逃亡
こうして迷宮都市でも随一の実力者たちに協力を得ることに成功した。
ニアはまず評議会に掛け合ってくれることとなった。
使いを出し、カチュアが正当な弁護を受けられるよう取りはからった。
それと全冒険者ギルドに注意勧告がされた。
第四階層付近に悪魔がうろついていると。
僕は彼女に礼を言う。
彼女はどういたしましてと返答する。
ただし、と彼女は言う。
「わたくしにできるのはここまで。それにわたくしは王族です。もしもカチュアさんが悪事を働いていたのなら、彼女をかばうことはできません。罪を帳消しにすることはできない」
彼女は続ける。
「ですが、罪を軽減することはできます。王族の名にかけ、彼女を擁護して見せましょう。それでいいですか?」
もちろん、かまわなかった。いや、有り難かった。
「弁護についてはこのワシが引き受けよう。脳の中にあるこの迷宮都市の法律をすべて総動員させ、守ってみせる」
エイブラムの有り難い言葉だった。
「お姫様と大賢者が味方になってくれるだけで心強い」
僕はそう言い切るとフェンリル・ギルドに戻る件を伝える。
「そうですね、カチュアを救うにしても、一度、彼女と会っておいた方がいいでしょう。彼女のひととなりはクロムさんが担保してくれていますが、どのような事情があったのか、聞いておきたいですし」
ニアは言う。
エイブラムも同意したので、さっそく大梟ギルドを出ることにした。
同行するのはふたり、ルミナスとニアだった。
エイブラムがこなかったのは老齢のため。
クライドを置いていくのは、彼に伝言を頼むからだ。彼には評議会への根回し役になってもらう必要があった。
クライドは姫様の護衛ができないことを不服に感じていたようだが、
「姫様を襲って捕まえることができるのは相当な手練れしかいない。少年とルミナスがついていれば問題ないか」
と、最後はこころよく送り出してくれた。
「もっとも、姫様がまた迷子にならなければいいが……」
彼は最後にもっとも心配なことを口にする。
それについては僕とルミナスが彼女の首根っこを押さえるしかない。
僕はニアが余計なものに目を付けないか注意しながら、フェンリル・ギルドへの最短距離を向かった。
幸いというか、奇跡というか、ニアはなにごとにも興味を惹かれることなく、僕の後ろについてきてくれた。
ルミナスは「き、奇跡だわ」と目を丸くしているが、その余韻にひたっている暇はなかった。
フェンリル・ギルドに入ると、出迎えてくれたカレンに声をかけた。
「あのカレン、カチュアと面会したいのだけど」
「もちろん、ゆあ・うぇるかむ、ですわ」
と言いたいところですが、とカレンは言うが、こう続ける。
「いくらクロムさんの頼みでもできることとできないことがあります」
「面会がそのできないことのひとつだと」
「ええ、もちろん、わたしが牢獄の鍵を持っており、カチュアさまのお世話もしているのですが、わたしはあくまでこのギルドのギルド嬢、上司の意向には逆らえません」
「となると面会にはリルさんの許可がいるんですね」
「そうなります。リルさまを説得するのでしたら、お手伝いできますが」
「それは有り難い。リルさんをどうやって説得しようか、頭を悩ませていたところなんだ」
その言葉を聞くとカレンは、うふふ、と笑う。
「そんなに難しいことではありませんよ。リルさまは意固地で意地っ張りで頑固なところもありますが、聞く耳だけは持っています」
「犬のような立派な耳があるよね」
冗談めかしてそう言うと、カレンは、
「犬ではなく、狼ですよ」
と、訂正する。
ふたりは同時に笑うが、さらに訂正するものがいた。
件のリルさんである。
彼女は不機嫌な表情で二階から降りてくると、
「犬でも狼でもない。私の耳は魔狼フェンリルである」
と、宣言した。
見ればその耳は、雄々しく突き立っている。
尻尾もである。
興奮している証拠だ。
厄介であるが、それでも彼女の気を落ち着かせ、なんとか説得せねばならない。
「リルさん、お願いがあります」
「なんだ? そこのお姫様との仲人ならば喜んで引き受けるぞ」
「仲人……」
その言葉を聞いてニアは頬を染め上げる。可愛らしいが、僕が頼みたいのはそんなことではない。
「違いますよ。僕が頼みたいのは――」
「ならばこの私に求婚か? まあ、人と神獣が結婚した例は絶無ではないが。しかし、私は好みにうるさい。少年はもう10年ばかり修業をして男の色気を身につければあるいは――」
「そんなことでもないですよ」
「そんなこというな。傷つくではないか」
と、傷ついた振りをしているが、それが演技なのは明白だったので無視をする。
「僕が頼みたいのはカチュアとの面会です。彼女と話をさせてください」
「なるほど、そのことか……」
っち、と舌打ちをするリルさん。
しかし、すぐに表情を作り直すと、悪びれず言った。
「駄目だな」
「どうしてですか?」
「理由はふたつ、少年はあの娘に感情移入しすぎている、会えばあの娘の味方をするだろう」
「会わなくてもしますよ」
「だろうな」
と吐息を漏らす。
「まあ、そうだと思っているから、少年がきたら、面会くらいは認めるつもりだった。これでも私は少年の味方だからな。――しかし、今はそれもできない」
「どうしてですか?」
「理由は……、口にするよりも見てもらった方が早かろう」
リルさんはそう言うと、僕たちを地下牢に連れて行った。
ギルドの地下にある地下牢。
地下牢といっても囚人を収監するような大したものではなく、普通の部屋に鉄格子をはめただけのような簡易のものだった。
牢獄、というよりは座敷牢といった方が適切かもしれない。
カーテンで区切られたトイレもシャワーも備えてあり、日当たりが悪いということを抜かせば、住みよさそうな部屋だった。
カチュアはそこにある椅子に座っている――。
はずだったのだが、そこには誰もいない。
もぬけの殻だ。
無論、カーテンの裏でシャワーを浴びている様子もなかった。
「これは?」
思わず尋ねるが、リルさんが返してくれた返答は想像の範囲内のものであった。
「先ほど、覗きにきたらすでにこの様子であった。カレンが昼食を持ってきたときにはいたというから、その後、脱獄したのだろう」
僕はとっさに上層階を見つめる。
リルさんの執務室に保管されているはずの『霊視の眼鏡』の所在が気になったのだ。
「少年は勘が鋭いな。丁度、私と入れ違いになるように細工して――、おそらく、ドアの後ろにでも隠れていたのだろう。その隙に書斎の上に置かれていた眼鏡を持って行かれた」
「つまり、カチュアはもうここには戻ってこない、ということですか」
「おそらくはな。眼鏡を手に入れたということは、もはやこの館に用はあるまい」
しかし、とリルさんは続ける。
「ここには戻ってこないが、少年のところには戻ってくる可能性があるぞ」
リルさんはそう言うと胸の中からごそごそと何かを取り出した。
彼女が取り出したのは一枚の便せんだった。
そこにはカチュアという差出人が書かれており、クロムへという宛名が書かれている。
他にも、
「この手紙はまずクロムから読んでください」
という注意事項が書かれていた。
リルさんに視線をやる。
彼女は頬を膨らませる。
「失礼な少年だな。私が他人の手紙を盗み見ると思うか?」
「いえ、緊急事態ですし」
「それでも見んよ。その文体からは誠意がにじみ出ている。きっと、やむにやまれぬ事情があって脱獄したのだろう」
リルさんはそう言うと、背を向ける。
「ただ、ギルドマスターとしては、その手紙の存在を知っていたとなるとはなはだ不味い。なので私はその手紙の存在を知らなかった、今も知らない。そういうていをとらしてもらう」
彼女はそう言うと、目をつむった。
「見ざる言わざる聞かざるの状態になるから、その間に手紙を見て処分しろ」
彼女は目をつむり、犬耳を器用に折りたたみ、手で耳をふさぐ。
見いぬ、言わいぬ、聞かいぬ状態だ。
リルさんはやはりリルさんで、優しい神獣だった。
その姿は愛らしかったが、それに見とれることなく、手紙を読む。
その手紙にはこんなことが書かれていた――。




