南中国沿岸
夕暮れの中国の津波被災地は、腐臭と瓦礫、枯れた森林だけで構成されていた。
テレポートで沖縄本島から中国大陸沿岸に転移してきたナンと魔法使いたちが、早速状況確認を行う。
魔法使いの部隊長の説明によると、何と、オークの大群が発生しているとのことだった。その数は10万にも達するらしい。
オークといえば、死者ではないが死者の世界の住人というイメージがある。今回の場合も、どうやらそうらしい。しかしオーク自体は高度な魔法を使いこなせないので、バンパイアらが秘密裏に作り出した世界間移動ゲート魔法が誤作動した、というのが表向きの原因のようだ。
しかし10万ものオークが一斉に空間転移してきたとなると、バンパイアの関与があったと考えるのが自然だろう。
ナンが苦笑混じりの顔で、部隊長の説明を聞いている。
「世界間移動ゲート魔法は、本来はローエンシャント魔法の部類に入るのじゃが……300万年も経つと、ウィザード魔法でも動作できるようにステップダウンされてしまうのじゃな」
「ええ。今や様々な魔法言語で動作できるまでになっていますからね。今でも研究は盛んですよ。そのうち、ソーサラー魔術でも動作できるようになるかもしれません」
部隊長も苦笑しているのだろう、器械音声でも伝わってくる。
「そうなれば大旅行時代の到来じゃな。それなりに楽しいかもしれぬが……」
ナンがまんざらでもなさそうな顔で、沈み行く夕日を見つめた。
「さて……部隊長としては、この事態をどう対処するつもりかね?」
「はい。広大な地域に魔法をかけなくてはなりません。そうすると、この世界の因果律の制約に引っかかります。大規模な魔法を使うことなく、大面積に散らばる10万のオークを消滅させる方法はないか検討中です」
部隊長が神妙な合成音声でナンの質問に答えた。ほとんど答えになっていないし、そんな都合の良い魔法があるものだろうか疑問である。
しかし、ナンも真面目に聞いているところを見ると、意外と無茶な検討なのではなく何か方法があるようだ。
10名の魔法使いが集まって、現場の情報を元に話し合い始めた。当然声は一切漏れてこず、彼らの使用するクチャクチャに絡んだ酵素の分子模型のような文章の断片が時々見える程度である。
そこへ闇が立ち込めた。一気に夕暮れが1時間程度進んだように暗くなる。ナンの顔が少し険しくなった。
「やあ、魔法使いの諸君。このような僻地まで遠路ご苦労。我らの世界のオーク共が悪さをしているようだな。許してくれたまえよ」
そういって尊大な態度でテレポートして現れたのは、死者の世界の住人であるバンパイアだった。
古代中東風の礼服の上下に高級そうな黒いマントを肩にかけ、腰までの長さの長い杖を持っている。見た目の歳は40代というところだろうか。頭には、これも古代中東風のバンダナを巻いている。
彼もナンと同じくアンデッドなのであるが、やはり太陽に当たっても平気なようだ。彼の登場に魔法使いたちの合成音声もトーンが一変した。警戒モードに移行したようだ。
そんな反応に構わず、バンパイアがゆったりとした鷹揚な動きのままで話を続けた。
「この世界でいうオーストラリア大陸にある我が王国に、オーク共の蛮族国が攻め込んできたのだよ。敵の数が多くてね。50万匹ほど殺したが、うっかり空間転移ゲートを奪われてしまった。蛮族共の狙いはこれだったようだな」
バンパイアが手をゆっくりと振ると、破壊されて骨組みだけになったドアのようなものが忽然と現れた。これが世界間移動ゲートなのだろう。かなり大きくて、扉を全開にすれば20トン積載のトラックが楽に通過できそうなサイズである。
「この通り、ゲートは回収して破壊した。これでオーク共はどこへも逃げることは適わぬ」
そう言ったバンパイアの灰白色の瞳が鈍く輝いた。
「さて、魔法使いの諸君の対応策は何かね?」
部隊長が事務的な調子の器械音声で話し始めた。相当に疑っているようだ。
「貴方は真祖のロードですね。我々部隊員の影を無限に作成して、それを放ち消去処分することにします。オークは、この世界の人間ともかなりの確率で交雑することができます。従いまして、被害に遭った人間も同時に消去処分します。よろしいですかな」
別にバンパイアの同意を求めている訳でもないだろうに、そのような言い回しをする部隊長である。恐らくは、邪魔をするなという言外の意味を込めたのだろう。
真祖のロードと呼ばれたバンパイアも薄っすらと口をほころばせた。ロードということは、相当に地位が高いのかもしれない。
「私は別に異存ないがね。ただ、10万ものオークを殺処分するのは下策ではないかね? 我らに任せてもらえれば、家畜化して回収するのだが」
ロードがそう不満を口にしたが、部隊長が無視した。ロードが話し終わらないうちに、魔法の発動を部下に命じる。
呪文の詠唱もなく、10名の魔法使いの長い影が倍々に分裂して増えていく。そして、地平線に沈みつつある太陽の光の向きに関係なく、影が四方八方に際限なく伸びて地平線の向こうへ走っていった。
そして20分後。10万のオークと、被害に遭った3万の人間たちが全て処分された。
ロードが感心したような声をあげた。やや芝居がかった仕草ではあるが。
「ほう。影に触れた瞬間に塩化かね。なるほど。石化や砂化であれば、多少の痕跡は残るが、これであれば再生も不可能だな。さすがは高名な魔法使いどもであるな」
部隊長が少々見下したような視線をロードに返して、その感想に答えた。顔が完全にフードに隠れている上に輪郭がぼやけているので、ただロードを見ただけなのかもしれないが。
「正確には少々異なりますがね。生体細胞を全て破裂させてから、樹脂に変換して、それを粉末化する術です。微生物分解性の樹脂なので、数日後には自然に還ります。影自体が2次元の存在ですので、この3次元空間の世界の因果律にも触れない方法です。それに、石や砂にしてしまうと、生体分子を土類へ元素変換しなくてはならなくなるので、反対に危険ですよ」
簡単に説明しているが、ウィザード魔法でも相当高等な部類の魔法であることは確かである。ちなみに石化を引き起こすような魔法は、どちらかというとソーサラー魔術が得意とする分野だったりする。
その説明を聞き流したロードが空中ディスプレーを発生させた。それには、この世界のテレビ放送が流れていて、何やらオークらしい怪物の姿が映し出されている。しかし、次の瞬間には塩になって崩壊してしまった。その塩も瞬く間に空気中の湿気を吸い込んで溶けてドロドロになっていく。
その映像が繰り返し流されていて、チャンネルによって解説者たちが福建語や広東語で色々と騒いでいるのが見える。
「この世界のいくつかのメディアではオークの姿が映されたようだな。大丈夫かね?」
ロードが心配そうな顔をつくって、部隊長に聞く。目は笑っているが。
「証拠は消滅しましたから、すぐに忘れ去られるでしょう。ご心配なく」
部隊長も丁寧な物腰で返事を返す。フードに隠された目は笑っていないのであろう。
そうこうするうちに、日が沈みきって夜になった。それを待っていたかのように、魔法使いたちが張り巡らせている広域警戒網に大量の反応が現れた。
夜空に大きなディスプレーが発生して光点を表示し始めていく。その色の数も赤、青、黄色、緑などと、急速に種類と数を増やしている。
魔法使いたちの器械音声に、険しさがさらに色濃く現れる。そして、一斉にフードに隠された顔をロードへ向けた。
ロードが少しおどけたような口調で答えた。
「おやおや。今度はゾンビやグール、悪霊、低級バンパイアなどが大発生したようだな。オーク共の置き土産であろう。最近は連中も死霊術を使うようになってね。いやはや、不届き者が多くて失礼」
ロード自身で発生させた空中ディスプレーと、魔法使いが発生させたそれとを見比べた。解像度や情報処理能力は、魔法使いのものが遥かに質が良さそうだ。
「さて、もう夜になったから影は使えまい。どうだね、ここは私に任せてはくれまいか。このままでは、明日の朝までにはゾンビ共は数百万に膨れ上がろう」
余裕たっぷりの顔でロードが魔法使いたちに提案した。確かに光の点の数は、倍々で増えているようだ。魔法使いたちも困惑した様子で顔を互いに見合わせる。
その様子を見て、これまで黙ってみていたナンがようやく口を開いた。見え透いた茶番劇にいいかげん飽き飽きした様子である。
「で、アンタの国の飛び地領土でも作るのかね? バンパイア程度では、死者の世界でも大した領地を有しているとは思えぬがね。あの世界では、バンパイアよりも上位のアンデッドどもが統治しているじゃろ。ロードとか自称するも滑稽じゃよ。酋長ならまだしも」
ロードがナンの姿を初めて確認した様子で振り向いた。少々驚いた様子である。恐らくは、ナンがロードに対して認識阻害の魔法をかけていたのだろう。
すぐにロードも察した様子で、ナンを灰白色の瞳で睨んだ。
「何だね、君は」
その一言で、魔法使いたちが硬直して動けなくなった。空間自体が痙攣したかのようだ。
しかしナンだけは平気で、つまらなさそうに首を数回振った。それを見てさらに驚くロード。やがて口元にうっすらと笑みが浮かんでいく。
ロードが次の魔法を発動させようとした瞬間、ナンがぶっきらぼうに話しかけてきた。
「もっと簡単な方法があるぞい、ロードちゃん」
そう言って、ナンがポケットからオモチャの破魔矢を1本取り出した。まるで魔力を感じないそれに興味を引かれたのか、ロードから発して急速に高まっていた闇魔法場の波動出力が止まる。
そんなことには全くお構いなく、ナンが話を続けた。
「先日、この大陸の対岸にある極東の島の神社でコレを買い求めてな。原始的な魔法武器じゃよ。以前、中央アジアの戦争で使われた方法を見せようかの」
矢がナンの手から離れて空中に浮かんだ。それでもまだ、さほどの魔力は感じられない。
「あの時は弓を使ったが……まぁ、無くても構わぬ」
そうナンがつぶやいたと同時に、矢がまぶしく輝き出した。急速に魔力場が発生して高まっていく。
ロードが感心した様子で口を開いた。
「ほう。法術かね。確かにアンデッド浄化には最適だな。しかし……」
ロードの話を途中で遮って、ナンが面倒臭そうな顔をしながら説明を続けた。
「ソーサラー魔術使いがよく使う、マジックミサイルのシャーマン妖術版じゃよ、酋長閣下。法術じゃないぞい。これを無限増殖させて、対アンデッドやオーク向けの妖術呪文を乗せるんじゃよ。目標は地上地下、全てのアンデッドとオーク。さて、では発射」
面倒がる口調とは裏腹に、1本の光り輝く破魔矢が空に飛び出たかと思うと、たちまち無数に増殖した。それらが夜空に大きく広がって流れ星のような弧を描き、そのまま地平線の向こうへ飛び去っていった。
硬直している魔法使いたちも目だけは動くようだ。大きく目を見開いている。
ロードも感心した様子で無数の流れ星を見送った。ナンも同様に見送りながら説明を淡々と続ける。
「1次元の流れ星になった矢じゃから、因果律には触れぬよ。あとは自動追尾する。これで2分以内に全て燃え尽きるじゃろう」
かなり高等な魔法なのだろうが、ナンはどうでもいいとでも言わんばかりの様子のままだ。
しかし、ロードの灰白色の瞳が鋭さを増すには十分すぎる魔法だったようである。
それでも鷹揚な笑みを崩さないままでロードがうなずいた。
「これは大した魔法だな、坊主のシャーマン」
「そうかの? 簡単な原理じゃよ、酋長閣下」
その、つっけんどんな返事に気分を害した様子のロードが、改めてナンを見据えた。やはり硬直しない。
「見た目はただの法術神官のようだが、違うな。リッチーかね」
ロードがそう言い放つと、ナンの表情が無関心から無表情に変わった。
「左様。死者の世界のリッチー協会には加盟していないがね」
ロードが凶悪な笑みをこぼし始めた。
「妖術呪文が乗った魔法の矢を無限発受けたら、肉体あるものはたまらぬ……な。しかし幾分やりすぎたぞ、坊主」
ロードがそう言い終わるや、100体ほどの華麗な古代中東風の鎧をまとったゾンビや幽霊が、闇の中から湧き上がった。ロードの兵士のようだ。
ロードが戦闘準備を完了し、口元から一対の白い牙を見せた。
「私にも面子があってね」
そのセリフを聞いて、ナンが苦笑する。
「簡易結界で待機させていたのかよ、苦しかったじゃろうに。初めからこうすれば、面倒なことをしなくて済んだはずじゃよ」
ロードはにやにやしたまま、このナンの助言を聞き流した。
「そのようだな。やれ」
一斉に雄叫びを上げて、50体のゾンビ兵が20メートルほどを一気に跳躍し、手槍を連ねてナンに襲い掛かった。動きに無駄がなく、しっかりと訓練されているようだ。残る50体の幽霊も高速で接近してくる。
「闇魔法を強化したリベナントとシャドウかね。ここまで成長するのに相当な時間がかかったじゃろうに」
ナンが哀れな目をしてつぶやく。
それだけで、襲い掛かってきたゾンビ隊が一瞬でかき消された。驚く幽霊隊も、一呼吸後に後を追うように消滅してしまった。
それを見て、ロードが不敵に笑い出した。
「なかなかやるな、坊主。しかし我が配下の者には、そのような浄化術は効かぬぞ」
ロードの周辺に黒い霧が立ち込めて実体化し、10名のバンパイアの騎士の姿になった。皆、精悍な顔つきをして、2メートルもの長さの豪剣や、3メートルを超える長さの槍を構えている。
鎧や兜、足ごしらえは、やはり古代中東風であるが、先ほどのものよりも明らかに装飾が細かくて美麗である。
しかも闇魔法がかけられているのだろうか、光を吸い込むように闇を発散させていて、輪郭がはっきりとつかめない。
しかしそれを見て、さらに落胆の表情になるナンであった。
ロードが自慢げな顔で配下を紹介する。
「皆、真祖と一般に呼ばれる貴族階級だ。これまでの輩とは違うぞ」
ナンが首を振った。相当馬鹿にした態度をとって、口を開く。
「やれやれ。剣と槍に、階級かね。変わっておらんのう、この3,700年。あと、バンパイヤごときに階級制度なんかないぞい。死者の世界の貴族どもに憧れるのは理解できなくもないが」
ロードの笑みが凶悪さを顕わにした。
「殺れ」
一斉に10名のバンパイア騎士たちが黒い霧状になってナンに殺到していく。先ほどの鎧ゾンビの10倍は速い。しかしナンは表情を全く変えずに、またポケットから破魔矢を取り出した。
霧と化した騎士たちが笑う。
「ばかめ、我らにそのような技が届くと思うのか」
しかし、ナンは幼稚園児に諭すような調子で霧に向かって話しかけた。
「届かせればいいんじゃよ。このようにな」
分裂増殖した無数の破魔矢が霧に降り注ぎ、霧の中で消えた。騎士たちが驚いたような声を上げる。
「ま、まさか……」
ナンが面倒臭そうに告げた。
「だから、届くんじゃよ。言ったであろう」
次の瞬間、絶叫と共に騎士たちの霧が蒸発した。後には何も残らない。露さえも。
絶叫の残響を聞き終わってから、ナンがため息をこぼした。
ロードが感心している。もはや感動していると言っても良いほどだ。
「おお、本体まで空間跳躍する無限の魔法の矢か。これでは、騎士と言えども完全に消滅するしかないな」
「お褒め戴いて光栄じゃよ、酋長」
言葉だけは丁寧な返事を返したナンの体を、黒い霧が包み始めた。ロード自身が発動させたのだろう、ナンが展開している防御障壁を次々に解読して突破していく。
ナンは相変わらずヤル気の全くないような表情のままだが、ロードは勝利を確信したようだ。高笑いが彼の口からこぼれる。
「古代ヒッタイト語魔術だ。研究は怠っておらぬのでな。これは無効化できまい」
「そうかね……」
ナンがさらに気落ちした表情で答えると、霧が消えてしまった。
これには、さすがにロードも驚愕した表情になった。
「な、何をした。術式は暗号化された古代ヒッタイト語だぞ、解読できるわけが……!」
ナンがうんざりした表情になってロードに説明を始めた。
「もう少し、真面目に研究してほしいものじゃな、酋長……古代ヒッタイト語じゃが、魔法術式の記述語はハッティ語かシュメール語の方言の言い回しを使うのじゃよ」
ナンが少し遠い目をする。
「死者の世界の馬鹿共が5,900年前にシュメールで遊びがてらに騒ぎを起こした事があってな。その馬鹿共が現地の人間に教えた魔術が、2,000年の間に独自の進化を遂げた代物なんじゃよ。水系と闇系の精霊魔法が、独自の組み合わせで発動するという特徴がある」
そう教えてから、ナンが耳を指でかいた。
「それと、どうでもいい事ではあるのじゃが、酋長。術式記述語にはアッカド語からの引用単語も多く含まれておる。その声門閉鎖音、喉頭閉鎖音、強調子音の発音ができておらんぞ。ハッティ語の喉音も中途半端な発音だ」
説教に調子が出てきた。
「加えて、文法上も誤りが多いのう。生命の有無による名詞の区別も8ヶ所間違っておったし、その『壊す』という動詞の活用形は、古代ヒッタイト語では使われておらぬ。そんな事では魔術の起動率が50%以下に落ちるわい」
さらに調子が乗ってくる。
「もう一つ。どうでもいい事じゃが、その暗号化技術は何十世代前のものか知っておるのかね? これでは及第点はあげられぬぞ、この赤点酋長め」
すらすらとナンがロードに説いて聞かせると、さすがにロードの顔に明らかな怒気が湧き上がってくるのが見えてきた。
その彼が自身の闇魔法場の密度を急速に上げながらナンに訊ねる。
「……ふ、ふふふ。さすがはリッチーだな。理屈をこねるのが上手いものだ。理屈ついでに一つ教えてもらいたいのだが、私の部下をどのような魔法を使って葬ったのかね?」
ここでナンはヤル気ゼロに再び落ちてしまった。ため息をつきながら無造作に答える。
「滅ぼしただけじゃよ、単純に」
「呪文詠唱なしでか」
ナンが無感情な声のままで、驚くロードと硬直したままの魔法使いたちに顔を向けた。
「ワシは本来、呪文の詠唱などは行う必要がないのじゃよ」
そう言ったナンの横の空間が突然火花を上げて爆発した。それをきっかけにして、あちこちの空間が連鎖的に爆発を始める。それを興味もなく見つめながらナンが付け加えた。
「このように、この世界の因果律を崩壊させてしまうのじゃよ。故に使わぬ」
ロードが高笑いをした。呪文詠唱の影響でひどく耳障りな共鳴音になっている。
「なるほど、ゲートの管理を任されるだけのことはある。感服したよ。そこまでくると魔神並みだな」
魔法使いたちも、硬直したままでロードのセリフに同意している。しかしナンは、無表情のままで口を開いた。
「恐縮なのじゃが……時間稼ぎは無意味じゃよ、酋長。因果律崩壊で発生する衝撃波は、いくらでも到着を遅らせることができるのでな」
ロードの顔色が変わった。しかし、悪意に満ちた笑みは凄みを増すばかりだ。
「しかし、私にはどうかな?」
その挑発に、ナンが暗く笑って反応した。思わずぞっとするような雰囲気を持つ笑みである。
「アンデッドは、ゾンビもバンパイアも同じ仕組みで動いているのじゃよ。それに気づかないようでは、まだまだ未熟」
「ア? 何と言った? 今!」
ゾンビと同列にされたことに、さすがにカチンときたらしい。しかし、ナンはロードの反応には全く構わずに、無造作にロードの方へ歩み寄っていく。
ロードが待っていたとばかりに、遅延発動呪文を起動させた。
ナンとロードの距離に応じて起動するようにセットされた自動トラップ魔法が、数十も一斉に発動して、強力な爆発や光線、闇結界がナンを襲う……はずだったが、なぜか何も起きない。
ナンは面倒くさそうな顔のままで、スタスタとロードの手前2メートルまで歩み寄ってしまった。慌てたロードが霧になって、瞬時に100メートルほど離れた場所にテレポートする。
「お、お前っ! 一体何をした」
ナンはもう説明する気もなくしたようだ。ロードを見ようともせず、硬直した魔法使いたちのいる場所へ歩き出した。
「赤点の落第生には、もう何も言うことはないわい。授業料として、ワシが犯した因果律崩壊の罪をかぶってもらおう。さようならじゃ、アングウシ・パラシバ酋長」
驚愕するロード。
「な、なぜ私の本名を知っている!」
ナンが心底呆れた表情を浮かべた。
「なぜって……これだけ長い時間おったら、そりゃ分かるじゃろ」
何か叫んだようだったが次の瞬間、因果律が崩壊して周囲の空間ごとロードの姿がかき消された。
その事にはもう全く関心を払わずに、硬直した魔法使いをナンが手で撫でて魔法を解除していった。
「ふえええ……」
魔法使いたちは言葉もなく地面にへたり込んでしまった。息も荒い。
それを見ながらナンが苦笑した。ようやく顔に人間らしい表情が浮かぶ。
「君たちも勉強をもっとすることじゃな。この程度の暗号化された闇魔法にかかっておっては、普通のリッチーのいたずらには手も足も出せぬぞ」
隊長がようやく息を整えながら、驚きの表情でナンを見上げている。さすがに魔法障壁などを展開する余力がないようで、今はフードの中の顔が良く見えていた。何のことはない、普通の彫りの深い顔の人間ではないオッサンだった。
少しがっかりするナンである。
「……隠す意味ないぞい。てっきり魔眼持ちのドラゴンハーフや巨人ハーフかと勘ぐってしまったではないか。ただの旧人由来の魔法使いかね。自意識過剰だ」
輝き出した下弦の月を見上げるナン。
「さて、どこまで弾かれたものやら」
闇魔法が消えて見通しがよくなり、月明かりが差してきた。それに照らされて辺りの視界が開けていく。一面の荒野と黒カビの世界である。
それを見ながら、ナンが悲しそうにつぶやいた。
「あの木っ端酋長も、この風景を見たら気が変わったやも知れぬのう」




