4話 突然の知らせ
4話
俺はぱっと目が覚めると、そこには見慣れた天井が広がっていた。
「わー颯斗ー心配したよー」
アクアが隣で騒いでいる。それに紅葉、莉奈までいる。ここは――
どうやら俺はあの喧嘩の後、家に運ばれたらしい。ほんと、自分が情けない。
《大丈夫?》
「あぁ……大丈夫だ。心配かけてごめん」
起き上がろうとしたのだが体が思うように動かない。思っているより体は重症らしい。
「動かない方がいいよ颯斗。何か欲しい物とかあったら言ってね」
「ありがとうアクア。今はまだ大丈夫だ」
たかがヤンキーと喧嘩したくらいで、何寝込んでるんだ俺は。
そういえば先程から紅葉は、ずっと俯いて黙っていた。どうかしたのだろうか……
時計を見ると夜の22時を回っている。そんな遅い時間まで付き添ってくれた3人に感謝だな。
「そういえば藍河はどうした?アクアと一緒じゃなかったのか?」
「颯斗が倒れたって聞いたからこうして藍河を置いて駆けつけてきたのよ」
「……申し訳ない」
「命に別状がなくてよかったわよ。このまま目覚めないんじゃないかと思ったから。本当によかった」
「ありがとうなアクア」
「また見舞いに来るからね。ちゃんと安静にしてなきゃ駄目だからね。莉奈ちゃん見張り宜しくね」
《お兄ちゃん。私が見てる》
アクアは納得したように頷いて立ち上がる。
「そろそろ私帰るね。紅葉はどうする……?」
そこで初めて紅葉の口が開く。それはとても暗い声だった。
「……私は、もう少し残ります……」
「……そう。帰り暗いし気を付けてね」
紅葉は一度頷くだけだった。
そんな紅葉の頭をアクアは軽くポンポンっと叩き、笑顔で台詞を続ける。
「あんまり気を落としちゃ駄目だからね。それじゃまた明日学校でね」
ニコッと笑い返す。
最後に俺と莉奈にも手を振って、帰っていくのだった。
俺も一言「ありがとう」と返して。
俺はつくづく良い友達と出会ったと思うよ。
「紅葉は時間大丈夫なのか?俺なら――」
そこまで言った所で、紅葉が台詞を割って入れる。
「り、莉奈ちゃん。申し訳ないですけどちょっとだけの間。お兄さんとお話させてもらってもいいですか?」
莉奈はそう言われると、無言で頷き奥の部屋へと移動してもらった。
その辺は空気の読める妹である。
もっともこの空気を俺も読んだわけだが――
どうして今二人きりなのか――
どうして先程から紅葉のテンションが暗いのか――
そしてどうしてしばらくお互い無言の状態が続いているのか――
――俺にはなんとなくその理由は解っていた。
俺は勇気を振り絞り、先にこの状況を打開しようと話し掛けようとする。
「……あ、あの……」
すると俺の声と重なって、紅葉が泣き始めるのだった。
どどどどどどうした!?
何も泣くことなんかない。俺が勝手に怪我したことであって紅葉は怪我なんかしてないし、どこも痛い所なんか……
あ……
そうか……
それが泣く理由か……
自分を守ろうとして他人の俺が代わりに怪我したんだ。きっと罪悪感に襲われているんだろう。
「ごめん……」
「……私こそごめんなさい……」
「……」
「……」
……あーもう。こんな悲しい思いをさせるために遊びに行ったんじゃないぞ俺達は。どうか泣き止んでくれ。
俺は紅葉の頭をそっと右手で撫でる。他に泣き止んでもらう方法が思いつかなかったから。
そして今の思いをそのまま伝えるのだった。
「ありがとうな。俺の為に泣いてくれて、俺は大丈夫だから」
「でも……でも……私のせいで樋口さんが……!」
声が完全に涙声だ。表情も涙が止まらない。
それでも俺は礼を言い続けた。泣いてくれている事。考えてくれている事。
「……怪我してしまったけどさ。俺は紅葉さんと遊んですごい楽しかった。今までこんな楽しい事はないって思えるくらい楽しかった。少しの時間だったけど。チンピラに絡まれたりしたけどさ。それでも2人で遊んだ時間は俺の人生で1番楽しかった事かもしれない。俺は……」
すすり泣きしていた紅葉がゆっくりと俺の眼を見つめた。俺はそれに応えるように言った。
「――また紅葉さんといっぱい遊びに行きたい」
これに懲りず、また遊びに行きたい。
だから――もう泣くのは止めてくれ。
「……うぇーん……!勿論いきだいですぅ……!」
余計に泣いてそう言った。
なんだよそれ。思わず俺は笑ってしまった。
俺は更に紅葉の頭をなで続ける。よしよしと。
この光景、きっと藍河がみたら俺は蜂の巣だろうな。
けれど、また紅葉が一緒に遊びに行ってくれる。俺はそれが嬉しくてたまらなくて、藍河の事なんか考えられなかった。
とりあえず今回の事は解決という形で幕を閉じる。紅葉との話はまた今度だ。
「紅葉さん……もう夜遅いしそろそろ帰らないと。また藍河に怒られるよ?俺が……」
「……駄目です!」
「え!?」
急にどうしたというんだ。訳が分からなかった。
けれど、それもすぐに安心することとなる。
「さんなんていりません。アクアさんにはアクアって呼んでるんですから。私にもそんな堅苦しい呼び方をしないで下さい樋口さん!」
「……そっちはさん付けで呼ぶんだな……」
「そ、それじゃ……颯斗さんって呼びます。失礼でなければ呼ばせてください!」
「全然失礼とかないよ。俺達友達なんだし。それじゃ俺は紅葉って呼ばせてもらうよ」
心のナレーションではとっくに紅葉って呼ばせてもらってたんだけれど。
気が付くとすっかり紅葉に笑顔が戻っていた。本当に良かった。
「そ、それでは颯斗さん。私は今日はここで失礼します。お大事になさってくださいね」
「ありがとう本当に。また遊ぼうね」
「はい。ではまた」
そう言って帰ろうとすると、俺は面白がって初めてさん無しで名前を呼んでみせた。
「ありがとうな紅葉」
するとみるみる紅葉の顔が赤くなり、照れのボルテージがみるみる上昇する。
「も、ももももう!恥ずかしいです!」
ボフン。
部屋中煙まみれにして、一瞬でそれが視界を完全に塞ぐ。それどころか、部屋中そこら中が煙臭くするのだった。そして煙が換気扇を伝って外へと逃げ、前が見える頃には紅葉の姿がなくなっていた。
ふ……
「普通に帰ってくれ!」
いたたたたた……
傷口に響く大声を出してしまった。
今気づいたのだが、体中あちこち包帯やテープが不器用に巻かれている。どれもこれもアクアや紅葉たちが不器用なりにしてくれた事。それを思うと自然と痛みの事なんて忘れてくる。
俺は嬉しくなって、今日1日を振り返った書き込みをしようとSNSサイトーーAvnasを開く。
今日この日、俺の人生の転機とも呼べる1日。
22:45 ウィザード
今日1日たっぷり遊んだ。バーベキューに夜の金沢でゲームセンター。こんな充実した1日は生まれて初めてだったよ。今日は本当にありがとうでした。
送信完了っと。
すると一瞬で返信メッセージが俺の下へと届く。
22:46ナイト~ウィザード
そんな事はいいから早く姉上を返せ。
しつこい弟さんからの返事だった。
これ返事じゃなくないか?
ウィザードが俺だと解った途端、態度を急変させやがって。
※
15分後。蓮崎家。
ボフン。
玄関にいきなり煙が現れ、その中にどこからともなく出現する蓮崎紅葉。何事もないように「ただいま戻りました」などと一言済ます。おそらくこんなただいまの仕方をする家庭は世界でここの家だけだろう。
紅葉はスキップなんかして、とても上機嫌に自分の部屋へと向かう。
そして自分の部屋へと入るなり、ベッドへと勢いよく飛び込んだ。
今日貰った様々なぬいぐるみと一緒に飛び込んだのだ。
「颯斗さん……」
ぬいぐるみと目が合うとすぐ同じ名前を連想する。気が付くと同じ顔の事を考えている。
それが紅葉にとって楽しみで仕方がないのだ。
「颯斗さん……私はあなたの事が……こんな気持ち、生まれて初めて……」
――彼にこの気持ちを伝えたい。
それはとてもとても恥ずかしい事で、勇気を必要とする行為。
けれど――
紅葉は深いため息を吐き、肩をがっくりと落とす。
なぜなら……
スマートフォンの待ち受け画面を開く。そこには一昨日バーベキューの買い出しに行ったとき、アクアと2人で撮ったプリクラの写真に設定されていたのだ。2人ともとても楽しそうに笑っている。そしてプリクラの中心には『ベストフレンド』の文字が目立つ。
おそらく紅葉にとって人生初となる同性の友達。それがこの水玉アクアだ。
アクアの事を思うと、とても気持ちを颯斗に伝えることなどできなかった。
紅葉は確信しているから……
アクアもきっと、自分と同じ気持ちでいるから。
きっと同じ男の子を好きになっているだろうから。
「……アクアとは、ずっと仲良く友達でいたい……」
今のこの関係を崩したくない。
それに――
告白できない理由がもう1つある――
コンコン。ドアノック。
「はい。どうぞ」
紅葉は起き上がり、急いで姿勢正しくドアの方へ正座して相手を迎え入れる。
ドアを開けて入ってきた人物。それは紅葉達姉弟の父だった。
紅葉の表情から――笑顔が消えた。
「こんな夜遅くに悪いな。前に話した仕事の話だが」
蓮崎家のくノ一であれば、父を通して依頼が来る。けれど父が最近、なにやら不審な人物と取引していることは薄々感づいていた。
確かスパイしていた藍河の情報だと、黒いスーツを着ていたとか。
「はい父上。例の件の話ですよね?それでしたらまだ調査中でして……」
「いやなに。例の件……珍しい生物を捕獲するという任務だったが、どうやらターゲットを発見してな?どうもマーメイドらしいんだが」
「……え……?」
マーメイド……紅葉はすぐにその言葉と友達の顔を連想させた。水玉アクア……もしかしてもしかして。
嫌な予感が、紅葉の脳内を何度もよぎる。
紅葉はすぐに、父にそのマーメイドの詳細を確かめた。今回のそれのマーメイドが、知っている名前とは違うようにと。何度も何度も願った。
けれど――
「そのマーメイドの名は『アクア・リーフコーラル』。別名『水玉アクア』と言うらしい。これがそいつの写真だ。人間に紛れて生活してるからくれぐれも慎重にな」
手渡された写真も、聴かされた名前も全てが一致。紅葉の願いは儚く崩れ去る。
紅葉の中で何かが壊れていくのを感じ、ただ茫然と立ち尽くす事しか出来なかった。
翌日。7:30 樋口家玄関。
「それじゃあ私は行くけど、絶対に安静にしてるのよ颯斗」
制服姿のアクアだ。怪我してる俺の為に、朝学校に行く前に立ち寄ってくれたっていうわけだ。
俺自身怪我の事なんて全然大したことないのだが、アクアが絶対安静と言って聴かないのだ。
まぁ気持ちは嬉しいけれど……
俺からしたらアクアの事も心配な訳で……
「お前も水とか気を付けろよな?って、こんな事いくらお前に言った所で無駄な事は解ってるけれど……俺が学校戻ったら皆お前の正体知ってる!なんて事は御免だからな?」
「失礼な!私がそんなへますると思う!?私の事信じられないの!?」
「信じられない!地球が滅びるって何度も言ってる似非信教並みに信じられない!」
即答してやった。それよりこいつなんで毎回自分に自信たっぷりなんだよ。いい加減自分の天然っぷりを自覚してほしいものだ。
「むー!」
顔を膨らませて怒りをアピールしてくる。むしろ怖くないからな。ふざけてるのか?って聞きたい。
「もし何かあったら連絡して来いよ?折角昨夜電話番号とか交換したんだからな。電話して来いよ?って……充電もう無いとかって言わないよな?」
「そこまで馬鹿にしないでよ!昨日充電したまま寝たよ!」
ならいいけれど……
それでまた何か問題が発生させるのが、このアクアという少女だ。
「……まぁ今朝もお見舞いありがとうな。俺は今日もう1日だけ安静にしてるわ」
「うん。お大事にね」
「それじゃ行ってらっしゃい」
「行ってきます」
お互い笑顔で手を振って、振り返すアクアだった。
スキップして、楽しそうにアクアは学校へと向かった。
「……行ってらっしゃい。行ってきます。かぁー。まるで夫婦みたい……ってなに恥ずかしい事言ってるんだろ私!」
そんな独り言も言いながら、学校までの通路。とある田舎道に差し掛かる。
人気のないその通路で、アクアは思い入りのある、嫌な服装をした人物を見かけるのだった。けれどその人物の首から上が、思っていた人物とは違う。あの今までしつこく追い回してきたマフィアコンビとはまた別人。
けれどその人物は、黒スーツを着こなすには、雰囲気が合っていない顔立ちをしている。
いかにも柄の悪そうな、ヤンキーを思わせる男だ。
そんな男が、こちらを見つけるなり嬉しそうに近づいてきた。
「おぉ。早速見つけたぜ。俺って運がいいなぁ。情報通りの青髪だな」
今確実にアクアの事を指して言った。
そして黒スーツ。
人は違うけど間違いない。
マフィアだ。
そう確信したアクアは、振り返って走りだす。
だがそれは男は許さない。
「おい待てよ女ぁ」
一瞬でアクアの正面へと回り込む。
アクアの咄嗟の行動を追い越した。これがマフィアの恐ろしさだ。
逃げられない。
「おいおい。いきなり逃げる事ねぇだろぉ。俺少し傷ついちまったわぁ」
まずい。このままでは捕まってしまう。
このままでは……
「誰か!誰か助けて!誰か!」
必至にアクアは叫ぶ。だが、ここは人気のない田舎道。助けは当然来ない。
「助けてはねぇだろ?まぁ無理ねぇけどなぁ。俺はお前を捕獲しに来たんだからなぁ。ちなみに俺の名はサードって言うんだ。宜しくな」
少しも宜しくなんてしたくない。
早く、颯斗達に連絡しないと……!
……あ。
かなり絶望的な事を思い出すのだった。
携帯電話……家に忘れた……!
「……颯斗達に……助けを呼べない……!」
「おっ?万事休すかぁ?そりゃ残念だなぁ。もう少し楽しめると思ったのに。ここで早くもゲームオーバーだ」
サードは笑いながら、アクアを捕まえようと手を掴もうとした。
その時2人の男女の声がサードの後ろから飛び込んだ。
「その薄汚い手をどけろ!」
その男女――驚いたことに、今までアクアを捕らえるためあらゆる手段で立ち塞がって来た、しつこさに神がかっている黒スーツの2人。フィフスとエイトだった。
エイトは火のついたダイナマイトをサードに向かって投げる。それをサードは腰に隠していた小型ナイフを投げて、導火線を的確に切る。その隙に動いていたフィフスがアクアを連れてエイトの方へ連れるのだ。
「あなたたち……!?」
「海で優しくしてくれたからね。借りを返しにきた」
「俺達が来たからには、超絶安心していいからな」
助けを望んでいたが、まさかこの2人が来てくれるなんて……
マフィア内で仲間割れか。それにしても本当にこの2人が……
急な邪魔が入ったサードからしてみれば、この上ない屈辱と苛立ちで、今にも怒りが爆発しそうな様子だった。
「お前ら……一体これはどういうつもりだぁ……!?そんな真似して、正義の味方のつもりかぁ……!?どうやらクビにしただけじゃ気が済まないらしいなぁ!殺してほしいなら遠慮なく俺にそう言えよ……!」
怒りがはちきれそうなサードの感情が、そのゆっくりとした口調で伝わってくる。
けれどフィフスは舌を思いっきり前に出して、エイトがその横でフィフスになりきって挑発する。
「超絶お前が死ねよ。私達2人からより」
その舐めきった態度に、サードの怒りが頂点に達する。
「それじゃこの俺を止めてみろよ!死んで後悔しても遅ぇぞ!」
サードが一気に距離を縮める。それは刹那の出来事で、サードが駆け出して一瞬で目の前に迫ってきたのだ。
すぐさまエイトを右手で殴り飛ばす。体が横の壁にと激突した時にはすぐに次の攻撃が始まっていた。
「エイト!」
「おいおい。人の心配なんてしてる場合かよ」
サードの左拳が、フィフスの腹部に叩き込まれる。パンチの荒ましい音が辺りに響き、フィフスが地に膝をつくころには恐ろしいほど静まり返った。
そしてアクアが恐怖で足がすくむ中、サードが余裕の笑みを見せるのだ。
「この俺に調子こいたことほざくからこうなるんだぜ。これが格の違いってやつだ」
頼みの綱が消えた。唯一の助けが今目の前で敗北した。
もう助からない――
そう思うしかなかった。
自分の為にボロボロになった2人に、アクアはどうしようもない罪悪感で心一杯になっている。それもこれも……
……自分がマーメイドだから。
自分がマーメイド――これだけで今まで何人もの人に迷惑をかけた。
「さて、邪魔も入ったが、おら行くぞ」
サードがアクアの腕を無理やり引っ張る。だがアクアにはもう抵抗する気力も残されていなかった。
そんな時次の瞬間――突然音もなく現れた男が、サードの脳天目がけて右足蹴りを喰らわす。サードの体はコンクリートの壁に激突するのだった。
コンクリートは瓦礫となり崩れ去り、サードはそのまま地面へと落下する。
アクアは驚いてその男の方へ振り返った。
「水玉アクア。気になって来てみればやはりか。貴様は大人しく登校もできないのか?やはり樋口颯斗同様、大の馬鹿だな」
その人を見下したような口調。その見慣れた容姿。
アクアの中に、安心感が込み上げてきた。
ガラガラと瓦礫の中から、傷だらけのサードが顔を出す。
「な、何だお前は……!?」
「貴様こそ何だ!この女はこれでも姉上の友人だぞ!これでもな!そんな姉上を悲しませるようならこの!蓮崎藍河が叩き潰す!」
「これでもって2回も言わないでよ!」
アクアが勿論否定する。全く藍河は失礼極まりない。でも――助けに来てくれた。藍河が凄腕のスパイだって事は知ってる。今サードを蹴り飛ばした蹴りだって荒ましい物だった。きっとサードとうまく戦ってくれる。
「けれどどうして私の場所分かったの?」
アクアがそう言うと、藍河が黙ってアクアの袖を破った。突然の事を勝手に、アクアは当然怒ろうとしたのだが、袖の中から直径1センチ程の大きさのマイクロチップが出てきたのだ。
「……発信機だ。それで貴様の居場所を割り出した」
「こんなの私気づくわけないじゃん!」
一体いつの間に……流石スパイだ。ってこんなの普通女の子に発信器なんて犯罪なんじゃ……
「とっとと逃げろ!早く樋口颯斗の所へ行け!」
細かい事は後にして、この場はとりあえず藍河に任せることにする。この場を後にして、アクアは走り去った。
「ありがとう藍河!」
当然サードはそれを追いかけようと手を伸ばす。
「待てぇ!お前は俺が捕まえる!」
瓦礫に体を押さえられていては当然腕しか上がらない。
「これが貴様の言った格の違いってやつだ。よく理解したか?」
藍河はそう言って、拳を強く握り締めるのだった。
アクアは走る。盾になってくれた仲間のために。
早く早く。新たな追手が来る前に。
すると大通りに出た所で、聴き慣れた女性の声が、走るアクアを呼び止めた。
「待って!」
声に気づいたアクアは、すぐさま足を止めそちらを振り返る。何故かその女性は灰色のフードで全身を隠すように覆っていたのだが、馴染みのある声からある特定の人物だと確信する。
「も、紅葉……!?どうしたのその格好……?」
「アクア……説明は後。追われてるんですよね?ついてきて下さい」
「やっぱり紅葉だ。よかった」
これでまた安心した。紅葉はくノ一だ。きっと敵から逃げられる技や道具をいくつも持ち合わせているに違いない。
紅葉が先頭を走り出す。アクアもそれに続いて走る。正直くノ一に走りでついていけるか心配だったのだが、どうやらアクアにペースを合わせてくれているみたいだ。
「……あれ?颯斗の家ってこっちの方角じゃないよ紅葉」
「……ご、ごめんなさい……けれどこっちで大丈夫なんです……近道なんです……」
「なぁんだ。流石紅葉だね。もう私何も喋らないでついていくよ」
「……」
紅葉はそれから何も話さなかった。
何かあったのだろうか。今話していた時だって……どこか悲しそうな……気のせいだろうか。
いつの間にか、人気のない紫陽花公園に差し掛かる。そこは人が1人もいなく、まさに風の音と、植物が揺らぐ音だけの空間。
何故か紫陽花公園の中心に位置するその場所で、紅葉は急に立ち止まった。
「……」
「……ん?紅葉?どうしたの……?疲れたの?」
「……違います……」
「……あ、もしかしてこの公園に隠れるのね?流石紅葉。あったまいい」
アクアはわざと明るい口調でそう言った。
暗い雰囲気の紅葉を気遣ってのあえての明るめの口調。
けれど紅葉のテンションは決して変わらず、それどころか今にも泣きそうな辛い声で話す。
一言だけ……
「……ごめんなさい……」
様子が普通ではない。
「ど、どうしたの……!?」
その時急な突風が紅葉を襲う。羽織っていたフードが突風にさらわれ、予想とかなり外れた服装を身に着けていた。
今アクアが決して見てはいけない、警戒していた黒い服装。マフィアがユニフォームにしていた黒いスーツ。決して起こってはいけない違和感。
紅葉の辛そうな表情と口調から、ふざけてるとは思えない。
それに紅葉の言った一言……
「ごめんなさいって……!?どういう……!?」
ボフン。
紅葉が煙玉を地面に向かって叩き付ける。
白い煙が一瞬でアクアを覆い、すぐに紅葉の黒スーツが見えなくなった。
「そ、そんな……紅葉が……ま、ふぃ……あ……」
意識が遠のいていく。急激に眠気が高まっていくのを感じた。
そして煙が風に流された頃には、すでにアクアは倒れ、深い眠りについた後だった。
それを見つめていた、眠らせた張本人である紅葉は、罪悪感に襲われ涙をただ流していた。
「……ごめんね……本当にごめんね……アクア……!」
※
同時刻。樋口家。
怪我で安静に横になっていたのだが、携帯を見て思わず立ち上がっていた。
Avnasのナイト(蓮崎藍河)から、個別メールが届いたのだ。その内容は今現状で起きてる出来事だった。
8:25 ナイト~ウィザード
早く馬鹿マーメイドの所へ行け!貴様らの言っていたマフィアとかいう連中が動き出した!急がなければ連れ去られるぞ!
あの藍河から直接メールが来た。それはとても重大なことが起きてる証拠で、藍河1人ではどうにもならないくらい大変な事態が起こっているという事なのだ。
俺は気が付くと体が勝手に動き、何時の間にか着替え終わり家を飛び出していた。
体中が傷で痛むが、気にしていられない。
全力で走りながら、藍河への返事を書いている。
8:30 ウィザード~ナイト
おいアクアは今どこだ!一体何が起こってる!?
送信完了。その数秒後にまた返信が返ってくる。
8:31 ナイト~ウィザード
もうかなり前に貴様の家に向かわせた!どこかで迷っているとも考えにくいだろ!ならばこの場合、最悪のケースだ!
最悪のケース――それは俺が真っ先に考え付いた可能性。けれどそれだけはあってほしくない。だから1番最後まで言い出したくなかった事。
藍河も知らないとなると、本当に捕まったのか。それでももし、まだアクアが捕まってなく、どこかで隠れているとしたら……
俺はその可能性を信じたい。
もしアクアがまだ捕まっていなく、どこかで隠れているとしたら――俺はやはりあの場所しか思いつかない。
8:33 ウィザード~ナイト
紫陽花公園に行こう。もしかしたらそこにアクアが隠れているかもしれない。
8:34 ナイト~ウィザード
可能性は低いが、行ってみるか。
俺はスマートフォンをポケットにしまい、全速力で走り出した。
そういえば、アクアに初めて会う前もこんな感じで走ってたっけ……
そんな事を思い出しながら、紫陽花公園にたどり着く。
すると偶然にも藍河と偶然鉢合わせしたのだ。かなり広く、道が入り乱れている公園でかなり奇跡的な確率の出来事だぞ。
「樋口颯斗!この面積の公園を2人で虱潰しに捜し回る気か!?ローラー作戦を2人でしたって一体何時間かかる事か!」
確かに絶望的問題だ。それに俺達が見つける事の出来ない空間がこの公園にはいくつか存在する。アクアが1人で歌の練習に使っていた池もそうだった。あんな場所、おそらく見つける事が出来ない。
「なんの手がかりのない中で、ここに来れば何か起こると思ったんだけどな……」
「ぬるすぎる!早くしないとあのマーメイドが危ないぞ!」
「そんな事解ってるよ!」
ああ勿論解ってる。一刻を争う時だってことくらい、痛いほど解ってる。
何か……手がかりくらいあれば……!
そんな時、藍河の持っていた携帯端末が光る。
藍河はそれを急いで確認する。そして次の瞬間、表情が凍りついた。
「……どうした?」
「……なぜ、ここに…?」
藍河はそれだけを呟き、急に公園の奥へ向けて走り出す。
「……は!?おい!急にどうしたんだよ!?」
俺は勿論それを追いかける。なぜ急に走り出したのか、それは何度聴いても答えてくれなかった。
そして――目的地にたどり着く。
藍河が立ち止まった場所――そこには少女が倒れ、それを取り囲むように黒いスーツを着こなした男女が3人。その内1人の少女は俺達がよく知る人物が敵と同じ服装で立っているのだ。
俺はその光景を見て、流石に信じられなかった。だってそうだろ。なんで……紅葉がそんなマフィアたちと一緒にいて、アクアを襲ったかのようにして立ってるんだよ。
俺の代わりに藍河が問いただした。俺と同じ心境にいるはずの藍河が。
「どういうことですか姉上!?なんでそんな格好で、そんな奴らの横で立ってるんですか!?私は聞いていない!」
激しく混乱。混乱が混乱を呼ぶ。
単刀直入に――これは、紅葉は実はマフィアの仲間で、アクアを罠に掛けたかで襲い、今こうして目の前にいる……こういう解釈でいいのだろうか。全く意味が解らない。どうか俺の誤解であってくれ。
紅葉は黙って下を俯いたまま、俺達と眼を合わさないようにしていた。代わりに中心にいた黒スーツの青年が話し始める。
「こんにちは。初めまして。僕は『Godjack』のボスをやってます。年は20歳。若くしてボスやってる僕ってすごいでしょ?」
「お前の事なんて聞いてない!ふざけてんのか!?」
「ふざけてなんかいないよ。僕からも質問ね。どうしてここにいると解った……?」
そこまで言った所で、藍河の顔を見て思いだしたように続けた。
「なるほどね。君が藍河君か。だったら納得だよ。差し詰め君のお姉さんのどこかに発信器でもつけてるんだろう?スパイは優秀だよね。でも残念だな。僕のアジトは妨害電波が出てて場所突き止められないようになってるから」
男は楽しそうにそう言った。ふざけやがって……
「紅葉!なんでそんなやつらと一緒にいるんだよ!戻って来いよ!」
「……」
紅葉はとても辛そうな顔をした。
「駄目だよ女の子を虐めたりしたら。紅葉ちゃんは好きでここにいるんだ」
紅葉は辛そうな顔をするだけで、一切否定をしなかった。
もしかして本当に……!?
そんな時、藍河が隣で駆け出した。ボスと呼ばれる男に急接近する。藍河の飛び蹴りが命中するまで、あと数メートル。
けれどボスは笑顔を絶やすことなく、隣にいた別の黒スーツの男の名を呼んだ。コードネームで呼ぶ。
「セカンド。こいつを黙らせなさい」
セカンドと呼ばれた男。藍河を上回る速さで動く。顔をフードで隠していた男がフードを取って前に出た。
その顔を見た藍河は、眼を疑うのだった。
「大人しくしろ。お前が俺に勝てた事が一度でもあったか?所詮……子は親には勝てないんだよ」
「父う……!」
セカンドの右拳が藍河の体を1回転させる。
その光景を見ていた俺は、すぐに『サイコキネシス』で遠くから藍河の体を引き寄せた。
このままじゃ藍河が殺される。そう、思ったから。
けど――
「ほう。お前もサイキッカーか。けど弱いな」
背後から急に声がする。目の前にいたはずのセカンドの声と同じ。
気が付くと背後から、セカンドの鍵爪が俺の腹を貫いていた。
そうだ……忘れていた……藍河の父親という事は、こいつは忍び。
それにしても、こいつが今言った「お前も」ってどういう……
ドサッ。俺の体が崩れ落ちた。
「んー。案外大したことなかったね。サイキッカー君。止め刺しちゃってセカンド」
「了解しましたボス」
セカンドは一礼を済ませた後、鍵爪を付けた腕を大きく振りかざした。
「待って!」
その時紅葉が初めて大声を上げる。
そんな紅葉に父であるセカンドの腕が止まった。
代わりにボスが不思議そうに紅葉の顔覗き込んだ。
「……どうしたの?」
「い、いえ……もう彼らに戦闘力はありません。ですから殺す必要はないかと……」
紅葉が俺達を庇ってくれているのか。けれどボスの答えは当然。
「紅葉ちゃんは優しいね。けれどダメだろ?今潰しておかないと後で面倒なことになりそうだろ?だからここで殺す」
「け、けれどこの2人はアジトの場所を知りません。ですからボスの脅威にはならないかと」
「……」
ボスはしばらく考えて、ため息を吐きこぼす。
「……んじゃあいいよ。紅葉ちゃんに免じて許してあげるよ。行くぞセカンド。そのマーメイドを連れて来い」
セカンドは眠っているアクアを背負い、ボスは紅葉の肩に手を回し去って行った。途中何度か紅葉が此方を振り返ったように見えたが、今の俺達はただそれを見つめる事しか出来なかった。
「……く、そ…!あの変態野郎……!姉,上を……」
藍河が消えそうな声で言っていたことは、俺にはしっかり伝わった。けれど俺も同じ心情だ。
友達を救えない事がこんなに惨めで自分が恨めしいと思ったことはない。
自分の無力さを思い知らされた。
※
3時間後。樋口家。
俺たちは近くを偶然通りかかった人に助けられ、家まで運んでもらったというわけだ。腹まで刺されて重傷だったのだが、なんとか致命傷には至らなかった。
途中救急車を呼ぼうかと聴かれたが、そんなものを呼べば入院させられてしまう。それは困る。
一刻も早くアクア達を助けに行かなくては……
ここ俺の家で、藍河と布団を並べて天井を見上げているというわけだ。
どこかデジャブだな。
「なぜ私が貴様の家で寝てなければならない!?それに貴様と隣り合わせで……どんな拷問だ!」
「それはこっちの台詞だ。それにそこまで言われる筋合いはねぇぞ」
それに、俺はここで寝ている暇はないんだ。早くしないと、アクアが危ない。そもそも奴らはアクアの何が狙いだ?まぁ、マーメイドを狙う理由なんていくらでもありそうなものか。
俺はゆっくり起き上がり、奥の部屋にいる莉奈を呼ぶ。それはある事のお願いだった。
「おーい莉奈。俺に包帯巻くの手伝ってくれ」
しばらくして『テレパシー』の返事が返ってくる。
《今行く。今もう少しでセーブポイントに……》
「すぐに来い」
ゲーム中ならなおさら来い。こっちはそれどころじゃないんだ。
莉奈が包帯と鋏をもって襖を足で開ける。パジャマのボタンは最初から空いていたのだが。
「お前、一応男いるんだぞ?男いるときくらいその情けない格好止めてくれ。頼むから」
「樋口颯斗!私は見ていない!何も見ていない!」
藍河が布団に顔をうずめていた。
……なんか家の妹がすいません……
すぐにボタンを閉めさせ、包帯の作業を始めてもらう。どこか心配そうな表情を浮かべたいた。
《お兄ちゃん……アクアは……?》
「アクアなら大丈夫だ。俺が今から助けに行く。心配するな」
《お兄ちゃんもちゃんと帰ってくる?》
妹の問いに、俺は笑顔でこう答える。
「当たり前だろ?」
すると莉奈に笑顔が戻り、心なしか包帯の巻くスピードも速くなった気がした。
「けれど貴様は、敵のアジトがどこにあるかわかっているのか?」
「……あ」
すっかり忘れていた。場所が解らなければたどり着けないじゃないか……
これで何もかも終わった。アクアを救う手段が何1つない。
絶望していた。そんなとき玄関のチャイムが鳴った。
誰だこんな時に……新聞の勧誘とかだったら怒鳴り散らして、2度と家に足を運べないようにしてやろうか。
そんな事を考えながら、玄関のドアを開けた。
すると思ってみない2人が立っていた。
見慣れた黒スーツの2人。もう俺の中で黒スーツといえばこいつら。とまでイメージが定着している2人だ。
けれど今俺達にとって黒スーツは、敵の識別を知らせる色。俺はすぐに『サイコキネシス』を使って2人を持ち上げ、家の中へと投げ込み、俺達が寝ていた居間へと放り込んだ。
「何しに来たお前ら!とうとう念願のマーメイドを捕まえて冷やかしに来たのか!?からかいに来たのか!?」
「……あ、そういえば貴様はこいつらの事情を知らなかったな」
事情を知っていた藍河は冷静だった。
「は!?事情!?何のことだ!?」
目を回しているフィフスとエイトの代わりに、藍河が今までの経緯を話し始める。
この2人が味方であるマフィアを裏切り、アクアを逃がそうと戦ってくれていた事。フィフスとエイトが目を覚ます頃には、俺は身の縮む思いで一杯だった。
「いきなり超絶酷いぞ!」
「そうよそうよ!」
今回ばかり、俺は言い返す言葉がない。
大変申し訳ない。だって何時も迷惑かけていたのはこいつらの方であって……ってこんな話をしても切がない。
「それで?なんでお前たちはここに来たんだ?よく俺んちが解ったな?」
「それは数日ずっとあなたを見張っていたからよ」
エイトがきっぱりとそう言った。
「一瞬で全身鳥肌が立ったぞ」
こいつらのストーキングに全く気が付かなかった……と言えば嘘になる。でなければ行くところ行くところ毎回襲撃されない。海での1件もしかり。
まぁそれもアクアを捕獲するためのストーキングで、もうその目的以前に組織から追い出された訳だし、今後ストーキングされる事もないだろう。
「……じゃあ何で今ここに来た?何か用か?」
「……おい。そんな態度でいいのか?後で後悔するぞ?ちょーぜつ!後悔することになるぞ?」
何か勿体ぶったようにフィフスが言った。俺は取りあえずイラッとしたから、『サイコキネシス』で空中に引っ張り上げる事にした。
「すいません。俺の負けです」
一瞬で謝った。プライドも何もあったものではない。
「いいから何が言いたいのかはっきりしてくれ」
俺は仕方なくフィフスを降ろすことにする。俺自身超能力は疲れるからな。
「怖いよエイト。暴力団だよこいつ」
「怖いよフィフス。私達親切に来たのにね」
2人は抱き合ってそう言った。まるで俺が悪者みたいな立場になってないかこれ?
もう一度持ち上げてやろうか……
いちいち相手をイライラさせる2人だ。
「親切ってなんだよ?もしかしてアジトの場所でも教えてくれるのか?」
「それを教えにここに来たんだよ」
え?まじ……!?
まさに千載一遇とはこの事である。
「どこだ!?教えてくれ!」
「えー。どうしようかなぁ。人に頼み事をするときはまず頭を――」
フィフスがそこまで言った所で、藍河が見せるように手の骨を鳴らしてみせた。
「どけ樋口颯斗。私が代わりに尋問してやろう」
「――紫陽花公園の地下です!」
またも即答だった。どんだけ弱いんだよこいつら。他のマフィアとはかなりの違いがある。
……紫陽花公園かぁ。
なんという因果か……俺達を何度も引きつける。
「紫陽花公園の中心に位置する池。そこを潜ればアジトです」
「池を潜る?お前たちは毎回ずぶ濡れになってアジトに入るのか?」
「そこの池だけ、水がホログラムになっているから大丈夫。もし不安なら水着でも持っていけば?」
「水着でアジトに乗り込むってどんなシチュエーションだよ。遊びに行くんじゃねぇんだぞ」
これで敵アジトの場所が解った。傷は治ってないが、包帯も巻き終わった。敵の攻撃を受けない限り動いても大丈夫だろう。
立ち上がり、莉奈の頭を優しく撫でる。
「ありがとうな莉奈。これで俺は戦える」
《どういたしまして》
上着を羽織った。決戦の時は近い。
「行くぞ藍河!アクアを助けに!」
藍河の方を振り返る。けれど藍河は立ち上がろうとしなかった。
「私は……行かない……」
「は!?この期に及んで何言ってんだ!?紅葉はどうするんだよ!」
「姉上と戦うことになるかもしれないんだぞ!私にそんな事はできない!」
「馬鹿野郎!」
俺は藍河の胸倉を掴んだ。
「勘違いするな!紅葉と戦いに行くんじゃねぇ!救いに行くんだよ!」
けれど俺が何をどれだけ言おうと、藍河は決して首を縦に振ろうとしなかった。それだけ、姉を慕っているという事なのだろうか。
……それでも。
このままじゃ紅葉は戻ってこない。
俺がやろうとしている事は、紅葉にとって余計なお世話なのかもしれない。けれど――昨夜約束したんだ。
また紅葉と遊ぶって……
あの時紅葉が流した涙が、嘘じゃないならきっと……紅葉が敵対した理由があるって信じたい。
「俺1人でも行くからな!絶対に2人を救い出す!」
そう言って玄関に向かって歩く。気合いを十分に入れて。
「お、おい!本当に1人で行く気か!?ボスは超絶強いんだぞ!俺達も詳しく知らないけれど、超絶やばいって話だ!」
「悪いな。俺はそれでも行くよ。お前たちも怖かったら来なくていいからな?裏切ったとはいえ、ボスと戦うなんて気が引けるだろ?」
「……」
フィフスとエイトは返す言葉が見当たらいのか、ただ茫然と立ち尽くす。おそらくこれが本来本当の反応なのだろう。
けれど……
守るって言ってしまったから。
俺は重い玄関を開ける。皮肉にも清々しいくらい鮮やかな青空が広がっていた。
《お兄ちゃん》
「……」
《絶対帰って来て》
俺は最後まで笑顔で妹に返事を返すのだった。
「行ってきます」