フェンリルギルド解散
伯爵の勧めに従い着席する僕ら。
伯の書斎のソファーは今まで座ったことがないほどに良い座り心地だった。
フェンリルの館の安物のソファーとは造りが違う。
とカチュアは漏らす。
僕にだけ耳打ちするが、地獄耳のリルさんが聞き漏らすはずはない。
しかし、彼女はじろり、とカチュアを睨んだだけで、それ以上、なにも言わなかった。
今が火急の事態であると理解しているのだろう。
エルトリア伯爵もまったく表情を崩さない。
この執務室に包まれた重い空気を感じ取ったカチュアは以後、軽口をたたこうとはしなかった。
全員が謹厳実直モードに入り、それぞれの前に紅茶が置かれると会話が始まった。誰一人紅茶に口を付けることはなかった。
リルさんが口火を開く。
「先ほど、我々が盗賊ギルドとウロボロスの手下から手に入れた情報を繰り返す。ウロボロス・ギルドの連中がお姫様を暗殺しようとしている」
「その知らせは先ほど神獣殿から聞いたが、誠であるか?」
「虚報である可能性は少ない」
「ふむ」
と伯爵は自分の見事な髭を撫でまわす。
「いまだに信じられないか? 伯爵は」
リルさんが問う。
「…………」
伯爵は無言になる。
「たかがDランクのギルド、それもなんの縁もゆかりもない我らを信じられないのは分かる。しかし、今はお姫様の危機なのだ。信じて助力してほしい」
リルさんが説得するが、それでも伯爵は口を開かなかった。
「…………」
このままでは埒が明かない、そう思い僕が席を立とうとしたとき、伯爵は重い口を開く。
「うぬらを信じられないわけではない。ただ、ワシとしてはこの諍いに参加してもいいか、迷っている」
「伯爵、失礼ながら申し上げます。あなたはニアの最大の理解者にして後援者ではないのですか? ニアはあなたのことを実の父のように慕っているといっていました。だのにあなたはニアを見捨てるというのですか?」
思わず身を乗り出して叫んでしまうが、横に控えていた執事が怒色を見せる。
「無礼な! 小僧! ファルナック様とて王女を実の娘のように思っておるわ! だからこそ動けないのだ!」
あまりの殺気に思わずひるんでしまう。
執事服を身に着けた初老の男であったが、その胆力はまるで神獣並みであった。サティロスさんと同じくらいの威圧感を持っている。
怯みそうになるが、勇気を振り絞る。
「では、ニアをお助けください。伯爵ならばできるはずです」
「……そうしたい。いや、そうすべきだろう。だが、そうすればこの国はふたつに割れる。国王派と王弟派にな」
「どういうことですか?」
「今回の事件、裏で糸を持いてるのはウロボロスだけではないということだろう」
リルさんは断言口調で言う。
「つまり?」
「ウロボロスはただの実行部隊さ。その後ろにいるのはこの国を牛耳ろうとしている現国王の弟とその一味ということであろう。だからこの国の大貴族である伯爵でも容易に動けないというわけさ」
「…………」
伯爵は沈黙をもって答える。
「なぜならば神獣は人間界に干渉してはいけない、という不文律がある。――が、逆に人間も神獣に干渉してはならないという不文律もある。それが破られたとき、人間と神獣の争いが始まるだろう」
「まさか、そんなことが」
「それがウロボロスの狙いだよ。おそらく、やつは自分に手を出すように手ぐすねを引いて待ち構えている。伯が私兵を率いて立ち上がった瞬間、それを持って挑戦とみなし、自分の意に沿う神獣たちを決起させ、この迷宮都市を乗っ取る算段だ」
リルさんはそこでやっと紅茶に口を付ける。
ごくり、という音が響き渡る。さすがの彼女も喉が乾ききっていたようだ。
「そんなことが可能なのでしょうか」
「さてね、少なくともウロボロスのやつは可能だと思っているようだが」
伯爵は補足する。
「実際、可能であろう。我が王の敵である王弟殿下はこの迷宮都市に陰謀という名の菌糸を張り巡らせている。何十年という時間と莫大な費用をかけてな。この迷宮都市はそれくらいの影響力があるのだ」
「この迷宮都市は諸外国との貿易の窓口になっている。ここを押さえた派閥こそが次期国王となるだろう」
リルさんは断言する。
「この国の王は長いことを病に伏せている。いつ、崩御するか分からない。王には何人もの子がいるが、王弟ランゴバルドは王が死ねばその子らから王位を簒奪すること必定であろうな」
だろう、伯爵、と同意を求めるが、伯爵は眉ひとつ動かさず、目を閉じているだけだった。
しばし沈黙するとそれを肯定するかのように口を開く。
「……その通りだ。王弟殿下の勢いは飛ぶ鳥を落とす勢い、ここでウロボロス討伐の兵をあげれば王弟殿下の思うつぼであろう。金に釣られた神獣たちが反旗をひるがえし、ワシらはこの迷宮都市から追い出される。さすればワシの宮廷内での力はゼロになる」
「ゼロになったらどうなるのですか」
「そのときこそ、我がエルトリア家はお取り潰しとなるだろうな」
「そして王女を守護した貴族もいなくなり、王女の立場も。いえ、身命も危うくなりましょう」
伯爵の忠実な執事が補足すると、この場を沈黙が支配する。
誰一人、発言をしようとするものはいなかった。
僕たちの行動次第でニアどころかこの国の命運も決まるなどといわれて口を開く胆力があるものなどいない。
僕を除いては、だけど。
僕は主張する。
「ならばこの一件、伯爵は関わらないでください」
「…………」
「伯爵だけではありません。リルさんもです。それにカチュアも」
「…………」
三人はそれぞれの視線で僕を見つめる。
「ウロボロスとランゴバルドというやつの目的がこの迷宮都市を混乱させて神獣と人間を争わせることにあるというのならば、その手に乗る必要はないでしょう」
「でも、クロム、クロムだって神獣ギルドのメンバーじゃ……」
カチュアが心配そうに言う。
僕は懐に入れておいたものを取り出す。
「それは?」
「辞表です」
「そんなのをいつも入れているの?」
「姉さんの言いつけだよ。ここぞというときに辞表を上司に叩きつけられるように財布に忍ばせておけって」
「クロムのお姉さんはすごいね」
「もっともリルさんはいい人だから、そんな機会、一生ないと思ってたけど」
でも、と僕は続ける。
「まさか役に立つとは思わなかった。これをリルさんに渡せば僕はもう神獣ギルドの人間じゃない。一介の冒険者だ。一介の冒険者がウロボロスに挑んだところでそれはただの私闘です」
「たしかに少年の理屈は合っている。だが、少年ごときの腕前でウロボロスを斬れるわけがなかろう」
「あれ、僕はやがて大英雄になるんじゃないんですか」
「いつかはな。だが、今はそのときではない。今、ウロボロスに挑めば少年に待っているのは死のみだ」
「なるほど、ならばこれも渡しておきましょうか」
と、僕は財布に入っていたもうひとつの便せんを渡す。
「これは?」
中身を見ずにリルさんは尋ねてくる。
「姉さんは言っていました。男は常に辞表と遺言をしたためておきなさい、って。僕はその言いつけを常に守っています」
「つまりこれは遺書か」
「もとより、低レベル冒険者の僕が神獣に挑むんです。生きて帰ってくるつもりなどありませんよ」
「……なるほどな、少年らしい」
リルさんはそう言うと口元を緩めた。
その隙間から笑い声が漏れはじめ、やがてその笑い声が室内にこだまする。
「はっはっは!」
愉快痛快とばかりに腰に手を当て、笑い始めるリルさん、伯爵とカチュアは不審な目を向ける。
「おいおい、そんな目で見る出ない。私は狂ったわけではないぞ。ただ、己のアホさ加減に呆れただけだ」
リルさんは声高に続ける。
「神獣だの魔狼だの、人間たちにおだてられて数百年。私はその間、すっかり俗世のつまらない常識にがんじがらめにされていたのかもしれない」
「リルさん……」
「言うでない。少年。少年は意地でも一人で戦おうというのだろう。ならば私は意地でも少年の味方をする。神獣たちがふたつに分かれて戦う? 迷宮都市が大混乱に陥る? それがどうした。お姫様と少年ひとり救うことのできない神獣になんの価値がある。そんな腑抜けは犬にでも食わせてしまえ」
私は宣言する、と彼女は叫ぶ。
「今、この瞬間より、フェンリル・ギルドは解散する。私はただ一匹の獣として、少年と共にウロボロスを倒す!」
その言葉を聞いた伯爵とカチュアは唖然とした表情でリルさんを見つめていた。
僕もである。
しかし僕はそれでもリルさんをとめようだなんて思わなかった。
いや、この狼をとめることなど、誰にもできない。
そう思った




