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炎の嵐

 灰色狼、グレー・ウルフは、地下迷宮に広く分布する獣だ。


 いや、この地下迷宮だけでなく、王国中に広く分布する肉食獣で、農家、とくに畜産を営んでいる家にとっては天敵ともいえる獣であった。


 かくいう僕の家、メルビル家でも灰色狼には悩まされた。

 家畜小屋や鶏小屋を荒らされたのは一度や二度ではない。


 貧乏貴族のメルビル家にとって自前の家畜は生命線で、真冬に家畜を食い殺されたときは、一か月、肉なしスープをすすっていたこともある。


 そんなわけでこの灰色狼という獣に良い思い出はなかったし、手加減をする理由もない。


 迷宮に住むこの四つ足の獣は、冒険者にも襲い掛かるし、商人や学者にも容赦はない。


 ここで駆逐すればさぞ喜ばれることだろう。

 少なくとも非難されることはない。


 そう思った僕は本気で戦うことにしたが、だからといって簡単に倒せるわけではない。


 ちらりと魔術の師匠であるカチュアを見る。


 相も変わらず奇麗なエルフだったが、僕の関心ごとは彼女の容姿ではなく、足元にある剣だった。


 相棒のエクスである。

 彼女は今、僕の手もとにない。

 今は僕の魔法素養をはかる実験中、聖剣である彼女の力は借りることができない。

 未練がましくも彼女を見てしまうのは、魔法で魔物と戦ったことがないからだ。

 魔法だけで魔物と戦う。

 ろくに魔法も使えない僕にそれができるのだろうか。

 いや、やるしかないのだけど。

 目の前にいる灰色狼は香炉の発する匂いで興奮している。


 僕を獲物として認識し、その喉笛を掻き切りたくて仕方ない、そんな殺意を発していた。


 なにもしなければ本当に喉笛を噛まれるだろう。


 そのときはカチュアが助けてはくれるだろうが、最初から彼女を当てにしたくない。


 それに狼に首を噛まれるのはまっぴらだ。

 そう思った僕は、再び呪文を詠唱する。

 放つ魔法は、《氷槍》の魔法。アイスランスだ。

 カチュアからはなるべく多様な魔法を使えといわれている。


 それに彼女から渡された魔法石は、各種、基本的なスペルが封じ込められていて、共通言語で魔法を発動することができた。


 僕自身も魔法に興味がある。この際、いろいろと試してみたかった。


「氷の槍よ! 灰色の獣を突き刺せ!」


 そう叫ぶと、頭上にできた氷の槍、……といっても短剣ほどの大きさだけど。

 その小さな槍は灰色狼に向かって突き進む。

 心なしか先ほどの《火球》よりも速度が速い気がした。

 真ん中の狼に向かってそれを突き刺すイメージを送る。

 すると氷の槍は見事、灰色狼に命中した。

 灰色狼は、ぐぉぉおん! と、咆哮を発する。


「やったか!?」


 思わず表情を緩めるが、それはぬか喜びだった。

 やはり短剣程度の大きさでは、灰色狼にとどめはさせない。

 それに彼らは三匹いる。

 一匹に命中しても、残りの二匹が襲い掛かってくる。

 彼らはまるで仲間の復讐をするかのように左右から襲い掛かってきた。

 どうする?

 判断を求められる。

 ここで魔法の防壁を張ることもできる。

 あるいは身体能力を駆使して避けることもできるかもしれない。


 ただ、今は魔法のテスト中、生半可な避け方をしたら、カチュアの評価が下がってしまうだろう。


 そう思った僕は、両手に土魔法である《硬質化》の魔法をかける。

 この魔法は体の一部、あるいは全身を鉱石のように硬くする魔法だ。

 同時に左右の腕を硬くすると、両手を突き出し、灰色狼たちに噛ませた。


 彼らは僕の腕を食いちぎろうと、身体をひねらせるが、石のように硬くなった僕の腕が切り裂かれることはなかった。


 逆に僕は灰色狼たちが食らいついたことを好機とみなし、攻撃に転じる。

 《電流》の魔法を使ったのだ。


 この距離、というか狼が食らいついている状態ならば絶対に外すことはない魔法である。


 実際、至近距離で放った電流の魔法は効果てきめんだった。

 僕の両腕に噛みついていた二匹の狼はもだえ苦しみ、痙攣を始めた。


「よし、これで二匹、無力化した!」


 残りの一匹、最初に氷の槍を突き刺した狼を視認するが、やつの姿はどこにも見えなかった。


「どこだ?」


 この狭い空間で見失うことはないはず。

 ならば逃げ出したのだろうか? 

 そう思ったが、それは早計な判断だった。

 手負いの灰色狼は獲物を変えていた。

 僕ではなく、とんがり帽子の魔術師に向かっていた。


「カチュア!」


 思わず叫んでしまう。


 その言葉には逃げるんだ、という意味が込められていたが、カチュアはその言葉を聞いても無言だった。


 なんの反応もない。


「もしかして足がすくんでいる?」


 あり得る話だ。

 彼女は初めて迷宮に潜るという。

 荒事にも慣れていないと言っていた。

 だから冒険者を雇ったのだ。

 このような事態、想定していなかったのだろう。

 そう判断した僕は、カチュアを救うべく、魔法の詠唱を始めた。

 この距離、この位置からでは走っても間に合わないと判断したのだ。

 だが間に合わないにしてもどうする?

 どうやってあの狼を倒す?

 先ほど、氷の槍を命中させても致命傷を与えられなかった狼をどうやって倒す?

 それが問題であった。


 《電流》は論外。あの魔法は直接相手に触れるか、池や水辺など通電する環境でこそ威力を発揮する魔法だ。


 ならば《風の刃》、ウィンド・カッターだろうか?

 適切ではあるが、最適ではないような気がする。

 今ならば真後ろから狼を切り裂ける好機であるが、狼を切り裂いたあとが問題だ。


 もしもそのまま威力を減殺できなければ、最悪カチュアを傷つけてしまうかもしれない。


 いや、魔法の加減などできない僕の風の刃は確実にカチュアを傷つけてしまうだろう。


 それは本意ではない。というか絶対に嫌だ。

 だけど、このまま座してみていることもできない。

 このままでは数秒後、確実に狼はカチュアに襲い掛かるだろう。

 彼女を見捨てることなどできない。

 そう思った僕は、賭けに出た。

 手のひらを真っ赤に染め上げる。

 狼を燃やすために呪文を詠唱する。

 僕が選んだ魔法、それは《火球》だった。

 最初に放った魔法だ。


 この魔法を選んだ理由はたったひとつ、僕のステータスに【火魔法F】という文字があるからだ。


 なにもないよりはあった方がまし。


 それに幼き頃、姉と一緒に試した火球の魔法ならば、なんとかコントロールできる。


 という甘い目算があった。


 もしもこの場にエクスがいれば、


「砂糖を水で溶いて描いた絵画みたいに甘い話だね」


 そう評すかもしれないが、この際、なにも拠り所がないよりはましであった。


 その拠り所にすべてをかけた。

 手のひらに浮かび上がる紅蓮の炎。

 それは瞬く間に人間の頭部ほどの大きさになる。

 先ほどのこぶし大とはまったく違う火球であった。


「これが火事場の馬鹿力というやつだろうか」


 いろいろと考察したかったが、そんな暇はない。

 僕はカチュアを救うため、彼女に襲い掛かる灰色狼に狙いを定めた。

 当たる! そう思った瞬間、僕は火球の魔法を投げる。

 投げ放った火球の魔法は、轟音とともに灰色狼に命中する。

 あの大きさの火球が当たれば灰色狼などひとたまりもないはずだ。

 そう思ったが、それは正しかった。

 火の玉が命中した灰色狼は一瞬で燃え上がる。

 あっという間に火だるまになると、その場でのたうち回る。


「すごい……」


 思わず自画自賛してしまうが、僕の計算は大いに狂った。


 灰色狼にだけダメージを与えるはずだったのに、僕の放った火球はその目論見を満たしてくれなかった。


 火球は持ち主の意志を無視するかのように燃え上がる。

 近くにいたエルフの女性に害を及ぼす。

 その炎はすでに火球ではなく《火の嵐》、ファイアストームとなっていた。

 火の中位魔法クラスである。


「この僕が中位魔法を放てるわけがない」


 そうつぶやくが、それでもその言葉が現実になるわけではなく、僕の火球は炎の嵐となってカチュアを襲った。


 僕は慌てて《水球》の魔法で彼女にまとわりついた炎を消そうとするが、それはかなわなかった。


 正確には彼女が拒んだ。

 彼女はまるで涼やかな草原の風を浴びているかのように穏やかな顔をしている。

 そして爽やかな笑顔で言った。


「クロム君、君は魔法の天才かもしれないね。なんの訓練もなく《火の嵐》の魔法を使える人間なんて初めてみたわ」


 彼女はそう言うと、一陣の風を巻き起こし、炎を吹き飛ばす。

 突風のような風が吹きすさむ中、彼女はこう言った。


「あたしがピンチになったとき、君がどんな行動をするか、どんな力を発揮するか試したのだけど、想像以上のものを見せてもらったわ。決めた。あなたにあたしのすべてを伝授する。この魔術師カチュアのすべてを教えてあげる」


 彼女はそう言うと最後ににこやかに微笑みながら言った。


「でも、お姉さんの指導は厳しいからね。覚悟しておいてね」 


 こうして僕は魔術師カチュアの弟子となり、魔法を教わることとなった。

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