@3 「或る人は植物のように暮らしたいと言った」
駅前周辺や、路地裏を歩いて少し時間を過ごした。泉には考える時間が必要だったのだ。彼が先生と会った時は、いつもながらそうしていた。先生の思惑は酒がらみで来ているのか、本心で来ているのかということだ。彼は先生を愛してはいるが、愛人としては見てはいない。彼はそれを青春について回る女子高生の類と同様のものだとしている。その花は実ることはなく、散るためだけに蕾を枝に振りまく命運でいる。一生それは咲かないのだ。
彼女はそれを知っていて彼に突っ掛って来るのか、又は別の奇跡的な何かを信じて行動しているのかは、彼にとっても知るところではない。彼女は彼女の本能に従っているのなら、彼も彼の本能に従うまでの話だ。
やがて駅周辺地帯に正午を伝える鐘声が鳴り響いた。泉の頭には、それは心地よく聞こえず逆に人の声と混ざる煩雑とした雑音に聞こえた。
対象を殺す依頼がない日はやはり暇であった。しかし、その暇こそが彼にとって苦痛以外の何物でもないのだ。彼の容姿をもってすれば、駅中で手持ち無沙汰な女を数人捕まえて誑かすことだって容易なことだろうが、生憎彼にはその勇気と思考に至るまでの意思を持ち合わせていなかった。顔が綺麗な人間がいても、彼はそれを少し離れた場所から視線を向けるだけで、声をかけようなどとは一切思わない。いくら自分自身の容姿に自信があっても、だ。
事務所へ戻ろうかと泉は思った。けれども、その道中、公園で遊んでいる子供たちをはたから眺めていて、時間を浪費した。別段彼は何とも思わなかった。子供が無邪気に遊具で遊び、砂場で駆け回る。そういう光景は、彼にとっての思考を与えず時間を忘れ去らせる事柄を持っている。気づいた時にはベンチで蹲るようにして目を瞑ってしまっていたのだ。眠ってしまっていたわけではなかった。どうにも、その場で佇んでいてしまったらしい。
それからそこで彼は、何か特別な計算でもするように、時折指を折りつつ数字を数え始めた。
「二、三、五、七、十一、十三…」
陽は段々と傾き始めていく。つられて彼らの影も伸びていく。公園にいた子供たちは、一人また一人と、母親に手を引き連れられて帰っていった。中には兄弟で手を繋いで共に帰っていく姿もある。一人の子供は泉に幼げな言葉でさよならを告げ、手を振った。指を折る姿に子供には同様の雰囲気が感じられたのだ。けれども彼はそれに目もくれず、やはり延々と数字の羅列を続けているのだ。奇しくも、その数字の意味を彼は知らず。
やがて彼は都市郊外のセーフハウスへと向かうことを決めた。
立ち上がって周囲を見た。子供たちはいない。もうそこに元の世界はない。あるべき筈の人たちがいなくなると、やはりそれが時が流れているという証拠なのだ。静かなる時の流れが、夜の静寂を際立たせている。
遠くの方で幼児が泣いている。涙を流して泣いている。彼の脳内では、それは血の涙なのだ。