閑話 火竜退治後 後編
僕が迷宮都市にやってきた理由はただひとつ。
立派な冒険者となってメルビル家を復興させること。
そのことしか考えず、ダガーと旅人の服、それにわずかばかりの路銀をたずさえて村を出た。
村のみんなは祝福し、餞別までくれたけど、ひとつだけ計算違いがあった。
僕の住むリュスホール地方から迷宮都市イスガルドはメチャクチャ遠いってこと。
最初は一番近い街に着いたらそこで乗合馬車に乗ろうと思ったのだけど、そのお金さえなかった。いや、正確にはあったけど、もしもそこで馬車に乗ってしまえば迷宮都市で暮らすお金もなくなる。
田舎者の僕であるが、迷宮都市の生活費が高いことは容易に想像ができた。
なので馬車は諦め、徒歩でイスガルドを目指す。
後日、リルさんから呆れられたものだ。
「リュスホールから迷宮都市まで歩いてくるものなど、少年くらいなものだ」
と。
実際、その通りであった。
リュスホールから迷宮都市まで続く街道に徒歩のものはほとんどいない。
道中、知り合った旅人に話しかけても近隣の街に向かうものだけであった。
そんな中、僕はそのお婆さんと出逢う。
――いや、出会す、かな。
最初に出逢ったときのお婆さんの印象はあまり良いものではなかった。
彼女は街道の真ん中に座り込んでいた。
時折、馬車が通りかかるが、馬車がやってきてもどくようなことはなかった。馬車の馭者がどくように声をかけても暖簾に腕押しで、無視をするか、逆に罵倒する言葉を吐いていた。
「そこの馬車! ババを轢くつもりか? 今は骨と皮しかないが、その魂魄には怨念が宿っていぞ。もしもババを殺せば末代まで祟るぞ」
怨嗟に満ちた言葉に恐れをなしたわけではないだろうが、さすがに邪魔であるし、危ないので何人かの通行人は彼女にどくようにうながしたが、お婆さんはその通行人にも怒声を浴びせていた。
「ここは天下の往来ぞ。馬車が通ってもババが通ってもなんの問題も無いはず。ババがどく道理はない!」
そんなことを言われてしまえば、赤の他人である通行人にそれ以上のことはできず。皆、彼女を無視した。
僕も無視すればいいのだけど、そんなことはできず彼女を見守った。
姉の言葉を思い出したからだ。
「女性とお年寄りは大事にするのよ、クロム」
目の前の老婆はその双方を兼ね備えていたので見捨てるわけにはいかない。
それに彼女はどこか怪我をしているようだ。だから動けないのだろう。そう察することができた。
僕は彼女のもとにおもむくと、水と食料を渡した。無言でである。
なにか余計な言葉を添えると怒鳴られそうだと思ったのだ。
彼女は胡散臭そうに僕を見つめると、水と食料を受け取ってくれた。
そして自分の身の上を話してくれる。
「小僧、礼は言わぬぞ。頼んだ覚えはないからな」
「礼なんて不要ですよ。こっちも勝手にやっているんで」
「ふん、抜かしおる。しかし、礼はせぬが、占いくらいならばしてやろう。ババはこう見えても占い師なのだ」
「へえ、占い師なんですか」
意外だ、とは思わなかった。老婆はどこからどうみても魔術師や呪術師に見えた。その派生系である占い師であっても不思議ではない。
「しかし、ただでは占ってやれぬ。ババも商売でな」
「ならばこれではいかがですか?」
僕は隠し持っていた杖を出す。
「これは?」
「お婆さんは元々足が悪いのですよね。街道のちょっと前に折れた杖がありました。だから森に入って新しい杖を探してきました。ちょっと不格好ですが、これで街までは持つかと」
老婆は「ふんっ」と言うと杖をつき、起き上がる。
足を痛めているようなので、姉が持たせてくれた湿布薬を貼る。
老婆は黙って貼られてくれた。
湿布を貼ると彼女は明らかに顔を緩める。それくらい痛かったのだろう。
「街に着いたら医者に行ってくださいね」
「言われんでも分かっておる」
歩けるようになったのを確認した僕は立ち去ろうとするが、彼女はそれを引き留める。
「待て、小僧、どこに行く?」
「これから迷宮都市に行かないと」
「ほう、迷宮都市に行くのか。ならば占って進ぜよう。先ほどの礼だ」
彼女はそう言うと懐から水晶玉を取り出し、それに見入る。
せっかく占ってくれるのならむげにはできない、と彼女が口を開くのを待つ。
数十秒後、彼女は占いの結果を口にする。
「迷宮都市イスガルド、そこでお前さんは新たな出逢いをする。多くの出逢いだ。銀色の犬、メイド服の娘、弓を持った少女、とんがり帽子のエルフ、様々な人間と出逢う」
「銀色の犬……」
「しかし、その銀色の犬に出逢うには宝くじを買わなければならない」
「宝くじですか?」
「そうじゃ」
「だけど、僕は子供の頃からギャンブルをしていけないっていわれ育っているんです」
「宝くじはギャンブルではない。運命の出逢いを約束してくれるチケットのようなものじゃ」
「運命の出逢いのチケットですか」
「ああ、信じるもお前の自由、信じないもお前の自由じゃ」
「ちなみにその宝くじは当たるんですか」
「さてな、それはどうだか知らぬ。しかし、仮に金貨一〇〇〇枚当たったよりも実りある出逢いができよう。クジを買えばな」
老婆は断言すると最後にこう言った。
「ちなみにお主は今、付いている。極運の星の下にいる。それを証拠に右足を見よ」
言われたとおりにすると僕の右足のすぐ前に馬の糞があった。
ぎりぎりで触れていないが、あと少しで踏みそうであった。
「でも、馬糞が付いた方が運が付くんじゃ?」
僕はそう反論しようと顔を上げたが、不思議なことに顔を上げると老婆はいなくなっていた。
まるで最初からそこに存在しなかったかのように消えていた。
僕は狐につままれたような気持ちでその場をあとにし、迷宮都市に向かった。
聖剣のエクスにそのときのことを話す。
「こんなことがあって、その後、宝くじを買ったら金貨が当たってエクスを買ったんだよ」
「なるほどねえ、不思議な話だ。もしかしたらそのお婆さんは馬糞かなにかの精霊だったのかもね」
「……いやな精霊だね」
「でも、彼女のおかげで宝くじを買ったんでしょ。感謝しないと」
「そうだね、もしも彼女と出逢わなければ僕は宝くじを買っていなかった」
もしも宝くじを買っていなければ聖剣エクスカリバーと出逢うことなどなかったであろう。
そういった意味ではあの老婆に感謝しないといけないのかもしれない。
そんなふうに思っていると、エクスは最後にこんなことを言った。
「ねえ、クロム、本当は馬糞を踏んだんでしょ。そこだけ脚色しているでしょ」
にたにたと人の悪い笑顔で尋ねてくるエクス。
僕はそれをあえて無視をした。
カレンを前にしても思ったことだが、家族の間にも秘密は必要なのだ。
僕はエクスのことも大切な家族だと思っていた。