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その季節  作者: あかあかや
31/38

カイロ

 エジプトの首都カイロでは、2ヶ月ぶりに分厚い雲の切れ間から薄日が差すようになってきていた。しかし時々まだ小雨は続いているが。

 この2ヶ月間は沙漠の国なのに延々と豪雨が続き、洪水がカイロの街を飲み込んで容赦なく洗い続けていたのであった。今も街は洪水に飲み込まれたままである。


 その嵐がようやく収まると、再び強烈な熱波がやってきた。今度は大量の湿気を含んでいるために、まるで蒸し風呂の中のようだ。

 現在もナイル川の大氾濫の影響で、カイロ市街はほとんどが水没して濁流に洗い流されていた。今も流されている。人々はどこかへ避難してしまい、カイロの巨大な街はすっかりゴーストタウンと化していた。むろん電気も止まっている。


 市内を巡る高架式の高速道路網は支える土台が倒れたせいで崩れ、あちこちで寸断されていていた。今は1台も車の姿が見えない。

 建物も基礎までもが洪水でえぐられてしまったせいか、こうしている間にも次々にアパートが横倒しに倒れて洪水に流されていく。この普通ではない洪水からして、上流の巨大ダムが決壊してしまったのかもしれない。


 ピラミッドがある高台は、さすがに洪水に洗われるような事態にはなっていなかった。それでも豪雨に曝され続けたために地すべりがあちこちで発生しており、基礎が不安定になってきているようである。そのためにピラミッドもミシミシと音を立てて軋んでいる。

 さすがに観光客の姿は1人も見当たらない。しかし何か起こると察したのか、数名の地元民がカメラを構えてピラミッドやカイロ市街を撮影しているのが見える。

 やがて薄日も雲に閉ざされて、再び豪雨になった。南風が相変わらず強い。



 その最も北のピラミッドの頂上にナンの姿があった。今回は小人を案内しているようだ。いつものように防御障壁を周辺に展開しているのだろう、この豪雨でも全く濡れていない。だが雨音が大きいので、大声を出さないと会話ができないようだ。念話は使わないみたいである。


 小人は身長の4分の1もある大きな三角帽子をかぶり、作業服のような服装をしている。実際、結構汚れが目立つので作業服なのだろう。つま先が丸まったフェルトのような生地の靴が、大きな三角帽子とあわせて目立つ。

 手にはこれまた身長の半分ほどもある長さの杖を持ち、空中に様々なディスプレーを次々に表示させている。表示されているものはクー博士が使う魔法世界の文字とは違って、音楽を編集する際に用いるような無数の棒状の表示があるシーケンサーだ。これらが色や形状を変えながら滑らかに伸び縮みしている。


 小人がそのシーケンサーを書き換えたり追加したりしているので、これが彼らの文字なのだろう。何かを計測、分析しているようだ。生物のDNAのような図形も見える。



 その分析の一部が終了し、小人が険しい顔をして頭を軽く振った。

「2ヶ月間も大雨に洗われ続けたから、この三角山も基礎が危ういな」

 それを聞いたナンが30分ぶりに口を開いた。

「崩れそうかの? ノームさんよ」

 どうやら小人はノームと呼ばれる種族のようだ。そのノームがナンの顔を見上げて苦笑した。

「ああ。もう持たないよ。リッチーともなれば分かるだろう?」

 ナンもうなずく。彼も予想していたようだ。しかし、判断の過程はノームとは違うようである。


 ノームもナンの顔から視線をカイロの街へ戻した。

「こいつを造成した連中は来ないのかい? リッチーさん」

「うむ。打診しても反応が来ぬわい」

 ナンの返事を聞いて、ノームがまた首を振った。

「やれやれ。人間という種族は、今のも昔のも無責任なものだな。同じ過ちを何度も起こす。ほれ、この年表を見ろ」


 そう言ってノームが杖を揺らし、新たな空中ディスプレーを表示させた。確かに何かの年表のようだ。文字が先ほどの音楽シーケンサー表示なのだが、ナンには理解できるようである。

 その表を一読したナンがノームの顔を見返した。穏やかな表情のままである。

「しかしな。最初に世界を変えてしまったのはワシら、最初の人間じゃぞ」

 それを聞いたノームが、むう、と腕組みをした。



 そうこうする内に、ピラミッドの軋みがひどくなってきた。大きく揺らぎ始め、ピラミッドから脱落した大きな石がいくつも転げ落ちて轟音を立てて地面に衝突していく。

 頂上も相当に揺れているのだが、ナンとノームは浮遊術を使っているのだろう。揺れに巻き込まれていない。


 その揺れと脱落する巨石群を見下ろしていたノームが、呆れたような声を出した。

「全く、もろいな。手抜き工事だな」

 濁流に沈んだカイロの市街でも次々に高層ビルが崩壊している。まるでピラミッドの崩壊と連動しているかのようだ。

 その様子も観察しながらノームが苦笑する。

「人間世界の伝統か? 手抜き工事は」


 スフィンクスが基礎を失ってずるずると流れていくのを見下ろしながら、ノームがナンに訊ねた。

「しかし、本当に世界中が大洪水のようだな、リッチーさん。対岸の大陸はほとんど水没しておるそうじゃないか」


 そう言って、ノームが濁流の流れていく先を大きな杖で指した。対岸ということだから小アジアか、欧州ということになるだろうか。ナンも同じ方向を眺めてうなずいた。

「うむ、洪水でな。この大陸だけじゃないぞ。しかし問題はだな……」


「大気中のエネルギーが、反対に上がってきておる事だろ」

 ノームがナンの話を先読みして指摘した。そのまま話を続ける。

「この洪水で大量の水蒸気が発生しておるのだよ。簡単に言えば、焼け石に水をまいた状態か」

 そう言って、適当に杖でピラミッドの頂上の要石を叩いた。

「昔に起きた洪水と違うのは、そこだな。今回は北半球の北地域だけが洪水になっただけで、南半球を含めた他の地域は暑いままだ」


 その話を聞いていたナンの表情が曇った。

「もう一度来るとな? ノームさんよ」

 ノームが苦笑する。既に分かりきっている事を聞くな、とでも言いたいようだ。

「もう、始まっておるよ。南風が強いだろう? これからが本番だよ。南極も曇り始めたそうだし。ここではもう夏も終わる。今度は水では済まないな。氷になるよ」


 世間話をするような調子でノームがこの世界に終了宣告を下したのを聞いて、ナンが深いため息をついた。

「やはり、ノームの判断もそうかね。リッチー協会や、エルフ、魔法使いどもも同じ結論でな。太陽も休眠状態になった。これは、再び氷河期になりそうじゃな」



 その時、一際大音響を立ててピラミッドから大量の巨石が崩れ落ちて地面に激突した。地響きが2人のいるピラミッド頂上まで伝わってくる。

 同時にノームが持つ長い杖が光って、新しいシーケンサー表示が空中に表示された。一目で警報だと分かる。

 やれやれという表情でノームがナンに知らせた。

「重石が外れた。封印が解けるぞ」


「では、術式展開を始めるとするかの」

 ナンがそう言ってピラミッドの基礎の辺りを見ると、見る見る内に、立体魔法陣が次々に出現してきた。それらが自動的に組み上がりつつ、3つ並んでいる巨大なピラミッドを全て包み込んでいく。やはり呪文の詠唱はしていないようだ。


 その様子を当然のように見ていたノームが、杖を持ち直して話しかけてきた。

「まったく……魔法禁止世界でこれほど巨大な魔法生物を創造しておいて、造り逃げか。まあ、気持ちは分からないでもないがね」


「ノームさんよ、空中に退避して下され。動くぞい」

 ナンが穏やかな声でノームに告げると、ピラミッドの基礎がガラスのように砕けた。その地面の中から、50匹ほどの大蛇が一斉に出てきた。同時に、今まで2人が居た北の端のピラミッドが轟音を立てて崩壊していく。


 大蛇群はその崩壊を難なくすり抜けて、中央のピラミッドに体当たりした。再び轟音が響いて、中央のピラミッドも粉々に粉砕されていく。大小さまざまな岩塊が空中に撒き散らされ、放物線を描いて洪水の中で落ちて激しい水しぶきを上げる。

 基礎の崩壊は加速度を増して進み、今度は地中から高さ十数メートルはありそうな巨大な筋肉質の腕が3本出てきた。その腕が最後に残っていたピラミッドも殴って砕いていく。


 その頃にはナンとノームは上空に退避していた。が、その高度までも大蛇群が地中の割れ目から背伸びして咬みつこうとしてくる。

 それらは簡単にナンやノームの防御障壁に弾かれたり、ぶつかって消滅したりしている。しかしその数は増え続けて、今や崩壊したピラミッドの瓦礫から無数の大蛇が生えたようになって蠢いていた。



 やがて一際大きな轟音が響いた。分厚く積み重なったピラミッドの瓦礫が空中高く巻き上げられていく。その地中から、化物の本体が姿を現した。魚のような姿をしている。

 大蛇群は、この魚の頭部から背中にかけて髪の毛のように生えているのが分かる。腕は腹ビレが変化したもののようだ。


 それを呆れた表情で見ていたノームがつぶやいた。

「キメラか。大きいな。なるほどね、これなら保存しておきたくなるな」

 ナンがその感想を聞いて苦笑する。

「ワシももったいないと思ってな、結界で包んでみたのじゃが……やはりここまで巨大だと無理だな。大規模な因果律崩壊を起こすぞい。特に、重力には逆らえないじゃろうて」

 筋や骨の折れる物凄い音がして、キメラが崩れ始めた。


 ノームの表情が曇る。

「うむ、魔法で支えなければ、この巨体は維持できまい」

「左様。水中生物仕様であっても、これほど巨体では支えきれまいよ」

 ナンも曇った表情になった。もう、魚型のキメラは崩れ果ててしまって、ピクリとも動かない。



「では、残骸を処分するとしよう」

 ナンがそう告げると、それだけでキメラの肉体が大量の魚に変換され始めた。

 ノームもそれを見ていたが、思いついたようにナンに訊ねた。

「骨も変換できるのかい? リッチーさん」

「うむ。少し時間はかかるがの」


 ナンが答えると、ノームが腕組みして考え始めた。

「骨だけを第2世界にでも転送して、適当な再生術をかけて蘇生してやれば、こいつも長生きできるかもしれないな。いや、こいつはここで消滅した方がいいか。やれやれ、こんな場所に封印する奴の気が知れんよ」

 ナンもノームの考えに同意した。

「そうじゃな。第2世界にこれほど巨大なキメラを持ち込んだら、生態系の再構築をしなければならなくなるじゃろうて。この手のキメラは無性生殖型じゃから、繁殖しはじめると面倒じゃよ。アンデッドにして死者の世界に放しても良いが、暇な貴族どもの狩の標的にされるだけじゃろうなあ」


 うむ、とノームもうなずいた。

「世界は思ったよりも自由ではないものなあ。そうだ、リッチーさん、この手のキメラ、まだ他にいるのかい?」

「うむ。これほど巨体ではないが、この対岸にも1つおるよ。魚型じゃないから、洪水で活性化しないが」


「やれやれ」

 ノームがそう言って肩をすくめた。

「魔法使いやエルフたちの会議を盗聴してみたが、連中はこれを大災害だと言っているな。まあ実際、この世界の文明が崩壊する程度の災害ではあろうが、他の生物にとっては何て事はないものだよ。特に水棲生物にとってはな。むしろ餌が増えて繁殖する」

 ナンが興味を引かれたようだ。

「その発想はなかったわい」


 ノームのプライドを少しくすぐったのか、話を続ける。

「うむ。洪水、熱波、寒波に疫病だが……所詮は地球の表面の変化に過ぎん。影響を及ぼす範囲は大して大きくはない。ワシらが最初に危惧していたのは、初期に起きた大地震だよ」

 ナンがうなずく。

「むう。極東アジアで大きな地震と津波が起きたな。その後は余震が続いておるのじゃが……続報はワシの耳にもあまり入って来ぬよ」

 ノームもうなずく。

「うむ。我らはそれに注目しておったんだよ。そして観測の結論として言わせてもらうが、この世界は幸運だったと断言しよう。地球内部の異変は観測されなかったのでな。この気候変動が収まれば、生き残った人間がまた増えていくだろうよ」



 ナンが感心した表情を見せた。

「なるほど。さすがは大地の精霊使いが多いノームならではの意見じゃな。ということは、もう大地震は起きないと考えてよいのかの?」

 ノームがかぶりを振った。

「リッチーさんには専門外だから仕方がないが、地震は大したことではないよ。我々が注目していたのは、その下のマントルの動きなんだ。この世界ではスーパープルームとか表現しているのかな、インド亜大陸を覆うデカン高原やシベリア高原を作ったような巨大な噴火のことだよ。広大な大地が分厚い溶岩で覆われたら、地球環境はどうなると思うかね?」


 ナンが意表をつかれたような顔をした。

「まさか、そのような危機が起きていたのかね」

 ノームが少しいたずらっぽい目配せをナンにした。

「だから幸運だったと言っただろう? あの巨大地震のエネルギーは、地球の自転を少し遅くしたり、重力分布を少し変えたりしたけど、巨大な溶岩台地を作り出すような大噴火を引き起こす方向へは向かわなかった」

 コホンと小さく咳払いをする。

「……ま、少しかすってはいるから、普通の活火山の噴火くらいはいくつか起きるだろうがね。さて、話はこの程度でよかろう。我々がこの魔法禁止世界で調査活動できた返礼だ」



 気がつくと、もう北の空は分厚い雲に覆われて真っ黒になっていた。無数の雷が絶えず発生しているが、まだ音は届いてこない。

 ナンが立体魔法陣を解除して、相変わらず濁流となっているナイル川の下流を眺めた。

「あのキメラは無理じゃったが、魚ならば地中海へたどり着けるじゃろう。さて、仕事を終えるかの。嵐が来そうじゃよ」


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