英雄の凱旋
結局、僕は生き残った。
全身に裂傷を負い、骨も数カ所折れたが、命に別状はなかった。
なぜ助かったのかと言えば、それは針葉樹の枝がクッションになってくれた――、ということもあるが、それ以上にニアのおかげであった。
僕が崖に落ちる瞬間、彼女は僕に魔法をかけてくれた。
《浮遊》の魔法だ。
その魔法は落下による衝撃を最小限にとどめてくれた。
もしも彼女が魔法をかけてくれていなければ、僕の首はへし折れていただろう。
エクスいわく、【自動回復小】のスキルで回復できるのは、裂傷や切り傷くらいで、それ以上の回復は望めないらしい。
だからクロムのやったことはとても馬鹿なことだったんだよ、とエクスは叱ってくれた。
自覚はあったので反論できずにいると、僕はお姫様であるニアの膝枕から逃れようとする。
いくら迷宮内とはいえ、一国の王女さまが一冒険者を膝枕するなど、よろしくないと思ったのだ。
しかし、彼女はそれを許してくれない。
「駄目ですよ、クロムさん。まだ傷が癒えていません」
「でも……」
「でもではありません。クロムさんは怪我人なのですから、怪我人は怪我人らしくしてください」
凜とした口調だった。有無を言わさない意志も感じられる。
普段はお姫様のように浮き世離れしている少女であったが、このようなとき、彼女は聖女のような気高さを見せる。
僕は黙って彼女の回復魔法を受けた。
右腕が特にしみる。木々によってずたずたに切れていたし、もしかしたら骨折もしているのかもしれない。
それを察した彼女は重点的にそこを回復してくれる。
回復魔法を受けると塗り薬を塗ったかのように痛みを覚えるが、僕はうめき声を上げない。
彼女はその姿を見て、
「クロムさんは本当に立派な方ですね。普通なら痛くて泣いています」
と言った。
「……姉が言っていました。男が泣いていいのは、財布を落としたときと母親が死んだときだけだって」
「厳しいお姉さまなのですね」
「はい、おかげで財布を落としたとき以外、泣けなくなってしまいました」
僕の母親はとっくの昔に墓の中だった。
だから僕はもう泣けない。
そのことを察してくれたのだろうか、ニアはしばし沈黙すると、
「……いつか、クロムさんのお姉さまにお会いしたいですね」
とだけ言い。以後、回復魔法に専念してくれた。
彼女の献身的な回復魔法と膝枕は、小一時間ほど続いた。
その間、やってくる他の冒険者や姫様の部下たちに冷やかされたが、それでも彼女の好意を素直に受け、その温かさと柔らかさを享受した。
僕の回復が終わると、お姫様は最後にこう言った。
「クロムさん、今回は本当にありがとうございます。このご恩はきっといつかお返しします」
恩とか借りという言葉は苦手であったが、素直にその言葉を受け取った。
僕は彼女の膝から離れる。
彼女の回復魔法は見事なもので、痛みや出血はだいぶ引いていた。
しかし、それでも傷跡は残っていたし、足も引きずっている。
一目で大けがをしたと丸わかりだし、しばらくは松葉杖が必要かもしれない。
そうなると困るな。
リルさんとカレンが怒る姿が浮かぶ。
「少年、また無理をしたな!」
「クロムさま、あれほどご自愛ください、と申し上げたのに」
そんな台詞がすぐに浮かぶ。
これはもしかしたら、さっそくニアにお願いをしなければならないかもしれない。
僕はニアの方に振り向くと、こう言った。
「あの、ニアさん、よければですが、これから僕と一緒にフェンリル・ギルドへきてもらえませんか?」
「ギルドへ? ですか?」
不思議そうな顔をするニア。
彼女には詳細を話した方がいいかもしれない。
「こんなズタボロの格好で行くと、僕が無理をして怪我をしたと怒る女性がふたりもいるんです。ただ、そこにお姫様がいてくれれば彼女たちもそんなに小言を言ってこないかな、と思って」
それを聞いたニアはくすくすと笑う。
「ドラゴンを殺した勇者様にも恐ろしいものがあるのですね」
彼女はそう言うと、こころよく了承してくれた。
「わかりました。未来の英雄の住まう館にお呼ばれしましょう」
しかし、とニアは続ける。
彼女は自分の服のスカートの裾を掴むとこう言った。
「フェンリルの館はドレスコードとかはありますか? 仮にも神獣様と面会するのです。このような冒険用の服では無礼になるのでは」
その辺は女の子らしいな、と思ったが、僕は素直な気持ちを伝えた。
「リルさんはそんなこと気にするような神獣ではありませんよ。ドレス姿もさぞ素敵でしょうが、その防具はとても似合っています」
とても綺麗です、と結ぶと、ニアは少し照れながら、とても愛らしい笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見ただけでここ数日の苦労が吹き飛んでしまった。
その後、僕はニアをフェンリルの館に招いた。
案の定、ずたぼろの僕を見て、リルさんは眉をつり上げ、カレンは心配そうな顔をしたが、なんとかニアが取り持ってくれた。
「クロムさんは英雄的な活躍をしましたが、みなさんが想像するような危ないことは一切していませんよ」
と言ってくれたおかげだろうか、リルさんの追及は避けることができた。
もっとも、それは一時的なことでただ単にカレンの作る牛すじのシチューの芳香に魅入られて戦意を喪失させてしまっただけかもしれないが。
事実、この館がシチューのよい香りに包まれると、ニアでさえ心をときめかせているようだ。
「とてもよい匂いがします」
と、顔をほころばせた。
その言葉を聞いてカレンは戸惑う。
「どうしましょう、お姫さまがやってくるとは思っていなかったので、御馳走を用意していませんでした」
困っているカレンに僕はこう言う。
「カレンさんの牛すじのシチューは迷宮都市一ですよ。丸一晩煮込んで柔らかくなっています。牛すじからはとてもいいだしが出てますし、王侯貴族とはいえ、こんな美味しいシチューを食べたことはないはずです」
ニアも味方してくれる。
「わたくしは幼き頃、王宮を離れ、家臣の家で養育されていました。そのときは義母の手伝いでよく牛すじを煮ていましたわ。それにこの迷宮にやってきてからはなんでも食べるようにしているんです」
と言うとカレンさんの料理が粗末だと言っているように聞こえるかも。
彼女は口の中でつぶやくと、余計なことは言わずに、会心の笑みでこう言った。
「おなかがぺこぺこなんです、是非、カレンさんのシチューを食させてください」
その笑顔を見たリルさんとカレンは一発で彼女のことが気に入ってしまったようだ。
リルさんはこう言う。
「少年、このお姫様と結婚して王位を継ぐときは、是非、このギルドで受けた恩を思い出してくれ」
カレンは言う。
「クロムさんは16歳、ニアさんも16歳、お似合いのカップルになるかもしれませんね」
ふたりは冗談で言ったのだろうが、それを聞いた僕たちは軽く赤面をしてしまった。
僕はそれをごまかすため、そそくさと食卓へつくと、カレンがシチューを用意してくれるのを待った。それに置かれていた蒸留酒に口を付ける。これで顔の色はごまかせるだろう。
僕とニアは少しだけ居心地の悪い気持ちでカレンのシチューを待ったが、その甲斐あってか、カレンの持ってきたシチューは最高にうまかった。
そのシチューを美味しそうに、上品そうに食しているニアは、途中、こんな耳打ちをしてきた。
「――クロムさんは嘘つきですね」
嘘つき? 僕は彼女に嘘をついたのだろうか。返答に迷っていると、彼女はこう言った。
「このシチューは迷宮都市一ではなく、王国一美味しいですよ」
なるほど、そういうことか。
王都で長年暮らしていた彼女がそう言うのならば、それが真実なのだろう。
僕は王国一美味しいシチューをスプーンですくうと、その味を噛みしめた。
その味はまさに絶品であったが、こうしてリルさんとカレン、そしてニアという少女と一緒に食す食事は、何事にも変えられない充足感があった。
人はたぶん、それを『幸せ』と呼ぶのだろう。
そんなふうに至福の時間を享受した。
この光景をはたから見ると、僕たちはまるで仲の良い家族に見えるかもしれない。
リルさんはギルドのことは組合ではなく、家族と呼ぶ。
僕たちは新しい家族と出逢えたのかもしれない。
これにて第一章完結です。ここまでお読みくださりありがとうございました。
第二章もがんばりますので、ブックマークなどをして頂けるととても嬉しいです。




