お嬢様、オークをボコる 4
ステラは寝台で眠るアルフェの横に座っている。オークが撤退した後、入り口の階段を修復した村人たちの手によって、彼女は宿屋の二階にまで運び込まれたのだ。すでに治癒の魔術はかけたが、外傷にそれ程重いものは無かった。アルフェが倒れたのは、単純な疲労によると言うよりも、魔術師が稀に起こす魔力の枯渇に症状が似ていた。
(この子の攻撃全てに、魔力が込められていたと言うの……?)
途中から気付いたが、アルフェの並外れた身体能力は、体内の魔力を利用することによるものだ。彼女の突き出す拳や蹴りから、すさまじい魔力が放出されていたことが、ステラの目にも分かった。
その恐ろしさに、ステラは身震いする。体内の魔力の枯渇は死を招く。魔術師としての教育を受けた者ならば、誰でも知っていることだ。故に魔術師は、例えステラのような治癒術の使い手であっても、世界に溢れる魔力を利用して魔術を使う。だから魔力の枯渇によって倒れるなどということは、本来ならば早々起こることではないのだ。
まさに身を削って、この少女は魔物を倒す圧倒的な力を得ていた。
なぜこんなになってまで戦うのだろう。なんだか哀しい気持ちになって、じっと少女の顔を見ていると、階下から足音が響いてきた。
今村人たちは、生存者の捜索や建物の修復に走り回っており、ほとんどは出払っているはずだ。誰が来たのだろうと階段の方に目を向けた時、急にアルフェが跳ね起きた。
「きゃっ。ど、どうしたのアルフェちゃん」
ステラの言葉に耳を貸さず、アルフェの目は階段に注がれている。階下から上がってきた男の顔が、こちらにも見えた。
「トランジックさん!?無事だったんですか!?」
男は冒険者のトランジックだ。宿の主人と共に、敵の主力と戦っていたが、途中から行方が分からなかった。彼の革鎧は全身に返り血を受けている。まだ手に握ったままの長剣にも血糊がこびりついていた。彼も生き延びるために必死で戦っていたのか。
「……ああ、納屋に立て篭もって、何とかな……。二人も無事だったんだな」
その顔はとても無念そうな表情をしている。
「……宿の御主人は?」
アルフェが聞いた。
「……死んだよ。俺の力が足りなかった」
目を閉じたトランジックの眉間に皺が寄る。
「ああ……、やっぱり……」
そう言ったきり、アルフェは顔をうつむけてしまった。そのまま黙り込み、何も言わなくなる。その姿に、ようやく剣を収めたトランジックが慰めるように声を掛けた。
「……これからこの村は大変かも知れないが、全滅したわけじゃない。とにかく俺たちは生き残ったんだ。それを喜ぼう」
「……そうですね」
ステラはアルフェの背中に手を置いて、搾り出すようにそう言った。
◇
アルフェ、ステラ、トランジックの三人は、草地とほとんどかわらない、荒れた街道の上を歩いている。辺境に伸びる街道には、結界はほとんど設置されていない。長距離を移動する時は、なるべく多くの道連れを作る。それはこの世界における旅の常識だった。
――もう出発するのですか?
――はい、もうこの村で、私が出来ることは無いので。
オークとの戦いから一晩が空けて、アルフェは村を発つと言った。確かに、オークの脅威は去った。群れの半数以上を死体として残し、長を討ち取られたオークたちが、またすぐに村を襲いに来るとは考えにくい。冒険者に出来ることは、もう余り無い。
相当数の男を亡くし、しばらくこの村は厳しい状況が続くだろうが、それを嘆いていられるほど、辺境は甘く無い。すぐに他の村から新しい男手が送られてくると言う。これからも、他の村を守る砦として、この村は活動を続けるのだろう。
村人は三人に謝礼を渡したがったが、アルフェが固辞した。あの戦いで最も働いた彼女が報酬を受け取らないと言うのだ。ステラに受け取れるわけが無い。トランジックもそれに同調し、結局皆ただ働きという格好になっている。
――あなたはどうして、村のために命を掛けようと思ったの?
謝礼を断ったアルフェに、ステラはそう聞いてみた。しかし、彼女は曖昧に微笑むだけで、何も答えてはくれなかった。
想像していなかったのは、アルフェがトランジックに同行を望んだことだ。彼女は村で、この冒険者を避けていたように思ったが、意外とそうでもなかったらしい。二人が一緒に行くのならと、ステラも同行を望み、三人は共に村を離れた。そうして今、三人は村から延びる街道の上を歩いている。
もう、村を発ってから半日以上は経過した。
「この辺りでいいですよね」
アルフェが立ち止まった。街道からはずれ、草地の方に歩いて行く。ステラとトランジックは、慌てて彼女の後を追った。
「どうしたの?アルフェちゃん」
「……すみません、ステラさん。しばらく離れていてもらえますか」
ステラから離れ、アルフェは歩き続ける。トランジックは、何故か何も言わず、少女の後をついて行く。
「さあ、はじめましょう」
向き直り、アルフェが言った。背中のマントを外し、草むらに投げ捨てる。
「……いつから気付いていた?」
トランジックが声を出す。その声は、村で聞いていたものよりも、ずっと暗い。
「……やはりあなたが刺客でしたか。途中から追ってくる気配がしなくなったと思っていたのですが……まさか先回りされているとは」
アルフェの言っている意味が分からない。だが、彼女がこんな苦い表情を見せるのは初めてだ。
「宿の主人を手に掛けて、混乱に乗じて私を殺そうと思ったのですか?それとも、オークに殺されることを望んだのか……どちらにしても、当てが外れましたね」
しかし、村を巻き込むような真似をするとは思わなかった、とアルフェが吐き捨てるように言った。トランジックは長剣を鞘から引き抜く。
「王国の命を受けているのですか?あの魔術師の手の者ですか?……話をする気は無いのですね」
それで言葉は途切れた。二人の間に渦巻く殺気が、ステラにも感じられる。トランジック、気のいい男だと思っていたのに、今の彼の表情からは、感情が全く読み取れない。
トランジックは長剣を腰の辺りに構えている。アルフェは手をぶら下げたまま、無防備な状態に見える。そうしてしばらく対峙した後、トランジックがアルフェに斬りかかった。
近くで見る彼女の動きは、ステラの目には全く止まらなかった。トランジックの剣はアルフェを切り裂いたように見えたが、そのままアルフェの横を走り抜けると、数歩行ったところで草の中にのめった。
アルフェの右手が血で汚れ、トランジックの背中が赤く染まっている。
「やっぱり、こいつが、魔物じゃねぇか……俺には、最初から、分かってたんだ」
そう言ったきり、冒険者の男は動かなくなった。
◇
「……村があれだけの被害を受けたのは、私のせいです。途中で、そのことに気付きました。だから私は……」
アルフェの表情は、泣いているのか笑っているのか分からない。
「私は……それを村の人々に告白することも出来なかった」
少女は拳を握り締めている。ステラには、何と言うべきか分からない。
「ステラさんにもご迷惑をお掛けしました。……今なら、日がある内に村に戻れます。……では、私はこれで、失礼します」
立ち尽くすステラを置いて、アルフェは荷物を拾うと歩き出した。草むらで死んでいる男の横を通り過ぎ、こちらを振り向こうともせずに足を前に進める。
彼女の姿が見えなくなったころ、ようやくステラは我に返った。今見た光景のことを、まだ自分の中で整理できていない。一度振り返った。後ろには、村まで続く街道が見える。
ステラは目を閉じ、しばらく考えた後、少女が去った方向に向けて早足で歩き始めた。