お嬢様、オークをボコる 1
帝国の北東、帝都を中心に広がる大結界の外に、その開拓村はあった。
近隣の山には近年発見された銅鉱脈があり、この地域には、その調査と採掘を目的とした村々が建設されている。この村もそうした開拓村の一つだが、他の村には無い物々しい雰囲気があった。
村の周囲を囲む壁は、丸太を組み合わせた簡素なものだが、他の村々のそれよりは明らかに大きく、頑丈な造りをしている。さらに壁の脇には空堀が掘られ、四方を見渡すように監視塔が設置されていた。
村の中央には、役場と村唯一の宿屋を兼ねた石造りの建物がある。しかしその外観はとても宿屋の様には見えず、まるで小さな砦のような印象を与える。
その宿屋の食堂で、冒険者トランジックは、不味い燻製肉を肴に一杯のエールをひっかけていた。鋲で補強した革の鎧に、腰に刺した長剣。いかにも冒険者という出で立ちである。
彼はつい先ほどこの開拓村に着いたばかりの旅人だ。結界の外には、彼のような冒険者を必要とする仕事が尽きることは無い。この男も食い扶持を稼ぐため、この辺境の開拓村にまでやってきたのだろうか。
食べている燻製肉は、塩気が強いばかりで味が無い。エールも完全に気が抜けてしまっている。酷い晩飯にも飽き飽きして、トランジックがそろそろ部屋に引き上げようと腰を上げかけたその時、にわかに扉の外が騒がしくなった。
「ロブがやられた!どいてくれ!」
「あいつらだ!またあいつらが来やがった!」
「畜生!ロブ!しっかりしろ!」
宿の扉がやかましく開かれ、大声を上げながら男達が入ってきた。その男達に数人がかりで運ばれてきたのは瀕死の青年だ。革鎧が肩の辺りから腰に抜けるまで切り裂かれており、上半身がおびただしい血で染まっている。
「……何があった?」
トランジックは、隣のテーブルで酒を飲んでいた老人に声を掛けた。
「つまらねぇ事を聞くなよ。この辺りで『あいつら』と言ったら決まってるじゃねぇか」
「分からないから聞いてるんだ」
「……お前さん、冒険者だろう?『あいつら』目当てでこの村に来たんじゃないのかい?」
トランジックが老人のテーブルに座りなおす。
「魔物か?」
「……オークだよ」
老人が忌々しげにつぶやいた。
この村は、魔物の侵攻から他の開拓村を守るために建設された前線基地である。普段から魔物との小競り合いは珍しく無かったが、一月ほど前から急に、森に集落を構えるオーク達との衝突が激しくなった。
そのような事情を老人から聞き終えたトランジックは、先ほど運ばれてきた青年に目を向ける。オークとの戦いで傷ついたのだろうか。身体の傷は明らかに致命傷だが、胸はかすかに上下している。まだかろうじて息はあるようだ。
「何でこんなところに連れてきた。……ここは酒場じゃないのか?」
「この村に治癒院は無いからな。それに……ほれ」
老人があごをしゃくった方を見やる。すると、青年を運んできた男の一人が、若い女の手を引いて階段を降りて来た。すらりとした長身の、赤毛の女だ。
「あれは?」
「治癒術師様だ。十日ほど前からこの村に留まっていなさる。尊いお方だよ」
「術師様って割には、若いな……」
そう言っている間にも、女は怪我人に近づくと、治癒の呪文を唱え始めた。空気に満ちる魔力が揺らぎ、神聖な柔らかい光が女の手から漏れ出す。そして、怪我人の傷口に沿うように女の手がかざされた。
トランジックが軽く口笛を吹く。柔らかい光が通った後、青年の傷は嘘の様にふさがっていた。傷口があった場所は生々しい赤色をしているが、血は完全に止まっている。
「すごいな。あんな使い手は滅多にいないぞ」
「煩い若造だ。だから尊いお方なんだ」
女は大分消耗した様子だが、一人であれだけの治癒術を行使するとなると、高位の聖職者でも無ければ無理な話である。あの若さでそれを使って、なお立っていられるというだけで、この女は間違いなく、相当に優秀な術師だ。
男たちは口々に女に礼を言うと、怪我人を上へと運んでいった。空き室の寝台にでも寝かせるつもりなのだろう。一階に取り残された女に、トランジックが声を掛けた。
「お疲れさん。何か一杯奢らせてくれよ」
「……ありがたいけど、遠慮しておきます。初対面の男性に奢られる趣味は無いもの」
「まあいいからさ、座りなよ。酷い顔色だ。水でも飲んだほうがいい」
女は少し迷ったが、最後には逆らわずに腰を下ろした。額に汗がにじんでいる。やはりあれ程の魔術を行使するには、身体に相当な負担がかかったのだろう。トランジックは給仕に水差しを頼んだ。
「俺はトランジックだ。冒険者をしている。あんたは?」
コップに水を注ぎながら、トランジックが尋ねた。
「……ステラ。治癒術師です」
「聖職者か?」
「違います。どこかの神殿に仕えているわけではありません」
「この村は、オークに襲われてるそうじゃないか。何でこんな所に居るんだ?」
これほどの術師ならば、帝都でもそれなりの地位が得られるだろう。
「……修行中の身ですから。必要と思われるところに行くだけです。……あなたはオークの討伐にでも来たんですか?」
「いや、俺は……」
トランジックが言いかけた時、再び宿の扉が開いた。
外は既に宵闇である。その中から出てきたのは、一人の少女だった。
◇
少女が入ってきた瞬間、室内の視線が彼女に集中した。
明らかにこの村の人間ではない。少女は間違いなくよそ者である。見れば連れがいる様子でもない。既に日も暮れているというのに、この少女は一人で、一体どこからやってきたものだろうか。
「こんな所に女の子…?」
ステラの物言いは、若干自分を棚に上げたものではあった。彼女のような若い女がこの村を訪れるということ自体、村にとっては相当な椿事だ。本来このような辺境の開拓村を訪れる者など、トランジックの様な冒険者以外には滅多にいないはずなのだ。
「……魔物だったりしてな」
埃で薄汚れてはいるが、その容貌は非常に麗しい。まだ少女の域を出ていない年齢なのは間違いないが、ぞっとするような魅力を放っている。人を惑わす妖精の類だと言われても、頷いてしまいそうな雰囲気があった。
少女は、その身なりも異様だった。膝上で短く切られたスカートの下には、脛まで覆う銀のグリーブを着けている。腕には奇妙な光沢を放つ腕甲をはめ、体には何かの魔獣の革製と思しき胸当て、そして背中には、擦り切れたマントを羽織っている。とても町娘などという格好ではない。
奇妙なものを見るような視線にも構わず、少女は部屋の奥へと進み出た。彼女が歩くたびに、銀色のグリーブが床板に当たり、ゴツゴツという硬質な音を立てる。
その音を聞いて、食堂にいた全員が我に返った。少女の様子をうかがう気配を見せながらも、それぞれの会話に戻っていく。
少女は宿の主人と何事かを話していた。時折主人が驚いた表情を見せるが、トランジックたちのところまでは、その内容は聞こえてこない。
しばらくやりとりをした後、少女は階段を上って行った。物見高い何人かの男が、早速主人へと詰め寄っている。しかし主人は口の堅い男らしく、首を振って何も答えようとはしていない。
そんな騒ぎを横目に、トランジックとステラは話を続けていた。
「あの子、何なのかしら……。普通の旅人にしては妙な格好だったし。トランジックさんはどう思います?」
ステラは若い娘らしく、好奇心を抑えられない様子でそう言った。だが、トランジックはそれを上の空で聞いている。
「ん? ああ、何かな。……やっぱり魔物なんじゃないかな」
そう言う彼の目は、少女が去った階段の方に向けられている。
「あなたも気になりますか?まあ当然ですよね。今日まであんな子ども自体この村では見なかったのに、どこからやって来たのかしら」
「意外とよく喋るんだな、あんた」
「意外ですか?」
「術師様なんて呼ばせてたからな。もっと重々しい性格かと思ってたよ」
「心外ですね」
ステラは肩をすくめた。
「『様』付けは村人が勝手に言ってるだけです。私が呼ばせている訳じゃありません。トランジックさんはどう思います、あの子……」
「あの娘のことは、俺達が気にしても仕方がないさ。……俺はもう寝るよ。この村で仕事を探すにしても、日が昇ってからにするべきだろうしな」
急に切り口上になったトランジックは、机に勘定を置くと立ち上がった。
「話しかけてきたのはそっちでしょうに……。まあいいです。私もさっきの怪我人を見に行ってきます。まだ治療が必要かもしれませんし」
「そうだな。じゃあまた明日、会ったらよろしくな」
「ええ、こちらこそ」
そう言って、その日の二人は別れた。
◇
翌朝、宿屋の食堂には物々しい雰囲気が漂っていた。そこには村中の男が集まっているらしく、数十人の姿が見える。手には剣や槍などをを握っているが、男たちの表情は一様に暗い。そして人々の前には、厳しい顔をした宿の主人が、腕を組んで考え込んでいた。
「こりゃあ何だ?何をやってるんだ?」
朝食を調達しに二階から降りてきたトランジックが、その様子を見て言った。
「ああ、すまないなお客さん。村の集会中なんだ。食事はもう少し待ってくれ」
主人が言ったが、同時に何かに気付いたような顔をした。
「お客さんも冒険者なんだろ?ちょっと話を聞いていってくれないか」
「……仕事の話か?」
主人が頷く。トランジックは主人の前の椅子に腰掛けた。
「聞いてるかも知れんが、今この村はオーク達の脅威に晒されている」
「ああ、さっき聞いたよ。近くにオークの集落があるんだって?何だってそんなところに村なんか作ったんだ?」
「……集落を見つけたのは三ヶ月前くらいだ。村が出来た時は、そんなものがあるとは知らなかった」
主人が苦い顔をしている。
「それでも最近までは何とかなってたんだ。でもあいつらにとって、ここは相当目障りみたいでな、攻撃に来るオークはどんどん増えてる。これまでも何度か大きな襲撃があったが、次は……持ちこたえられないかも知れん」
「敵の数はどれくらいだ?」
「偵察に行かせた奴の話だと、集落にいるのは二百は下らない。それも半月前の話だから、今はもっと増えてるかも知れん」
「それは……村を捨てた方が早いんじゃないか?」
普通に考えればそうだ。
「それも考えてるが、いきなりここを捨てたら他の村が危険だ。……もう少しは持ちこたえないといかん」
この村の住人は、ほとんどが家族を他の村に置いてきている。魔物に対する盾であるこの村を失えば、他の村は無防備に近い状態になるだろう。
それで村人のこの表情か。トランジックは得心がいった顔をしている。
「次の大きな襲撃は……近い。俺たちはそう考えている。そこでだ」
主人はトランジックに顔を向けた。その顔は、藁にもすがるといった表情をしている。
「あんたも冒険者なんだろう?村の防衛に手を貸してくれ」
「……まあ、それが俺の仕事だからな。金を払ってくれるなら引き受けるが……。あんた『も』ってことは、冒険者が他にもいるのか?そいつにも手伝わせろよ」
トランジックが言うと、主人はさらに困った顔になった。
「いる事はいるんだが……」
主人が目を向けた食堂の隅、今まで男達の影に隠れて見えなかったが、そこには昨夜の少女が座っていた。