メイドさんの悪戯
さて、こうしてフェンリルの館に小さな淑女が寝泊まりするようになった。
エリカは僕が姉の婚約者に相応しい男であるか、それを見極めるまで帰れないと言い張った。
彼女はカレンの部屋に寝泊まりし、僕の行動をチェックしているようだ。
朝起きる時間、寝る時間、歯を磨く回数。
それだけでなく、朝食の卵のオーダーまで精査する。目玉焼きかターンオーバーか、スクランブルエッグか、固ゆで卵か半熟卵か。
目玉焼きにはなにをかけるか、その項目は多岐にわたり、細かい。
ちなみに僕は目玉焼き派で目玉焼きに軽く塩胡椒をする。
リルさんはターンオーバー派で中は半熟じゃないと駄目。しかも、東方より伝来したソイソースをかける。
卵の食べ方までチェックされるとさすがに開いた口もふさがらないが、これもカレンの幸せのためである。
我慢していると、ある日、僕の部屋をノックする人物が現れた。
時計を見る。
時刻は深夜だった。
こんな時間にやってくるとは誰であろうか。
先ほど、リルさんをチェスで完敗させたから、そのリベンジにきたのかな。
そう思ったが、その推察は外れた。
僕の部屋にやってきたのは、可愛らしいネグリジェをまとったカレンさんだった。
彼女は大きめの枕を抱きしめ、僕の部屋の前に立っていた。
こんな時間になに用だろう。
彼女に尋ねると、彼女は頬を染め。
「お情けを貰いにきました……」
と、つぶやいた。
「…………」
一瞬硬直してしまう。カレンの思わぬ爆弾発言に思考回路が停止する。
聖剣が茶化す。
「クロム、お情けってのはね、要は赤ちゃんができるような行為を――」
(分かってるよ)
と、心の声で制す。
問題なのは、カレンがどうしてそんな行動に出るかだった。
僕は自分ではスマートなつもりで返答した。
「カ、カレンさんどうか落ち着いて。カレンと僕は偽装恋人であって、恋人じゃ――」
カレンは僕の台詞をさえぎる。
「うふふ、分かっていますわ。カレンも結婚前の男女がそのような行為におよぶのには反対です。ただ、妹のエリカが最近、疑いの目を向けてきまして」
「疑いの目?」
「はい。お姉ちゃんはクロム様と恋人同士なのに接吻もされませんね。夜の方もごにょごにょと言っていました」
「……てゆうか、僕とカレンがそういうことをしたら、あの子、焼き餅を焼くんじゃないかな」
「数週間前までの妹ならばそうかもしれませんが、今はその心配におよびません」
「どうしてですか?」
「妹がこの館にやってきて以来、毎晩のようにクロム様のお話をし、洗脳しているからです」
「……洗脳」
言葉は悪いが、ともかく、カレンはなんとか妹を説得するため、努力をしているようだ。
その努力の一端が、クロムべた褒め作戦であった。
カレンはことあるごとにエリカに吹き込む。
クロムさまは、見てくれだけでなく、紳士の中の紳士なのですよ。先日もわたしが転んだとき、下着を見ないように目を背けながら手を差し出してくれました。(……あのとき、観察されてたのか)
クロムさまは今は冒険者に身をやつしていますが、実は貴族の家の出身なのですよ。どことなく気品があるでしょう?(嘘じゃないけど、貧乏騎士だしな)
そのチャーミングで可愛らしいお顔立ちもとても素敵なのです。メイド服を着せたらさぞ映えることでしょう(……女装の趣味はないよ)
と、このように妹に言い聞かせていると、最初は難色を示していたエリカも段々懐柔され、今ではこんなことを言い出すようになったらしい。
「いつか、わたしもお姉ちゃんを送り出さなければいけない身。ならばせめて良き夫と巡り会えるよう助力するのが妹の務めかも……」
カレンは心の中でガッツポーズをしたそうだが、その後、エリカはこんなことも言った。
「ところでお姉ちゃん、クロム様の素晴らしさは分かりましたが、本当に恋人同士なのですか?」
と、エリカは核心を突くような台詞を言ってきたらしい。
カレンの背中に脂汗がにじんだようだが、そのときは、「もちろんよ」とごまかしたようだ。
エリカいわく、僕とカレンが恋人に見えない理由はふたつあるらしい。
昼間、ふたりきりになってもいちゃつかないところ。
そこまでラブラブなのに、接吻のひとつもしないのは変です。
と、エリカは疑問に思ったらしい。
それとこの数週間、お姉ちゃんの部屋にいますが、お姉ちゃんはずっとわたしと寝ています。
恋人同士ならば夜という時間は貴重なのでは?
という疑念も感じているようだ。
「てゆうか、カレンの妹ってなんか耳年増というか大人っぽいよね。まだ成人前だよね?」
代わりに答えたのはベッドサイドの剣立てに飾っている聖剣だった。
「女の子は男の子と違って進んでいるものなんだよ。男の子が鼻水たらしながらバッタを追っかけている間に、大人の階段を上がる準備をしているのさ」
なるほど、そういうものなのか。
たしかにクロムが草原でトンボ捕りに明け暮れていた頃に、すでに嫁に出ていた村娘もいる。
そういうものかもしれない、と思ったが、それでもカレンがここにくる理由が分からない。動機は分かるけど。
「動機だけご理解頂ければ十分ですよ。今夜はクロムさまの部屋に泊まらせてもらいます」
と、彼女は持ってきた自分の枕を抱きしめる。ぎゅっと。
その姿は可愛らしいが、だからといって彼女を自分の部屋に泊めるのは気が引ける。
なにせ僕の部屋にはベッドがひとつしかない。
姉の言葉が頭に響く。
「クロム、これからあなたが旅立つ迷宮都市には誘惑が多い。その中でも女性の誘惑は特筆に値します。メルビル家の跡取りを作るのはあなたの責務ですが、軽々しく女性と同衾するのは感心しませんよ」
同衾とは同じベッドで寝るという意味だが、さすがにそんなことはできない。
そう思った僕は、押し入れから予備の毛布を取り出すと、床に引いた。
「これは?」
と尋ねてくるカレン。
「偽装恋人になることを了承したからね。ここでカレンを追い返したら今までの苦労がパーだ。だから、今夜だけは泊めてあげるよ」
「それは有り難いのですが、もしかして、クロムさまは床で眠るつもりですか?」
「そのつもりだけど」
「わたし、できればベッドで寝たいのですが」
「一緒の場所で寝るって発想から離れれば、必然的にカレンがベッドで寝るって結論にならない?」
一応突っ込むが、たぶん、彼女は僕をからかっているのだろう。
そうですね、と口元を押さえている。
「まったく、しようがないメイドさんだな」
僕はそう言うと寝床に入った。
床で寝るのは慣れている。
冒険中は床よりももっと堅い石畳で寝ることもあるのだ。
一方、カレンは最終的にはベッドでひとりで寝てくれた。
これ以上押し問答をしてその騒ぎをエリカに聞かれるわけにはいかないし、それに明日も早い。メイドさんの朝は想像以上に早いのだ。
僕よりも先に寝息を立てるカレン。
しかし、まあ、よくもまあ男のベッドでこんなに早く眠れるものだ。
警戒心がないのだろうか。
そんな感想を漏らすと、聖剣がこう結ぶ。
「クロムなら馬鹿な真似はしないと信じているんじゃない? もっとも、男としてみられていないという見方もできるけど」
「違いない」
そうまとめると僕も寝た。
実は明日、依頼により迷宮にもぐる予定があるのだ。体力を蓄えないといけない。
僕はカレンを意識しながらも眠りにつく。
カレンの寝息が気になったが、30分後には眠ることができた。
翌日、カレンはエリカに昨晩の様子を尋ねられた。
カレンはなんの迷いもない笑顔で、
「クロムさまは情熱的な紳士でしたよ。とても素敵な殿方です」
と、答えていた。




