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治癒のおまじない

 迷宮第四階層の一角にある工房、そこは手つかずのまま残されていた。


「どうして分かるの?」


 と、カチュアは尋ねてくるが、説明をする。


「荒らされた形跡がないからですよ。門もその周囲も」


「たしかにそうかも」


 と、門扉の回りを確認するカチュア。


「今にも古代人が出てきそうなたたずまいね」


「はい、普通、強欲な冒険者がいたら、この門も外されて持って行かれるんじゃないかな」


 目の前にある工房の門は立派なもので、現代のドワーフの名工でもなかなか再現できないような意匠がほどこされている。


「売ればそれなりにお金になりそうだ」


「ならば外してうっぱらう?」


「うーん、重いしなあ」


 こう言う解体作業は、人足を雇い、大々的にやらなければならない。

 もっかのところ我がフェンリル・ギルドにそのような資金も人脈もない。


「それにしてもこんな浅い階層でよくこんな建物が手つかずで残っていたな」


 そう漏らすと得意げに説明をしてくれたのはカチュアだった。

 彼女は、えっへん、と説明してくれる。


「実はこの第四階層には無数の工房があるのだけど、季節、時間によって出現する工房が変わるのよね」


「え、そうなんですか?」


「そうなのです」


 と返すカチュア。


「迷宮の構造は変わらないのだけど、第四階層に点在する施設群は、季節や時間帯によって変わるの。だから毎回、違う施設が現れるのよね。さすが古代魔法文明って感じ」


「さすがは魔術師、博識ですね」


「でしょう」と鼻高々になるカチュア。


「でも、第四階層だけあって、もうとっくにその施設群も探索され尽くされたと思っていたのだけど――」


「いたのだけど?」


「私の研究成果によると、今週、この瞬間だけ、この工房が現れると計算していたのよね」


「すべては計算ずくだったのか」


 それはすごい。元々尊敬していたが、さらに尊敬する理由が増えた。


「だからこの瞬間を逃したくないわ。さっそく、この扉を開けて、中に入りましょう」


 彼女はなんの躊躇もなく扉を開ける。


「ちょ、ちょっと、カチュアさん」


 とめる暇もない。

 通常、この手の地下迷宮にある施設には、罠などが仕掛けられていることが多い。


 古代人たちが賊の侵入対策に施したものだが、何千年経ってもそれが生きていることは多い。


 なのでリルさんからは、


「少年、見慣れぬ扉や宝箱を開けるときは、細心の注意を払うように。それこそ乙女の柔肌に触れるときのように繊細に慎重にやるのだぞ」


 という注意をもらっている。


 カチュアの行動は、乙女の柔肌に触れる行為とは対極のもので、坊主頭の少年のいがぐり頭をなで回すかのようだった。

 

 ただ、その無謀な行動にすぐに天誅がくだされる。


 がちゃり、という機械音が流れると、玄関上の天井が開き、そこから大量の熱した油が降ってくる。


 もしもそれを浴びれば全身が大やけどになるだろう。


 僕は、

「カチュアさん」

 彼女を突き飛ばすと、右手に装着していた盾を傘代わりにする。


 僕の持っているトリネコの木の円形盾は【耐火C】のスキルが付与されており、油程度の攻撃など跳ね返す。


 なにせこの盾は火竜の炎さえ防ぎきった実績があるのだ。

 そう自慢げに漏らしたが、カチュアは不満たらたらだ。

 尻餅をつき、お尻をさすりながら僕を見つめる。


「……あのね、女の子を突き飛ばしていいのは、ベッドの上だけよ? ここはベッドの上?」


 もちろん、違う。ここは迷宮の中にある工房だ。

 ただ、今のは緊急事態であったし、仕方ないような……。


「あのままだとカチュアが大やけどをしていたよ」


「しないわよ。あたしのとんがり帽子は耐火性があるの。水も浸透しにくい材質だし」


「そうなんだ」


「この波打ったデザインも油をはじくしね」


 たしかに言われてみればそんな気もする。


「それにあたしは魔術師よ、今もとっさに防御陣を張る準備はしていた。あたしも馬鹿じゃないんだから、無策に工房に入ったりしないわ」


 確かに彼女の杖は輝いていた。いつでも魔法が発動できるように。


「うう、なんか申し訳ない」


 僕が突き飛ばしてしまったことにより、彼女は尻餅をついてしまったし、もしかしたら僕が盾で防いだ油が飛び散って、軽くやけどをしてしまったかもしれない。


 そう思っていると、案の定、彼女は頬を押さえていた。

 どうやら悪い想像が当たったようだ。

 僕は鞄から薬草とポーションを取り出そうとしたが、カチュアがそれを阻む。


「軽いやけどよ。唾でも付けておけば直るわ」


「そんなの迷信だよ。ちゃんと治療しないと」


 姉の言葉が脳内で響く。


「クロム、女の命は顔です。もしも万が一、女の顔を傷つけるようなことをしたら、責任を持ってお嫁にしてあげなさい。不義理は許しませんよ」


 そのことをカチュアに話すと、彼女はからからと笑い。


「古風なお姉さんだね」


 と言った。

 続いてなにか思いついたような顔をすると、こう言った。


「そこまで言われたら治療してもらおうかな。痕が残ってこんな年増エルフを嫁にもらい受ける新米冒険者が可哀想だし」


 年増でも可哀想でもないですよ、と言えれば恋人のひとりでもできるのだろうが、今の僕はそんな器用な台詞を言えず、ただ黙って彼女の指示に従う。


「でも、ほんと、薬のたぐいはいいかな。そこまで大事ではないし、薬草とかポーションは臭うのよね」


 と、女の子らしいことを言う。女の子だけど。


「代わりにちょっと目をつむっていて欲しいな。古代から使われているエルフの秘術で治す」


「エルフの秘術?」


 興味津々だが、カチュアは教えてくれない。

 人間には教えてはいけない秘術らしい。


 どうがんばっても僕の耳が尖ることはないので、素直に目をつむるが、その瞬間、柔らかいものが僕の唇に触れる。


 思わず目を開けたくなったが、カチュアは、

「目を開けたらハリセンボン飲ます」

 などと不穏なことを言うので開けられない。


 五秒ほど目をつむると、やっと解放された。

 柔らかい感触が消え去り、目を開けると、目の前でカチュアがにやにやしていた。


「唾を付けて治癒効果を高めるのは迷信じゃないのよ。魔術師はもちろん、学者もそれに治癒効果があると認めているわ。ましてや未来の勇者様の唾ならば、霊験あらたか、というものでしょう」


 どうやらあの柔らかいものはカチュアのほっぺただったらしい、と気がついたのは、彼女が僕に背を向け、歩み出したあとだった。


 彼女は古典的な手法、唾を付けて直す、という方法を強引に実行したらしい。

 思わずぽおっとしてしまう。


 なにせ女性とキスをするというのは久方ぶりのことだった。いくら頬とはいえ、あのような美女とキスをして平常心は保てない。


 しばらく動けないでいると、エクスが茶化してくる。


「今、久方ぶりとかつぶやいてたけど、クロムってキスしたことがあるんだね」


「……あるよ、一応」


 姉さんと遊びでだけど、と告白する必要はないだろう。

 カチュアの頬は姉さんよりも柔らかく、とてもいい匂いがした。

 しばしその感触の余韻にひたると、カチュアのあとについて行った。


 この工房のトラップは今後、カチュアに任せるにしても、この工房に潜むモンスターや魔法生物と対峙するのは僕の役目だ。


 そのために僕は高い依頼料をもらっているのである。

 依頼料以上の働きはしたいところであった。

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