ウロボロスの鱗
こんなときに誰であろうか。
そう思ってカレンの後ろについて行く。
彼女はメイド服のロング・スカートをゆらしながら玄関まで行くと、玄関前にある鏡で身だしなみを整えていた。
それを見ていると、
「ふふふ、受付嬢はそのギルドの看板娘ですからね。第一印象を損ねてしまうと、このギルドの印象まで悪くしてしまうかもしれません」
とのことだった。
もしかしたら僕が初めて尋ねてきたときも、彼女はこうして鏡の前で髪型や服装の乱れがないかチェックしていたのかもしれない。
そんな感想を抱いていると、彼女はその小さな手で扉を開けた。
このギルドの扉は少々さび付いており、非力な女性が開けるのは難儀そうだった。
今度、暇なときに日常スキル【日曜大工C】を使って扉を直そうかな。
そんなことを考えていると、ギルドの大きな扉が開かれる。
そこから現れたのは奇妙な一団だった。
冒険者風の男たちである。
なにか違和感を覚える。
ここは冒険者ギルドなのだから、冒険者風の男たちがやってきても不思議はなかったが、それにしても彼らは変だった。
このギルドに入団しにきたにしては横柄であったし、それに人数が多かった。
もっともパーティー単位でギルドに入る人間もいるるらしいけど。
カレンもそう思ったのだろう。
とびきりの営業スマイルでこう言った。
「冒険者の皆様、もしかして、我が冒険者ギルドに入団をご希望でしょうか?」
その言葉を聞いて、彼らはどっと笑う。
下品な笑い声がギルドに響く。
「くははは、聞いたか、おい」
「ああ、聞いた。俺たちを入団希望者に間違えたみたいだ」
「ありえねー、栄えあるCランクギルド【ウロボロスの鱗】の俺たちが、なんでこんな零細ギルドに入らなければならない」
「ふん、馬鹿なんじゃねーの、この女」
その言葉を聞いてカチンときた僕。思わず腰にある聖剣に手をかけてしまう。
しかし、カレンはゆっくりと首を横に振ると、小声でこう言った。
「クロムさまの剣術はこんなところで使うために磨いたものなのですか? それにエクスさんが可哀想です。こんな人たちの血を浴びるのは」
彼女の冷静な声が僕を正気に戻す。
「すみません」
と小声で謝る。
「いえいえ、気になさらず」
「カレンは大人だね」
「このような仕事をしていると、このような連中とはよく出くわすのです。対処法は心得ていますわ」
「対処法?」
「ええ、この手の手合いは、花瓶の中の水をぶちまけてやるか、もしくは包丁を投げつけてやるのです」
「か、過激だ」
「冗談ですよ、それは最終手段です。てゆうか、たぶんですが、この人たちは用があってきたのでしょう。ならば用件を聞くのがギルド嬢のつとめ」
と、彼女はうやうやしく頭を下げながら言った。
すぐさま、営業モードに切り替わる。
声色を変えると、笑顔でウロボロス・ギルドの連中に話しかけた。
「うふふ、そうでしたか。立派な殿方たちでしたので、てっきり入団希望者かと思いましたわ」
「俺たちは入団希望者じゃない。このギルドのギルドマスターに用があってきた」
「リルさまにですか?」
「ああ、そうだ。取り次いでもらおうか」
「取り次ぐのはかまいませんが、ご用件はなんでしょうか?」
「用件はこの館の引き渡しの件だ。期日が迫ってるからな。ちゃんと立ち退くか確認したい」
「立ち退き!?」
その言葉を聞いた僕とカレンは同時に顔を見合わせた。
どうやらカレンはそのことを知らないらしい。
しかし、驚いた様子はない。
僕は小声でつぶやく。
「まあ、このギルドの惨状を見れば不思議じゃないよね……」
館の玄関を見回す。
閑散としており、誰もいない。
普通のギルドならば冒険者であふれているであろうクエスト受注窓口には猫が寝ていた。あくびをしている。
ここ数ヶ月使っていないのは明白であった。
それでも埃ひとつないのは、カレンの【お掃除スキルS】のおかげなのだろうけど。
そんな考察をしていると、カレンはウロボロス・ギルドの人たちを応接間に案内していた。
応接間におもむくと、すでにそこにリルさんがいた。
彼女は賢狼フェンリル、あのように大声を出せば会話など筒抜けだったのだろう。
用件も心得ているようだ。
それにカレンに不躾を働いたことも分かっているようで機嫌が悪い。
開口一番にカレンに釘を刺す。
「茶など出さなくていいからな」
カレンは無言でうなずいた。
ウロボロスの連中も茶など飲むような気分ではないのだろう。
乱暴にソファに腰掛けるとこう言った。
「さて、フェンリル様、約束通り、この館を明け渡してもらおうか」
「はて、約束とはなんぞや?」
「しらばっくれないでくださいよ。うちのマスターとした約束ですよ。この館を俺たちウロボロスの鱗に譲るという約束です」
「そんな約束したかな。まったく身に覚えがないが」
それでもしらばくれるリルさんに、ウロボロス・ギルドの男は念書を見せる。
観念したのか、リルさんは「思い出した」と手を打った。
「そういえばウロボロスのやつとそんな約束をしたな。たしかこんな内容だったはず」
王国暦270年の春までにギルドメンバーを3人以上集めなければこの館をウロボロス・ギルドに明け渡す。
そんな約束だったはず。
と、リルさんは口にする。ウロボロス・ギルドの男はうなずく。
「覚えておいでではないですか。ならば今日が期日だということも覚えておいでか」
「まだ春は終わってないぞ」
「暦の上では終わりです」
「どこにそんなことが書いてある。この世界には常夏の国もあれば、万年春の国もある。それに今年の春の精霊はお供え物を食べ過ぎてまだ精霊の国に帰っていない」
「そんな論法、裁判所で通用するとお思いか?」
「しないだろうな。だが、ギルドメンバーを3人集めたのだから、この約束は無効だな」
「ギルドメンバーを集めただって?」
男は室内を見渡す。
「たしかにこの部屋には3人いるが」
男はまず僕を見る。一番冒険者っぽい姿をしているからだ。
「頼りなさそうな小僧だが、まあ、冒険者は冒険者か」
「甘く見るでない。この少年はいつか英雄と呼ばれるようになる男ぞ」
その言葉を聞いた男たちは笑い声を漏らす。
僕は気にならなかったが、リルさんは拳を握りしめ、きっと男たちを見つめる。
「見る目のない俗人どもめ。笑っているがいい。お前たちは大樹の苗木を見て小さいと馬鹿にしているのだぞ。気がついたときにはその大樹の陰に隠れていることだろう」
リルさんがそう言っても男たちは感化されるでもなくこう言った。
「見たところあの坊主しか冒険者はいないようだが?」
「おまえの目はどこについている。目の前にいるではないか?」
「目の前? まさかこのメイドがそうだというのか?」
カレンは「ごきげんよう」と明るくおじぎする。
「受付嬢が冒険者になってはいけないなどという決まりはない」
「むむ、たしかにそうだが」
男はそれでも納得しがたいという顔をしているが、肝心のことを思い出し、尋ねる。
「まあ、あのメイドはどうでもいい。3人目は誰なのだ。この部屋に人はもういないぞ」
「たしかに『人』はいないな」
「そのものいい。まさか……」
「そのまさかだよ、3人目は私だ」
「ば、馬鹿な。あり得ない。神獣がギルドメンバーにカウントされるなど聞いたことがないぞ」
その反応を予想していたリルさんは、懐から証明書を取り出す。
男はそれを乱暴に奪うと目を通す。
「く、本当だ。本当にギルドメンバーになってやがる」
吐き捨てるように言う。
「評議会が定めたギルド入団条件に神獣は駄目とは書いていないからな。だから私はギルドマスター兼冒険者というわけだ」
指を二本立ててVサインをするリルさん。少し子供っぽい。
「くそ、無効だ。そんな手は無効だ」
「そんな論法、裁判所で通用すると思うか?」
リルさんは、にたにたとした顔で先ほど男が言った言葉を返した。
その顔を見た男は顔を真っ赤にする。
そのまま腰の剣に手をかけそうな勢いであったが、それをとめるものがいた。
いつの間にか入ってきた新たな男である。
その男が入ってきた瞬間、部屋の空気が変わった。
まるで冬の精霊がやってきたかのような肌寒さを覚えた。
この男、人間ではない。
すぐに分かった。
蛇のような目をした陰気な男。
彼がきっとウロボロス・ギルドのギルドマスターなのだろう。
そう思った。




