カチュアの手紙
ごめんなさい、クロムくん。
カチュアの手紙はそんな出だしで始まっていた。
自分は最初からあの工房に悪魔が封印されていることを知っていた。
手紙にはそう書かれていた。
しかし、弁解も書かれている。
「あの工房に恐ろしい悪魔が封印されていることは知っていた。しかし、それと同時に悪魔を復活させない方法も知っていた。
言い訳になってしまうかもしれないけど、あたしは悪魔を復活させずに『霊視の眼鏡』を手に入れられると信じていた」
ただ、と、手紙は続ける。
「計算違いはあった。まさか私たちのあとを付けてくる存在がいるとは思わなかったの。たぶん、悪魔を世に放ってしまったのは彼ら、あの死体となっていた冒険者たちが欲に駆られ、悪魔を解き放ってしまったのだと思う」
僕は死んでいた冒険者たちを思い出す。
死体となっていた冒険者たちはどうやらカチュアの兄弟子たちで、カチュアが探り出した情報を盗み見し、工房にある宝を横取りしようとしたらしい。
うかつであった。
手紙にはそう書かれている。
あの工房にはあたしにとっては最高の秘宝である霊視の眼鏡があったのだけど、他の冒険者にとっても喉から手が出る宝が眠っていた。
そしてそちらの方に罠は仕掛けられており、ディアブロという名の悪魔は封印されていたのだ。
カチュアは語る。
無論、それでも自分に非があり、罪が許されるわけではない。
それにあたしは今からこの牢獄を脱獄し、リル様から霊視の眼鏡を奪い、また迷宮にもぐる。
罪を重ねる行為だとは承知しているのだけど、それでもあたしには到達しなければならない場所がある。
彼女はそう前置きすると、なぜ、自分が霊視の眼鏡にこだわっているか教えてくれた。
「クロムくん、クロムくんには言ったよね? わたしがハーフエルフであると。
わたしはハーフエルフとしてこの王国にあるとある小さな村で生まれたの。
お母さんがエルフ、お父さんが人間のハーフエルフなのだけど、あたしは幼い頃、人間の村で暮らしていたの。
お父さんの故郷で。
そこで両親から愛情を持って育てられた。
自分が人間であることも、ハーフエルフであることも意識しないで済むように育てられた。
とても幸せだった。
毎日が夢のようだった。
あたしが難病を患うまでは、だけど……。
あたしはある日、大病を患った。
死病の中の死病といわれていたヂグ熱という病にかかってしまったの。
あたしは高熱で苦しみ、明日をも知れない命となった。
村の司祭や薬剤師がさじを投げるほどで、村に病気が拡散しないように、隔離もされた。
村長も娘の命は諦めるよう両親にさとした。
でも、両親――、あたしのお父さんは諦めなかった。
腕利きの猟師である父は、仲間とともに迷宮にもぐった。
この迷宮都市の迷宮に。
その第八階層にあるという『緊縛の森』に向かい、そこで万能の霊薬、ユニコーンの角を探してくる、と母親に言い残し、迷宮に散った。
最後に仲間に手に入れたユニコーンの角を渡し、森の中へ消えていったの。
――と、あたしは母親に聞かされて育った。
事実、父親は森から帰ることはなかったし、ひとりだけ生還したお父さんの仲間の猟師は、父は死んだと母に伝えていた。
まさか父親が生きているだなんて、夢にも思っていなかった。
あたしは大人になり、魔術師となった。
魔術師になればハーフエルフでもひとりで生きていける。お母さんに楽させてあげられると思ったのだけど、そこで師匠から緊縛の森にまつわる伝承をきく。
緊縛の森は、人間を呪縛し、その場にとどめる場所。
森の精霊に魅入られた人間は、永遠の命を得る代わりに、永遠に森をさまよう。
その言葉を聞いたとき、あたしは戦慄した。
もしもその伝承が真実ならば、父親は今も森で生きていることになる。
今も森でさまよい、ユニコーンの角を得ようと駆け回っていることになる。
それは悲しい事象ではあったが、逆に考えれば父親を救い出すことが可能ではないか。
あたしはそう思うようになり、緊縛の森の研究を始めた。
「それで行き着いたのが、緊縛の森を抜け出すには、霊視の眼鏡という古代魔法王国のマジックアイテムが必要だということだった」
その眼鏡をかければ次元の狭間をさまよっている人間を目視できるという事実を突きとめた。
それを知ったあたしはなんとか霊視の眼鏡を手に入れようと駆け回ったが、その眼鏡が迷宮都市の第四階層にある特別な工房にしか存在しないと知り、今回のような顛末になった。
と手紙には書かれていた。
最後に、
「本当にごめんなさい、クロム君、お父さんと再会し、無事、連れて帰ることができたら、必ず罪は償うから」
と、手紙には書かれていた。
その手紙の最後の部分は心なしかにじんでいた。
もしかしたら彼女の涙がこぼれ落ちたあとかもしれない。
この手紙を見てしまったら、そのにじみを見てしまった僕には、もうカチュアを責める気持ちはない。
いや、それどころかカチュアの手助けをしたい気持ちしかなかった。
僕はリルさんが処罰されないように手紙を火魔法で焼き捨てると、事情を説明した。
みんな真剣に聞き入り、カチュアの境遇に同情してくれた。
彼女を助けよう、と再び決意を固くした。
ニアは言う。
「わたくしの父は存命ですが、母はすでに神の御許にいます。もしも、いっときでも、わずかな瞬間でも、再会できるというのであれば、カチュアさんと同じことをしたかもしれません。誰が親を思う子の気持ちを非難できましょうか」
ルミナスは言う。
「ず、ずみまぜん、私、こういう話に弱くて……」
ルミナスはただただ涙ぐみながら、鼻をちりがみでかんでいた。
カレンも軽く目元をぬぐいながら、同意している。
一方、今回の事件の鍵を握る神獣様は、というと。
彼女は謹厳実直な表情を作りながら腕を組んでいた。
能面のような顔をしていた。
それを非難するのは腰の聖剣だった。
彼女は聖剣ゆえ、鼻水こそたらさないが、それでも全身の水分を涙にしそうな勢いでリルさんを糾弾した。
「ぶびえーん、こんな事情があるのに、あの神獣は鬼だぁ、悪魔だぁ」
まあまあ、と僕はリルさんを擁護する。
リルさんの気持ちが痛いほど分かるからだ。
ギルドの長としては、カチュアの危険な依頼を手放しで称揚することもできない。
どんな理由があるにしてもだ。
たぶん、彼女は僕が危険にさらされたことを怒っているのだろうし、このギルドにも罪がおよぶかもしれないことを恐れているのだろう。
ギルドという家族を、群れを守るリーダーとしては当然の処置だ。
しかし、僕は知っていた。
リルさんが誰よりも優しく、涙もろいことを。
彼女は気丈に振る舞っているが、その尻尾はだらんと地に着いている。
ふらふらともの悲しげに揺れていた。
ご自慢の獣耳もうなだれている。
尻尾は口ほどにものを語る。耳も同じく。
それに僕は知っている。
このあと、彼女はこんな台詞を口にするだろう。
「私は美少女神獣として名高いが、トイレに行ってくる。美少女にもお通じはあるのだ。長くなるが気にしないように――」
彼女はきっと、トイレで涙したあとに、こんな台詞を放つだろう。
「とりあえず評議会にはカチュアは事情を知らずに依頼したと報告しておく。我々が今、しなければいけないのはカチュアを非難することではなく、この世界に解き放たれた悪魔の討伐だ」
リルさんはそう明言すると、周囲を見渡し、謹厳実直さを装った。
付き合いの長いカレンと僕にはばればれだったが、ニアとルミナスには効果があったようだ。
追い詰められているときにリーダーシップを発揮できる希有な神獣様ですね、という評価を口にしていた。
それは誤解ではないのだが、リルさんの多面的な面のひとつにしか過ぎない。
僕はリルさんの指示に従い、悪魔を討伐し、カチュアのことも救うことにした。




