最初の食事
その洋館の玄関には、両開きの扉がしつらえてあった。
遠目には立派に見えた洋館だったが、近づいてみると、壁のよごれや柱の塗装のはがれなどが目立つ。
目の前の扉も、ところどころ塗装がはがれ、掻き傷がついているような状態だ。
--空家、なのだろうか。
僕は、扉をノックしようとした手を降ろすと、ノブに手を掛け、それを軽くひねってみた。
真鍮製のノブは、思っていたよりも軽く動く。鍵などは掛かっていない様子だ。
そのまま扉を開き、中に入る。
薄暗い室内が目に入ってくる。その外観に比べてみれば、屋敷内は質素で、普通な感じだ。
僕は、屋敷の中に響くよう、声を張り上げて言った。
「誰かいませんかー」
自分の声が途切れると、辺りにはまた静寂が戻る。
誰もいないのか、と、屋敷に足を踏み入れようとしたところで、階上をコツコツと歩く足音が聞こえた。
その足音は、玄関奥にある木組みの階段へと差し掛かる。
そうして階段を降りてきたのは、くすけた灰色のドレスをまとい、同じく灰色の髪を短めに揃えた娘だった。
その足取りは慎重であり、その顔にはいぶかしげな表情が宿っている。
「……なんの、御用でしょうか」
階下に降りて、僕と向き直った娘は、怪しむ態度を隠そうともせず、そう訊いた。
そして、その問いを聞き、僕は、僕自身、その問いの答えを知らぬのを思い出した。
(まったく間抜けなことです)
「…………」
その娘は、問いに答えぬ僕を見つめながら、なにか得心するところがあったようで。
「まあいいわ。あなたもそうなのよね。落ち着いたら、話を聞かせて頂戴な」
と、それだけ言うと、踵を返してまた階上へと上がろうとする。
が、なにか思いつくことがあったのか、その足をとめると、こちらを軽く振り向き、こう言った。
「私の名前はシャナン。このあとちょっとしたら夕食にするからね。その時、もうひとりの子も紹介するから」
それだけ告げると、その娘、シャナンは、元来た階段を駆け上がっていった。
そのまま、僕はしばらく玄関口で、呆然と立ちすくむことになる。
幸いというか、シャナンの言っていた夕食の時間は、待つほどもなく訪れた。
ただ、当のシャナン自身は、僕のことを半ば忘れていたらしく、食事の準備に忙しいのか屋敷内をぱたぱたと小走りで移動しているところを呼びとめて、ようやく食事部屋への案内をとりつけることができた、といった調子だ。
そうして通された食事部屋には、すでに先客が座っていた。さきほど二階の窓からこちらを見ていた女の子だった。
こちらもシャナンと同じような、くすんだ色のドレスを身に着けていたが、その髪は茶色の長髪で、その大半を背中に流している。
シャナンは、可愛い、という印象だが、この女の子には、綺麗、という形容が似合うだろうか。
僕もシャナンも、そしてこの女の子も、同じくらいの年齢だとは感じたが、それとともに、この女の子に関しては、妙に幼い印象も感じてしまうのが不思議な気がする。
そんなことを考えながら、その女の子を見つめる僕に、シャナンは簡単な紹介をした。
「この子はニーナ。仲良くしてあげてね♪」
簡単、というか、まったく紹介になっていないけど……。
僕とシャナンが席につくと、早速食事が始まった。
食卓に並ぶ料理は……、それを料理というのは、ある意味、はばかられるかもしれない……。
中央の大皿には、缶詰の具であろう煮魚が、無造作にぶちまけられており、その傍らに申し訳程度の湯で菜が添えられている。
煮魚には、とりわけ用のスプーンがぶっ刺さっていた。とりわけ用のスプーンがあるだけ、良心的というべきだろうか。
そして手元には小皿とフォークとスプーン、茹でた芋の類が乗った鉢が置かれている。
それでも、なんにしてもお腹が空いていたのは確かなようで、その大雑把な料理を目の前にして、僕は思わず唾を飲み込んだのだった。
もくもくと食事だけを済ますのも気が引けるな自己紹介せねば。けれども僕記憶が無いしな、と思ったところで、シャナンが早速水を向けてきた。
「ところでお兄さんの名前は?」
シャナンはこちらを見ながらそういいつつ、もくもくと芋やらなんやらを口に運ぶ動作を続けている。
食事を世話してもらったり、こうして水を向けてもらったり、で、色々感謝はしているけど、色々順番おかしいよね?、と思いつつ……。黙っていてもしょうがないので、ありのままを話すことにした。
僕は気づいたら、この洋館の前に立っていたこと、自分に関する記憶がさっぱりないこと、といったことだ。
「…………」
ようやく相手放置で自動的に話す口をつぐんだシャナン。そして、最初から何もしゃべろうとしないニーナ。
しばらく奇妙な沈黙が流れたあと、ようやくシャナンが。
「そう。お気の毒だとは思うけど。しばらくはこの家で一緒するわけだし、仲良くやりましょう♪」
と、相変わらずの軽い感じで流してしまった……。
そんな最強なシャナンさんはさておき、僕はニーナがひとことも喋っていないことを気がかりに感じて、こう聞いた。
「……ニーナさんは、怒ってるんでしょうか?」
ややあってシャナン。その顔には『説明し損ねていた!』という表情がありありと浮かんでいる。
「あ、あぁ! その子、ニーナは、口がきけないんだよ。気にしないで♪」
シャナンはこれまた軽い感じで大雑把な説明で済ませてしまう。
それを受け、ニーナは微笑みながら、こくり、とばかりうなずいたのだった。