カレンの妹
数週間後、本当にカレンの妹がやってきた。
彼女はカレンをそのまま小さくしたような美少女であった。
小柄な身体に似合わない大きなリュックサックを背負い、フェンリル・ギルドの門を叩いた。
僕たちはこころよく彼女を向かい入れると、彼女は、ぺこり、という擬音が聞こえそうなほど可愛らしくおじぎをする。
「はじめまして。わたしの名前はエリカ・ジュノシーと申します。姉、カレン・ジュノシーの末の妹です」
と自己紹介してくれた。
さすがはカレンの妹、いや、メイドさんの一族、その挨拶は子供のものとは思えない礼儀正しいものだ。見た目は幼く見えるが、とてもしっかりとしたお子さんだった。
ただ、やはりそこは子供、リュックサックを下ろすと、真っ先に姉の胸の中に飛び込んでいった。
「お姉ちゃーん、会いたかったよー」
エリカはカレンの豊満な胸に顔をうずめると、ぎゅっと抱きしめた。
小柄なので背中まで腕が届かないが、それでもカレンの胸が押し潰れるほど強く抱きしめていた。
(……お姉ちゃん子なんだな)
そんな感想を漏らす。
「クロムと一緒だね」
クスクス笑う聖剣。
「シスコンだ」
と付け加える。
「失礼な聖剣だな」
「でも、事実でしょ。もしも、この場にお姉さんがやってきたら、抱き合って再会を喜び合うでしょ」
「向こうが僕を抱きしめて窒息させてくるかもね」
姉はとても厳しい女性だが、僕の母親代わりでもある。厳しくも優しい人で、実の母親以上に愛情を注いでくれた。
祖父などからは甘やかしすぎといわれるくらい甘やかされて育った面もある。
彼女が弟離れできていないのであれば、十分、有り得る話である。
姉もエリカのように僕を抱きしめてくるだろう。もしも再会すればの話であるが。
そんなやりとりを聖剣としていると、姉と妹の心温まる抱擁は終わったようだ。
「お見苦しいところをお見せしました」
とエリカは僕たちの方を振り向き、頭を下げる。
ついで大きなリュックサックの中から、
「これは詰まらないものですが、姉がお世話になっているお礼です」
と、王都土産を出してくれた。
王都サブレに、王都バナナ、王都煎餅。
王都の定番土産が全部揃っている。
食いしん坊のリルさんは礼をいう前にすでに封を開け、食べていた。
まったく行儀の悪いフェンリルである。
代わりに僕が頭を下げ、礼を言うと、エリカはいぶかしげに僕を見つめてきた。
足下から頭頂、なめ回すように見つめられる。
ぼそり、と彼女の独り言が聞こえてくる。
「この人がお姉ちゃんの恋人……、お姉ちゃんの純潔を奪った悪魔……」
聞き捨てならない言葉が混じっているような気もするが、否定することはできない。
僕の役目はカレンの恋人であることを認知させ、実家に報告させることなのだから。
カレンには恋人がおり、二年後、メイドとしてのタイムリミットが迫ったとき、もしも一流のメイドになっていなかったら、そのものと結婚する、という報告をエリカにはしてもらわないとならない。
そのためにはエリカと折り合いを付け、少しでも良い報告をしてもらわないと。
なので僕はエリカにお茶を出そうと台所に向かったが、その姿を見たカレンが声を上げる。
「あ……」
と珍しく素っ頓狂な声を。
なにがあったのだろう、振り向くと、エリカは懐から笛を取り出し、それに息を吹き込む。
「ピッピー!! 減点! 男ともあろうものが台所に入るなんてなにを考えているの? ありえないんですけど」
「え? え? どういうこと?」
目を丸くする僕。
「クロム様は女の子みたいな顔立ちをしていますが、ほんとに男なんですか? 男子厨房に入るべからず。これはこの世界の普遍的な真理です」
そんな真理聞いたことがない、と言いたいところだけど、郷里の姉さんもたしかに言っていた。
「クロム、男子たるもの厨房に入るべきではありません。あなたは貴族の男なのですから。それに厨房は女の戦場です。男子がいては邪魔です」
姉さんはかたくなに僕が台所仕事をするのを厭がっていた。
落ちぶれても貴族の男子がそのような真似をするのはどうかと思っていたようだ。
その気持ちは分からなくはないが、それはいささか前時代的すぎるというか、実質をともなっていない面もある。
なにせ今の僕は貴族といっても没落貴族、一介の冒険者だ。
お茶くみくらいこなせねば、出世もおぼつかない。
そう抗弁するが、エリカは聞く耳を持たない。
「この家にはお姉ちゃんという最高のメイドがいるのに冒険者ふぜいがその仕事を取ってどうするですか。それともクロム様はお姉ちゃんよりもお茶をそそぐのが上手いのですか?」
「ま、まさか……」
「ならばそういうのはプロのメイドさんに任せてください」
そう言うとエリカは姉に視線をやった。
姉はおかしそうに笑いをこらえながら、僕の方を見ると、
「ごめんなさい、変わった子でしょう」
と、僕にだけ聞こえるように言った。
それには全面的に同意だが、悪い気分はしない。
たしかにこの家にはお茶を入れるプロがいるのだから、彼女に任せるべきだろう。
僕の仕事は彼女が美味しいお茶を入れられるようにサポートすること。
具体的には冒険に出て、お金を稼ぎ、良い茶葉を買うことであった。
黙って席に座ると、カレンが紅茶を持ってくるのを待った。
数分後、カレンは銀のワゴンを引いて紅茶を持ってきた。
並べられた四つのカップにそそがれる紅茶。
決して高い茶葉ではないが、カレンが入れたためだろうか、とても良い香りが室内を満たした。
四人はその香りを堪能しながら、カレンの焼いたスコーンを食べる。
バター、苺ジャム、クリームチーズ、マーマレードジャムなどが添えられており、どれを付けて食べても最高だった。
カレンの妹、エリカもそう思ったらしく、スコーンを食べ終えると、先ほどまでのつんけんが嘘のように穏やかになった。
「ああ、お姉ちゃんのスコーンは相変わらず旨い」
と、恍惚の表情をしている。
ひとしきりその余韻を楽しむと、彼女は僕の方へ振り向き、こう言った。
「クロム様、あなたには強く当たってしまったかもしれませんが、これも姉を思ってのこと。お許しください」
気にしていないよ、そう返すと、彼女は年頃の少女らしい笑顔を浮かべた。
「そう言って頂けると幸いです。しかし、姉の婚約者に相応しいかどうか、精査するのに手心は加えませんよ。いくらあなたが『ひとりで』ドラゴンを殺したドラゴンスレイヤーでも、『小指一本』で悪魔を倒したデーモンスレイヤーでも、姉に相応しい夫かどうかは別ですから」
思わず、「どういうこと……」と聞き返してしまいそうになるが、カレンがエリカの後ろで、
「くちうらをあわせて」
と、声なき声を上げているので、それに合わせる。
その後、エリカに聞いて分かったのだが、どうやらカレンとエリカの手紙のやりとりによって、僕はドラゴンでさえ裸足で逃げ出す大英雄ということになっているらしい。
……まったく、話がどんどんわけの分からない方向に向かっていくが、ことを丸く収めるには、大英雄を演じるしかないようだ。
その後、英雄としてエリカに接した。
「とりあえず、英雄らしいところを見せておくか」
そう思った僕は、先ほどから気になっていた生物を始末することした。
リルさんなどはとっくに気がついているが、この部屋には先ほどから「ブーン」という羽音が響いている。
エリカの持ってきたリュックの中に、オオススメバチが潜んでいたようだ。
もしも刺されたら大事である。
そう思った僕は腰から聖剣を抜くと剣を振るった。
目にもとまらぬ速さで振られた剣は、スズメのように大きな蜂をふたつに割った。
その剣豪のような様を見て、エリカは目を丸くする。
「す、すごい、まるで東洋のサムライみたい」
エリカは僕の剣技に見ほれ、僕が英雄であると確信したようだ。
実はこれにはちょっとした仕掛けがあるのだけど。
幼い頃、姉が僕を立派な剣士に育てるため、よく行なわれた修業が蜂斬りだったのだ。
狭い部屋に閉じ込められ、蜂を放たれて、剣一本で戦った。
当然、何カ所も刺され、死にかけかけたこともあったが、そんなことを何回もやっていると、蜂の動きが読めるようになる。
今では蜂がどこに動き、どのタイミングで襲ってくるか、手に取るように分かるようになっていた。
その経験と聖剣の切れ味があれば、このような余興は朝飯前なのである。
同じことはトンボなどではできない。
しかし、それはエリカには伝えなくていいこと。
エリカは素直に僕の剣技に感心してくれていた。
ついでにいえばカレンも。
彼女は小さな声で僕に耳打ちする。
「わたしの恋人は凄腕の剣士様でもあったのですね」
カレンにはあとで事情を説明するが、それでも彼女は、
「さきほどの剣技、ほれぼれしましたわ。偽装恋人から偽装の文字を取ってしまいましょうか?」
と、僕を軽くからかってきた。
相変わらずカレンの笑顔は可憐だった。




