英雄の条件
フェンリルとウロボロス戦いが始まろうとしている。
二匹はいまにも相手ののど笛を食い破ろうと睨みをきかせていた。
尋常ならざる戦いが始まりそうであった。
遠目から観察しているユーフォニアはそう思った。
まず両者とも大きかった。
まるで小山のようである。
ウロボロスはまさしく大蛇といった大きさで、その長さは数十メートルはあるだろうか。人間などひとのみ、いや、巨漢のトロールですらひとのみされるだろう。
フェンリルも負けていない。
その大きさはまさしく魔狼の名に相応しい。
通常の狼の三倍はあろうか。
しかもただ大きいだけでなく、全身をおおっている銀色の体毛がまるで真銀のように輝いていた。澄んだ夜空に浮かぶ満月のような美しさを誇っていた。
両者、まさしく神獣の風格をたずさえていた。
その神獣たちの戦いは人間離れしたものであった。
まずはウロボロスの一撃が襲う。
その巨体、身体の長さを活かした一撃、しなる尻尾がまるで鞭のような速さで飛んでくる。
あの巨体があの速度で動くなど、誰が予期できよう。
フェンリルは避けきれない。
誰しもがそう思ったが、神獣フェンリルはその一撃を軽く避けると、空中でくるりと回転し、立派な前足でウロボロスの尻尾を攻撃する。
その華麗な動作は獣というよりも曲芸師のようであった。
フェンリルもまた人には予見できない動きする。
そしてその動きはウロボロスさえ上回った。
フェンリルの強力な爪がウロボロスの皮膚を切り裂く。
ウロボロスの緑色の鱗が切り裂かれ、そこから蒼い血が噴出する。
ウロボロスは苦悶の表情を浮かべた。
「やはり悪党には赤い血が流れていないらしい。まったく温度を感じさせない血の色だ」
フェンリルは口元を歪める。
ウロボロスは激高しながら口を開く。
「ならばお前の赤い血を見せてみろ!」
ウロボロスは身体をしならせ、牙を向ける。
巨大なウロボロスの牙、その口の大きさはフェンリルとてひと飲みにしそうであったが、フェンリルは華麗にかわす。
身体の大きさ、攻撃力ではウロボロスが圧倒していたが、敏捷性はフェンリルが圧倒していた。
フェンリルは余裕の笑みを浮かべながら言う
。
「巨石を砕く尾の一撃も、竜を飲み込む大口も、当たらなければどうということはない」
それは真実であったし、事実、フェンリルは華麗なフットワークでウロボロスの攻撃をかわしながら着実にダメージを与えていった。
ウロボロスの全身はフェンリルの爪で裂かれ、牙によって食いちぎられ、右目はえぐられた。巨体ゆえにどれも致命傷ではないが、このまま戦闘を継続すればどちらが勝者になるか、明らかであった。
しかし、このままで終わらない。
ウロボロスとは巨大な蛇である。古来、蛇とは狡猾でずるがしこい生き物なのだ。
まともに戦っては勝てないと悟ったウロボロスは奸計を弄す。
古典的策略に打って出たのだ。
フェンリルに攻撃が当たらない、と悟った彼は攻撃目標を魔狼から変更した。
つまりユーフォニア一行を狙ったのである。
大量の動く鎧と戦闘中の王女パーティーに繰り出される不意打ち、ウロボロスの口が青白く光ると、そこから一直線に魔力の波動が飛び出た。
その一撃は光の筋となってユーフォニア一行に直撃する。
もしもその一撃をまともに食らえばユーフォニアたちは一撃で死に絶えるだろう。なにせその光線は神獣の一撃、その魔力は神の一撃にも等しかった。
だが、ユーフォニア一行はその光線を喰らわなかった。
なぜならば神獣フェンリルが身代わりとなり、その一撃を受けてくれたからである。
光線が自分に向けられたものではないと気がついたフェンリルは、空間を歪めるような速度で光線の前に立ちはだかると、防御壁を作った。
その防御壁のよってユーフォニアたちは救われた。フェンリルも光線を完全に防ぎ、ダメージを受けなかったが、それこそがウロボロスの狙いであった。
一瞬でもいい、動きさえとめれば自分の一撃さえ当てることができれば、狼など葬りさせる。ウロボロスにはその自信があったのだろう。
事実、フェンリルの隙を突くように振り下ろされた尾の一撃は、彼女の隙をとらえ、彼女に致命的な一撃を与えた。
フェンリルは一撃で戦闘不能になったのである。
地べたに伏せ、苦悶の表情と雄叫びを上げるフェンリル。
――いや、それでも彼女は動きをやめず、攻撃をやめようとはしなかった。最後までウロボロスの首をかききろうと睨みをきかせたが、ウロボロスは彼女の闘志を完全に消し去ろうとする。
ウロボロスは這いずるようにフェンリル近寄ると、彼女に巻き付き、絞殺しようと締め上げる。めきめき、締め上がるフェンリルの身体。その圧力はすさまじく、ばき、っと骨が折れる音が遠くからでも確認できた。
その圧力は絞め殺すなどという生やさしいものではなく、くびり殺すと形容した方がいいほどに強力であった。
「くははは! この馬鹿犬め! 人間などを守るために自分の身を犠牲にしおって」
高笑いを浮かべるウロボロス。
フェンリルは苦しげな遠吠えを上げると言った。
「人間を守ってなにが悪い。人間は神々の子供だ。ならば我の兄弟も同じ!!」
「兄弟でも殺し合う。それが自然の摂理だ」
「違う! それは野獣の論理だ」
「獣風情の貴様がなにを言う。英雄にでもなるつもりか」
「たしかに私は獣だ。英雄にはなれない。しかし、英雄になれる少年ならば知っている」
「英雄になれる少年だと。あのクロムというガキか。ふふん、無駄だ。あの小僧にその器はない」
「あの少年は英雄の器だ。――いや、英雄など誰でもなれる。特別な資格などいらないのだ」
フェンリルはそこで言葉を句切ると続ける。
「英雄になるのに器などいらない。雨の中、捨てられた子猫を抱きしめ、世界は君が思っているよりも優しい、そう耳元でささやいてやればいい。それが英雄の条件だ」
フェンリルは、いや、リルは思い出す。
ある日、クロムが街角で捨てられた子猫を拾ってきた日のことを。
今にも死にそうな子猫たちを獣医に診せ、回復させたことを。
子猫すべてに里親を見つけたことを。
クロム少年はそれらのすべてを見返りなしに行なった。なんの得もないどころか、貧しい自分の財産を切り崩して子猫たちを助けた。
英雄とは称号ではない。
英雄とは尊称ではないのだ。
リルは英雄とは行動だと思っていた。自分よりも弱きものを助ける生き様だと思っていた。
だからリルはクロムを高く評価しているのだ。
クロムという少年はどのような窮地にあっても、どのような逆境に遭っても、自分ではない他の誰かのために一二〇パーセントの力を出すことができるのだ。
リルはそう主張したかったが、それはできなかった。
ウロボロスの冷血漢には届かない言葉であったし、物理的にも発することはできなかった。
ウロボロスの締め付けはいよいよ厳しくなってきた。
このままではリルは意識を失い、死に逝くことだろう。
しかし、リルは最後まで意識を保っていたかった。なぜならばリルが見込んだ英雄の姿をこの目に焼き付けたかったからだ。
彼の活躍を最後まで見ていたかったからだ。
見ればそこに少年がいた。
クロム・メルビルが剣をかまえていた。
クロム少年は全身で息をしながらこう叫んだ。
「ウロボロス! そこまでだ! いますぐリルさんを離せ! 今ならば命までは取らない!!」
少年らしい慈愛に満ちた言葉であったが、その表情は凜々しく、その声は気高かった。




