お嬢様、オークをボコる 2
「……ああ、あの子もいたのか。気付かなかったよ。あの子がどうかしたのかい?」
「……あの子も冒険者だって言うんだ」
主人はトランジックの耳に口を寄せてささやいた。
「……へぇ、本当かい?見えないな」
「見えない処の話じゃないだろう…。まだ子どもだぞ?しかも女の子だ」
「珍しいが、あのくらいの年の冒険者はそれなりにいるさ。やっぱりあの子は一人でここに来たんだな。……結界の外をここまで一人でやってこれるってことは、それなりに腕に覚えがあるんじゃないか?」
「あんたはそう思うか?」
いかにも世慣れた冒険者といった外見のトランジックの言葉は、主人の心を動かしたようだ。
「……ああ。改めて見ると、あの子の着けてる装備、あれはそう簡単に手に入る代物じゃない。それだけでもただ者じゃないってのは分かるよ」
その言葉に主人は頷いた。主人の目利きから判断しても、少女の装備のいくつかは、明らかに何かのマジックアイテムである。冒険者の格を見極める最も手っ取り早い方法が 、その装備を見ることだ 。それから判断すれば、少女は少なくとも駆け出しや三流でない事になるが、主人一人では、どうしても目の前の子どもとその判断を馴染ませることができないでいたのだ。
「話を聞かせてまずい事も無いだろう?人手が足りないなら、何かやってもらう事はあるさ」
主人は納得したようだ。トランジックの言葉に頷くと、彼から離れて村人達との話に戻った。
村人の話をまとめると、大体次のようになった。近日中にオークによる大規模な襲撃が予想されるということ。近隣の領邦に援軍を要請しているが、それが叶う見込みは薄いということ。撤退は考えられず、ここで襲撃を凌ぐしか道は無いということ。
「この村の戦力は?」
トランジックが口を挟んだ。
「今ここにいる五十人と、見張りに出ているのが七人だ。皆一応魔物との戦いは経験している」
「魔術を使える奴はいるか?」
「初歩魔術までだが、三人いる。あとは丁度、旅の治癒術師様がいらっしゃる」
治癒術師とはステラのことか。確かに心強いが――
「それでオーク二百体の相手は、心もとないな」
「……例えあんたがやらなくても、我々はこの村を守らなければならん。強制は出来ないが、協力してくれると助かる」
主人の眼は、悲壮な色を帯びている。トランジックは仕方ないという様子で頷いた。
◇
それから数日間、村人たちは村の防備を固める作業に集中した。
オークと言っても個体によってその強さには大きな差があるので一概には言えないが、一般的なオークは人間よりも膂力に優れ、知能に劣る。落とし穴の一つでも、場合によっては有効な打撃になるかもしれない。襲撃がいつになるかわからない以上、とにかく出来ることはやっておこうというのが、全員の一致した意見だ。
宿屋の主人――彼はどうやら、この開拓村の村長のような扱いでもあるらしい――はトランジックと相談した上で、防衛のための戦力配置を決めた。実力が未知数ということで、件の少女は最も後詰の役割になっている。
「専門は治癒術ですけど、一応は戦闘用の魔術も使えますよ」
ステラはそう言ったが、彼女は現状、村で唯一のまともな回復役だ。彼女も少女と同じく後詰に回されている。
ステラは一緒に作業をしながら、少女と話をしているようだ。どう考えても場違いな彼女の存在に、ステラが興味を持つのも仕方がない。
「アルフェちゃんって言うんですって」
ステラは少女から聞き出した名前を、得意気にトランジックに教えた。
「あまり喋らない子みたいだな。俺には何も教えてくれなかった」
「そんなことないですよ。必要なことにはちゃんと答えてくれるし、トランジックさんを怖がってるだけじゃないですか?」
「他には何か言ってたかい……? どこから来たとか。家族がどうとか」
「自分で聞けばいいじゃないですか」
「あんたの言うとおり、俺は怖がられてるみたいだからな」
トランジックが肩をすくめる。二人がそんな取りとめもない話をしていると、広場の方がざわついていることに気付いた。
「偵察が帰ってきたんだ」
広場に来た二人を、主人がそう言って迎えた。村人達に囲まれているのは、ハイドアーマーを着て、弓矢を持った狩人風の男だ。トランジックとステラが村人の輪に加わると、男が話を再開する。
「遠目だったが、奴らの集落の様子がいつもと違ってた。リーダーみたいなでかいオークの周りに集まって、何かの儀式みたいなことをしてた。……あれは多分、戦の前の儀式だと思う」
「奴らが来るって事か?」
村人の一人が不安げな声を上げる。
「俺はそう思う。……とにかくやばい雰囲気だったよ」
そう言って、男は指示を求めるように宿の主人を見た。他の村人の視線も主人に集まる。
「……もういつ攻撃が始まってもおかしくない。見張りを増やす。他の者も、いつでも戦えるようにしておいてくれ」
そう言う彼の眉間には、深い皺が寄っている。村人たちは口々に分かったと言って頷いた。
誰もが、この状況が夢であって欲しいと願っているのが分かる。しかしこれは現実だ。きっと戦いが避けられないであろうことも、村人たちは理解していた。
――そして次の日の正午、オークの襲撃が始まった。
◇
村から見える森の奥から湧き出るように、その魔物たちは姿を現した。潰れた低い鼻に尖った耳。背丈はどれも人間の大人よりは一回りほど大きい。分厚い筋肉に覆われた緑色の肉体には、戦化粧のようなものが施され、首からは、何かの牙や骨で作られた首飾りを下げている。手には斧や盾を持ち、簡素な革鎧のようなものを着ている者もいる。
「オークが来たぞー!!」
見張り台の上から、非常事態を告げる鐘の音が響く。それを聞いた村人たちが配置につくが、その間にも、森から出てきた魔物の数はどんどんと増えていく。
「こりゃあ……一体何匹いるんだ」
木壁の裏に作った足場の上から、様子をのぞいた宿屋の主人がつぶやいた。彼も鉄製の兜をかぶり、戦いの支度を整えている。
オークたちは村を三方から囲むように展開しはじめた。人間には分からない聞き苦しい言葉を叫びながら足を踏み鳴らし、得物を盾に打ち付けているのは、村人たちを威嚇しているのだろうか。
「数も問題だが……見ろ」
トランジックが指差した方向には、他のものより一回りも大きなオークが、腕を組んで立っている。
「ハイオークだ……。やけに大きな群れだが、あれがボスなんだろうな」
「見るからにやばそうな奴だな……。あんたなら勝てるか?」
「……それはやってみないとわからんな」
トランジックの表情は酷く厳しい。それ程に手ごわい相手だということか。
「……そろそろ奴らが動き出す。あんたは皆に指示を出せ」
トランジックは主人を促し、自らも弓を構えた。
◇
戦闘は既に始まっている。離れたところからオークの叫びと村人の怒声が響いてくる。治癒術師ステラは、中央広場に設けられた救護所で、怪我人が運ばれてくるのを待っていた。怪我人を運ぶのは戦闘員以外の老人の役目だが、幸いまだ死者は出ていなかった。二人ほどが運ばれてきたが、軽い治癒術をかけると戦闘に復帰していった。
戦闘員の数は少ないとはいえ、この村は小さな砦と言える程度には防備が整えられている。壁と空堀を盾に、飛び道具で応戦していれば、突進してくるしか脳のないオークならば、それなりに持ちこたえられるはずだ。
(でももし、壁を乗り越えられたら……)
しかし一度敵の侵入を許せば、そこから雪崩のような崩壊が始まるだろう。数と膂力に勝るオークたちに接近されたなら、本職の軍人でもない村人たちが、それを押し返す方法などありはしない。
(やっぱり私も前に出たほうが――)
いいのかもしれないと思うが、ここを離れることが出来ない理由もあった。一つは自分がこの救護所を任されているということ。ステラはこの戦いにおける回復役だ。不用意に前に出て、真っ先に倒れるようなことになっては目も当てられない。
そしてもう一つの理由は、ステラの視界に入っている一人の少女だ。
広場から見える位置に、少女がこちらに背中を向けて立っている。彼女の前にあるのは、村を囲む壁に設けられた唯一の門だ。そこはオークの住む森の丁度反対側、前線から最も遠い場所に位置している。
オークに別働隊を後方に差し向ける知能があるかは疑わしいが、ここを守る兵を置かないわけにも行かない。結果、アルフェと名乗った少女と、特に戦慣れしていない何人かの村人が、こちら側に配置されていた。
両腕をだらりとぶら下げたまま、門を見据えて微動だにしない少女は、いったい何を考えているのだろうか。
ステラは数日前の、彼女との会話を思い出していた。
――アルフェちゃんは、どうしてこんな所に来たの?
――私は、戦いに来たんです。
町の冒険者組合で、この村がオークに悩まされていることを知った。だから自分はオークと戦いに来た。彼女ははっきりとそう言った。彼女がこんな状況のこの村に来たのは、偶然でも何でもないと言うのだ。自分よりもかなり背が低く、細い身体の少女が、どうしてそんなことを考えるのだろうか。トランジックはアルフェが「戦える」と言っていたが、ステラにはとても信じられなかった。
前線の様子も気がかりだが、少女の立ち姿は、ステラをもっと不安にさせる何かがある。彼女の背中を見ていると、嫌な胸騒ぎが止まらない。だからステラは、この場を離れることが出来ないでいた。
「四十体くらいこっちに向かってる! 気をつけてくれ!」
伝令の青年が、息を切らしながらとんでもないことを伝えに来た。オークに戦術を考える知能が無いというのは、間違いだったらしい。
「四十……! そっちから何人かよこせないのか!?」
門を守る村人の班長はそう言った。彼はここにいる村人の中では、比較的戦闘慣れしているそうだ。しかし、こちら側に配置されているのは、ステラを除くとたったの七名。経験の浅い者が大半だということを考えると、守り切れるかは分からない。
「あっちも手一杯だ! もう壁に取り付かれてて――俺もすぐに戻らないと!」
言うが早いか、青年は前線の方に駆け戻っていった。
「――仕方ない!気を引き締めろ!壁に付かれる前に、矢で数を減らすんだ!」
門の前だけは空堀が途切れている。門は特に太い丸太を組み合わせて作ってあるとはいえ、ここにオークが殺到すれば、踏み破るのはそう難しくは無いだろう。村人たちは弓に矢を番え、緊張に身を震わせている。
それを見ていたステラは、我慢できなくなって木壁の足場を駆け上がった。
「私も戦います!」
「術師様が?」
「オークを足止めするくらいの魔術は使えます! 手伝わせてください!」
「……すみません。こんな村のために」
確かにここまで深入りするつもりも無かったが、見捨てて逃げ出すことも出来なかったので仕方ない。返事をする代わりに、ステラはただ微笑みを返した。
こちらに向かって疾走してくる緑色の塊が目に入る。数は確かに四十体ほどか。その動きは、明らかに回り込む意志を持って移動しているように見える。見張り台の上からもぱらぱらと矢が射掛けられているが、大した損害与えてはいない。
「オークもそれなりに頭が回るみたいじゃねぇか!」
「仕事が無くて暇だったんだ! 目にもの見せてやろうぜ!」
村人は空元気を出しているが、顔色の青さ、体の震えは隠しようも無い。――そう言えばあの少女は、と思い首を動かすが……彼女はまだ門の前に立っている。魔物と戦いに来たと言っていたが、やはりあれは虚勢だったのだろうか。恐怖で動くことも出来ないようだ。
ここで死なせるのは余りに可哀そうだ。そう思い、再びオークの群れに視線を向けたステラの目には、凛々しい光が宿っていた。
◇
「――衝撃!」
呪文を唱え、大気に漂う魔力マナを練り上げ、形にする。ステラは目をつぶって集中すると、魔術を行使するための正しい手順を踏む。門の正面までやってきたオークの群れ目掛け、ステラの魔術が放たれた。
発射されたのは命中地点に轟音を発生させ、相手に衝撃を与えると同時に、体の自由を奪う魔術だ。オークの群れの中心に吸い込まれた魔術は、群れの一体に命中すると、乾いた大きな破裂音を立てた。
直撃したオークの体が仰け反り、そのまま倒れて動かなくなる。他のオークたちも耳を塞ぎ、一瞬だが動きを止めた。
「放て!!」
その隙を目掛けて、班長の号令が飛ぶ。村人たちの撃った矢が、オークの手足に突き刺さった。
倒した数は多くない。斃れた仲間にも構わず、体勢を立て直したオークたちは、村の門へと殺到した。次々と手に持った斧で打ち叩き、門を押し破ろうとする。
「この野郎ッ! 離れろ!」
「石だ! 石を投げろ!」
オークの勢いは、分厚い木の門をすぐにでもぶち破りそうな程だ。近づきすぎた魔物に、村人は弓から投石へと切り替えるが、中々有効打を与えられない。オークの厚い緑色の皮膚は、少々の攻撃など意にも介していないようだ。
「――催眠! ――だめ! 効かない!」
ステラも魔術で援護するが、元々戦闘用の魔術は得手ではない。連発することもできず、思うように行かない。
「……おい!! ありゃ何だ!!」
畳み掛けるように、森の方から新たに十体ほどのオークが加勢に現れた。さらなる敵の出現に村人が声を上げたが、それだけではない。新たに現れたオークたちは、大人の腰周り以上もありそうな、先の尖った丸太を抱えていたのだ。
「破城槌のつもりかよ!」
「あれで門を破るつもりか!」
原始的な攻城兵器を使う知能まで持っているのか。どうやら自分たちは、敵のことを侮りすぎていたらしい。人間たちは歯噛みしたが、今更後悔しても遅すぎる。
丸太を抱えたオークたちは、勢いをつけてその先端を村の門に叩き付けた。一撃で門が傾ぎ、ステラたちが立っている足場までもが揺れる。
「丸太を持ってる奴を狙え!」
班長が指示を出すが、他のオークたちが盾を掲げ、それを防ぐ。
「くそッ!」
苛立った一人の青年が木壁から身を乗り出し、弓を引き絞って丸太を抱えるオークに狙いをつけた。
「これでも喰ら――え?」
まさに矢を放とうとしたその瞬間、青年の脳天に斧が突き刺さった。オークの一体が投擲した斧が、過たずに青年の頭に命中したのだ。噴水のように大量の血が噴き上がり、周囲の村人に降り注ぐ。青年の身体はゆっくりと傾き、空堀の中に落下していった。
犠牲者を出した村人たちの動きが、明らかに悪くなった。死んだ青年の隣にいた若者などは、半ば恐慌状態に陥っている。
「しっかりして下さい!」
すかさずステラが沈静の魔術をかけ、若者を落ち着かせる。
しかしそうしている間にも、門を押し破ろうとする破城槌の攻撃は続いていた。繰り返し響く衝撃に門は軋み、丸太と丸太を繋ぎ止める金具は、今にも弾け飛びそうになっている。
「アルフェちゃん!! どいて!!」
まだ門の前から動いていなかった少女に、ステラは大声で呼びかけた。門を破られるのは時間の問題だ。そうなった時、自分たちがどうなるのかは分からないが、今のままでは間違いなく、真っ先に殺されるのはあの少女だ。
「アルフェちゃん早く!! そこにいたらだめ!!」
必死に呼びかけるが、少女は両腕を垂らした姿勢のまま動こうとしない。足場から飛び降りて、無理矢理にでも引きずろうと決心した時、少女がちらりとこちらを見た。
一瞬だった。気のせいだったのかも知れない。見間違いだったのかも知れない。
だが、少女の顔には、ステラが今まで見てきたどんなものよりも、妖しく美しい笑みが浮かんでいたように見えた。