灰色狼の群れ
「こ、これは!?」
という台詞を発したカチュア。
その言葉、声色を聞くだけで彼女が驚いているということが分かる。
果たしてその驚きは正の方面なのだろうか、負の方面なのだろうか。
気になって仕方ないが、すぐに判明した。
振り返ったカチュアがなんともいえない表情をしていたのだ。
「カレーパンを買ったら、中のカレーがクリームシチューだったときみたいな顔だね」
とは腰のエクスの言葉であるが、言い得て妙なたとえである。
もっともそんなことは今まで一度も経験したことはないが。
「……あの、魔法適正が存在しなかったんですか?」
おそるおそる尋ねる。
彼女は答えてくれる。
「……そんなことないわよ。たしかにあった。あなたの背中は光り輝いていたわ」
「よかった」
ほっと、胸をなで下ろす。
「でも、見たこともない色だった。玉虫色というの? 見ようによっては緑にも赤にも黄色ににも見えるのよ」
「七色ということですか?」
「七色とは違うわね。七色は魔術師の天才に見られる色。全属性に精通している色だわ。それとも違う」
ちなみにあたしは七色の保持者よ、という情報をくれる。
七色の保持者は、赤、緑、青、黄色、紫、白、黒、と次々に色が浮かび上がり、文字通り七色に輝くらしい。
僕の場合は『見よう』によっては何色にでも見えるだけらしく、こんな例は聞いたことがないとのこと。
「うーん、完全に魔力がないのならば、無色透明になるのだけど。無色とも違うのよね」
「一応、【火魔法F】のスキルもありますしね」
「そう、つまり素養がないわけじゃない、ということ。まったく、面倒な弟子を見つけてしまったものね」
「すみません」
「あなたが謝ることじゃないわ」
彼女はそう言うと、ぶつぶつと独り言を言い始める。
インクの材料の配合を間違えた?
まさかそんな単純なミスはしないはず。
ならば白獅子のたてがみの偽物を掴まされた。あるいは劣化している?
それもないかな。これは信頼のおける店で買ったものだし。
数分、そんな独り言を繰り返すと、彼女はなにやら決意をしたようだ。
「こんなところで考え込んでも始まらないわ。元々、ここでは簡易的な検査しかできないのだし」
彼女はそう言うと僕の背中になにか薬品をかけ、それをタオルで拭く。
どうやら背中の魔法文字をかき消しているようだ。
「もともとこんな小細工で魔法の素養を知ろうとしたのが間違いだわ。今から各種魔法の基本を教えるから、その中で一番すごいと思ったものを特化して教え込むことにする。その方が早い」
「ええっ!? それって全種類の基本スペルを覚えるんですか」
「まあね。でも、大丈夫、古代魔法言語ではなく、現代語でいいわ。簡易スペルってやつ。それと魔法を封じ込めた魔法石も上げるから問題なしよ」
「それならなんとかなりそうだけど……」
だけど、たぶん、本当に大変なのは、呪文を暗唱することではなく、その先にあると思う。
なぜならば彼女は僕と出会ったとき、いきなりアンデッドをけしかけ、実力を試すような人なのだ。
そんな女性が弟子の実力を計るのに、手加減をするとは思えなかった。
案の定、彼女は鞄からなにかを取り出す。
香炉のようなものを取り出すと、それになにか液体をそそいでいる。
「この香炉は本来、虫除けや魔物よけに使うのだけど、漂わせる匂いを変えることで、その逆の作用も引き出せるの」
「つまり、魔物を呼び寄せることができる、と?」
「そうよ。たぶん、この階層だと、現れるのは灰色狼だと思うけど倒せる?」
これでもレベル9の冒険者ですよ、そう言いたいところだけど、それはいわない方がいいだろう。
もちろん、今の僕とエクスならば灰色狼の一匹や二匹は敵ではなかったが、たぶん、目の前のエルフはそんな甘い人ではないと思う。
案の定、彼女は人の悪い笑顔を浮かべながらこう言った。
「もちろん、大丈夫よね、未来の勇者さん」
彼女はそう言うと腰の聖剣を自分に預けるよう言った。
やはり悪い予感は当たった。
彼女は聖剣を使わず、魔法だけで灰色狼を倒せと言っているのだ。
無論、今の僕はレベル9。
素手でもそれなりに戦えるだろうが、不慣れな魔法でどこまで戦えるか、自信はない。
ただ、それでも灰色狼と戦わなければ、彼女は僕の師匠になってくれないだろう。
厳しい師匠であったが、その分、彼女に教えを請えれば魔法の習得は容易かもしれない。
そう思った僕は、聖剣を彼女に渡すと、共通語で魔法を唱える方法を学んだ。
小一時間ほどレクチャーを受けると、彼女は香炉に蝋燭を灯し、魔物寄せの香油を垂らす。
人間の僕にはかぎ分けられない匂いだったが、ほんの十数分で灰色狼たちはやってきた。
その数、三匹。
エクスカリバーさえあれば余裕の数であったが、今の僕が頼れるのは先ほど教えてもらった簡易魔法しかなかった。
口の中で必死にそれを詠唱すると、さっそく、灰色狼に目がけ、《火球》の魔法を放った。
その火の玉は手のひらに載るほどの小さなサイズであったが嬉しかった。
今まで《火球》の魔法を放てたことがないからだ。
正確にはこぶし大のものならば放てていたが、こんな実用的なサイズを放つのは初めてであった。
レベルが上昇したことが奏功しているのだろうか。
師匠であるカチュアの教え方がよかったのだろうか。
あるいはその双方か。
どちらかは分からないが、カチュアはこう褒め称えてくれた。
「なかなかの《火球》ね。それにその魔法を選択するのも賢いわ。灰色狼は火を恐れる」
素晴らしいわ、と絶賛してくれるが、その後、こんな言葉も続ける。
「でも、やはりその大きさだと、狼をひるませるのは不可能みたい。せめてそれを直撃させないとね」
見れば火球を投げつけられた灰色狼はそれを華麗にかわしていた。
そしてこちらに敵意があると認識した狼は、犬歯をむき出し、今にも襲いかかってきそうであった。
戦闘は不可避のようだ。
覚悟した僕は再び呪文の詠唱を始めた。




