ドラゴンスレイヤー
ドラゴンを倒す作戦が決まると、僕はニアの調査団のひとりに伝令を頼む。
北から増援に向かってきてくれているパーティーに作戦変更を伝えるのだ。
その作戦を聞いたとき、伝令は顔をしかめた。
とんでもない内容だったからである。
「増援はやめて、そのまま谷の巨木を切るのですか……?」
意図がまったく理解できないようだ。
僕はそれだけじゃないよ、と彼に伝える。
「こちらの要望通りの形に切ってくれ」
と、僕は形も伝える。
それを聞いてニアは作戦の意図を完璧に理解したようだが、それでも伝令は分かっていないようだ。
しかし、分かっていなくても伝令はできる。
僕の言付けを正確に伝えてくれれば、北のパーティーに合流しているルミナスが指示通り動いてくれるはず。
今は時間が一分でも惜しい。
なのでそのまま彼を伝令に向かわせた。
彼が走り去ると、僕はニアに言った。
「どれくらいで伝令は到着できるでしょうか?」
「5分といったところでしょうか。それから木を切るのに10分と見ておいた方がいいでしょう」
「ならば15分はあいつの相手をしないといけないのか」
あらためてドラゴンを見るが、ドラゴンは凶悪な面構えで、森を蹂躙していた。
ただ、【蒼角のユニコーン】の面々は猛者揃い、ニアの部下たちも善戦していた。
「これならば15分くらい持つかも……」
そう漏らすと、ドラゴンの強力なかぎ爪が冒険者を掴む。
僕はあと二発しか撃てない剣閃を解き放った。
ドラゴンの手に命中し、ドラゴンは冒険者を落とす。
次いでこちらの方を睨み付け、大量に酸素を肺に送り込む。
その光景を見て僕は即座にトリネコの木で作られた円形盾をかまえた。
ニアの前に立ち、これからやってくるであろう灼熱のブレスに耐えるのだ。
案の定、ドラゴンはこの世のものとは思えない炎を吐いてきた。
だが、それは効かない。
なぜならばこのトリネコの木の盾には、耐火スキルが付与されているからだ。
この程度の炎ならば防ぐことができる。
僕は文字通りニアの盾になると、ニアはその間、弓の狙いを定めていた。
こちらに振り向き、炎を吐いている今ならば、ドラゴンの目を射抜けるかもしれない。
彼女はそう言うと、それを実行する。
ニアの強弓から放たれた矢は、弧を描くようにドラゴンの目に吸い込まれ、突き刺さる。
目に矢が突き刺さった瞬間、ドラゴンの炎はとまる。
もしかしてもう数十秒炎を受けていたら、この盾もさすがに焼け落ちていたかもしれない。
盾は真っ黒に焦げていた。
ただ、焦げてはいてもまだまだ使える。トリネコの木の盾は削れば新品同様になるのだ。
ドラゴンの炎を防ぐ役目を果たした盾に感謝をしながら、それを背中にくくりつける。
リルさんとカレンがくれた思いが背中に乗っているような気分になった。
ここからは白兵戦モードだ。
エクスカリバーを両手持ちに切り替える。
「いよいよ、ボクの出番だね」
エクスは張り切る。
ボクは彼女のはやる気を押し沈める。
「これからあのドラゴンに切り込むけど、あくまで僕たちはあのドラゴンを谷に押し込むだけだからね」
「分かっているよ。でも、最後にはこのボクがすぱーんと一刀両断してあげる」
それは頼もしい、と彼女に伝えると、ドラゴンのもとへ走った。
ドラゴンは近くにいるように思えたが、思いの外、離れた場所にいた。
それほどの巨体で、遠くからでも大きく見えたのだろう。
実際、近寄ってみるとその巨躯に圧倒される。
大きさはフェンリルの館くらい。
その威圧感は筆舌しがたい。
蛇に対峙したカエルの気持ちがよく分かる。
実際、中堅冒険者である蒼角のユニコーンやセイレーンの歌姫の人たちが苦戦している理由もそれであろう。
人間、このような巨躯と対峙して平静でいられるほどの胆力を備えていない。
実は僕も両足が震えていた。
それは恥ずかしいことではない、とエクスは言う。
「その震えはクロムがただの猪武者でない証拠。クロムの脳が正常な証拠だよ。それに優秀な冒険者ほど、恐怖や危険に敏感なんだ。それが冒険者の生存率を跳ね上げる」
そう慰めてくれた。
「いわばそれは武者震いだよ」
エクスの言葉に慰められた僕は、両足を叱咤する。
これが生存本能の発露だとしても、しばらくその生存本能にはお休みしていただきたい。
竜と対峙するということはそういうことであった。
人間の領域に踏みとどまっていては勝てない相手なのだ。
だから僕は人間をやめるとドラゴンの足に切り掛かった。
がきん!
太い丸太を叩いたような感触を覚えた。
両手がしびれるような感覚を味わうが、恐ろしいことにドラゴンの皮膚はほとんど傷ついていなかった。
こいつは化け物か、というありきたりな台詞は口にしない。
そんな台詞を発しなくてもこの竜は紛れもなく化けものであった。
しかし、ダメージがゼロではないようだ。
足に一撃をたたき込んだ瞬間、ドラゴンは咆哮を上げたし、それに皮膚を切り裂くことはできなくても鱗を引きはがすことはできた。
ドラゴンの右足からは血がにじみ出ていた。
「さすがは聖剣だ。ドラゴンにも通用する」
「当然でしょ、もしもボクのポテンシャルを最大限に発揮できたら、ドラゴンの足なんてすぽーんって切り落とせるはずさ」
「いつかそうなりたいものだけど、それは今後に取っておくよ。それで尋ねたいことがあるのだけど――」
火急の用なので、スリーサイズではない、と釘を刺しておく。
彼女はなんだい? と聞いてくる。
「君が放つ剣閃だけど、あと一発くらいは撃てそうなんだよね」
「たぶんね、でも、これはボクの領分ではなく、クロムの問題」
「ならば意地でも打つよ。それでなんだけど、その剣閃はあいつの翼を切り裂けるかな?」
あいつとはもちろん、目の前のドラゴンのことだ。
エクスは冷静に解説してくれる。
「ドラゴンの部位の中でも翼が一番柔らかいよ。柔軟に作ってあるし薄い。だから今の君でも切り裂けると思うけど」
でも、と続ける。
「翼にダメージを与えたところで致命傷にはならないよ。弱点じゃないからね」
「それは分かっている。でも、飛べなくはなるだろ。それが僕の狙いだ」
「クロムの狙いは分からないけど、たぶん、大丈夫だと思うよ。でも、あいつ、今の一撃で怒り狂ってるからなあ。あんなに激しく動き回られたら、剣閃も避けられるかも」
「ならば剣閃を当てるように工夫しないとな」
僕がそう言うと、後ろから声が聞こえてくる。
ニアだ。
彼女は弓をかまえるとこう言った。
「あのドラゴンの動きを一時的にでも封じればいいのですね。お任せください」
「ニア! そんなことができるの?」
「この弓は世界樹から切りだした特別な弓。それにわたくしは幼き頃から弓の鍛練を積んできました。そして弓スキルを極め、独自の技も持っています」
彼女はそう前置きすると、その技の説明を始めた。
「その技の名は【影縫い】敵の影に特殊な矢を突き刺すことにより、数秒間、敵を足止めします。その時間で足りますでしょうか?」
僕は答える。
十分です、と。
その答えを聞いたニアは微笑むと、背中の弓筒から黒い矢を取り、それをかまえる。
「ドラゴンは巨体ゆえに影も大きい。絶対に外すことはないでしょう。ただし、その力や魔力も規格外です。もしかしたら一秒ほどしか固定できないかも」
「それだけでも助かりますよ」
「分かりました。それでは固定します」
彼女はそう言うと、弓をドラゴンの影に目がけ放った。
僕は彼女が外すことなど、考えていなかったので、エクスの刀身に魔力を注ぎ込む。
剣閃を解き放つ準備に入った。
ニアの弓は予定通りドラゴンの影を突き刺すと、ドラゴンの動きを止めた。
まさしく【影縫い】の名に相応しい妙技であった。
ドラゴンの動きはぴたりととまる。
翼の位置も固定される、
僕はその一瞬の隙を見逃さなかった。
「剣閃!」
そう叫ぶと、エクスの刀身から放たれた剣のエネルギーはドラゴンの翼を切り裂く。
ずたずたにだ。
ドラゴンは咆哮を上げる。
これでドラゴンから飛行能力を奪ったわけだ。
それを確認したニアは、
「お見事です。さすがはクロムさん」
と、褒め称えてくれる。
エクスも「ごいすー」なる用語で褒め称えてくれるが、まだ終わったわけではなかった。
むしろ本番はこれからだった。
僕は影縫いから解放されたドラゴンの前に立つ。
挑発など不要であった。
ドラゴンは賢い生き物だ。人間の個体を識別し、誰が一番自分を傷つけたのか覚えている。
また殺意や憎しみという感情も持っており、狩猟本能だけで動く獣とは一線を画す生き物であった。
その特性を利用する。
僕は剣を鞘に収めると、盾をかまえながらドラゴンを挑発した。
ちょこまかと動き回り、罵倒する。
無論、人間の言葉など通用するわけがなかったが、それでもドラゴンは僕を殺したくてしかたないようだ。
エクスは言う。
「おまえのかーちゃんデベソっていうボクが言った悪口が効いたのかもね」
と。
もしかしたらそうかもしれないが、そんなことよりもドラゴンの怒りの攻撃をかわしつつ、やつを誘導しなければならない。
それに精一杯なのでエクスの軽口に付き合う余裕はなかった。
僕はじわじわと、だが確実に、ドラゴンの攻撃をかわし、盾で炎を防ぎながら、ドラゴンを誘導した。
誘導する場所は勿論、北方の谷であった。
そこにはすでにルミナスが指揮する冒険者がいて、僕の指示通り切っていた。
巨木を鋭利な刃物のような形に切り落としていた。
もしもそこに巨体が落ちれば、そのものは串刺しになるであろう見事な形であった。
そう、僕はこれからドラゴンをこの谷間に落とし、絶命させるのだ。
それが僕の考えた作戦であった。
怒り狂ったドラゴン、やつはきっと自分が飛べないことにも気がついていないはずだった。
ならばこの谷に落とせばそのままやつを串刺しにできる。
それが作戦の全容だった。
「クロムは本当にすごいね。あの一瞬で、そんな作戦を思い浮かべるなんて」
「思い浮かべはしたけど、まさかここまでうまくことを運べるとは思っていなかった」
「でも、上手くいった。さて、あとはあいつを落とすだけだね」
「…………」
その言葉を聞いた僕は沈黙する。
その姿を見てエクスは不審な声を上げる。
「どうしたの? クロム」
僕は正直に話す。
「ここまでは完璧に想定どおりだったけど、実はこの先の展望はない。谷までおびき寄せられるとは思ってたけど、どうやってやつを落とすか」
「ええー! そんなー」
エクスはそんな声を上げるが、泣きたいのは僕の方であった。
「……ただ、不可能じゃない」
僕はそう叫ぶと、エクスのつかを握りしめた。
「まさか、クロム、またボクの能力に頼る気?」
「そのまさかだよ。僕もこの崖を飛ぶ。ここから飛び降りて、やつが追ってくるのをまつ」
「クロムの馬鹿、この崖はなんメートルあると思ってるの? 下手をしたら、ううん、下手をしなくても死ぬよ」
「針葉樹がいっぱい生えているから大丈夫。枝をクッション代わりにすればあるいは」
「だめー! もしもボクを離したら絶対死ぬよ」
「じゃあ、その手を離さない。僕はずっと君を握りしめるよ」
「クロム……、分かった。君がそこまで覚悟を固めるなら、ボクも応援するよ。ボクも君の手を離さない」
彼女がそう言うと、剣のつかから暖かいものを感じた。
ボクはまだその温もりが色濃いうちに、崖に向かって飛び立った。
「いっけえええぇー!」
そう叫ぶと、何十メートルもある崖から飛び降りた。
ドラゴンは僕を食い殺そうと、牙を向けてくる。
空中で僕を食い損ねたドラゴンはそのまま崖から飛び降りる。
自身の翼がずたずたになり、二度と飛び上がれぬとも知らずに。
数瞬後――
ドラゴンはこの世のものとは思えぬ咆哮をあげる。
あれほど僕たちを苦しめたドラゴンが、巨木に突き刺さり、絶命していた。
さすがのドラゴンもあのような太い木に突き刺さってしまえば、その生命を維持することはできない。
僕はそのことを針葉樹の枝にぶつかりながら、確認した。
あとはこのまま落下速度を和らげつつ、死ななければ僕の勝ちだ。
エクスの武器スキル、
【自動回復小】
によって死だけはまぬがれる。
ただ、もしもこのまま当たり所が悪ければ、僕は二度と目覚めないだろう。
そうなれば負けなのだろうか。
――いや、負けではない。
僕は目的通り、ニアを救い出したし、ドラゴンが迷宮都市にやってくるのを防いだ。
それはなにごとにも代えがたい幸福であった。
ニアが生きていてくれることが、
リルさんが元気一杯にご飯を食べる姿を見るごとが、
カレンが楽しそうにお茶をそそいでくれることが、
街の人々の笑顔を見ることが、
僕にとってなによりもの報酬なのだ。
要はあの崖から飛び降りた瞬間、僕の勝利は確定していたのだ。
遠くなりかける意識の中、僕の耳にこんな声が聞こえる。
「この少年はこの歳でドラゴンを倒した英雄だ。この先、どのような冒険者に成長するか、想像もできない」
と――。
その他にもニアやルミナスの声を聞いたような気がするが、皆、僕のことを心配してくれているようだった。
姉の言葉を思い出す。
「あなたのことを心配してくれる人がいる限り、あなたには生き残る責任があります。責任は義務より大切なの。覚えておきなさい」
僕はその責任を果たすことができるのだろうか。
意識が途切れる瞬間、そんなことを考えた。




