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お嬢様の生存競争~彼女がバーサーカーになった理由  作者: 北十五条東一丁目
第一章 彼女がバーサーカーになった理由
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お嬢様の受難 3

 このベルダンの町では、市壁の北側を川が流れ、その周辺に農地が広がっている。市壁の南側には、すぐそばに深い森があり、はるかにそびえる大山脈まで広がっている。


 貴重な薬草は、南の森で採れるらしい。市壁の北側では、もうほとんど採りつくされているそうだ。

 それもそのはず、南の森はこの領邦の結界の外にある。魔獣が跋扈するこの世界において、人間が安穏と生活できるのは結界の中だけだ。この町はその結界の、丁度南端に位置しており、ここを一歩出れば、いつモンスターに襲われてもおかしくない。


 それでも南の街道には、等間隔に石の柱――魔物よけの簡易結界が設置されている。街道沿いに進めば、よほどのことが無い限り、魔物に襲われることは無い。


 しかし、森の中は完全に結界の外だ。奥地に入り込まなければ、強力な魔物が出現する可能性は低い。とは言っても、そこは既に人間の領域ではない。それだけに、南の森の中には手付かずの薬草群生地が豊富に存在している――というのは、組合で受けた説明だ。


 本来ならば、戦うことの出来ない少女が、間違っても一人で踏み入ってよい場所ではない。

 完全に無知ならばアルフェも自重したかもしれないが、なまじ森での経験があったことが、少女を無謀にさせていた。


(クラウスと二人でここを抜けてきたときは、特に危険はなかったのだもの。少し行って戻ってくるだけなら、私一人でも大丈夫ですよね!)


 隣の自領から、街道を使わずこの森を抜けて来たときには、魔物らしい魔物にも遭遇しなかった。森にいた数ヶ月の間、アルフェが不自由に感じたのは、粗末な食事と寝床だけだった。


 実際には優秀な護衛の手によって、危険は目に触れる前に排除されてきたからこその結果だったが、お嬢様には知る由も無い。


 少女は森に足を踏み入れる。辺境伯の城の周囲にも森があったが、この森の雰囲気は明らかにそれとは違う。この森に人間が足を踏み入れることは、ほとんど無いのだろう。そこは混沌とした生命力に満ち溢れ、自然に対する畏怖を感じさせる。


「すごい木の匂い……」


 濃い緑の空気にむせ返りそうだ。振り返ればまだ木々の隙間からベルダンの市壁が見えるが、黙っていると妙に不安になるので、独り言が多くなる。


「え~っと、シムの花は森の中、日の差し込む場所に群生している……と」


 お目当ての薬草の特徴を口にしながら、探索を始めた。

 森に入って三十分も歩いたころ、少し開けた草地に出た。ここだけぽっかりと木が生えておらず、上には青い空が覗いている。草地の中央には大きな倒木があり、その周囲には白い花が生えていた。


「これだわ!」


 たいした苦労も無く、目当ての薬草を見つけ出したことに、アルフェは喜びの声を上げる。


「カゴいっぱいに取ってくれば、銀貨二枚で買い取ってくれるって言ってたし……案外簡単でしたね!」


 うきうきとした気分で採取にかかる。慣れない作業だったが、これが自分の初めての稼ぎになるのだ。疲労すらも心地よく、アルフェは花を摘んでいった。


「薬になるのは花びらだけ……採り尽くさなければ一月程度でまた採れる……」


 シムの花は、下級の傷薬の材料になる。薬草の中では比較的ありふれた物だが、人里での需要は常に絶えない。


(これだけたくさんあるんだから、私が暮らしていく分は簡単に稼げるんじゃないかしら。――そうしたら飢え死にする心配はないし、もっとおいしいものを食べられるようになるかもしれないですよね)


 夢中で採取すること一時間。花びらが籠一杯になり、そろそろ帰ろうかしらと腰を浮かせた時、異変に気がついた。


 木々の隙間から、何かがこちらの様子をうかがっている。


「誰?」


 こんなところに人間がいるはずもないのに、アルフェはそう問いかけてしまった。その声を受けて、それがこちらに飛び出してきた。


(魔物? ……ゴブリン!)


 見たのは初めてだが知識はある。図鑑に絵姿が載っていた。小鬼とも呼ばれる低級のモンスターだ。


(私のことを狙っているの……?)


 ゴブリンは最下級の魔物である。剣を持てば訓練を受けていない平民でも対処はできるだろう。だが、少女は今、まったくの丸腰だった。ナイフすら帯びていない。ゴブリンは完全に、アルフェのことを、ただの柔らかそうな肉として見ている。


(ど、どうしよう。助けを呼ばなきゃ! いえ、こんなところに人がいるはずなんて――私のバカ!)


 後悔が頭をよぎる。完全に甘く見ていた。叫び声をあげることもできない。叫べば無用に目の前の怪物を刺激するかもしれない。少しでも距離をとらなければ。じりじりと後ずさる。


 すると、背中に何かが当たった。草地の中央にあった倒木だ。慌ててアルフェが後ろを確認した瞬間、ゴブリンが手斧を振り上げてこちらに迫ってきた。


 アルフェはとっさに、唯一手に持っていたカゴをゴブリンめがけて投げつけた。ゴブリンの顔にカゴがぶつかり、白い花びらが舞い散る。

 混乱したゴブリンは、手斧をアルフェの背後の倒木に打ち込んでしまった。幹に食い込み、抜けなくなってしまったようだ。

 その足元に腰を抜かしたようになりながらも、何とか抜け出し、立ち上がった。


(殺される! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!!)


 ともかくここを離れなければ。一心に足を動かす。森の地面は起伏が激しく、足が取られる。枝が肌をかすり、血がにじむ。

 少し走っただけで、心臓と肺が破裂しそうになった。それでも走らなければ、あの魔物に殺される。

 ――殺されたら食べられるのだろうか?

   殺される前に食べられるのだろうか?

   食べられるのは痛いのだろうか?

   もっとひどいことをされてしまうのだろうか?


 走るアルフェの脳裏に浮かんだのは、ゴブリンの姿ではない。――城を出るとき、自分に覆いかかって死んでいた、あの男の顔。


 どこをどう走ったのかわからない。ゴブリンが追いかけてきているかどうかも確認しなかった。

 ただ気がつくと、森を抜け、街道沿いに出てきていた。街道に出てからも足を止められず、さらにもうしばらく走って、アルフェはようやく足を止めた。

 止めたというよりは止まってしまった。もうこれ以上走ることはできない。倒れこみ、激しく息をつく。汗が顔から滴り落ちている。


 息が少し収まり、ようやく後ろを確認する勇気がわいたアルフェは、背後の森に目を向けたが、彼女を追ってきているものは何もいなかった。


 ――ああ。


 生き延びた。だが、アルフェの心に浮かんだ感情は、安堵ではなかった。


 初仕事は失敗だ。組合で借りた籠もなくしてしまった。弁償しなければならないのだろうか。

 とはいえ今からあれを取りに戻る勇気はない。徒労感を感じながら、それでもアルフェはとぼとぼと町に向かった。





「お嬢ちゃん――あんた、本当に森に入ったのかい!?」


 組合に着くなり、立ち上がったタルボットが声をかけてくる。


「その様子だと、大分ひどい目にあったみたいだな……。悪かった。まさか本当に、一人で森に行くとは思わなかったんだ。なんにしても、命があってよかった」


 男は殊勝な顔をして謝る。


「いえ……私が軽率だったのがいけないのです……。すみません、お借りした籠、失くしてしまいました……。弁償しなければなりませんよね……?」


 少女は今にも消え入りそうな声で言う。


「あ~、本当なら損料をもらうんだが、今回はいいよ。な? とりあえず今日は帰って休め。ひでぇ顔してるよ、あんた。悪いことは言わないから、な?」


 変に優しい言葉をかけられて、泣きそうになる。でも、公衆の面前で、簡単に涙を見せてはならない。涙を飲み込み、顔を上げてアルフェは答えた。


「はい、そうさせていただきます。でも、これで二度と依頼を受けられないということにはならないんですよね?」

「あ、ああ。依頼は最悪五回まで失敗可能だ。それに、常設の依頼は失敗扱いにならない。でも本気かい? もうやめておいたほうがいいと思うんだが……」

「私なら大丈夫ですわ。後日また参りますので、そのときは改めてよろしくお願いします」


 また泣きたくなる前にと、アルフェは踵を返し、組合の建物を出た。


 外に出ると、空はすっかり紅く染まっている。ひとまず今日は家に帰ろう。足早に家への道をたどる。我慢しきれなくなって、少し涙がこぼれてしまった。


 ――今日は、自分で稼いだお金でご飯を食べるはずだったのに。

 


 我が家に帰り着き、ドアの取っ手に触れると、違和感を感じた。

 鍵がかかっていない。出るときにかけ忘れたのだろうか。

 そんなはずは無いと思う。もしかしたら、クラウスが帰ってきたのだろうか。不安になりつつ扉を開いた。


「どろぼう?」


 家の中が荒らされている。でも、家には盗るようなものは無いのに……そう考えてはっと気付いた。二階に駆け上がり、化粧台の引き出しを開ける。


 そこにあったはずの、クラウスが残した生活資金は、全てきれいに無くなっていた。


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