迷子体質の王女さま
大梟ギルドへ向かう。
幸いと僕はニアのように方向音痴ではないので、即座に到着する。
ギルドの門を叩くと、こころよく迎えられた。
先日、出迎えてくれた青年は、僕の顔も名前も覚えていてくれた。
そんな特徴的な顔ではないような気がするのだが。
そんなつぶやきをすると、青年は言った。
「たしかにその通りだけど、クロム、君は我が師のお気に入りだからね。いやでも顔を覚えるよ」
いわく、僕が去ってから数日は、食卓で僕の名が上がっていたらしい。
普段は研究に関することしか話さないエイブラムが他者、それも一介の冒険者の名を口にするなど、希有な例らしい。
口が悪いものは、我が師もついに天に身罷られるか、と嘆いているそうだ。
人は常からしないことをすると死ぬという迷信がある。
それを信じているのだろう。
ひどい話であるが、それは同時にこの大梟ギルドの連帯感を表している。
ギスギスとしているギルドならばそんな軽口は絶対に口にできないだろう。
そんな発言をしたものは、密告され、放逐されるのが相場であった。
「ここはやはりいいギルドなんだな」
改めてそんな感想を口にすると、僕はエイブラムの書斎に通された。
そこにはうずたかく本が積まれており、部屋の主の存在を隠していたが、少し視点を変えると、部屋の中央に机と椅子があり、その椅子に白髪の老人が座っていることが分かる。
そこに座っているのはもちろん、賢者エイブラムである。
彼は僕が近寄ってもその存在を無視するかのように書物を読みあさっていた。
いや、僕の存在には気がついているが、書物を読むことを優先させている。そんな感じだ。
彼の弟子は申し訳なさそうに言う。
「我が主は、一度、書物に目を通し始めるとテコでも動きません。食事時になっても、地震が起きても、火事になっても動かないでしょう」
「それは難儀ですね」
「難儀なお方です。トイレにも行かれないから、近くに溲瓶を置く始末」
……本当だ。花瓶の形をもした溲瓶が置いてある。
「ただ、幸いなことに書物を読む速度は速い。一冊読めば満足するので、読み終わったタイミングで声をかけましょう」
「ちなみに今、読んでいる本は何ページあるんですか?」
「あれはセラフ年代記と呼ばれる古典ですから、おおよそ300ページ」
「ならばすぐに終わりそうですね」
エイブラムのページをめくる速度は速い。
ぱらぱら漫画を見てるような速度だ。
「ただし、それはオリジナルであって、後世の注釈があるものはその三倍はあるかと」
ちなみにエイブラムの読んでいるものは後世のものらしい。
その後、じっくり紅茶を三杯飲むと、やっとエイブラムはこちらの方へ振り向いた。
「すまぬすまぬ。新しい注釈付きのセラフ年代記が手に入ってな、つい夢中で読みふけってしまった」
「いえいえ、気になさらず」
と言うしかない。今さら文句を言っても時間は戻ってこない。
これ以上、新しい本がやってこないうちに話を進めるしかなかった。
「エイブラムさん、単刀直入に申し上げます。ニアの住んでいる場所を教えて頂けないでしょうか?」
その問いを聞いたエイブラムは、なぜ? とさえ問わずに教えてくれた。
「おひいさまは、迷宮都市の貴族が多く住む珊瑚街に住んでおる。滞在している館の持ち主、――貴族の姓名は、ファルナック・エルトリア。たしか爵位は伯爵だったかな」
「エルトリア伯爵の家ですね」
そう復唱した僕は礼を言うとその場を離れようとするが、エイブラムはそれをとめる。
「どこに行く?」
「もちろん、エルトリア様の屋敷ですよ」
「それはお勧めしかねるな。門前払いを喰らう」
「ニアがそんなことをするとは思えません」
「たしかにおひいさまはしないだろうが、その館に住む主がするだろう」
「主?」
「その館に住んでいる主は、おひいさまに恋をしていてな。異性の訪問を喜ぶまい」
「え? 恋ですか」
突然のことに驚く。
「恋って魚のではなく、感情の方ですよね」
「そうだな。ラブの方じゃ」
「…………」
「意外かね?」
「……いえ、そうでもないです」
最初は意外に思ったが、よくよく考えれば不思議ではない。
ニアのように美しい娘はなかなかいないし、一緒の屋敷に住めば懸想のひとつでもするだろう。そう思った。
しばらく黙っていると、エクスがこんなことを言う。
「残念だったね、クロム。一介の冒険者と伯爵家のボンボン、比べるまでもなく勝負はついている」
「……残念じゃないよ」
元々、ニアに思いを寄せていたわけではない。
そう言い聞かせようと思ったが、次の言葉が出てこない。
「………………」
長い沈黙をしていると、エイブラムがその姿を笑い飛ばす。
「まるで世界の終わりのような顔じゃな、少年よ。しかし、安心せい。おひいさまに想いを寄せているのは、エルトリア家のご令嬢よ。この迷宮都市の蔵屋敷に滞在しているのは、エルトリア家の嫡男ではなく、その妹君じゃ。無論、ニアに同性愛の気はない」
安心せい、とエイブラムは結ぶ。
その言葉を聞いてエクスははやし立てる。
「良かったね。まだクロムにもチャンスはあるってさ」
「だからそんなんじゃないと言ったろう」
からかってくる老人と剣の追及をかわすように僕は話題を転じさせる。
いや、本題に戻す。
「それではエイブラム様、僕がその屋敷に近寄れない理由は分かりました。ですが、僕はなんとかニアとコンタクトを取らないといけません。お知恵を貸していただけませんか」
そう尋ねた。
エイブラムは眉をしかめる。
うーん、とうなりながらこう言った。
「それはまたなんとも難しい問題じゃのう。ワシごときが王族を呼び立てるわけにもいかないし」
老人はしばし目をつむり考えると、突然、目を見開く。
なにか妙案を思いついたようだ。
「そうだ! いい考えがある。少年よ、ここでお姫様を愛している! と叫ぶのじゃ」
「……は?」
突然のことに言葉を失ってしまう。
この老人はなにを口走っているのだろうか、正気を疑った。
「ぼけているのではないぞ、ここに願い石がある」
と、老人は懐から石を取り出す。
「この石に願いを叫ぶと、5割程度の確率で願いが叶うといわれている」
「マジですか?」
「マジじゃ」
「何の変哲もない石に見えますが」
「それは見た目だけ。霊験あらたかな石であるぞ」
と得意げに言う。
「大賢者であるエイブラムさんが言うのならばそうなのだろうけど……」
しかし、それでもいきなり愛の告白をせよとは。
ハードルが高すぎる。せめて会いたい、くらいでなんとかならないだろうか。
そう思って悩んでいたが、老人の横にいた助手が笑っていることに気がついた。
どうやら僕はかつがれているようだ。
ジト目で老人を見つめると、エイブラムは悪びれずに白状した。
「冗談じゃよ、というか、年寄りのおせっかいかの」
というと老人の持っていた石が光る。
石からは、「冗談じゃよ、というか、年寄りのおせっかいかの」という言葉が流れた。老人のものだ。どうやらその石は言葉を録音する機能があるらしい。
「これからやってくるおひいさまに少年の愛の告白でも聞かせてやろうかと思ったのだがな」
「え? ニアがやってくるのですか?」
「うむ、もうじきやってくるだろう。まさしく運命じゃな。おひいさまは竜の分析結果を知るためにこのギルドにやってくる途中じゃ」
「なら初めからそう言ってくださいよ」
「ふぉっふぉっふぉ、まあ、たわむれじゃ。許せ」
それに、と付け加える。
「時間に遅れるおひいさまも悪い。本当ならとっくに到着しているのじゃが」
少年、心当たりはないか?
そう続けるが、心当たりなら腐るほどあった。
ニアはこの老人と同じくらい迷子体質なのである。どうせまた、ルミナスや護衛のものとはぐれているのだろう。
僕は侍女のルミナスや護衛のクライドが彼女を発見するのをこのギルドで待つことにした。
自ら探し出るのもいいが、行き違いになったらかなわない。
彼女の滞在先におもむけない以上、ここで彼女を待つのが一番、彼女に話しかけられる可能性が高い、そう思ったからだ。
そしてその計算は正しく報われた。
日も沈みかけたころ、疲れ切ったルミナスとクライド、そして天真爛漫に微笑むお姫様がこのギルドにやってきた。
ニアは無邪気に言う。
「またルミナスとクライドが迷子になっていたのですよ。探すのに一苦労しました」
その言葉を聞いても反論しないのは、ルミナスもクライドもあきらめの境地に達しているのだろう。
ただ、それでも不平も不満も言わないのは、ニアの長所が欠点をはるかに上回っている証拠かもしれない。
ニアというお姫様は、「迷子体質」という欠点を除けば、花丸満点の少女なのだ。
特にそのほがらかな笑顔は、見ているだけでこちらの方が幸せになってしまうほど素敵であった。
僕はルミナスとクライドからその笑顔をお裾分けしてもらいたかったが、時間がなかったので、彼女たちに大切な話があると伝えた。




