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ここはあたいたちに任せな!

 脱兎の如く、(ましら)の如く、迷宮を走り抜ける。

 僕たちに休憩は許されない。

 立ち止まることは許されなかった。

 最小限の食料と水だけを補給し、迷宮を駆け下りていった。

 余分な荷物などなにひとつ持ち込まない。

 各自最低限の武器と食料だけを持ち込み、極限まで軽量化に徹する。

 帰りのことなど考えない。


 もしも第一〇階層に到達し、無事、ニアを救い出しても飢え死にしてしまうかもしれない。


 それくらいの覚悟でいた。

 僕たちは歩きながら食事を取る。

 立ち止まることなく、水分を補給する。

 聖剣のエクスが茶化してくる。


「もしもおしっこがしたくなったらどうするの?」


「その場で漏らす」


 即答する。


「え? まじで!?」


 そんなの物語のヒーローじゃないよ、とエクスは訳の分からない抗議をする。


「冗談だよ。でも、それくらいの覚悟はある。もしも用を足すために立ち止まり、そのロスタイムで間に合わなかったとしたら、僕は、いや、僕たちは一生後悔すると思うんだ」


「……それくらいの覚悟を持っているということだね」


「今は一秒でも時間が惜しいからね」


 もしかしたら、今、ニアたちはウロボロスの手のものに襲われているかもしれない。


 悪漢どもに剣を突き立てられる瞬間かもしれない。


 それを阻止できるのであれば、小便を撒き散らしながら走ることなどなんでもなかった。


 彼女を救い出せない方が何百倍も格好悪いことだった。


「そのいきやよし、クロムはもうただの冒険者じゃないよ。小さな英雄だ!」


 聖剣がそう褒めてくれた瞬間、目の前の地面がぱっくりと割れる。

 どうやらまたモンスターの襲撃のようだ。


 第一階層の魔物は軽く一掃できたが、ここはすでに第五階層。それに普通の道よりも強力なモンスターが現れる狼の道。


 そろそろ手強くなってくる階層でもあった。

 それを察したミリシャが提案してくる。


「あたいたちの目的は姫様を救うこと。それにはクロムたちを無傷で、消耗させることなく

迅速に第一〇階層に送らなければならない」


 それを聞いたジュカはこくりとうなずく。


「となればやることは決まっているな」


 ジュカは腰から蒼い短剣と紅い短剣を抜く。


「ここは俺が引き受ける! お前たちは先に行くんだ!」


 そう言うとジュカは地面から湧き出てきた巨大な地虫、地震蟲(アースクエイク・ワーム)に斬りかかる。


 鋭い短剣によって切り裂かれた地虫の皮膚から、緑色の鮮血が飛び散る。


 アースクエイク・ワームは本来、もっと深い階層にいるモンスターであるが、この狼の道には普通の冒険者の常識は通用しないらしい。


 このモンスターの戦闘力は最低でも2000、それが同時に数匹も現れてしまっては並の冒険者ならば刃が立たない。それをひとりで退治するなど、正気の沙汰ではない。


「ジュカさん! さすがにひとりでは無理です。せめてセリシュさんかミリシャさんと一緒に!」


 いや、やはり僕も戦います、とエクスカリバーに手をやる。


「それは断る。このジュカがたかが地虫を倒すのに女の手を借りたとあっては世の中に示しが付かない」


 それは僕たちに気を遣わせないための冗談であることはすぐに察することができたが、だからといって笑うことはできなかった。


 僕はそれでも止めようとするが、ミリシャさんが僕の肩に手を置く。


「剣をしまいな、クロム」


「ですが、ミリシャさん」


「男が命を懸けて行動しているのに、それをむげにするのは男を下げるよ」


「…………」


「いや、男だけじゃない。女も同じだ。これからあたいたちはジュカのようにモンスターを足止めする。あんたたちはその隙に第一〇階層を目指すんだ」


「しかし――」


「しかしもかかしもないよ。今、論議をしている時間がないというのはクロムが一番知っているだろう。もしもこれ以上、議論するというのならば今、この場であんたの足を砕き、ここに置いていくよ。その方がまだ役に立つ」


 ミリシャの顔に冗談の成分はない。これ以上、無駄な議論をすれば彼女はその槌で本当に僕の足を砕くだろう。


 それを察したリルさんは僕に言う。


「どうやら我々の負けのようだな。ここで彼らの気持ちに報いたいと思うのであれば第一〇階層で結果を残すしかない。それすなわち、お姫様を無事助け、ウロボロスを捕縛ないし倒すことだ」


「…………」


 僕はじっと彼女の言葉を噛みしめる。


 次いで舞うようにアースクエイク・ワームと戦っているジュカの背中を見た。

 頼りがいのある背中であった。


 火竜と戦ったときも彼は臆することがなかった。

 悪魔と戦ったときも彼は勇敢だった。


 そしてたったひとりで大地虫の群れと戦っているこの瞬間でさえ、彼の背中は自信と勇気に満ちあふれていた。


 この上はもはや議論は不要であった。


 僕はジュカの背中に、

「幸運を……」

 と言い残すと、この場を彼に任せ、走り出した。


 ジュカは最後にニヒルに口元を歪めると、僕の背中に親指を突き立てた。



 こうして僕たちパーティーは六人から五人になった。

 寂しさは感じない。一時的なことだからだ。


 数日後、僕らはフェンリルの館で笑いながらカレンの料理を一緒に食べる予定であった。


 だからそのパーティーが五人から四人になったときも落ち込みはしなかった。

 しかし仲間をひとり置いていくというのは早々慣れるものではなかった。

 第七階層で出会ったのは、グリフォンの子供であった。

 子供といってもその大きさは牛よりも遙かに大きく、狼よりもどう猛であった。

 僕たちの腹を切り裂いて内蔵を喰らおうと必死だ。

 僕たちはそのくちばしの一撃を避けながら、後事をセリシュに任せた。

 セリシュはにこりと地母神のように微笑むと、己の棒に神聖魔法を付与する。


 彼女は回復術士であるが、元々はどこかの神殿で巫女をしていたらしい。わけあって冒険者をしているらしいが、元巫女だけあり、その神聖魔法の力は強大であった。


 高位の神官しか使いこなすことのできない聖なる一撃を放っている。


 彼女の棍棒が地面を叩くと、そこに大きな穴がうがたれる。もしもそれを喰らえばグリフォンとてひとたまりもないだろう。それを察したグリフォンは標的を僕らからセリシュに移す。


 彼女は琥珀色の瞳でグリフォンを睨み付けていた。

 僕は彼女にも幸運を祈ると、さらに深い階層へと潜っていった。



 こうして僕たちは第九階層に到達した。


 余談ではあるが、僕が到達した階層は第九階層までとなる。ここからは未知の領域であった。もっともこの狼の道は今まで一度も足を踏み入れていないから、第一階層から驚きの連続であったが。


 そんなことを思いながら僕はミリシャを見つめた。

 癖のある赤毛が忙しなく揺れていた。


「クロムのえっち!」


 とはミリシャの言葉ではなく、エクスの言葉だった。

 事実無根なので抗議しておく。


「でも、ミリシャのこと、じろじろみてたじゃん。胸とか、胸とか、胸とか」


「もうちょっと上の方を見てたよ」


「じゃあ、うなじ? 首もと」


「さらに上だよ」


 僕が見ていたのは彼女の横顔、正確には目だった。


 このままなにごともなく第一〇階層に着けばなんの問題もないが、そうは上手くいかないだろう。おそらくだが、そろそろ強敵と遭遇するはず。


 そのとき、僕は彼女をひとり残していく勇気が持てるだろうか。それが心配であった。


 僕の心の中をのぞき込んできたかのようにミリシャは口を開く。


「年下にこんなに心配されるなんて、あたいも焼きが回ったもんだね」


 ミリシャは自嘲気味に言った。


「たしかにあたいはただの鍛冶屋だが、第一階層での活躍を見ただろう。戦士としてもなかなかのものなんだよ。……ま、半分はこの【アグニの槌】のおかげなんだけど」


「たしかにそれはすごい武器ですよね」


「死んだ親父が残してくれたものさ。我が家に代々受け継がれる伝説の武器でね。来歴は今度話すが、ま、これがある限り負けないよ」


 ちょっとそこの辻にある売店に行ってくるよ、的な口調で言い切る彼女。するとそれと同時に目の前に大きな人型の魔物が現れた。


 トロールである。

 その魔物もまた大きな槌を持っていた。


「ほう、ハンマー対ハンマーか。これは楽しみだ。馬鹿力王決定戦だね」


 彼女はそう言うと僕の方をちらりと見た。


「なにを今生の別れみたいな顔をしているんだい。あたいがあんなやつに負けるとでも?」


「まさか」


「なら笑って送り出しておくれ、それがいい男のすることだよ」


 僕は口を真一文字に結んだ。


「そうだ。その顔だ。いつかまたその顔をしなければいけないときがくるかもしれないが、そのときはもっといい男になってな――、そうしたらあたいは――」


 ミリシャはそう言い残すとハンマーを大上段に振り上げながら、それを思い切りトロールに叩きつけた。トロールもそれを槌で受けると火花が舞った。


 それを合図とし、僕たちはトロールの横を駆け抜けた。

 しばし、ハンマー同士がぶち当たる音が聞こえる。

 それが完全に聞こえなくなったのは第一〇階層へ続く階段を降りたときだった。

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