淫らな手招き
カチュアとともに夜の森を捜索すること数時間、森の中枢部に到達したが、それでもなにも変化は起きなかった。
カチュアは杖の先に光を灯し、霊視の眼鏡をかけ、周囲を探索しているが、それでも父親は発見できない。
次元の狭間を垣間見ることはできなかった。
「その眼鏡、魔力が尽きているか、壊れている可能性があるんじゃ――」
と指摘する僕の耳に眼鏡をかけるカチュア。
初めて見る霊視の眼鏡越しの世界は日常とは違った。
この世のモノではないものがたくさん見える。
森精霊にこの世界ではない場所、それに時折、幽霊のようなぼやけた人が見える。
彼らが緊縛の森に捕らわれた人間たちなのだろう。
僕は眼鏡を彼女に返すとつぶやく。
「眼鏡は正常ということか……」
「そうなるわね。あとはお父さんがさまよっている地点に向かえば視界に捕らえられるはず」
彼女は確信するように言う。
僕は尋ねる。
「カチュア、お父さんを見つけたらどうするの?」
「できれば連れて帰りたい」
彼女は続ける。
「何十年も人間社会から隔離されてとまどうでしょうけどね。娘はこんなに美人に成長しちゃったし」
と、おどけてみせる。
「でも、お母さんは幸いとエルフの娘。まだまだ若いしやり直せると思うの。まだ、お父さんのことが好きで再婚もしてないしね」
ちなみに彼女の母親は彼女にそっくりでエルフの森の男衆から求婚されることが多くて困っているのだそうだ。
「ただ、問題はどうやってこっちの世界に戻すか、よね」
と言うと、彼女は腕を組み悩む。
父親と会うことばかり考えていて、現世に戻す方法は考えていなかったようだ。
僕は懐から護符とエルフの耳を取り出す。
「これを使えば元に戻せるかも」
そう言うと、彼女は小躍りするかのように喜び、抱きついてきた。
「さすがはクロム君、用意万端ね」
「これはニアが用意してくれたものだけどね」
「ニア?」
「そうか、カチュアはニアを知らなかったね、そういえば」
どこから説明したらいいだろうか。
彼女の出自、それとも出逢いから説明しようか、迷っていると、カチュアの歩みは急にとまった。
なにか前方に発見したようだ。
「君のお父さんが見つかったの?」
尋ねるが、答えは返ってこなかった。
「…………」
沈黙しか帰ってこないので、前方を確認する。
そこにはニアがいた。
金色の髪のお姫様がそこにたたずんでいた。
丁度良い、僕はカチュアに紹介しようとニアのもとに歩み寄ろうとするが、とめられる。
カチュアがひときわ厳しい声でそれを制する。
「クロム君、動かないで。そこに悪魔がいるわ」
「悪魔?」
周囲を見渡すが、ニア以外の存在は感じ取れない。
「悪魔は自在に姿を変える。小賢しいやつはそのものがもっとも愛しいと思うもの、心を許すものに姿を変え、油断を誘う」
まさか、と思ったが、すぐにその言葉が真実だと察する。
ニアが有り得ない行動を取ったからだ。
この世でもっとも気高くて清らかな少女であるニアが、衣服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿になろうとしている。
彼女は下着まで脱ぎさると、みだらな手招きをし、僕を誘う。
腰の聖剣は、
「クロム、見ちゃ駄目ー!」
と叫ぶが、僕は視線を外さなかった。
いや、外せなかった。
ニアの肢体が美し過ぎるからではない。
なにか魔力の呪縛めいた強制力を身体に感じる。
身体が自由に動かないのだ。
それを見たカチュアは舌打ちする。
「――《魅了》の魔法ね」
「……僕は悪魔に魅入られてしまった、というわけか」
悔しくて情けないが、事実は認めるしかない。
「そんなに卑下することはないわ。あたしも霊視の眼鏡を装備しているからなんとかなっているけど、もしも装備していなかったら惑わされているかもね」
彼女はそう言うと、呪文を唱え始める。
《解除》の魔法で悪魔の魅惑から解き放たれると、僕は初めて悪魔の実態を知る。
醜悪な化け物だった。
土褐色と深緑を混ぜ合わせたような醜怪な皮膚。
山羊を思わせるいびつな角に、狼よりも鋭い犬歯が口から飛び出ている。
コウモリのような翼もあり、どこからどう見ても悪魔にしか見えない。
太古の悪魔ディアブロ。
やつはその見た目通りの狡猾さと残忍さを持っていた。
おそらく工房近くで殺したと思われるカチュアの兄弟弟子の顔の皮膚を身体に張り付け、その残虐さを主張している。
それだけでも地獄に落ちるのに相応しい所行だ。
そう口にしたが、カチュアは否定する。
「やつにとっって地獄は天国みたいなところよ。わざわざそんなところに送ってあげる義理はないでしょう」
「……それもそうだね。なら天使の迎えがくるようにしてあげないと」
僕は腰の聖剣エクスカリバーを抜き去り、戦闘態勢に入る。
カチュアはそれを見て尋ねる。
「あなたの実力は疑っていないけど、戦力的にはこちらが不利ね。近くに味方はいないの?」
「いる。頼りがいがある人たちが四人」
「ならばその人たちにこの場所を伝えましょう」
「どうやって?」
と言う前に彼女は呪文を唱え始める。
彼女の回りの温度が急上昇し、彼女の身体が赤い魔力に包まれる。
「森の精霊には悪いけど、容赦しないわよ」
彼女は宣言すると、
《灼熱の舞》
と呼ばれる火魔法系の中位魔法を放った。
カチュアから放たれた炎はまるで生き物のようにディアブロに襲いかかる。
ただ、やつも古代の悪魔、即座に呪文を詠唱すると、防護壁のようなものを作りだし、ダメージを最小限に抑えようとする。
ディアブロの障壁とカチュアの炎は、拮抗するような形となり、赤い魔力と紫の障壁が火花を散らし、爆裂音を上げる。
古代の悪魔へのダメージは最小限に抑えられ、炎は虚しく木々を焦がすだけだった。
しかし、それでもカチュアは不敵に微笑む。
それでいい、と、つぶやく。
実際、それで十分効果を上げていた。
カチュアの放った魔法は耳がつんざかんばかりの爆音を上げたし、燃えた木々は煙を放ち、遠目からでもばっちり視認できるだろう。
もしも近くにニアたちがいれば、すぐにこの場に向かってきてくれるはずであった。
僕はニアの機転のきく頭脳、それとクライドの冒険者としての探索能力を高く評価していた。
なのでこんなことをつぶやきながら、悪魔に斬りかかる。
「なにも悪魔をひとりで倒す必要はない。ニアたちがきてくれるまで持ちこたえればいいんだ」
そう考えれば気が楽なものであった。
悪魔と僕の実力の差は数倍ほどあるだろうが、それでも数分の間ならば、互角以上に戦える自信があった。
なにせ僕が握っているのは聖なる剣。
邪悪な悪魔には特別な効果があるはずであった。
事実、僕とエクスのコンビは、悪魔と伍するに十分だった。
ニアたちが到着するまでの十分間、カチュアに指一本触れさせることはなかった。
その姿を見てカチュアは賞賛する。
「さすがはあたしが見込んだ冒険者ね。太古の悪魔と互角に戦うなんて」
その声援と彼女の魔術の支援を背に受け、僕は剣を振り続ける。




