10話 失恋お好み焼き
時は同じ。金沢のとある飲食店。
「それで貴様は、まだあの小心ヘタレモヤシ害虫男の事を忘れられない……って訳か?」
いきなり暴言を撒き散らす少年ーー蓮崎藍河は、小さな底の深い皿の中身を掻き混ぜながらそう言った。
向かい合うように座っている少女は、同じく深皿を掻き混ぜ、呆れ顔で言い返す。
「だからその暴言、颯斗聞いたら怒るわよきっと。あ、油引くの忘れてた」
思い出したように目の前の鉄板に、薄く油を垂らし伸ばす。
そしてしばらくして、再度自身の深皿の中身を掻き混ぜる。
卵を始めとした様々な具が、絶妙に混ざりあっている。
「よし。だいぶ混ぜ終えたし、そろそろいいか」
そう言って鉄板の温度を確認していた藍河に、同じく混ぜる作業を終えたアクアは首をかしげて言い返す。
「あれ?そういえばなんで私達『お好み焼き』を食べに来たんだっけ?」
「貴様が私に何か奢れって言うからだろうが。傷心中だから仕方なく連れてきてやったというのに」
「そうだけど、何で『お好み焼き』なのよ?」
「聴きたいか?それは昨夜姉上と観ていたバラエティ番組の、『お好み焼き特集スペシャル』で私の思考回路は『お好み焼き』一色に染まったのだ」
藍河は嬉しそうにそう言った。
よほどお好み焼きが食べたかったらしい。
「昨日そんな番組やってたんだ……けどいいの?それなら私より紅葉と来たかったんじゃない?」
シスコンの藍河なら、何よりも溺愛する姉を第一優先に考える。けれど藍河の意外な答えーーそれは、自分達の過ごした友情の表れ。
「気にするな。確かに姉上と来たかったが、貴様は別だ。アクアには姉上だけでなく、私も世話になっているからな。まぁ、世話してやっている時も多々あるが」
相変わらずの嫌味口調。けれど、面倒を見てもらっているのは確かにアクアの方であり、言い返すことが出来なかった。
現に今も、慰めるために今こうして座っている。
それでも……
嫌味口調だけれど…!
いつも必ず、最後まで話を聞いてくれるのだ。
アクアの中で、元気が湧き上がってくるのが分かると同時にーー
感情とともに、涙が心の底から込み上げてくる事に気がついていた。
それでもアクアはーーいつもと変わらない口調と、変わらない態度で、泣きながら笑って接するのだ。
この嫌味男に悟られないように気をつけながら……
「何カッコつけてんのよ。生意気藍河のバカ」
こんなバカな友達のおかげで、また元気ないつもと変わらないアクアでいられるのだ。
※
同時刻。
月明かりの下、街外れの人気の無い裏通り。
全身を隠すように纏うフード付きのローブから、両手袋から手に持つ謎の本まで全てが漆黒の黒。黒。黒。
闇。影。陰。
深く被るフードと、体格を隠す黒ローブ。そして声を誤魔化す変声機のせいで、この人物が何者なのか。男なのか女なのか、大人なのか子供なのかさえ分からない。
もしかすると、人間であるのかさえも……
そんな黒ローブが、何故か俺達2人の行く道を阻むように立ち塞がる。
「お前達残念カップルに恨みはないが、特別な愛着があるはずもない。だから……滅するぜ。じゃあな、初対面さん……!」
俺達に向けて言った黒ローブのセリフ。
謎に包まれたこの人物だが、ハッキリと分かっていることがある。
こいつは敵として現れた。
何としても紅葉だけは助けたい!
「なんだよお前は!?初対面だって言うんならどうして俺達を襲う!?」
俺の問いに黒ローブは、どこか面倒くさそうに台詞をこぼす。
「あー。面倒だ。今から滅する悪魔相手に、仲良く会話してやる訳ないだろ?」
突然悪魔呼ばわりをされ、状況が分からぬまま黒ローブの行動が開始する。
「天使の本」
そう言って、左手に持つ天使の本と呼ばれた本を、バラバラバラとものすごい速さで捲る。
そして右手でバンっと叩いてページを止めた。
「悪魔を抹殺するため、力を借ります!『ガブリエル』」
黒ローブが呪文らしき単語を唱えた次の瞬間ーー本のページと右手袋が蒼く光り輝く。
俺は直感的に、黒ローブから殺意と危険を感じ、背後に隠す紅葉の手を取り後ろへ飛んだ。
「紅葉俺に掴まって!」
「颯斗君!?」
紅葉は理解が追いつかないまま、けれど信頼する俺の身体にガシッと掴み、一緒に後ろへと飛ぶ。
刹那。
黒ローブの蒼い右手が、蒼いドロドロのゼリー液状へと変化し、遠く離れる俺達目掛けて投げつける用にその場で振るった。
振るわれた液体化する右手は、黒ローブの手首から放れ、水鉄砲の如く襲いかかる。
俺は状況の判断よりも早く、反射的に身体を反転させ、紅葉を抱き抱え込むように攻撃を回避する。
「……ほう。うまく避けたな」
倒れるように着地するが、紅葉に怪我がないように注意を払う。
直ぐに起き上がり、今の攻撃を落ち着いて分析する。
ぶつぶつと、状況を分からないまま復唱する。
「手が水に……!?どうなってる……!?」
それはまるで……漫画の世界じゃ……!
黒ローブは驚く俺達にお構い無しで、無くなったはずの右手が、再び液体化となって生成させた。
「マーメイドは……お前か?」
黒ローブの真の目的。ここにはいないマーメイドを狙う。
マーメイドは水を被ると、人間の二本足を維持出来なくなる。その現象を利用して、水の攻撃で紅葉の正体を突き止めようとしたのだ。
この少女ーー蓮崎紅葉はマーメイドではない。くの一である。
その事実を伝えれば、黒ローブの誤解を解くことが出来る。けれど、マーメイドのアクアはかけがえの無い親友で、親友を売るなんてことは微塵を考えるはずがない。
しかし教えないという選択肢は、紅葉が代わりに命を狙われる事になる。
紅葉の事は大好きだ。大切だ。愛してる。
けどやっぱり、アクアを見捨てる訳にはいかないのだ。
「紅葉には指1本触れさせない!もう二度と……!」
去年の事を思い出す。
自らの運命に呪われ、親父の命令を従う為親友のアクアを裏切る事になった紅葉の事。
親友のアクアを裏切る事が耐え難い苦痛で、けれど親父の恐怖に怯え、泣きながら後悔と戦っていたあの頃を。
「ーー紅葉に辛い思いはもうさせねぇから!もう絶対に……!悲し涙は流させない!」
紅葉はそれを聞いて、命を狙われている状況にも関わらずニコッと笑う。
その笑顔は、俺を完全に信用してくれているからこそ出る笑顔だった。
「颯斗君……!貴方と一緒に帰らないと、私はもっと辛いですからね……!」
絶対に!二人揃って帰るんだ!
紅葉がくの一である事が悟られないようにーー
自分と紅葉、そしてこの場にいないアクアを守るため、俺は全神経を右手に集中させた。
それはーー他の人間にはない、神経の使い方。
「2人で必ず帰るんだ!その為に俺は、最初から全力で行く!」




