@3 「家族のような そしてように」
筒井たちが事務所に戻ってきたころ、空が丁度明け始めようとしていた時、彼らはドアを開けていた。手には鍋の材料が入っているであろう大きなコンビニ袋を持っている。ソファーに座ってノートパソコンの画面に目をやっていた黒髪の女だけがドア口の前に立つ彼らのことを睨むように見つめていた。泉は筒井の張り付いた図体を後ろで見ていた。なにがあったのだろうか、と彼は疑問を抱いたが、それを訊く間もなく、筒井は動き出す。
「あなた達だったの」とやさしげに黒髪の女は言う。
「その様子だと寝てないな、千早も」と筒井が言う。
千早は黒髪を撫でると、苦笑して隣の部屋を指さす。それが暗示するものが“子供たち”であることは、二人ともすぐに察しがついた。彼らは対になったソファーに座る。千早の対面へ。それから間のガラステーブルの上に重い荷物たちを置いた。彼女は最初、その中身がなにか気になっていたが、雑に入れられた材料の一つが袋の中から零れ落ち中身が露わになったので、男二人の思惑をいとも簡単に読み切った。
「いくら五人で鍋をするからってこれだけの材料を買ってくるなんてね」と千早は言った。しかしその手にはきっちりと袋の中から出したであろう缶コーヒーが握られている。「まあ、どうにかはする」
「ああ、ああ、その部屋の扉の前にいる人を起こしてくれ」と筒井は言った。「”言葉足らず“なんて言って悪かったよ、いお」
千早が指した部屋から出てきたのが、金髪の女であった。千早は缶を力強く机の上に置くと、依緒の方へと歩みより、その華奢な体を抱きかかえる。
「こっちに来ていいか迷った」と依緒は言った。「言葉足らずでごめんなさい」
その抑揚の無い声が彼らには、表現の仕様がなかった。単調すぎるとか、あるいは白い声色だとかも、彼女を目の前にすると完全に改められるのだ。
「薬はある?」と依緒は言った。「やっぱり落ち着かないから」
千早は彼女を抱きかかえたままソファーに座り、端に置かれていたショルダーバッグからカプセル剤の入った小さな紙袋を取り出し、依緒の前に差し出した。彼女はその中から一つだけそれを手に取り、口に放り投げる。それからおもむろに傍にあった缶コーヒーを口に流し込み、それを飲み込んだ。
ほっとしたのも束の間、今度はどこからともなく現れた栗色の髪の少女が、千早の隣に座った。それに気づいた金髪の女は、顔を少々赤らめてその栗色の髪の少女とは、反対側の彼女の隣に座った。指をなめる栗色の少女がいれば、千早の袖を掴む金髪の女がいる。
足を組んだ筒井が笑い、腕を組んだ泉が苦笑した。
「少々幼げな金と」
「少々大人気な栗」
筒井と泉は顔を見合わせて笑った。
「こうやって笑いあえるって素晴らしいことじゃないですか?」と泉が言った。
ガスコンロにセットされた鍋の中で沸騰するお湯を見ながら、筒井は笑った。
「生きているって証だからな」
「千早さんも、依緒ちゃんも…」
言い躊躇った泉を一瞥すると、筒井は環だと言い放った。泉は齷齪する様子で俯いた。
彼らのその場の風景が、誰が殺人を起こす集団に見えるだろう。一般家庭や、普通の家族には見えなくとも、辛うじてそれは平和だと見える筈なのだ。純粋無垢にはしゃぐ子供たちや、それをしつける母親的な存在の千早。依緒が千早に少し注意された時、涙ぐんで逃げる先は泉の膝の上だった。その面を懐に強く押し付け、頭を撫でられるのを待っているのである。それが常々だったので、泉は優しく依緒の頭を撫でてやった。彼の感情はその時ほど可愛いや愛したいなどでは動かされず、ただ、可哀そうだと思うばかり。隣で見ている筒井は愛娘を見るような眼差しでそれを一瞥する。ただの一回も、依緒は筒井の懐へ潜ったことはなかった。彼女から見れば泉はお兄さんという容姿だが、筒井はおじさんというその容姿柄、やはり認められるのは泉の方らしい。
しかし、環は一風変わっていた。彼女が依緒のそれを見て求めたのが、異性への興味というものだったのか、目に留まった筒井の膝元へと近寄り、その上に座った。
誰しもが、その無言の行動に目を奪われていた。ただ、その行動に共感を持って取れた依緒だけは、こちらも泉の膝の上へとお構いなしに座り込み、隣同士で目を合わせた二人は掌を見せ合わせ、そこからタッチした。互いが無言で、互いが無表情であった。
大人には大人なりの世界があるのだ。子供には子供なりの世界があるのだろう、とその場に居た三人は共に勝手な理屈で納得し合った。