プロローグ
R15、残酷な描写は保険的につけました
「召喚!」
太く渋いバリトンの声が狭い洞窟内に響き渡る。
その声の影響か、戦いで脆くなった壁から小石がぱらぱらと落ち、そして声の主にも降りかかる。
その主は三十代後半辺り、赤い髪を短く切り揃え、深い緑色の眼を持った男だった。
上半身は裸、下半身にはゆったりとした黒色のズボンを穿いており、両手にはナックルを装備しているものの、凶暴なモンスター相手には些か防御に不十分と感じる。
だが二メートルにも達するかという巨体、常人の胴ほどあるであろう太い腕、分厚くまるで鋼のような胸板、そして身体中のあちこちに古い傷跡が刻まれていた。
幾千もの戦いを勝ち抜いてきた、歴戦の重戦士。そう見えた。
……が、彼は両腕を左右に広げており、その両手の先には淡い紫色をした五芒星が浮かび上がっている。
召喚術。
強力な精霊やモンスターを呼び出し、使役する魔術だ。
「我が声を聞きし白き戦の女神よ。その姿をここへ降臨せよ」
呪文を唱えながら、左右に延ばした両腕を上へと持っていく。それに合わせ五芒星も移動していく。
通常の召喚魔法であれば、魔法陣は一つだ。しかし彼は驚くべき事に二つの魔方陣を操っている。それはとてもハイレベルで繊細な技術がないと操ることは不可能であろう。事実両手の先に二つの陣を描いて召喚するのは、彼のオリジナル召喚方法だ。
そして二つの五芒星が一つに重なる瞬間、淡い紫色だった五芒星が真紅へと変化する。
するととてつもない、更に目に見えるほどの魔力が陣から溢れ出した。
「サモン・ヴァルキリー!」
彼がそう叫んだ瞬間、頭上にある真紅の五芒星の中から白銀の鎧を着た美しい女性が顕現した。
彼の名前は、オールドベルト=シュタイナツ。この世界最大の国である、アーフェ帝国が誇る軍の中で、特に優秀な者が集められた国王近衛隊の第三隊副隊長だ。
近衛隊は王の身辺を守る第一隊、首都を警備する第二隊、そして国内に跋扈するモンスターや盗賊を討伐する第三隊に分かれている。
オールドベルトは特に召喚術に長けており、帝国でも一、二を争う程の腕だ。更に彼の肉体は飾りではない。様々な格闘術を身につけ、魔力を身体に纏わせて戦う拳闘士でもある。彼の強力なパンチは、一撃で岩をも粉砕するレベルだ。
召喚をした後、真っ先に自分で特攻し、一撃で敵を葬り去ることもしばしばある。召喚する意味が無いと専ら評判になっていたりもする。
彼の見た目と戦い方から、『粉砕の王』『非常識の破壊神』『鋼の召喚術士』等の二つ名がつけられている。
そんな彼の生い立ちだが、十代前半で冒険者として帝国冒険者ギルドに登録。その頃から既に百八十センチを越える豊かな身体を持っており、登録当初は戦士として間違えられていた。証明書となるギルドカードの職業欄には、「戦士」という文字が打ち消し線で消され、その隣に小さく「多分召喚術士」とかかれていた。
そしてデビュー戦は驚く事にダンジョンを守るアイアンゴーレムだった。
人口も二百人程度と少ない、帝都からはかなり距離のある田舎の村。
オールドベルトの生まれ故郷。
冒険者ギルドの支店はあるにはあるのだが、そこに滞在する冒険者は二つのパーティ、合計して十人程度しか滞在していない。冒険者というよりも、村の警備隊と言った方が似合っている。
そんな村に、とある日、比較的大きめの地震が起こり村近くの山が崩れ、そして偶然にも埋もれていたダンジョンの入り口が発見されたのだ。
新しいダンジョンの発見は村の発展に影響する。ダンジョンの中にあるであろう宝を求めて冒険者たちがたくさん訪れ、そしてその冒険者を狙った商売人も一斉に集まるからだ。
村中が色めき立った。
しかし新しいダンジョンは未知の危険に溢れている。
冒険者ギルドは村に滞在する二つのパーティ(どちらもDランク)に調査依頼をかけた。
彼らはその依頼を受け、慎重にダンジョン内へと入ろうとした瞬間、目の前に壁が立ち塞がった。
それは壁と見間違うほどの大きさを持った、アイアンゴーレムだったのだ。
鉄の身体を持ち、その破壊力は全身鉄の鎧で固めた重戦士を一発で沈めることができる、Cランク上位に位置する魔物だ。
Dランク十人程度ではCランク上位のアイアンゴーレムには勝てない。慌てて逃げ帰ってきた。幸いにもダンジョンを守る魔物であったためか、追いかけられず怪我人はいなかった。
ちなみに魔物の危険度に合わせて、ランクが設定されている。
下はFランクから上はSランクまでの七種類。更にランクは上位、中位、下位の三段階に分かれていて、合計すると二十一になる。
それに対応するように冒険者にもランクが設定されている。つまりCランク中位の魔物と同等であれば、その冒険者もCランク中位に認定される。
ただし当然得手不得手、相性などもあるからCランク中位の冒険者であれば、すべてのCランク中位の魔物と同等とは一概に言えない。
また各ランクの強さは概ね、Fが駆け出し、Eが初心者、Dが中級者、Cが上級者、Bが達人、Aになると国内でもトップを争えるほどの強さになる。そしてSランクは勇者や英雄と呼ばれる。
竜種や巨人タイタン、上位精霊であるイフリートやジン、これらがAランク、と言えば大体の強さが分かるだろう。
Sランクになると、悪魔族を束ねる魔王を筆頭に、最上位の竜種であるエンシェントドラゴンや、吸血鬼の盟主であるバンパイアロード、アンデッドの王リッチロードなど伝説と呼ばれる魔物が連なる。
Dランク冒険者が逃げ帰ってきた!
ダンジョンを守るのはCランク上位であるアイアンゴーレム!
そんな情報が小さい村に飛び交う中、当時十二歳のオールドベルトは腕試しに調度良いとギルドに赴き、冒険者登録をしてアイアンゴーレムをぶっ壊そうと、いきり立った。
いくら大人顔負けの肉体を持つオールドベルトとはいえ、十二歳の子供だ。
当然ギルドとしては、そんな無謀を認めるわけにはいかない。
必死で制止しようと、腕にしがみついてくるギルド職員を片手で振り飛ばし、そして一人で特攻、アイアンゴーレムとタイマンで殴りあった末、ぼこぼこに凹ませ、最後は粉砕したのだった。
観客要員として召喚された下級天使は呆れ顔だったらしい。
こうして鮮烈なデビュー戦をしたオールドベルトは、その後も順調に名を売り、そして十年後、二十二歳でとうとうAランク下位まで上ったのだ。
アイアンゴーレムを破壊できるパワーと技術だけでなく、オリジナルの召喚術を操りAランク相当の魔物を召喚できる点が評価となったらしい。
そしてその三年後、国にスカウトされ近衛隊に入隊。入隊後も研鑽を努め、そして僅か五年で副隊長まで上り詰めた。平民である事を考慮すると異例と言っても良い出世だ。
通常、討伐は複数人で行動するのが基本であり、そこには犠牲も当然ありうる。特に竜や巨人と言った強力なモンスターが相手だと、被害も尋常ではない。
しかし彼は常に単独行動だった。一人というメリットを生かし身軽に気軽に行動ができ且つ、いざ戦いとなると召喚により強力なモンスターを複数使役する事が出来る。尤も彼の場合、召喚しても自分で倒すことが多いが……。
率先して任務を受け即座に討伐する彼のおかげで、第三隊の死亡率は激減し且つ任務達成率が跳ね上がった。この功績がこのまま続けば、四十になる頃には爵位を授与されるだろうと噂されている。しかも一代のみではない、正式な爵位だ。
平民が爵位を貰える、彼はそれほどの貢献を行ってきたのだ。
そして今回、彼は洞窟内に隠れ住んでいるAランク下位の上級悪魔を退治する任務を請け負ってきたのだが……。
『ヴァルキリーか、厄介なものを……』
彼の数メートル前にはまだ十二~十三歳くらいの、白いワンピース姿の小柄な蒼い髪の長い少女が宙に浮かび上がっていた。先ほどの言葉は彼女が発したのであろう。
街中で散歩をしていれば、十分に一回は声をかけられるであろう容姿だが、白色のワンピースは返り血で真っ赤に染まり、そして眼すらも真紅に染まっていた。見た目が可憐な少女なのに異様と言ってもいい雰囲気のため、恐ろしく感じる。
彼女の周りには、召喚されたであろうモンスターの亡骸があちこちに転がっていた。その少女の背後には空気が揺らぎ、うっすらと凶悪な悪魔の姿が見えている。
悪魔憑き。
強力な悪魔はたまに人間の精神を破壊した後、身体を乗っ取る事をするのだ。少女はその犠牲になったのであろう。こうなってしまえば、もう元に戻ることは出来ない。
(失敗した)
オールドベルトは内心落胆した。任務を請け負ったあとすぐに行動したのだが、途中悪魔の罠に引っかかり時間を失い、結果手遅れとなったのだ。
狭い洞窟内に入り込み悪魔と少女の姿を見つけた瞬間、簡易召喚で数十体の下級天使を呼んだのだが、間に合わず悪魔に少女は乗っ取られ、呼んだ下級天使も全て虐殺されたのだった。
(この少女を救いたかったのだが……致し方ない)
即座に判断し、ヴァルキリーを呼ぶべく詠唱を始めた。
『下等な人間よ、我等の邪魔を何度もしおって……ここで死ぬがよい』
少女が腕を振るうと、そこから目に見えない衝撃波が四方八方に襲い掛かった。下級天使が瞬時に虐殺され、切り刻まれたのはこの能力だろう。
だがしかし歴戦のオールドベルトの眼にははっきりとそれが映ってた。避けるのは容易いのだが、驚くことに彼はヴァルキリーを庇うように、前に出たのだ。
『召喚したものを召喚士が庇うのか? 狂ったか愚かな人間よ、ははははは!』
悪魔が高笑いをする中、彼は太い腕を交差させ、衝撃が当たる瞬間「はっっっ!!」と気合で衝撃波を打ち消す。
『なにっ!?』
それを見て一瞬驚く悪魔。まさか防御魔法でも盾でもなく、単なる気合で防がれるとは思ってもなかったのだろう。
その隙を百戦錬磨のオールドベルトが見逃すわけがない。
「おおおおおおおおお!!」
『くっ』
脚に魔力を籠め、瞬時に悪魔の傍まで移動し、少女の細い体を打ち砕こうと右ストレートを放つ。
悪魔はかろうじて上空へと逃げる。が……それは陽動。
避けられるのを想定し、オールドベルトは戦乙女に思念を送る。
『一閃!』
瞬時に理解した戦乙女が眼に見えないほどの速度で駆け抜け、聖魔法を載せた剣で少女の身体を一刀両断にした……かに見えたが、よく見ると少女の肉体には傷一つついてない。
ヴァルキリーの使う聖魔法は、邪悪なモノだけを切る事ができる。つまり悪魔のみを断ち切ったのだ。
『ぐおおおおぉぉぉぉ!』
少女の中から二つに断たれた悪魔が浮かび上がり、そして離れていく。
上空に浮かんだ少女の身体が浮力を無くしたかのように落ちてくるのを、オールドベルトは受け止めた。
(せめてこの少女の身体だけでも、綺麗なまま家族に会わせてやろう)
暫し目を塞ぎ、黙祷を捧げる。
『はははははは、さすがは何度も我等に煮え湯を飲ませた人間だ。此度の策が見事相成ったわ!』
二つに断たれた悪魔は、まだ高笑いをしていた。
「まだ生きているのか? しかも策だと?」
何か嫌な予感がし、少女の亡骸を抱えたまま悪魔から逃げるオールドベルト。
『無駄無駄、我が死ぬと同時にこの洞窟全体に仕掛けた罠が起動する! 非力な小娘の姿でこれから生きてゆくがよいわ! はははははははは』
そういった後、悪魔の姿は散り散りになって砕けた。瞬間、洞窟全体が妖しく光る。
「こっ、これは!?」
灰色の光がオールドベルトと少女を包み込む。
いつものように気合で吹き飛ばそうと思った次の瞬間、オールドベルトの目に映ったのは自分自身だった。
「なっ!」
(わ、私が私に抱きかかえられている!?)
そしてオールドベルトの姿をした人間は、まるで砂のように崩れた。
支えていた力が無くなり、地面に落ちる。その衝撃で一瞬目に星が飛んだ。
「いてっ!」
久しく感じていなかった鈍痛が身体を襲った。
頭を振り改めて周りを見ると、そこにはもうオールドベルトはいなく、砂の山があるだけだった。
「え?」
慌てて立ち上がるオールドベルト。
しかし違和感がある。いつもの視点ではないのだ。かなり低い。
足元を見ると、血がべっとりとついた白色のスカートが見えた。
先ほど自身が抱えていた少女が履いていたスカートに非常に似ている
「まさか……」
頭に触れると、短く切り揃えてる髪が異様に伸びているのが分かった。
「あの少女と……入れ替わった?」
胸を触ると、鋼のような硬い肉体ではなく、柔らかい小さなスライムを掴んだかのような感覚がある。
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
二十数年ぶりに叫んだオールドベルト。しかし洞窟内に響いたのは、あの渋く低い声とは真逆の高く可愛らしい声だった。