リルの思い †
少年クロムの背中を見送るリル。
彼の背中が完全に見えなくなったのを確認すると、リルはカレンをともなって館に戻った。
館に戻るなり、リルは宝物庫を荒らす。
あれでもないこれでもないとものを投げては、目当てのものを探す。
あまりの喧噪にカレンは尋ねる。
「リルさま、いったい、なにをお探しなのですか?」
リルは答える。
「ここにあった儀典用の宝剣を探している」
「ああ、あれですか」
「場所を知っているのか?」
すごい勢いで食いついてくるリル。
カレンは冷静に所在を言う。
「あれならば三丁目の質屋の店頭にありますわ。先日、質屋に預けたのをお忘れですか」
「お……、そうだった」
「もうとっくに質流れになっていると思いますが、買い戻しますか」
「そんな金などない」
リルはそう切り捨てると、次の質問をした。
「じゃあ、昔、迷宮の下層で仕留めた白き牝鹿と蒼き狼の剥製があっただろう。あれは?」
「あれもとっくに処分したではありませんか。半年前、借金を返すために」
「……うっ」
と、表情を曇らせるリル。
「じゃ、じゃあ」
といリルにカレンは冷静な声で諭した。
「リルさま、おそらく、リルさまは金目のものを探しているのだと思いますが、それならばこの館にはありません。銀食器はすべて鉄のものに差し替えてしまいましたし、銀細工の燭台も売り払ってしまいました」
「うぐ、つまり、我がギルドの財政状況は……」
「真っ赤かです。火の車です。爪の先に火を灯すような生活です」
「金貨200枚くらい融通できないのか?」
「この迷宮都市の商人や銀行家、投資家が我がギルドにお金を貸すと思いますか?」
「そうだ! この館を担保にすればいい。さすれば金貨200枚くら――」
言いかけた言葉が途中でとまったのは、カレンが借金の借用書を持ってきたからだ。
そこには借金の額と、担保が記載されていた。
その担保はこの館だった。
「――というわけです。これ以上お金を借りるのは無理でしょう」
カレンは冷静に言うと、神妙な面持ちで尋ねてきた。
「リルさま、この期におよんで金貨200枚という大金をなにに使うのですか?」
「それは言えない」
と、子供みたいなことを言うリルだが、カレンが真剣な目をすると、抵抗を諦めたようだ。
リルはこの忠実なメイドを信頼しており、またその献身的な奉仕を高く評価していた。
この冒険者ギルドが曲がりなりにも続いているのは彼女のおかげだと知り尽くしていた。
そんな女性をむげにできるわけもなく、リルは観念して正直に話した。
「少年だ――」
「少年? クロムさまのことですか?」
「これから死地におもむく少年のために、盾を買ってやりたい」
「盾、でございますか?」
「ああ、ドラゴンは強力な炎のブレスを吐くからな。それを防ぐため、少年に先ほど一緒に見たトリネコの木の円形盾を買ってやりたい」
「それが金貨200枚なのですね」
「そのとおりだ」
「しかし、金貨200枚は大金です。我がギルドではとても用意できません……」
「分かっている。だから、私は最終手段に訴えるつもりだ」
「最終手段……、はっ! まさか!?」
と両手で口をおおうカレン。
「そのまさかさ、幸いと私は神獣。それもフェンリル。さらに言えば美しい女の姿をしている。私を欲しがる俗物どもは多い」
「駄目です! リルさまは汚れなき賢狼。そのリルさまが自分をおとしめる必要がございましょうか?」
「あるのだよ」
「どうしてです」
「それは少年の命を救うためだ。少年の可能性を見届けるためだ。そのためならば自分の身など惜しくない」
リルはそう断言すると、ドレスを出すように指示する。
カレンはとめたい気持ちで一杯だったが、主の思いをとめることができなかった。
彼女の決意を邪魔することはできなかった。
カレンはできるだけ手早くドレスを用意すると、ブラシで彼女の髪をとかし、貴族のような髪型に結う。化粧もするが最低限だった。神獣リルは化粧が不要なほど美しい。
ドレスアップが終わると、リルは鏡を見ながらこうつぶやいた。
「我ながら美しい。そんな我の――が金貨200枚で買えるのだ。そのものは幸せであろう」
リルはそう言い切ると、決意に満ちた目で呼び立てた馬車に乗った。
馬車に乗り込む寸前、カレンはリルには布袋を渡す。
「これは?」
「わたしの寸志です」
と言いきるカレン。そこには銀貨が数十枚入っていた。
「なにかの足しにしてくださいまし」
「しかし、これは……」
「いいのです。リルさまにばかりいい格好はさせられません」
カレンはそう言い切ると、馭者に命じ、馬車を走らせた。
カレンは馬車が見えなくなるまで彼女を見送った。
リルが乗った馬車は迷宮都市にある色町。
高級娼館がある一角に向かう。
――が、そこは素通りして、その奥にある貴族の屋敷が密集する高級住宅街に向かった。
そこにある貴族の屋敷に入ると、開口一番にこう言った。
「やあやあやあ、エルンベルク王国に名高き、獣の尻尾コレクターの変態貴族よ。私の尻尾の毛を売ってやる。だから即金で金貨を200枚用意せよ」
その言葉を聞いた貴族。
片眼鏡をかけた老貴族は目を輝かせた。
「リル様、その話は本当なのですか?」
「本当だとも」
「おまえにだけは売らない、このおいぼれめ、とあれほどおっしゃっていましたが」
「事情が変わった。どうしても金が入り用になった」
「なるほど、それくらいのことがあったのですな。よろしいでしょう。金はすぐに用意させます」
と言うと老貴族は執事に指示を出し、金を用意させる。
その間、リルはこの貴族の家のメイドから茶を受け取っていた。
老貴族と歓談をする。
「しかし、リル様、小生があれほど頭を下げても譲ってくれなかったその美しい銀毛、どうして譲ってくれる気になったのです」
「言っただろう。金のためだ」
「金のため? とても信じられませんな、フェンリルにとって尻尾の毛はなによりもの誇り、それは乙女の清らかな長髪よりも価値があると聞いております」
「我が一族でこれを売ろうと思ったのは私くらいであろうな」
「どうしてそのようなことに思い至ったのです」
老貴族はしつこく聞いてくる。
最初は黙っていようかと思ったが、仮にも目の前の老人は大事な顧客だ。
それに今のリルは誰かに話したかったのかもしれない。
そんな気持ちで老人に語りかけた。
「とある少年のためだ。その少年はFランクに甘んじている我がギルドに入ってくれた。誰よりもまっすぐな目をし、この迷宮の最深部を、いや、その先の光景を見つめていた。たった、一度出会っただけの少女を命がけで救おうと今、準備をしている。その低レベルのステータスと貧弱な装備で強大なドラゴンに挑もうとしている」
リルはそこで言葉を句切る。
「ギルド、かつてこの地に降臨した神獣が作った制度の名だ。人間たちはときおり、ギルドを組合などと略すが私はこういうようにしている。ギルドは組合ではない、家族だ、と」
「家族――ですか」
「ああ、その家族が危機に陥っているのだ。自分の尻尾の毛を売り払うくらい、どうということはない」
リルはそう言うと、執事が持ってきた羊毛刈り用の鋏で自分の尻尾の毛をばっさり切る。
先っちょだけなんていうこすい真似はしない。
毛根のすぐ上、坊主になってしまうくらいの箇所から銀毛を切り放つと、それを老貴族に渡した。
老貴族はそれを受け取ると、約束通り、金貨200枚をくれた。
それを受け取ったリルは即座に帰ろうとするが、老貴族はそれを呼びとめる。
「かつて小生にも家族がいた。嫡男のくせに冒険者に憧れて地下迷宮にもぐってばかりいた道楽息子が。小生はやつがいつか音を上げて爵位を継いでくれるだろうと一切資金援助をしなかった。だからだろうか、馬鹿息子は迷宮の第8階層で死んでしまった」
「…………」
リルはその言葉を無言で聞く。
「小生の家族は手遅れだが、リル様の家族はまだ大丈夫だろう。これは少ないが、とっておいてくれ」
と老貴族は服の袖に付けていた金細工のカフスボタンを渡してくれた。
売れば金貨50枚はくだらないだろう、ということだった。
リルはそのボタンを無言で受け取る。
あるいはこの老人が獣の尻尾の毛を集めているのは、息子を失った悲しみからきているのかもしれない。その空虚な心を埋めるため、蒐集に命を燃やしているのかもしれない。そう思ったが、今はそれを考察しているときではないだろう。
リルはただただ老貴族に感謝すると、市場近くの防具屋へ向かった。
そこで少年に渡す『トリネコの木の円形盾』を買うのだ。
丁度、店じまいのときに飛び込んだリルは金貨200枚をどんと置くが、店主はそれでは売れない、と首を横に振る。
見れば値札が書き換えられていた。
値上がりしていたのである。
リルはこれならどうだ、カレンから預かった銀貨と老貴族にもらったカフスボタンを押しつける。
商人は一目でカフスボタンの価値を見抜くと、こころよく盾を売ってくれた。
リルはそれをそのまま少年に届けるべく、獣のような速度で駆けだした。




