8話 テレパシーとパンケーキ(挿絵あり)
《お兄ちゃん!助けて!》
その声は、自宅マンションのドアを開けると同時に、俺の頭の中へと流れ込んできた。
頭の中へと流れ込む、特殊な声。その声は妹ーー樋口莉奈のサイキック能力による物。
Telepathyーー言葉や表情、ジェスチャー等を使わずに、他人の心に意思を伝達させる事の出来る超能力の1種だ。
莉奈は過去に、サイキッカーである事を理由に迫害を受け、それでもコミュニケーションを取るべく立ち向かって話し掛け続けていた。
けれど……誰も莉奈の言葉を聞き入れてくれてはくれなかった。
だから莉奈はーーそれっきりで話すことを止めた。
家に引きこもり、外に出ようとはしなくなった。
そんな莉奈からの、突然の救済テレパシーを受信。
俺は靴も脱がす、急いで部屋の中へ駆けつけた。
「莉奈!?大丈夫か!?」
血相を変えて莉奈の元へ向かう。
莉奈ー!莉奈ー!
俺の帰りが遅くなったばっかりに……!
1DKのマンションに二人暮らし。
莉奈が居るであろう部屋へ続く、引き戸を開けようと手を伸ばそうとしたーーところで向こうからバタンと勢いよく飛び出してきた。
パジャマ姿で、後5ヶ月で15歳を向かえる妹が、泣きながら俺の胸元に飛び込む。
《お兄ちゃん……!不味くて死んじゃう》
不味くて?何が何だか状況が把握出来ない。
とりあえず怪我したりしてる訳では無いらしい。
「一体どうしたんだよ!?」
《あれは錬金術……いや、魔界の兵器か何かだよお兄ちゃん!》
ゲームの話だろうか、俺は全く理解が追いついていない。
混乱していると、ある人物がひょいと奥の部屋から続いて顔を出す。
見知れた、青髪の少女。
「ちょっと莉奈ちゃん失礼なんじゃない?お姉ちゃんショックだよ」
青髪の美少女ーー水玉アクアが、何故か俺の家に居てーー
何故かエプロン姿での登場だった。
莉奈は埋めた顔をチラッと見せてーー
《お姉ちゃんじゃない。莉奈には颯斗お兄ちゃんだけ》
そんな事をテレパシーで言って見せたのだけれど……
アクアはニヤニヤして近づいた。
「そんな甘えてる莉奈ちゃんも可愛いね!」
空気を読めないとはこの事だ。
けれどそんな事はどうでもいいのだ。
俺は意味不明な状況の中、意味不明なまま事が進み、意味不明なまま置いてけぼりをくらっていたのだから。
「俺にちゃんと説明しろ!」
思わず俺は叫ばずにはいられなかった。
とりあえず強盗とかそういう事ではないらしく、警戒と焦りを落ち着かせる。
ホッと一息ついた俺は、土足のまま家に上がっていたことに気付き、靴を脱いで片付ける。
そして再度、アクアと莉奈に問いかけた。
「もう一度言うぞ。何がどうして『助けて』なんだよ?そして何でアクアはエプロン着てるんだよ?」
「えへへー。どう?エプロン姿可愛いでしょ?」
「そういう事聞いてるんじゃないぞ」
そんな時、俺の目にある物が止まった。
ダイニングテーブル上に置かれたーー三段に積まれた綺麗なパンケーキ。
気が付けば、香ばしいバターとメイプルシロップの香りが、部屋を甘く包んでいたのだ。
「パンケーキじゃん!もしかしてこれアクアが作ったの!?凄い美味しそう!」
普段から料理やスイーツ作りを趣味にしている俺から見ても、このパンケーキの見た目と香りはかなりの物だ。
自分以外に料理をする友達がいる事にも喜んだが、何よりそれを妹の莉奈に作ってくれていた事に驚いた。まさに感謝感激。
アクアは顔を赤くして恥じらった。
「いやー颯斗が怪我したって聞いて、莉奈ちゃん家で一人ぼっちで寂しいだろうなぁって思ったから。お姉ちゃんが何か美味しいもの作ってあげようかなって」
《お姉ちゃんじゃない》
莉奈が頑なに訂正する。
けれどこの場合、無愛想な態度はよくない。
「こら莉奈。アクアがお前の為を思ってしてくれた親切だ。こんな美味しそうなパンケーキまで作ってもらって、『助けて』なんて言うやつがあるか」
《う……うぐぅ……》
困った表情を浮かべる莉奈を見て、アクアは笑顔で莉奈の頭をポンポンと叩く。
「莉奈ちゃんは照れ屋ちゃんだから、気にしなくてもいいよ。お姉ちゃんはまたがんばって料理勉強してくるから」
《うぐぐぐ……だ、だから、莉奈のお姉ちゃんになるには10年早い》
10年経てばお姉ちゃんになれるのか……
まぁ、アクアの優しい社交的な性格が、今の莉奈には必要なのだ。
莉奈の……そして俺の、最初にできた友達。水玉アクアーーまたの名を、アクア・リーフコーラル。
水玉という苗字は仮の苗字であり、生活するために必要な偽名。
その正体はーー水を浴びると、下半身が変身してしまうMermaid(人魚)である。
昨年このマーメイドであるアクアを狙って、マフィア集団が襲ってきたこともあったが、蓮崎藍河との共闘で、一味の野望を阻止することが出来た。
現在アクアは、マーメイドの存在を隠し、俺と同じ高校に通って暮らしている。
何時かーーアクアの夢でもある、他人に自分の歌を聞いてもらうという夢を抱えながら……
けれどーー他人を操る能力を持つマーメイドの歌声……その能力が暴走するから、アクアの夢の実現は難しいのだけれど。
俺はニタっと笑い、パンケーキの前に座った。
「莉奈が要らないんだったら、お兄ちゃんがこのパンケーキ食べちゃおうかなー」
「ほんと!?ぜひ食べてみて!」
アクアは嬉しさのあまり、飛び跳ねるように喜んだ。
けれどその横で、莉奈は手をバタバタとさせて焦っていた。
《お兄ちゃん!止めた方が!》
「おい。失礼だぞ莉奈。こんなに美味しそうなのに。いただきます」
俺は律儀に手を合わせ、パンケーキを1口サイズに切りーー
口に入れる瞬間まで、甘い香りが漂っていたそれを、パクッと放り込んだ。
すぐに味覚が口の中全体に広がったーー
「辛い辛い辛い辛い!」
思わず叫ばずにはいられなかった。
水!一刻も早く水を……!
俺は自身の力を使おうと思ったのだが、手足が震えていてそれどころじゃなかった。
こうなる事が分かっていた莉奈は、予め用意していた水のペットボトルを俺の元へ持ってきてくれていたのだ。
《お兄ちゃん。死なないで》
妹の用意する水が無ければ、俺の命はどうなっていただろうか……それ程の辛さが襲っていた。
アクアはポカーンと首を傾げる。
「あれー?おかしいなー?藍河から颯斗に作ってやれって言って貰ったホットケーキミックスは使ったけど……他に辛くなる理由が分かんないなぁ」
「じゃあ間違いなくそれだよ!」
何処にでも藍河の魔の手が……!
もう俺は何を信じて生きていけばいいんだよ!
けど……!
アクアのしてくれた事は、間違いなく俺達兄妹の為を思ってくれた事で……!
手足の痺れが抜けてきたところで、俺は立ち上がってキッチンへと向かった。
そしてお気に入りのフライパンを手に取って、アクアたちに向けて言った。
「座ってろ2人とも。俺がとっておきのパンケーキを食べさせてやる」