新たなる依頼
場所をギルドカウンターからリルさんの執務室へ移動する。
特に理由はないのだが、こういうのは形式が大事、とこのギルドのマスターは言い放ったのだ。
カレンが小声で補足してくれる。
「この執務室は滅多に使いませんから、きっと活用したくなったのでしょう」
とのことだった。
なるほど、リルさんの、
「こういうのは形式が大事なのだよ、少年」
という言葉よりは真実味がある。
執務室へ入る。
その部屋はなかなかの広さが取られており、置かれている家具なども立派だった。
ただ、調度品はほとんどない。
ほとんど売り払ってしまったそうだ。
カレンが気を利かせて置いた花瓶と野花が唯一の清涼剤となっている。
それと目を引くのが壁に掲げられたギルドの認可証だろうか。
大きく『E』と書かれているが、『F』だった数日前を考えれば、格段の進歩である。
なるべくなら早くその文字をD・Cと上げていきたかった。
そんなことをつぶやくと、リルさんはからからと笑い。
「少年は夢が小さいな。我々が目指すはAランクのみぞ」
と言い放った。
異論はないが、Aランクに駆け上がるのは何年、いや、下手をすれば何十年も掛かる。
僕は目の前の目標を目指し一歩一歩進んで行くタイプなので、あまり大言壮語は吐けなかった。
僕はやる気満々で大言壮語の塊であるリルさんの言葉を待つ。
彼女はカレンから受け取った依頼書を改めて読み上げた。
「迷宮第四階層まで一緒におもむいてくれる前衛職の方募集。レベル5以上、総合戦闘力1000以上希望。基本報酬10G、もしも第四階層にあるという『霊視の眼鏡』を見つけた場合、追加で40Gお支払いします」
「依頼は護衛になるのかな?」
尋ねる。
リルさんは答える。
「ここに前衛職と書いてあるということは、依頼主は後衛職なのだろう。過度な期待はできないが、戦力として換算してもいいんじゃないかな」
なるほど、道理である。
「基本依頼料金貨10枚、それに成功報酬金貨40枚は非常においしい」
じゅるり、とよだれが垂れそうなほどリルさんはにやつく。
「ですが、その成功報酬である『霊視の眼鏡』というのを探すのは大変なんじゃないですか?」
「そうでもない。これは伝承だが、第四階層にはかつての古代魔法文明の眼鏡工房があったという。たびたび、眼鏡の魔法アイテムが発掘されている」
「なるほど。ならばこの迷宮都市でも買えるのか」
「買えるだろうが、市場で買えば、金貨200枚はくだるまい」
「そ、そんなに高いんですか?」
「眼鏡系の魔法アイテムは、冒険者だけでなく、商人、貴族、学者、あらゆる層に需要があるからな。簡単に発掘できる割にはお高く設定されている」
「ならば僕がひとりで向かって、眼鏡を持って帰って売った方がもうかるような」
「魔法アイテムは高く売られているが、買われるときは買いたたかれる。市場は商人ギルドが寡占しているからな」
それに、と続ける。
「我々冒険者ギルドの存在理由のひとつに、迷宮におもむけない一般人に成り代わって仕事を受けるというものがある。困っている人を助けるのだ。さすればそれが評判を呼び、仕事がたくさん入ってくるし、新しいギルドメンバーも増える。ギルドの実績が高まればギルドランクも上がる。いいことずくめだ」
つまり、依頼を受けた方がなにかとお得、ということだろう。
それには異論はなかったし、そもそも僕は姉にこんな言葉をもらって郷里を旅立った。
「いい、クロム、困ってる人がいたら、必ず助けてあげなさい。情けは人のためならず、あなたの善行はいつか必ず自分に返ってくるから」
姉の言いつけというか、メルビル家の家訓には逆らえない。
なので僕はさっそくダンジョンに潜る準備を始めようとしたが、リルさんにとめられる。
「少年、なにをしている?」
「なにってダンジョンに潜る準備ですが」
「少年はいつでもダンジョンに潜れるようにスタンバっているのではないのか?」
「もちろん、24時間、真夜中に起こされても対応できるように、リュックサックには冒険用の道具を詰めています」
「なかなか感心な心がけだ。ならば準備など不要だろう」
「いえ、それでもランタンの点検とか、火打ち石がしけていないかとか、非常食が腐っていないか、とか、やることは無数にあります」
「それはカレンがやっておく」
というリルさん。
カレンはにこにことうなずく。
「えー? カレンがですか?」
「不服か?」
「ま、まさか……」
実は不服である、カレンの能力や手際の良さは信頼しているが、僕はこれでも男、下着などもリュックサックに詰め込まなければならない。さすがにそれを女性にやってもらうのは恥ずかしい。
「なにを言うか、下着の洗濯ならばカレンが毎日やっているだろう。今さら恥ずかしがる道理はない」
「……たしかにそうですが」
「まったく、婦女子みたいに軟弱なやつだな。これは根性を鍛え直さないといけないかもしれない」
「――と、いいますと?」
「精神力の鍛錬のため、今日から一週間、このギルドの洗濯物は少年が洗う」
「まじですか?」
「まじだ」
僕は不意にリルさんとカレンさんの身体を見てしまう。
彼女たちの身体は衣服に包まれていたが、その下にはきっと下着を着けているはず。
それを洗濯するのは、年頃の男子にはキツイ。
ご褒美と割り切ることもできないし、かといって粛々と洗濯できるほど達観もしていない。
確かに精神力を鍛えられそうだ。
僕はそれをなんとか阻止すべく、あの手この手で論説を張ったが、リルさんには通用しそうになかった。
ただし、リルさんも鬼ではない。
これから命じる命令をこなせば、その命令は撤回してくれるらしい。
その命令とは今回の依頼に関係あることだった。
リルさんは言う。
「これから少年には依頼主に直接会ってもらう、そこで依頼主が信頼できる人物か計ってきてくれ」
どうやらそれが当初からのもくろみらしい。
カレンはギルドの仕事や家事がある。
リルさんはどうやらマスターとしての仕事や昼寝に忙しいようだ。
となると残るは僕しかいない、というのが彼女の論法だった。
それに、と付け加える。
「実際、依頼主とダンジョンに潜るのは少年だ。相性というものもあるからな。もしもこの依頼主は信用ならない。あるいは気にくわなければ依頼は受けなくてもいい」
リルさんは言い切る。
さすがが神獣さまだ。このギルドの財政事情などお構いなしである。
僕は苦笑しながらカレンを見たが、彼女も似た表情をしていた。
リルさんの厚意は嬉しいが、僕としてはよほどのことがない限り依頼は受けるつもりでいた。
リルさんに美味しいご飯を食べさせるため、カレンに美味しいご飯を作ってもらうため。
それになによりも困っている依頼主を助けるため。
それが、僕が地下迷宮にもぐる動機だった。




