知っていたよ
戦闘を終えた僕はカチュアのもとへ向かった。
彼女に報告したいことがあったからだ。
カチュアはディアブロを討伐したことに湧いているパーティーメンバーをどこか別世界の住人のように眺めていた。
理由は明白であった。
彼女の耳にかけられていた霊視の眼鏡は朽ち果て、地面に落ちていた。
どうやら最後の力を使い果たしたようだ。
もはや眼鏡としてもマジックアイテムとしても使用することはできなかった。
彼女は呆然と宙を見ていた。
かける言葉が見つからない。
腰の聖剣は、
「こんなときは黙って抱きしめてチューするのが男だよ」
と言うが、僕にそんな度量も甲斐性もあるわけもなく、結局、カチュアの方が話しかけてきた。
「……眼鏡壊れちゃった。これでもうお父さんと会えないね」
悲痛さはない。淡々とした口調であった。
「ある意味、これでもうあきらめがつくわ。結局、この森にお父さんはいなかったのよ。もう、どこか遠いところに旅立ってしまったのよ」
「いや、それは違うよ。この森にカチュアのお父さんはいた。まだ、ここにいるかは分からないけど、カチュアのお父さんは最後の力を振り絞って弓を放ってくれたんだ」
僕はそう言うと、ディアブロの死体があった場所に転がっている矢を持ってくる。
「カチュアのお父さんが放ってくれた弓だ。これがあったから僕は剣閃を当てることができた」
「これがお父さんの放った矢?」
彼女は狐につままれたような顔をする。
「信じられない?」
「にわかには」
でも、と続ける。
「――クロム君は嘘をつくような子じゃないからね。クロム君がそういうのならばそれが真実なのでしょう」
彼女はそう言うと、「ありがとう」と笑顔を作り、矢を己の鞄に入れた。
僕はその言葉を聞き、迷う。
(クロム君は嘘をつかない子か……)
そんなことのあとに嘘を言うのは気が引けるが、それでも言わざるを得ない。
ここで言っておかなければ一生後悔すると思ったのだ。
意を決した僕は言う。
「あ、あの、カチュア、これは君のお父さんから預かった伝言なのだけど」
「伝言?」
「僕にだけ聞こえたんだ。なぜか知らないけど」
「へえ、お父さんはなんて言ってたの?」
「君のことを愛しているって。それに君のお母さんのことも」
「それは知っている」
「そうだよね」
「そうよ。お母さんとのラブラブ具合は子供の頃から見てたし、娘のためにこんな地下深くの危険な森にくるのよ? 愛しているに決まっているでしょ」
「……そうだね。そうだ。愛しているに決まっている」
そうだ、最初からこんな嘘をつく必要などなかったのだ。
張り詰めていた気がはじけたような気がした。
――ただ、そんな僕にカチュアは容赦なく口撃してくる。
「ところでクロム君、お父さんは他になにか言っていた?」
にやにやとしている。彼女は僕がでまかせを言っていることに気がついているようだ。
「例えば、成人した娘の感想とかさ。ほら、あたしってすごい美人じゃん。あとは娘と付き合うつもりはないのか? とか婚前交渉はしたのか? とか。父親が聞きそうなことは腐るほどあったでしょ」
……参るな。これは分が悪い。素直に降参を認めようか、そう思ったとき、どこからともなく、声が聞こえた。
「少年、娘の口をふさぐ秘訣を教えよう。こう尋ねるのだ。まだ背中にある大きなほくろを気にしているのか? と」
僕はそのままの台詞を口にすると、カチュアは顔を真っ赤にし、背中を押さえようとした。
「な、なんでそれを知っているの? お母さんくらいしか見せたことないのに……。もしかして、本当にお父さんに聞いたの?」
「信じられないかも知れないけど、今、また声が聞こえる」
「……その表情は本当っぽいね」
「……うん。そうだ。なにか聞きたいことはある?」
「え? 聞きたいこと?」
「そう、これが話せる最後のチャンスになるかもしれない」
「そうか、そうだよね。じゃあ、なにか尋ねておくか」
彼女はそう言うと、腕を組み、悩み出す。
うーん、とうなる。
「てゆうか、ここにきてなんだけど、話したいことはいっぱいあったけど、尋ねたいことといわれると迷うわ。お母さんは元気にやってるし、あたしはもう子供じゃないからなー」
「でも、なにかひとつくらいあるでしょ」
「そうだね、じゃあ、一番無難なことを聞くか」
「無難なこと?」
「そう、普通、子供の名前ってお父さんかおじいちゃんが決めるでしょ?」
「そうだね。僕の名前も祖父が決めた」
立派な冒険者となるように当時仲間だった勇敢な男からもらい受けた名前だそうな。
この国では大抵、男親か祖父が決めるのが慣例となっている。
「あたしの名前も実はおじいちゃんが決めたんだよね。ここでその慣習を途絶えさせるのは惜しいから、子供の名前を聞きたいかな」
「子供って誰の?」
「あたしの」
「産む予定はあるの?」
「一応。って言っても妊娠してないからね。まじまじとお腹見ないでよ」
「ごめん。じゃあ、将来、カチュアが産む予定の子供の名前を聞けばいいんだね」
「そう。お願い」
と言うと、彼女は神妙な面持ちになる。
僕はどこかにいるはずの彼女の父親に尋ねた。
彼は、
「俺の娘もそんな年頃になったか」
そんな感慨深げな感想を漏らすと、こう言った。
「……そうだな。もしも男の子だったら、シマジ。女の子だったらププルにしてくれ」
僕は彼の言葉をそのままカチュアに話す。
その名前を聞いたカチュアは思わず笑い出す。
おかしそうにお腹を押さえながら身をよじっている。
ひとしきり笑うと、彼女はこう言った。
「……お父さんらしいわ。実はね、あたし、本当はププルになるはずだったの。でも、あまりに可哀想だから代わりにおじいちゃんが名付け親になったんだけど」
「じゃあ、変えてもらう? あまりにひどいって」
カチュアはゆっくりと首を横に振るとこう言った。
「いや、いいよ。それでいい。まあ、生まれてきた子供は恨むでしょうけど。忘れ去られるよりはましだと思う」
彼女はそう断言すると、最後にこう言った。
「そう言えばお父さんがあたしたちのことを愛しているってのは知っているけど、あたしの気持ちは言わなかったね。クロム君、悪いけどこう伝えてくれない」
彼女はそこで言葉を句切るとこう結んだ。
「お父さん、あたしはお父さんが大好きだよ、って」
僕は彼女の言葉をそのまま伝えたが、その返答は得られなかった。
先ほどまで漂っていた不思議な空気は一掃されていた。
なぜだか分からないが、僕はもう二度とカチュアのお父さんと話せない。
そんな気がした。
そうなると彼女の言葉を届けられないわけである。彼女の父親の答えも聞けないわけであるが、僕は彼女のお父さんがなんと答えるか分かっていた。
それをそのまま言葉にする。
「知っていたよ」
僕がそう言うと、カチュアはとても納得した笑顔を浮かべた。




