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その季節  作者: あかあかや
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オーストラリア東南の畑

 オーストラリアの穀倉地帯だった地域では、気温40度の猛暑が続いていた。つい最近までは、ここは広大な小麦畑だったのだが、地平線の向こうまで全て立ち枯れて黒いカビで覆われている。その胞子が風に乗って黒いもやになり、それが立ち込めていて陽射しすら遮っているようだ。

 もう、農家も政府も対策が尽き果てたようで、残る手段はこれ以上の黒カビの蔓延を防ぐために焼き払うことしか残されていないのだが……このところの経済崩壊の混乱で何もすることができないでいるようである。恐らく農家も破産したのだろう、農道には新しいワダチが見当たらない。


 小麦価格は天井知らずに上昇を続けているので、今ならばカビだらけの小麦でもかなりの高値で売りさばくことができるのだが。この黒カビの菌糸や胞子は毒性を持っているので、小麦泥棒すら近寄らない。そのため、ただ放置されていた。そういえば鳥や虫さえも姿を消している。



 その小麦畑の一角では大騒ぎしてはしゃいでいる十数名の小人たちと、それを見るナンの姿があった。

 小人は背丈が90センチ以下しかないが、きちんとしたスーツ姿で革靴も履き、ネクタイを締め、それなりに品性のある服装をしている。

 しかし、性格はやや違うようだ。目の前に延々と広がる黒カビまみれの小麦畑に興奮して、畑の中に飛び込んで転げまわって遊んでいる。おかげで、ただでさえ空気が黒っぽく煙っているのに、その一角はまるで火事場の煙が立ち込めているような状態になってしまっている。

 黒カビの毒は彼ら小人には効かないようだが……さすがに鼻がムズムズするのかクシャミを連発させていた。自業自得である。



 その小人たちには引率がいるようで、きっちりとしたスーツに身を包んだ1人のやや小太りな婦人が、遊び狂う連中を怒っていた。しかし、ほとんど効果はないようだ。

 やがて、はー……と大きなため息をついて、横で微笑んでいるナンに謝った。

「すいません。お坊様。このような光景を見たことがないもので」


 ナンが微笑んだままで、引率の婦人に手を軽く振った。

「いやいや教授。生徒たちの見識を深める事になるじゃろうて。草原の民にとっては驚きの光景じゃろうし」

 それを聞いて、教授と呼ばれた引率の婦人が真面目な顔でうなずいた。

「はい。しかし、これでこの世界の食料は……」

「いや、そこまで深刻にはならんじゃろう。この世界の人間は何でも食べるのでな。アンタたちセマンのように、1日6食ということはないがの」


 ナンがそう言って教授の心配を和らげたが……それでも、この世界の人間が飢餓に陥るのは確実だろう。アンデッドなので、そういったことには詳しくないのかもしれない。

 教授もそのあたりのことを考えたのか、苦笑しただけだった。


「原因はいったい何でしょうか? お坊様」

「そうじゃな……恐らく、カビを抑え込む何かが絶滅したのじゃろうて。そして生態系のシステムが崩壊したのじゃ……」

 ナンがこれまでの推移を説明して推測を述べている最中に、学生の投げた黒カビ団子爆弾が引率の教授に命中してしまった。教授が黒カビまみれになる。


 盛大なクシャミを数発した教授が、不意に笑い出した。

「……ふ、ふふふ。やったわね!」

 これで教授も切れて黒カビ団子合戦に参戦し、小麦畑に飛び込んでいった。

 さすがに教授だけあって魔法で作り出す黒カビ団子爆弾は、その数も質も生徒たちが作成したそれを軽く凌駕している。それでも、因果律崩壊を起こさない程度だが。



 瞬く間に黒い煙が大量に立ち込めて、小人たちの姿が見えなくなってしまった。歓声だけがよく聞こえる。

 ナンは防御障壁を展開しているのだろう、真っ黒い煙が立ち込める中であっても彼のいる場所だけは何ともない。たまに黒カビ爆弾の流れ弾が障壁に命中して黒い煙になって炸裂するが、それでも障壁の中から微笑しながら見ている。


 ……そして。どこから取り出したのか、お茶をすすりながら観戦し始めた。

(ほう。さすがにセマン独自の魔法じゃな。黒カビ煙幕の中で、よくもまあ正確に団子を命中させるものだわい。占道術のレベルはなかなかのものだな。おう、教授が分身術を使い始めたか。ステルス処理も堂に入っておるじゃないか。お、生徒たちは幻導術を発動させてロックオンされにくくしたか。ふむふむ、本格的になってきたのう)


 確かに教授が十数名に増えていた。見た目はもう、教授と生徒の1対1の戦いになっている。

 ステルス処理というのは、その分身それぞれがやや透明になっていることを指しているのだろうか。

 一方の生徒たちは、小麦に見間違うような擬態を自身に施している。探知魔法や機器への対処もある程度なされているのだろう。



 そして夕方になった。大気に充満する黒い胞子のせいで、夕日の色も映えないものになっている。

 さすがに疲れたようで、団子投げ合戦がようやく終了した。もちろん全員黒カビまみれである。引率の教授も言うまでもない。


 やっと我に返った教授が、慌てて時計とナンを見て平謝りし始めた。

「す、すいません。お坊様。ひゃあ、もう戻る時間だわっ」

 ナンはニコニコしたままで、軽く手を振った。

「いやいや、良い経験をしたと生徒に伝えて下され」


 教授や生徒たちのスーツも、大暴れしたおかげですっかりヨレヨレになり、黒くすすけて汚れている。

 教授が恥ずかしそうに自分のスーツをはたいて、カビ汚れを落とそうとするが……もはや無理だと自覚してため息をついた。

「はあ。せっかく仕立てたスーツが台無しだわ」


 ナンが微笑みながらうなずいた。

「そうじゃな。しかし、どうしてスーツで来たのかね? 本来の服装ではないじゃろうて」

 教授がナンの方を見て意外そうな顔をした。

「あら。郷に入れば郷に従うのは当然だと思いましたが」

 しかし彼らを取りまく広大な畑には、この世界の人間は誰もいないことに気がついたようだ。

「ああ、そうですわね。畑を見るのにスーツは必要ありませんでしたわね。農作業服の方が良かったかしら」


 ナンがうなずく。

「そうじゃな。もうこの辺りには、この世界の人間はおらぬ。故に気楽な服装で構わぬよ。次回来る際には、案内する場所の情報も知らせる事にしますわい」


 そして、チラとセマンたちを見て目元を和ませた。

「このままでは、セマン世界に黒カビを持ち込んでしまいますな。ワシが転送魔法をかけて進ぜよう。体内の胞子や菌体は区別して、この世界に残すので心配は無用じゃよ」

 そう言って生徒を見た。それだけで突然パッと姿が消える。黒い煙だけが残った。


「おー」

 歓声が生徒たちから上がる。まったく、何でも楽しんでしまう性分のようだ。

 そのまま次々に生徒たちを転送させていく。彼らは駆け出したりジャンプしたりして何とか逃れてみようとするが……回避できない様子である。そのたびに黒い煙が立ち昇る。



 そして最後の生徒を黒カビ煙に変えた後で、ナンが教授に笑いかけた。

「思ったよりも多く入り込んでおったわい。しかし、さすがに毒への耐性は折り紙つきじゃな。他の種族でしたら、とっくに泡を吹いて気絶するか死んでおる。トロル並みじゃな」

 教授が照れて、顔を赤らめた。

「まあ。不死のお坊様にそう言ってもらえるとは。でも、そうですわね。トロル並みの生命力と神がかり的な予知能力、気配を消す能力などが備わっていなかったら、私たちセマンは1時間後には滅び去っていることでしょうね。それだけ無茶しますもの。平均寿命も100歳ちょっとと、ドワーフの10分の1以下ですし」


 そして、最後に教授の番になった。

「また、伺ってもよろしいですか? お坊様」

 ナンが微笑んでうなずいた。こういった連中には、彼は相当に好意を持っているようである。

「うむ。いつでも連絡してくだされ」


 教授がそれを聞いて安堵した表情を浮かべた。ナンの機嫌を気にしていたようだ。

「後日、レポートのコピーを差し上げますね。帰ったら学生たちを怒らなくちゃ」

「ほどほどにな。レポートを楽しみにしておるよ、では」

 ナンが手を軽く振ると、教授の姿が消えた。同時に一際大きな黒い煙が立つ。

 それを見てナンが軽く噴き出した。

「くっ……教授よ。煙の量が一番多いぞい」



 夕日が地平線の下へ沈んでいくにつれて、血のように赤い色に変わっていく。黒カビ胞子で充満した下層大気を太陽の光が通過するが、錯乱されたり吸収されたりして、赤い波長の光しかここまで届かないためだろう。

 東の地平線の上にはいつの間にか巨大な積乱雲がいくつも聳え立ち、激しい稲光を雲の中と地面に向けて盛んに走らせている。


 風の向きが変わってきた。黒く染まった大気が風に流されて動き始める。胞子密度に差があるので、まるで薄い煙がたなびいているように見える。

 ナンがその動きを目で見送りながらつぶやいた。

「1万年以上も潜んでいたカビか。何がこのカビや藻が増えるのを抑えておったのか、大いに興味があるが……この魔法禁止世界では探索も満足にできぬ。自然の摂理というものは、本当に不思議なものじゃな」


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