケーション用音声だ。
「しょうがないでしょ、ハル。何事も臨機応変にしないと」
『いいえ。特に目上の人に対する態度は顕著に出ます。フミカのような性格では、特に』
「いいもーん、赤井さんは私と一歳しか変わんないもーん」
『この……あなたと言う人はっ!』
言い争いを始める筆石とハル。本田はそれをやれやれとほほえましいものでも見ている様な微妙な苦笑いを浮かべて見ていたが、やがて見かねて口を挟んだ。
「用件はわかったから、喧嘩はよそでやってくれ」
「あ、すみません。それだけです、ハイ」
『フミカ! まだ終わっていませんよ!?』
筆石はなんだよもー、と不満げに口を尖らせた。筆石とハルの様子を見た赤井が本田に囁く。
「ホントにアレと新人を組ませるのか」
まるで親子だ、と呆れたように嘆息する。
「僕から見れば君と彼女のコンビもどっこいどっこいだけどね」
本田は苦笑しながら赤井の右腕を指し示す。赤井のくたびれたシャツの袖には、何かを薄い円筒状のものを着けたような微かな膨らみが見て取れた。
「あんたはいいよな。口やかましくなくて」
肩をすくめて、赤井は言った。虫でも払うように顔の前を手で薙ぐ動作が、これ以上その話はしたくないという意味であることを本田は知っている。
「納得いかないか?」
いまだ母娘のような応酬を繰り返す筆石とハルの様子を眺める赤井に、本田は訊く。その問いに対し、赤井は「まぁ、な」と少しためらう様な返答をする。
「やっぱり癖が強すぎる。ダイブの方ではうまくいっているようだが、あのコンビは」
「そう考えるのもわかるが……まずは、会わせてみないことには始まらないだろうよ。というか――」
本田は開け放たれたドアの奥の廊下を見つめながら、呟くようにして言う。
「――いくら新人って言っても、特課の場所くらい少し調べれば分かるだろうに?」
あー、そうそう。本田の何気ない呟きを聞いた筆石は、しきりに頭を小突いて来るマニピュレーターをいなし、隙あらば先端を熱々のカフェオレに突っ込ませようとしながら思い出したように言った。
自分に対する批評を聞きつつ、ハルとのじゃれ合いをやめなかった筆石に、赤井は内心密かに舌を巻く。女の感性は男には分からんとはよく言うが、筆石のこれは彼女だからこそだろうな。
「それについての課長からの伝言、忘れてたっす」
『こらフミカ! さっき注意したことをもう忘れて――』
「なんて言ってた?」
完全に彼女のオカンと化したハルをいなしつつ苦笑い気味に言った筆石に、赤井が先を促す。
「おなごは若いほうがいい、だそうです。迎えに行くときメチャメチャ張り切ってましたよ」
社内ナビ端末開発の要望。課長のデスクに置くつもりでメモに書き記していたそれを、赤井は呆れたような何ともいえない表情で四つに引き裂き、丸めてゴミ箱に放り込んだ。課長が政治家なら、今回で何度目の辞任になるだろうか。
「おっ、みんな揃ってるねぇ、おはよう」
シワのないパリッとしたスーツで決め、堂々とした歩みで河合課長は姿を表した。彼の表情はいつもと変わらずクールに決めているように見えるが、筆石の報告通り、その顔が三年ぶりの新人に浮かれているのは、特課の全員が認めることができた。
その課長の三歩後ろから、A4サイズほどの書類が入る程度のダンボールを一つ両手で抱え、特課の様子をうかがうようにして、遠慮気味な歩調で入ってきたのが、言ノ葉綾乃である。
栗色よりも黒に近い髪を首元まで伸ばし、上下を明るいグレーのスーツと、ひざ上までの長さのスカートで揃えている。
彼女の身長は高くないが、ダンボールの重みは一ヶ月ほどしかなく、綾乃の身体を大きく反らせるほどのものではない。その気になれば、重いだろうが片手で持つこともできそうだ。
肩にかけている、私物のシンプルな革色のショルダーバッグは少し小さいが、ダンボールを抱えている現状では、窮屈になるには十分である。彼女が動きやすい背の低いヒール選択したのは正解だろう。
綾乃は、あいさつは紹介されてからするべきか、はじめに挨拶するべきか迷っているようだった。
先導していた課長は、課長席の前で足を止め、言ノ葉の方を振り返る。目が合った。
あいさつを先にと、目で課長が言っている。言ノ葉は最初が肝心と意を決し、背筋をピンと伸ばし、少々ぎこちないながらもオフィスによく響くはっきりとした声で言った。
「あー、かのじ――」
「お、おはようございましゅ!」
それは誰もが予想だにしていなかったタイミングで繰り出された挨拶。ポカンとするオフィスの一同。気付いた上に噛んでしまった綾乃。考えるよりも先に真っ赤になった顔をうつむかせ、ダンボールで隠してしまった。
大抵困難の中に希望はあるのよ、新入り。静止したオフィスの中で筆石は面倒くさそうな、だけれども楽し気な表情をして呟いて、手の中で程よくぬるくなったカフェオレを飲み干したのだった。
「……苦っ」