@2 「水の中で呼吸をするように」
行動を、別にした。私は対象を殺害するまで彼らの顔を見ないと誓い、そして筒井さんたちと約束したのだ。私は事務所には戻らない。近くのビジネスホテルで一般人として過ごす。時が過ぎるまで、又は、時が満ちるまで。
自分の荷物をまとめておいたアルミケースを行動時に持ち歩いた。事務所のある東京から少し離れた場所、神奈川へと向かう。そこに行くのは確かに、対象の調査をしたいがためではある、けれども、それがそこにいるとは絶対的とはいえない。というよりも、私がそこに移動した理由はまた別なところにあった。できるだけ彼らと距離を置きたかったのだ。私は“幼稚な現象”が起これば精神は脆く崩れ、彼らとの距離が短ければ短いほどその精神は容易く会いに行くことを許してしまう。そして務めを蔑ろにして言うだろう。仕事を終えたから戻ってきた。私は嘯いて彼らを騙す。約束を守るためにつく嘘は正義なのだから、という汚らしい己が偽善を繕って。だから、いわばこの務めは一種の修行ともいえる。自分を強くさせるための行い。そして私は克服する。己の葛藤を押し潰して大人になる。幼稚とはおさらばするのだ。
駅中にはいろんな人間がいた。2080年の不況の波に煽られ、確かに人々の心は荒んで廃れていった。キャリアを営むスーツに身を包んだ人間がいれば、ぼろぼろの布切れに身を包んだ人間がトイレへ通じる道の付近で腰を下ろしている者もいる。殺気の帯びた眼光をきらつかせながら見るのは店中で働いているロボットの図体だ。
時が進むにつれて世代も交代していった。才能のない人間は才気あふれる人間に後れを取り、次第にその優劣がはっきりとしていった。昔は、世間が、世界がその劣った人間たちを抱擁し、慰めるようにしてきたが、今日に限っては違う。彼らを抱擁してもなんの意味もないことを悟ったそれらは、それまで頭を撫でていた平たい手を拳に変化させ、殴打したのだ。世界に何の利益も与えない人々を育ててもその行動が帰すのはやはり〇なのだ。意味のない行動を彼らは止めた。そしてその人々を蔑ろにし、次第に餌にしていった。劣った人間は誰からも介抱されず、その産み落とされた命を全うするだけとなったのだ。
アルミケースの重さに腕が耐えられなくなってきた。元から運動だとかは無縁の生活を送ってきたのだからその恩恵は確かに辛くのしかかってくる。駅構内の一角にあったコンビニに入ろうとすると、ゆっくりと私の肩を撫でる手の感触があった。それからケース自体の重みがなくなり、腕全体の負荷がなくなる。一瞬にして盗られたと感じたのが脳の中枢で直感的に感じられる。
振り返ってその顔面を殴打しようとしたのも束の間、機械的なその声が耳元で呟いた。
「こんな重い荷物をお持ちで遠くから遥々と。お疲れ様です。こちらでマッサージを行っているのですが、どうです? 寄って行かれては?」と男は言った。それが、店で働く商業用のロボットだった。容姿的にはほかの人間とまったく変わらない。ただ、それでは人間とロボットの区別が付かない。そうなっては厄介ごとが起きる可能性を専門家たちが指摘した為、製造元が目の色が双方とも違うオッドアイにしたのだ。彼の場合は右目が青、左目が黒だった。
「ロボットの客引き? 珍しいね、このご時世に」
「そんなことを仰らないでください。確かにロボットがこの時代に台頭してきてから人々の解雇が始まりました。でもそれは仕方がないことなのです。何事もやり始めは嵐が来るのです。全ては波乱から始まり、やがてそれが納まってから、最終的に平和が訪れるのです」と彼は言った。私の荷物を離そうとする気配は一向に見せない。
「仕方がない」と私は言う。
「そうです、仕方がない」と彼はそのフレーズを繰り返した。
「まあ、いい。マッサージ店の客引きだってね。でも生憎私は疲れていない。早く、そのケースを返して」
ロボットは手に持ったケースを、今掘り起こした珍しい化石でも見るような目つきで窘め、やがてそれに飽きると私の顔を見てそれを手渡した。それから笑顔で会釈して、またお待ちしていますと言った。
表だって仕事するロボットを生かしておいて、裏で潜んでいるロボットを対象と名付けて殺害するのはなぜなのだろう。私にはその理由が分からない。そしてそれは、一生涯通して分からなくともよい事実なのかもしれない。
そんなことを頭で考えながら、取っ手にある彼の温もりを感じ、また歩き出した。
ああ、こんな感じでいる日はお洒落な喫茶店で髪を梳かしながらパフェでも食べたい。お金の心配はいらない。けれども実際の心配はそこではなくて、そのお洒落な喫茶店が、私に似合った喫茶店がどこにあるかということだ。今現在に置いては、私は殺人鬼としてではなく、普通の一般的な家庭に生まれ育った女の子として行動をしたい。
設定は、設定はこうだ。
日本人男性とアメリカ人女性の間に生まれた女の子。容姿端麗でその綺麗な金髪が人々の目に留まる。生まれつき英才で、殆どの行いはすぐに成就する。私は成功という言葉しか知らなくて、世界に進んでいく。そんな私を世界はすぐに認めてくれて、私はすべてにおいてのスターになる。でも、私自身はそんな状況にすぐに飽き飽きして、いつの間にか姿を消していく。そして世間がその存在を殆ど認識しなくなってきたとき、私は旅にでる。ヨーロッパ諸国やや大国ロシア、小さいけれど魅力のある日本。私は私自身を見つける旅に出て、いろんな体験をする。そして、今ここにいる。旅の途中で歩を進めている。
駅の喧騒の中で想像するにはそれが精一杯だった。そして、その創造自体が発作を起こさせる原因である爆薬であることを私はいまだ知らずにいたのだ。