神獣フェンリルの名のもと
地上までやってくると、僕は怪我人を入り口の救護班に預けた。
一応、事情は話したが、詳細は話さない。
ここで下っ端冒険者の僕が事情を話すよりも、ギルドの代表であるリルさんが、評議会などの有力者に事情を話した方が、迅速に討伐隊を組織できると思ったのだ。
そう思った僕は、一直線にフェンリル・ギルドへ向かった。
ギルドに帰ると、カレンが温かい言葉と飲み物でもてなしてくれたが、それらを堪能することなく、彼女に尋ねた。
「カレン、リルさんはいる?」
「リルさまですか? リルさまなら先ほどまで談話室で毛繕いをされていましたが」
「まったくのんきな人だな……」
「今はどこか暖かい場所でお昼寝していると思いますが、探して参りましょうか?」
それには及ばない、と言ったのは当のリルさんだった。
彼女は眠そうなまなこをこすりながらこちらにやってくる。
あくびを漏らしながら尋ねてくる。
「少年、クエストの方はどうだった? 依頼は果たせたか?」
「クロム君は完璧に依頼を果たしてくれましたよ。素晴らしい冒険者ですね」
と、カチュアは言う。
するとリルさんは手を差し出す。
依頼料をくれ、ということなのだろうか。
ちょっと品がないというか、つつしみに欠ける行為なので軽く注意するが、リルさんは反論する。
「つつしみでメシが食えるものか。これから借金取りのところを回って利息を払わないといけない。もらえるものはすぐにもらう」
そう言うとカチュアは鞄から金貨を取り出し、50枚、ちゃんとあるか数え、不足がないことを確認するとリルさんに渡す。
さすがのリルさんも再び数えることなく、素直に受け取ると、それを持って出掛けようとする。
借金取りのところだろう。
僕はそれを制する。
「リルさん、ちょっと待ってください。借金取りのところへは、カレンを向かわせてくれませんか?」
指名されたカレンはきょとんとする。
「どうしてだ? 麗しのメイドさんに身体で払わせるのか?」
「……そんなことさせませんよ。リルさんに伝えたいことがあるんです。火急の用件です。この迷宮都市の存亡に関わるかも知れない情報を仕入れました」
「迷宮都市の存亡? そんな話を聞かされたら、黙って出掛けるわけにもいかんな」
と、リルさんはカレンを見る。
代わりに借金取りのところへ行ってくれるか? リルさんの視線はそう語っていた。
カレンは迷うことなく微笑むと、
「はいな」
と、金貨を受け取り、外出の準備を始める。
しかし、自分で言ったが、カレンのような可憐な女性を借金取りにところにやって大丈夫だろうか。今さら心配になるが、リルさんが口元を緩めながら言った。
「安心しろ、カレンはそんなたまじゃない。あの娘は盗賊ギルドや暗殺者集団の頭目とも対等に交渉できる娘だ。むしろ、私がいくよりも穏やかにことが運ぶ」
「ほんとですか?」
「嘘は言わない」
メイド服のカレンを見るととてもそんな女傑には見えなかったが、リルさんがそう言うのならば大丈夫だろう。
それにもし、カレンの身になにかあれば、近所の市場の人々、特に若い男性が許すまい。
借金取りとて彼らから食材やものを購入しているのだ。
兵糧攻めは有効だろう。
そう思った僕はカレンを見送ると、そのままカチュアとリルさんを引き連れ、談話室へ向かった。
談話室のテーブルには、人数分の香草茶が置かれていた。
カレンがいれたものだろう。
さすがはメイドさんの鑑、急用の前でもちゃんと主とその客人をもてなす用意を欠かさなかった。
そういった配慮が誰からも好かれる要因なのだろう、そう思った。
僕は彼女の思いやりの残滓であるお茶に口を付けるとリルさんに地下迷宮で起こった出来事を話した。
地下迷宮で起こった出来事――
道中のことは省く。
カチュアに魔法を教わったことや途中の細々としたことはすべて端折り、工房に到着してからのことをすべて話した。
工房がある特定の時期にしか現れない幻の建物だったこと。
そこに大量のマミーがいたこと。
地下に目当ての『霊視の眼鏡』があったこと。
本棚の後ろに隠し部屋があったこと。
そこで幽霊のような幻のような少女を見たこと。
そしてその少女が魔神ディアブロの復活を予言したこと。
帰り道、そのディアブロに殺されたと思われる冒険者を見つけたこと。
すべて正確に詳細に話す。
その言葉を聞き終えたリルさんは珍しく神妙な表情で腕組みをしていた。
目を見開くことなく、沈黙を貫いていた。
それほど深刻な事態だと認知しているようだ。
リルさんは乾いた唇に香草茶を付けると、開口一番に言った。
「とりあえず少年がディアブロと遭遇せずに済んでよかった」
彼女は心底ほっとした口調で言った。
次いで彼女は目を見開くと、カチュアに語りかけた。
「そして依頼人であるエルフの娘よ、おまえにはあきれた」
その批判を聞いたカチュアは耐えるように瞳を閉じる。
「……おっしゃりたいことは分かります。あたしが工房におもむかなければディアブロが解き放たれることはなかったでしょうから」
沈痛な声だった。
聞くに堪えない悲しい声だった。
僕は彼女をかばう。
「リルさん、それは違います。彼女は知っていてあの工房に向かったわけではありません。たまたまおもむいた工房に悪魔が封印されていただけです。もしも僕たちがおもむかなくても、他の冒険者が迷い込んで悪魔を解き放ってしまった可能性は十分ある」
「はたしてそれはどうかな」
あまりにも低く、するどい声なので、思わず聞き逃してしまうところだった。
「どういう意味ですか?」
僕は尋ねる。
「そのままの意味だよ。この娘はあの工房に悪魔が封じ込められていると知っていた。霊視の眼鏡を手に入れるとその悪魔が解き放たれると知っていた。違うか?」
「…………」
尋ねられたカチュアは沈黙している。
「まさか、そんな」
と答えたのは僕であって彼女ではなかった。
彼女は沈黙によって己を守っていた。
反論して欲しかった。
自分はあの悪魔のことを知らなかった。
そう宣言して欲しかったが、彼女は最後まで自己弁護することはなかった。
その姿を見ていたリルさんは心底残念そうに言った。
「沈黙は肯定と取るぞ。……それではこの迷宮都市のギルドのひとつを預かるマスターとしての責任を行使させてもらう。エルフの娘カチュアよ、貴様をこの迷宮都市を危険にさらした容疑者として、神獣フェンリルの名のもと、拘束させてもらう」
リルさんはよどみなく続ける。
「貴様には弁護士ギルドの弁護士を雇う権利がある。金がないのであれば借金をすることもできるし、知人に弁護を頼むこともできる。その権利を行使するか?」
「しません」
カチュアは即答する。
その言葉を聞いたリルさんは、そのままカチュアの手を縄でしばる。
ギルドの地下に連行する。
そこには簡易の地下牢があった。
そこに彼女を押し込めるつもりのようだ。
無論、僕は最後まで反対をしたが、リルさんは取り合ってくれなかった。
「少年、これはこの迷宮都市を守る冒険者の義務だ。少年はいつか英雄となり、故郷に錦を飾りたいのだろう? ならば耐えろ」
そんなことを言われても、魔法の師を、先ほどまで命がけでともに戦った仲間を見捨てることはできなかった。
僕はリルさんの説得を諦めると、とある人物のもとへ向かった。
その人物ならばこの窮地を救ってくれると思ったからだ。




