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あなたの小説、助けます! ~君が失くした物語~  作者: Glyph|↵
#1:乾燥かりい先生「ぶんぶっ!」
11/13

10話 未帰還者

「さてと」


 筆石は気を取り直して立ち上がると、ズボンをはたいて埃を落とす。多少色々あったがチェックは無事済んだ。もうここに用はない。


「帰りましょ、アヤノさん」


 そういうと、ダイブルームの外を片手の親指で指さした。

 彼女の飄々とした様子に、綾乃はそもそも仕返しが効いていたのか気になったが、どっちにしても自分にはこれ以上何かすれば、関係を悪くする気がした。


「はい」


 綾乃の返事を聞きながら、筆石とハルが内殻のハッチを先程と同じように開いていく。重量物の動く微かな振動がダイブルームに響く。


 ハッチを開ける作業をよそに、綾乃は自分のスーツの布をつまんで引っ張る。ついさっきまで、自分が猫耳に尻尾までできて、浴衣を着ていた視覚的な記憶が、いま見える現実の自分の姿を思うと、次第に夢や幻覚を見ていたように思えてくる。いま腰に手を回しても、当然尻尾の感触などない。

 落ち込んでいた感情も、もはやその幻の姿と一緒に置いてきたかのように、今はその感情の残滓だけが胸に残る。

 ――あの時の自分は、一体何者だったんだろう。


「先輩」


 綾乃は少し不安になって、筆石の名前を呼ぶ。


「ん、なぁに?」


 綾乃の呼びかけに対し、筆石は呑気な返事を返す。


「あの……さっきの装置を使う前の私と、使った後の私って、本当に同じ私……ですか?」


 自分の意識は、生体改変装置にかけられる前から一貫して紡がれている。しかし”自分の姿形が変わる”ことは、物理的なアイデンティティを一度喪失して、再びその装置によって再現された――つまり自分によく似たコピーに意識を移し替える作業なんじゃないかと、不安になったのだ。


「ふむん……これまた哲学的な質問をしてきたわね……」


 ハッチを開け終わって取ってから手を離していた筆石は、そう言って顎に手を当てて考えるそぶりをした。


「一応、生体改変装置による改変はダイバーの構成情報を上塗り(・・・)する形で行っているから、改変が出来なくなった時に不安定な改変後の追加構成情報が熱力学第二法則に従って自然に崩れていく事を考えると、変化しないと考えていいんじゃないかしら」


「……どういう事ですか?」


「要するに、生体改変装置は整形手術ではなく、お化粧ってことよ」


「ふうむ……」


 綾乃は、お化粧というよりは仮装に近そうだと考えつつも、自分のアイデンティティは保たれるっぽいことに少し安心する。


「だからダイブ中は老化は発生しないから、浦島太郎の逆みたいになることもないわ」


 老化するのは改変後の肉体だから。そう言って筆石は自分の頬を突いて見せた。


 ダイブ中は老化しないという筆石先輩の言葉を信じるなら、それって自分の寿命が伸びるということじゃ。綾乃は嬉しいような恐ろしいような、でもやっぱり嬉しさが勝る。


「それと一応注意しておくけど、装置が万一故障したら最大二十日は改変後の姿で過ごしてもらう事になるから、まぁよろしくね」


「じゃあさっきのテストラン、私だけ戻ってても良かったんですね」


「むぅ、それは困るわね」


 そう言って筆石はわざとらしく困った様に顎に手を当てるポーズを取った。筆石文香、二十六歳。反省こそすれど後悔はしない人間である。


「で、今紹介した生体改変装置と連動して環境ジェネレーターと空間拡張装置が作動して、ダイブルームを作品世界に適合(アジャスト)させるの」


「とりあえず、いい感じにやってくれるってことですよね」


 ”ダイブ先の世界の環境や設定に自分たちが適応して、そこで仕事をして戻ってくる”


 まだ実際のダイブを経験したことがなく、そうシンプル化して理解に務める綾乃にとっては、それらの装置がどんなものなのか、雰囲気でしか分からなかった。

 装置のこと細やかな事柄については、まだしばらく筆石先輩に頼らないといけないだろうし、とりあえず今は話を聞いておくだけでいいかな。彼女はそんな風にさえ思っていた。


「”いい感じ”にするのは貴女の努力よ。考える事を止めるんじゃないわよ、新人」


「覚えることがいっぱいで、それこそ”いい感じ”にまとめないと頭が間に合わないんですー」


 口を尖らせて綾乃はちょっと勇気を出して反抗してみせた。実際それは事実でもあった。


 一通りの点検を終えた三人は、言ノ葉綾乃待望のお昼のために、先ほど入ってきたダイブ装置の格納庫の出入口に向かう。

 コンクリートの床を鳴らす靴音が、ポイントの上をゆっくり通過する電車のように不規則に整ったリズムで広い地下空間の中で乱反射する。

 まだ明るく照らされている格納庫の空間を背にして、筆石が防火扉のような重厚なセキュリティドアを閉じたとき、綾乃の先輩を呼ぶ声が地下通路に響いた。


「来るときに気になったんですけど、あのネームプレート、名簿かな、これは何のリストなんですか?」

 綾乃は筆石が閉めたドアの横に掲示された、新旧入り混じったネームプレートの名簿を見上げながら疑問を投げかけた。その言葉に反応するかのように格納庫内の消灯作業を行っていた筆石の指が止まる。


「……さぁね。何だと思う?」


 筆石にしては珍しい、濁した表現。彼女はそのまま何も言わずに消灯作業を再開する。


「うーん……従業員リスト――ではないですよね。あ、分かりました! 月間だいぶ(・・・)頑張ったで賞受賞者リストとか!」


 綾乃は唇に右手を当てて、V字の眉で自信の表情を見せる。

 特別課所属の「筆石」「河合」「赤井」「本田」の名字があるか、その並ぶ名簿の中から流すように探す。確かにそれなら、新旧ネームプレートが混じっていてもおかしくない。

 見覚えのある名前は名簿には、残念ながら載っていなかった。


「……ほんと。そうだったら良かったんだけどね」


 筆石は無言でネームプレートの下にそっと手を触れると綾乃に聞こえない様な小さな声で、そっと呟いた。それから彼女は振り向いて綾乃に向き直る。その瞳には綾乃が今まで筆石の中に見たことが無かったような冷たい光が宿っていた。


「綾乃さん、これからとても大切な話をするわ。なぜなら貴女には知る権利と義務があるから」


 先輩は今までの雰囲気を仕切り直すように、落ち着いた声で答える。あ、これ真面目なやつだ。

 綾乃の眉が戻り、吊り上がっていた口端が真顔の位置へ戻っていく。

 戸惑う彼女の肩に、後ろから本体を片腕で抱えたアイの手が乗り、綾乃が振り返る。アイは綾乃と目が合うと、寂しげで不安そうな顔が意味ありげに頷いた。

 そんなアイを綾乃の肩越しに見て筆石は一瞬言葉が詰まりかけるものの、自分に再度言い聞かせてその言葉を言う。


「これは未帰還者名簿。ダイブ世界に行ったきり、帰ってこなかった人達の遺した痕跡よ」


「そんな話、研修でも聞いてない……」


 ダイブしたっきり帰ってこない。それは、この世から人間がひとり消えることなのだと、綾乃の頭が等式で示す。人が消えることは、その人が死んでしまうこと。

 論理が示す理解したくない現実。綾乃の両手が無意識に口を覆った。

 名簿を見上げる、その人数は多い。何十人もいる。

 知らなかったとはいえ、名簿の中から見知った人の名前を探すなんて随分ひどいことをしてしまった。

 筆石は心なし、緊張したような張りつめた様な強い口調で続ける。


「理由は様々よ。ダイブした世界から帰りたくなくて失踪した、誘拐や遭難等で行方不明になった、死亡したダイバーの遺体を回収できなかった、帰還限界日時に間に合わなかった、原因不明で帰ってこなかった」


 けれどただ一つ言える事は。そう彼女は続ける。


「この仕事(ダイブ)は、絶対に安全な訳ではないという事」


 少し不安はあった。山中の地下に、まるで危険物といわんばかりに隔離された、使用者自らの姿形さえも科学でねじ曲げる、その現実離れしたオーパーツのような先端技術に。

 

 正直なところ、ダイバーのお給金が他の業種よりも高いことも、綾乃がここへ就職する理由の一つだった。それは今まで特殊な仕事だから給料が高いのだと彼女は思っていた。

 比較的こぢんまりとした規模のダイバーが、河合課長曰く「山内課長に新人まとめてしごかれる」ほどに新人を雇う理由。未帰還者、遺体というキーワード。


 ――私は帰ってこなかった社員、亡くなった社員の補充で採用されたのだ。研修でそんな大事な話を聞かなかったのも、逃げられないよう、あえて言わなかったに違いない。

 そして、私がこの世から消えたら、また私の穴埋めを雇うのだ。


 私がいなくなったら――採用を喜んでくれたお父さんとお母さんの顔が浮かぶ。

 静かな山の中のトンネルに、陽の光に当たることなくひっそりと名簿に加わる「言ノ葉 綾乃」の名前。年月を経て砂埃で汚れ、風化した自分の名前だけが残る。

 それが空想の世界への切符と引き換えに私が差し出さなくてはいけないもの。そこまでして、私はダイブなんかしたくない。


『我々に捜索の依頼が寄せられる事もあります』


 ハルが無機質な機械音声で言う。


『極めて可能性は低いですが、見つかる可能性もあります』


「アヤノさん。ラタトスクシステムは、ダイバーが素早く正確な判断を下せるように作られたシステムです。アイやハルキゲニアは、ダイバーの未帰還、死亡を抑止するために特課で試験を行っているのです」


 なのでアヤノさんは、ダイブは他の部署に比べて安全な環境で仕事ができるのですよ!

 しかも、フデイシさんという……えっと、スーパーハカーまでいるんです! 鬼にカナブンですよ!

 

 そう説明してフォローしたアイに、不思議と「むしろ自分がしっかりしなきゃ」という気になったのは、言ノ葉綾乃。鬼にカナブンは分かったけど、スーパーハカーは意味が分からなかった。


「この先どうするかは、綾乃さん。貴女の意志で決めなさい」


 そう言って筆石は綾乃の手をとり、そっと両手で包む。


「大事な物よ。無くさないようにね」


 そう言って彼女の手が離れると、綾乃の手には『言乃葉 綾乃』の名前が書かれた名札があった。

 重いステンレス製のプレートに黒の文字で書かれた自分の名前。無機質的で冷たいそれは、現実に差し迫る不安を彼女に感じさせた。


「アヤノさん安心してください! お困りのときはサポートAIがなんとかしてくれるんです! 状況によっては無理ですが!」


 アイちゃんは正直だね。無理なことは無理だと言える子。えらいよ。えらいけど、今は言ってほしくなかった。

 ただ、アイちゃんが頑張って伝えようとしていることは、受け取ったつもり。手放しでAIに任せても安全というわけではないけれども、私は他の部署に先んじて、より安全な環境で仕事ができると言いたいのだ。


「しかも! 特課における未帰還事故の発生件数は、設立以来(れい)件です。最も安全な部署です!」


「そうなんだ――未帰還事故〇件を維持できている秘訣ってなんですか?」


 無事故と聞いて綾乃の中で優位に立っていた不安を強力に崩しにかかる。

 筆石先輩にその秘訣を聞くと、彼女は先程までの表情がほぐれ、それから少し苦笑いをして言った。


「そりゃ、設立が二年前だからね」


◆◆◆


『何か、気になる事でも?』


 お昼休みで人の捌けた特課オフィス。一人依頼原本と関連資料を読み返していた赤井は、訝しがるようなラファの質問に付箋だらけの単行本を下ろした。壁掛け時計がコチコチと鳴っていたオフィスに椅子の背が軋むギッと言う音が響く。


「なんだ?」


 自分の言葉足らずをやや自覚しつつ、赤井はラファの返答を待つ。


『本文分量や文章の複雑さの加減を鑑みた上で、普段より読み込みに百二十パーセントほど余計に時間を割いていると見込みました。あなたが時間を割いている時は、高い確率で問題行動をとりますので、気にかかる案件がありましたら先んじて伺っておこうと判断した次第です』


 一体何をしたら留守番役で問題行動を起こせるんだか。

 いつも通りのすましたようなラファの言い草に、俺の人物像について問いただしてみたいものだと思いつつ、手に持ったままの本に目を落とす。


 気になる点がなかったわけではない。だが正直、それほど時間を割いていた自覚はなかった。


「…………」


 赤井の返事を待つラファをさしおいて、赤井はしばし考える。

 少なくとも、安全で新人の初陣にふさわしい案件というのは間違いない。作品によっては、ダイバーに人間離れした挙動や幸運を要求するものもある。それはそれで対処の仕方というものがあるのだが……今回の案件ではそういったノウハウが必要な場面はないはずだ。未帰還の可能性は限りなく低い。


「まあ、何となくな」


 しばしの黙考の後、黙って赤井の返答を待っていたラファに答えた。AIにそんな感情があるか自体疑わしいが、辛抱強く待っているようだったラファは、その返答に特に何という事もなく「そうですか」とあっさり言った。


『もしも気にかかる事があるなら、事前に言っておいてくださいね。担当でもないですし今回は大丈夫かと思いますが、あなたの独断専行は毎度目に余る所があります』


 お説教のような言い口に筆石の担当AIを重ねながら、赤井は「へいへい」と適当にうなずいて、開きっぱなしだった文庫本を机の引き出しにしまったのだった。



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