はなむけの意思
まだ目のみえない幼子が母の乳を求めるように、少年は庇護者を探していた。いない。もういない。理解しているというのに探し続ける。
書斎をのぞいてみた。いつもの様に本を静かに読んでいる。こちらに気付くと暖かく微笑んだ。急ぎ足で近づくと、蜃気楼のように消えていく。
台所、庭、いつもの散歩道。すべてに現れ、消え去っていく影。思い出の逃げ水は、慰めにもならず少年に暗い感情を流し込むだけだった。
書斎の棚から到底理解できない本を、ぱらぱらと眺める。少年はあきらめて本をしまった。あたりを見渡してみる。折りたたんだ古いメモの様なものが、ふと、目に入った。
随分、日に焼けていた。紙の具合から見て、相当古いものなのだろう。好奇心に駆られ、開いてみる。ぱらぱらと変色した紙くずが落ちていく。
ざっと目を通したとき、少年の目は明るく輝いていた。
会える。少年はそれを思い、黄ばんだ紙に書かれていることを実行すべく、駆けだしていった。
それによって起こる悲劇を予想などしてもいなかったから。
玄関を開けると、眩しすぎる白が少年を飲み込んだ。
▽
火の精でも消え入りそうな、太陽が輝く。湿った風は粘着力でもあるかのように、熱を帯びて肌にまとわりつく。そんな中でも人の営みは変わらないらしく、子供達の歓声が遠く聞こえる。
「いい加減起きなさい。オズ、オズボーン」
花の香りを連想させる可愛いらしい声だった。とはいえ、耳元で叫ばれたら匂いがきつすぎる。
「まだ、昼だろ。勘弁してくれ」
簡素だがしっかりとしたふわふわの寝台。その上に黒い固まりがごろごろと転がっている。普段、安宿の固いベッドで寝ているオズにとってはこんな贅沢はなかった。せめて夕方まではこうしていたい。今回の依頼は、どうせ夕方からが勝負なのだから。
「まったくお姉さん悲しいわ、この六年間、ずぅぅぅっとあんたの面倒見てやったのに一度も自分で起きた試しないじゃない、まったく。そんなんだから、この年になっても恋の一つもできないのよ。だいたい」
「だあ、わかった。起きるから」
何がお姉さんだよ、レベッカの方が五歳も年下じゃないか。文句を喉の奥にしまい、オズは立ち上がる。目の前にはトンボのような薄い羽を忙しなく動かす、手乗りサイズの少女がふんぞり返っていた。こいつ、叩き落としてやろうか。
実行に移せなかった。微風のやさしさで笑い、おはよう。これでは手が出せない。オズは頭をかきながら、おはようと仕方なしに答えた。
六年前の事件でこの羽妖精に出会って以来、いつもこんな調子だった。あの顔は卑怯だと、内心、常々ぼやいているオズであった。
羽妖精の少女はそんな心中にお構いなしに、ベッドへゆっくり降下する。
「ま、確かに、こんないいベッド久しぶりよねぇ、何年ぶりかしら。しかも、こんな館に泊れるなんて。田舎の方とはいえ、ひさびさの贅沢よ」
「ああ、今回の依頼人それなりに金持ちだから」
雇い主の家の寝台がよほどよかったのか、名残惜しげに答えた。寝起きの細い目で窓を見る。日をあびて、顔が骨のように白く光る。髪は闇のような黒で陽光を吸い尽くす。
オズ達はある目的の旅の途中、宵の口にこの街に立ち寄った。しかし着いて早々、切羽詰まった依頼人に頼まれ、九日間眠り続けている少年を起こす、という依頼を受けた。
少年の診断や防御円の製作など、なんだかんだで言って床に就いたのは夜半過ぎであった。
寝てたかった。心底、そう思った。
「んー、そうね。それはそうとはやく着替えてらっしゃい。その依頼があるんだから。結局、あの子、寝っぱなしじゃない。
え、着替え? 覗いたって、おもしろくないわよ。いいから、ちゃちゃとやっちゃいなさい」
手をひらひらさせながらまくし立てるレベッカに、適当に答えて衣装棚を開ける。
こういった時は恥じらうべきじゃないか。考えがよぎった。そう、おれの姉さんなら。いや、死んだ昔の姉さんと比較するのはやめよう。後ろめたい気持ちで今の姉、レベッカに目を向ける。
寝台のバネで跳びまわって、のんきに遊ぶレベッカになんとなくほっとする。跳びはねる勢いが強すぎたのか。頭から敷布に突っ込んいる。幸せそうに声を漏らす。
「この依頼受けて正解だわ」
そんなことはない。苦い笑いと共に黒衣の男は呟いた。
目をゆっくりと開く。双眼は陽光降り注ぐ中でも赤く不気味に輝いている。
「昨日、様子を見た限りでは酷かった」
取り出したのは左胸に徽章の付いたローブ。どちらもルブアルカンの砂漠にある呪術師組合の物だった。
「そう? 見た感じ弱った様子はなかったけど。顔色も悪くなかったし。楽な仕事じゃない」
あくまで気楽そうに、答える羽妖精。
オズボーンは衣装棚の奥から短剣と焦げた木片、古びた軍旗の端切れ、そして粉袋を机の上に並べながら答える。
「それが厄介なんだよ」
着替えようと引っ張り上げたローブを白い手が強く握りしめた。フードが舌のようにだらりと垂れた。
その色は生者を拒む闇の色。髑髏をかたどった徽章は忌みごとの象徴、死霊を使役し、力でもって死者を葬る者の証。畏敬と侮蔑を込めて、呼ばれる魔術師。
「魂がなくなっていたんだ」
人は彼の者を、死霊使いと呼んだ。
▽
きぃ、という音を立てて扉が開いた。影が入り込む。浮かび上がった黒の人形。昨日雇った死霊使いだ。
一礼すると、寝台に横たわる少年をじっと見た。
柔らかい茶色の髪、顔も若々しい生気を保っている。だが、決して目覚めることはなかった。
「弟は、アルは助かるのでしょうか」
依頼人の男性、カイルがかすかなおびえを宿した目で、死霊使いを凝視した。少年と似た自分の顔が赤い眼に写る。死霊使いは、想像と反して意外と丁寧に答えた。
「善処はしますがなにぶん、こういった例はあまりにも少ないので」
「どんな状態なんですか」
カイルは溜まり込んだ疑問をぶつけた。街医者に頼んでもまったく健康のまま眠っているだ、と言われただけだった。
そして街にはもう魔導師はいない。この薄気味悪い男を頼るしかなかった。
「魂が遊離しています。原因は断定は出来ませんが、心労に近い物でしょう」
魂が遊離することは比較的よくある。しかし、大抵の場合、それは一時的なものである。しか、長期の遊離は、本人の体質や呪い、霊からの干渉、心労などに寄るものが多く死に至ることもある。
アルは倒れた期間から見れば、今日が埋葬日だ。すでに魂にとって致命的ともいえる症状がおきて、死んでいるのが普通だといっていい。
しかし、少年の体にはこれといった変化もなく、肌の色も健康そのものだ。体力がある云々ではない。衰弱を何かがとどめている。その何かが原因なのだろう。
医者のような口調で死霊使いは予想を話してくれた。
「何か、原因に心当たりはありませんか。以前に似たような症状があったり、この家の敵対者がいたり、心に異常な負担がかかるようなことがありませんでしか」
こちらを見る目は鋭く、にらまれるような感覚をカイルは覚えた。やはり魔導師という人種と自分は相容れないのだろうか。
「少々、時間が足っていますが、父の死ですかね」
カイルは一ヶ月前の苦い思い出を引き出した。
「そういうことは早く言ってください」
僅かに怒気をはらんだ声が唸る。見せたその感情に、この死霊使いが初めて人間であることを意識した。
「いつ頃ですかね、その方が亡くなったのは」
苛立ちを含んだ声が吐き出される。
「厳密には分かりませんが、一ヶ月前です」
「死には立ち会いましたか」
「いえ、その頃、私はギヌアで遊学していましたので」
父とは、母が死んで以来、反りが合わず、お互い避けていた。アルとは物心つく前の付き合いだけで、家族というほどではなかった。カイルは悔しさに顔を歪める。今更ながら親の死に目に会えなかったことを後悔した。
「一ヶ月前ですか」
死霊使いは腰に着けた短剣の柄をいじくりながら、呟いた。考える時の癖なのだろうか。昨日も依頼を受けるときにこの仕草をしていた。
親しい人が死んだ直後、心労、および心的衝撃につけいられ霊に引きずり込まれるケースはままある。しかし、一ヶ月という空きはあまりにも不自然だ。例え、その父がたった独りの家族だったとしても。
そう付け加え、死霊使いは続ける。
「この家に魔術に関わるようなものはありませんか」
しばらく考えた後、カイルが口を開く。
「祖父が魔導師でした。しかし、ほとんどの物は、死を予期した祖父が全て処分したはずです」
カイルの目は懐かしいものを見ていた。
「父も私も祖父の教育を受けました」
茶色い髪が表情を隠した。
「魔導の才に恵まれず、理論のひとつ、魔導も覚えていません。遺産として残すのは危険だと。祖父はアルが生まれる三日前、亡くなりました」
「分かりました。ありがとうございます」
自分の力の至らなさに落胆するカイルを慰めるように死霊使いは小さく言った。
「では、私は今夜の対策をしましょう。防御円はもう持たないでしょうから」
「まだなにか、あるんですか」
眉を少し上げて、困惑しような声を上げる。
「来るんですよ。今日は十日目ですから」
赤い眼が凶星の輝きを放った。
「今夜、日が変わる頃、埋葬日を過ぎたアル君の身体を狙って、亡霊が来るんです」
カイルは眉をひそめた。
「え、それは昨夜、対策したんじゃないですか。防御円張ると言ってたじゃないですか」
「ええ。それは雑霊用の牽制です。埋葬日を過ぎると肉体は放棄されたと見なされて、強い悪霊、身体乗っ取るようなものが寄ってきます」
苦々しいがものを吐き出すように死霊使いは矢継ぎ早に答える。
「こういったものには、もっと能動的な対策が必要なんです」
能動的? 疑問をぶつける前に死霊使いは入ってきた時と同じように、一礼し、少年の寝室から去っていく。黒いローブは夜を背負っているようだった。
▽
天も地もない闇。ただ青白い光が地平線で輝いているだけだ。そんな方角も分からない中に浮かぶ、一対の凶星。紅の瞬きを放つオズの眼光は、一点に向けられている。
浮かんでいるのは、闇をも喰らう昏い炎。無数の陰火。禍々しい輝きが映し出すのは、やつれた人影ども。
陰火によって浮かび上がった邪気を纏った霊魂は、ひとつひとつ違った形をしている。顔を潰され死んだ戦士、ぼろを纏った青白い顔の餓鬼、歪んだ牙を生やした女、それらを浮かび上がらせる陰火ですらも生きるものを憎む亡霊そのものであった。
そういった数多の悪霊が壁のごとく並び、無数の目でオズボーンを睨むが、怯んだ様子もなく死霊使いは睨み返す。
夜の静寂にしても、あまりにも音のない時が刻まれる。
青白い光が明滅するだけの時間だった。
しかし、それは地面蹴る音ともに終わった。
頃合いを見計らっていたのだろう。そこから突出したのは戦士だ。その潰れた顔のへこんだ目蓋から白い目をむき出して、剣を抜き、嘔吐のようなかけ声と共に襲いかかる。
だが、オズよりも一呼吸遅かった。骨を連想させる白い手が焦げた木片を取り出し、死霊使いは皮肉げに笑った。
「生憎、間に合ってるんだ。亡霊は腐るほど」
オズは思い出す。己の記憶ではなく木片の記憶を。
それは塔のある都の窓枠だった。街はすべて木造でその日が乾いた西風が強く吹いていた。そして起こった火事、燃えたのは西にあるこの街の象徴、塔だった。
炎は都市全体に飛び火し、舐め尽くしていく。逃げ遅れた人々は恐怖に顔を引きつらせ、炎に崩れていく家屋を縫って走る。
時に煙に巻かれ、時に焼き尽くされ死んでいく。母と子、恋人達、老夫婦、兄弟、時に助け合い、時に見捨てて走り抜ける姿が見えた。
焼け残った木片に染みついた悲しみ、怒り、憎しみ。魂を浸食する思い出の感情、歯を食いしばりを自分を制御する。制御した思いを媒介に、魔力を共振させていく。そして、オズボーンは呪を紡ぐ。
「死よ、死よ、踊れ。無念によって力をなせ」
木片が再燃した。否、焦げた部分から炎だけが吹き出しているのだ、死霊使いも木片も、大気ですらも燃やさずに。禍々しさよりは恐怖を誘う炎、模造された血液の赤。少しずつ立ち上る緋の塔には窓代わりなのか、泥細工のような顔が張り付いている。その喉から響く悲鳴は、死してなお自らを焼き続ける狂気、生きている者への怨嗟、流せぬ涙の流れ。
戦士は動きを止めた。何千とも言える狂気の前に怖じ気づいたのか。それともただ戸惑っただけなのか。
「焼け爛れる死者の影よ、炎の苦痛を分け与えろ」
塔は弾けて飛散した、闇を炎で舐めつくす。
戦士が、炎に撒かれて灰も残さず消えていった。餓鬼は炎を喰らおうと口を開けるが、その口から蝋のように溶けていく。牙の女が硝子を擦った様な甲高い絶叫をあげる。滅びへの愉悦と悲しみに笑う陰火の声が高らかに響き渡る。
一面の赤。理由ですら忘れた怒りが荒れ狂い、さらなる憤怒と狂笑が声を覆い尽ってゆく。
亡霊達の戦いが産む思念。発狂のための背景音楽。
静かな闇に戻った時には、ただ一対の赤がぼうっと浮かんでいるだけだった。
▽
疲れた。オズボーンが青白い光を放つ長大な弧状の文様を無造作に足で消すと、辺りの光も闇も瞬く間に消えていく。
そして術を解いたオズは青々と茂った芝の中にばったりと倒れた。辺りは朝焼けの光が、庭全体を一種の風景画に仕上げている。
飛んでくる羽妖精が知り合いでなかったのなら、オズにとっても幻想的な美しい情景だったろう。
アルの肉体を狙う死霊。どこから嗅ぎつけるかは一流の死霊使いでも知らないが魂の抜けた人間を、猟犬のごとく探し当てる。しかも、きちんと埋葬日の後だ。おそらく法則性があるのだろう。
ぼうっとする頭の中でオズは考えを巡らしていく。
どっから飛んで来るんだか。こいつもおれを見つけるのには猟犬みたいだな。口には出さずオズは姉さん気取りの羽妖精を見上げた。
もし口に出したら種族特有の地獄耳で聞こえてしまう。おれは愚痴を言うことも出来ないのか。
そんなオズの気持ちも知らない羽妖精は楽しそうに、こうるさい声を放つ。
「また、無茶したわねぇ。ぼろぼろじゃない」
「ああ、意外ときつかった。数が多くてな」
声を絞り出してオズボーンは答えた。白い肌は不健康に青くなっていた。あの赤い眼光も生彩を欠いている。
青白い光は誘蛾灯のようなもので、悪霊を引きつける効果が会った。
「付近に住む、悪霊の類がだいたい寄ってきたから」
悪霊が集まって来たところで、火事で死んだ者達の念が染みついた木片を媒介とし、呪術によって、その苦痛の象徴とも言える幻影を召喚し、滅ぼしたのだ。
これでしばらくは持つだろう。だが、根本的解決にはいたらない。確かに時間は稼げるが、所詮その場しのぎ。早くアル少年の魂を見つけなければならない。ああいったものはいくらでも湧いてくる。少年の体力はともかくオズの体力が持たない。
他にこの街に道士やら魔術師などがいるならなんとかなるだろう。もっとも、いないからこそ死霊使いなんぞに仕事が回ってきたのだ。いくら魂の専門家だからといって、まず、頼みはしない。
一応、依頼人になるべく他の魔術師などを雇うように頼んで置いたが、どうも、ここより南の都ギヌアで帝国公認の魔術師になるための試験があるらしく出払っているらしい。あと何週間待てばいいやら。
近所の危機に駆け寄らないで、何が公認魔術師だ。税金泥棒。ぶつぶつ文句をいいながらもオズは緩慢な動作で立ち上がり……そして倒れた。
庭の芝は意外と寝心地よく、死霊使いの身体を包んだ。
意識が闇へ消えていく。心配する姉の声が聞こえるが、それも眠気には勝てず消えていく。
結局、死霊使いが起きたのは日が随分沈んだ頃だった。
▽
調査のために入った寝室には窓から夕暮れが注がれてくる。身内が知らないのなら、自分で調べるしかない。オズボーンは机の周りをざっと見ていく。
机の中からは遊び道具ばかり。勉強しろよ。オズは思わずぼやいた。子供部屋、アルの部屋だが、寝台には誰もいない。捜索の邪魔になるので依頼人に許可をもらい、別棟の客室に移動させてもらったのだ。
玩具の群れをあさっているとなんだか懐かしい感じがした。実家にある自分の部屋に帰ってきたような気がする。
「しかし、あんたと会って六年かぁ。色々あったわね」
ベッドの下で涼んでいるらしい、レベッカの声が口籠ったように聞こえる。
唐突に世間話を始めるな、いいから黙って探せ、と口を開きかけたオズだが、どうせ言っても無駄だと押し黙った。
「あんたもこんな所のお坊ちゃんだったかしら。この子みたいにたった一人の家族だったお姉さんが死んで、道を踏み外して……」
適当に頷くオズはふと、右頬に疼きを感じた。
死霊使いを、いや、人助けする魔術師を目指したのはそのことが原因だった。
唯一の肉親である姉が死んだ。姉というよりは親代わりで、その頃のオズボーンには姉なしの生活など考えられなかった。突然の死は受け入れられるものではなかった。十二歳のオズは、寂しさのあまり召霊術の真似事に手を出して失敗。もやのような不定の怪物が現れ、食われそうになった。
死者を冒涜するな、と退治に駆けつけた道士に殴打されたのは苦い思い出だ。宙に浮かび上がるほど強く殴られたのは初めてだった。
道士、いや師匠はよくひとをばかばか殴る人だったが、本気で殴られたのはあれぐらいだろうか。
そう言えば殴られたのは右頬だった様な気がする。苦笑しながら頬をかく。
「レベッカと会ったのも、その時か」
道士の自称使い魔として付いて来た羽妖精だった。
泣かないで、あたしが君の新しいお姉さんになってあげるから。ねえ、泣かないで。そう言って、その頬を優しく撫で、慰めてくれた。そしてそれに泣きついた自分。
そんな恥ずかしい昔のことを思い出して、頬を紅に染める死霊使い。それを消そうと必死に頬をかくものの、赤面したままだ。もう、なんだか恥ずかしさのあまり転げ回りたいぐらいだった。
「ああ、あの頃は道士になるといっていた子が今じゃあ、このていたらく。ああ、ベッドの下に好きな子の絵を隠し持っていた、あの頃が懐かしいわ」
いつも通り、大量の脚色した話をするだろうレベッカ。紅潮が一気に引き、半眼になる。オズは殺意の籠もった白い手で摘み、寝台の下から羽妖精を引っ張りだす。
トンボのように羽を摘まれながらも長い巧弁をたれる妖精が両手に抱えた古びたメモ。
「みんなやることは一緒ねぇ」
感慨深げに頷きながらメモを手渡すレベッカ。ざっと見通したオズは力なく、寝台にばったり倒れた。夕闇の中で白い肌が沈んでいく。そして、もどかしい嘆息と共に呟いた。
歴史は繰り返す、か。
▽
夜は厚い雲に覆われている。いつ、雨が降ってもおかしくない湿った風が相も変わらず、肌にまとわりつく。
死霊使いは粉で巨大な円を描き始める。完成すると共に、円は赤い光を放ち、内部を闇を喰らう闇で包んだ。障壁の防御円だ。防御円、といってもアルを守るためではない。その魂を召喚するための事前準備だ。
アルの肉体は似たような円と、ついでにレベッカに任せておいた。レベッカはともかく、防御円はそう簡単に破られる物ではないはずだ。
黄ばんだ紙を袖から取り出す。そこに描かれた呪文を詠唱していく。短く、時に異様な長い声。
補足のために作り出した闇の中から、冥界の要素を引き出し、空中に蒼く光る巨大な円を描いた。その冥界の要素を媒介に、召霊の呪力を込めていく。
専門家がきちんと内容や儀式によって補足しなければ、こんな不完全な召霊儀式は発動しない。
よほど近しい人間を喚ぶのでもなければ。
「さあ、出てこいよ」
蒼い円が弾けて消えた。
オズは冥界の者に捕らわれたアル少年の魂をそいつごと無理矢理現世に、召喚した。錆び付いた蝶番を力任せに壊すような音と凝縮された陰の気が死霊使いの目の前で吹き出す。寒さよりは痛みを伴う風が、結界を音もなく溶かし、周りの芝を枯らしていく。
目の前にアルの精神体が無造作に倒れている。
そのすぐ後ろにいるのは異形。ぶよぶよとした腐肉の固まり。直径で人二人分は肉塊に張り付いた老若男女。あらゆる年齢の肢体。そして顔、顔、顔。
死者が浮かべている表情が見えた。苦痛に歪む女の顔、愉悦を漏らした老人の白目、男は狂った様に笑っている。同様に様々な年齢の手や足が、上も下も左も右も、無造作に無茶苦茶な順番に張り付き、蠢めいている。
職業上の慣れか、まったく動じずにオズは走り出す。
この怪物は魂喰らいの一種だ。取り込んだ魂を自分の本体に貼り付け、一種の装飾品や武器に使う。地獄の下層に存在する死霊、悪意の肉塊だ。
しかし何故、アル少年を襲わないのだろうか。
考えたところで仕方がないとばかり、オズはとりあえずアルを背負いその場から退く。
一瞬、遅れて反応する腐敗の塊。三本の足、子供と老人、男性の足が大地を蹴る。悲鳴。異形は転がった。顔面を潰し、手足を砕き、果実のような甘い腐敗臭をばらまいていく。魂達の苦い絶叫が響く。狂気を存分に撒き散らし、回転し、突進してくる。
死霊使いは古びた軍旗の端切れを取り出す。時間を稼がなければこんな大物に対処はできない。力強く軍旗を握り、オズは思いを呼び起こす。無念を引き出し、呪力を込める。
全滅した兵団。その口惜しさを元に兵士達をよび起こす。夜に浮かんで現れる、骸骨の戦士の群れ。数体の骸骨が剣を肋骨の辺りに掲げる。
異形は悪夢の産物であることを証明するかの様に、腐臭と絶叫、ぐちゃぐちゃという響きを撒き散らし、その一団に襲いかかる。
この世ならざる異形を睨むオズの双眼は、怒りを称える紅を輝かせていた。
▽
乾いたものの砕ける音。骸骨の兵士達は砕かれ、とうとう一体を残すだけだ。
だが時間は十分だった。これならやれる。死霊使いは腰から短剣を慣れた手つきでさっと取り出した。実用性のない獣の牙で作られた片刃の短剣を。
汽笛にも似た甲高い、悲鳴とも歓声ともつかない叫びが響き、何本ものの手足の回転が自らの腐肉と共に、最後の骨兵を砕き、バラバラにした。
骨の戦友達に感謝しながらも、短刀、いや牙の記憶を蘇らせる。
並んだ硬質の歯、ちろちろと赤く燃える喉の奥、何人も逆らえぬ震える咆哮。王者の証たる縦にさけた虹彩、風亡き大地を飛ぶ力強い翼、金色の鱗、尾は板金の質感、それですら引き裂く爪を持つもの。
「竜よ、竜よ、砂漠の王よ」
砂塵の竜。かつて神々との戦いで砂漠を生み出したと言われるルブアルカンの眷属。その誇り、人間に破れた憤り、こんな姿への落ちぶれた怒り。その思いが死霊使いの中で吹き荒れる。
引きずられるな。
短刀を強く握りオズは自らに言い聞かせる。その感情に捕らわれぬよう、心を固くし、表情をのっぺりしたものに変えていく。感情を封じている顔は白い頭蓋が赤い眼を光らせているようにも見えた。
「死出の無念を我に貸せ」
頭蓋が淡々と呟く。短刀から霧が吹き出した。瞬く間に広がり、辺りを包む。
異形は、回転をやめた。悲鳴、笑い、苦痛。それらが恐れとなり、音を消す。ただ、ぶるり、と腐肉が震える。それだけが静寂に浮かんた。
出てこい。お前の怒りで、あの狂気を打ち砕け。死霊使いは心中で呟いた。流れ込んでくる意志を制御して、一点に集中する。
錬金術の溶剤にも似た刺激臭を纏った霧はオズボーンの意志が収束するとともに、一所に集まり、かつての姿をかたどっていく、王者の姿を。強靱なあぎど、風格のある顔、強靱な首、血色の瞳は爬虫のものだ。
だが、かつての金鱗の質感はなく、強靱な翼は現れては消え、薄い膜として背に張り付いている。四肢と尾に至っては胴との境もあやふやで霧がただ集まっているだけ。
蜃気楼に写ったような不格好な竜は、それでもなお、意志を失わない。主人と同じ、赤い眼が輝いた。異形はまた、ぶるりと震えた。
「英雄に敗れし、砂の覇王よ、憤怒でもって噛み砕け」
王者の幻影は鎌首もたげ、肉塊へ食らいついた。錆び付いた刃の絶叫。魂をも傷つける狂声は少年を起こしてしまった。
少年の瞳に映るのは義父が噛み砕かれ、白い膿となって地面したたる姿。やめて、という少年のか細い悲鳴が死霊使いの耳元で響く。
集中を途切らすことなくは首を振る死霊使い。そして、短刀を伝い、蜃気楼に力をこめる。硝子細工が砕ける音が闇の中に響いた。
「死者と生者の境界を犯したもの。それを断罪するために死霊使いはいる。だから、どんなに蔑まれてもこの仕事を私は続けなければならない。君に恨まれても、ね」
限りなく独白に近い語りかけが終わると同時に、膿の固まりと蜃気楼の竜は、互いの境界を曖昧にしながら、風に溶け、消えた。
「それなら僕を断罪してください、あれは――僕が」
知っている、と短く答えた。レベッカが寝台の下で見つけたメモには、簡単な占い程度の死霊召喚術が図解されていた。おそらく祖父のものか何かだろう。
それは覚え書き程度の内容であり、低級の動物霊ですら呼べない代物だった。しかし、その人との繋がりの強さと本人の魔力の強さにまれに呼び出されることもある。今回のように。
もちろん正規に組まれた術ではないから、喚びだせるのは、まったく違うものやその人物を飲み込んだ悪霊などだ。少年が襲われなかったのは、取り込まれた父親が彼を襲うのを何とか止めてくれていたのだろう。
「分かっている。君は二度も父や他の罪のない人間を苦しめ、死にいたらしめた」
死者の影を召喚するときの顔で、オズボーンは淡々と言葉を紡ぐ。そして、ゆっくりと少年を地面に下ろす。
「罪は償うためにある」
死霊使いはローブを深くかぶり、表情を闇に喰わせた。一対の凶星を紅に瞬く。不気味な死霊使いは竜牙の短刀を突きつけ呟いた。断罪する。
少年は贖いの瞬間を静かに、震えながら待っていた。
▽
「しっかしさぁ、『生きることが断罪だ』なんて、くっさいセリフ、よく言えたわねぇ」
いたずら小僧の顔でけらけらと笑う羽妖精。オズは左手で頭を抱え、右手でレベッカを思いっきり握る。
「いやー、ごめんごめん。あのセリフに、つい、吹ぃちゃてさ。いやー、耳がいいのもこまりもんよねぇ。ま、いいもの、聞けたからいっか」
悪びれた様子もなく、捕まれても動じないレベッカ。赤面する死霊使いに羽妖精は肩をすくめる。
「師匠がおれに昔言ったセリフ、そのまま使っただけだろ。くさいのは師匠であっておれじゃない」
絞るような声で凄んでみても、赤面していたら意味がない。オズの訴えは徒労に終わり、姉貴気取りの妖精の笑みを深くするだけだった。
「そう恥ずかしがるな、うりうり」
肘でつついてくるレベッカに、赤くなるのに耐えきれず、死霊使いは右手を振り上げ、羽妖精を投げ捨てた。
騒がしい庭に忍び込む淡い光。いつの間にか晴れた夜空から、朧月が高みの見物を気取っていた。




