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その季節  作者: あかあかや
22/38

日本列島の太平洋岸

 極東アジアの日本列島には、4月から台風が来襲するようになって久しくなっていた。

 が、今回の台風は例年に増して勢力が強いものだった。中心気圧810ヘクトパスカルで直径600キロの暴風圏を持つ破滅的な台風が、春雨前線に向かっていた。

 日本列島の太平洋岸では春雨前線がそのまま梅雨前線になっていた。その後少しの晴れ間があり、秋雨前線に覆われる。ほぼ年間を通じて雨模様の天気というのが定着していた。


 さて、今回の台風の進路予想では、名古屋に上陸する可能性が高いようだ。これほどの強さの台風は過去になかったので、日本政府は厳重な警戒態勢をひいていた。

 が、既に高齢化と人口の急激な減少が進み、一方で大量の移民が水を求めて移住し続けていた。その結果、言葉が通じない人口が激増したため法治機能が麻痺し、治安が悪化してしまった。

 産業の空洞化が顕著になった国力では、大した対策が打てるはずもない。道路などのインフラが崩壊して陸の孤島となった日本海沿岸や瀬戸内海、北海道では、海賊が跋扈して独自の国すらつくっている状況である。



 その名古屋の沖合いの上空200メートルの暴風の中に、ナンとクー博士が防御障壁をそれぞれ展開して浮遊していた。

 下の海面は既に高さ10メートルもの大波になって荒れ狂っている。気圧が低いので海面が4、5メートルほど盛り上がっており、その上に大波が荒れ狂っていた。風は秒速100メートルに達しているので、大波は瞬く間に風で分解されてしぶきの塊に成り果てている。

 周辺の視界は時間の経過と共に悪くなる一方で、凶悪な暗黒の世界と化してきていた。


 そんな状況にも関わらず、ナンたちの障壁は風に翻弄されることもなく、安定して浮かんでいた。

「うん。いい風だな。採集する価値があるよ」

 クー博士が広いツバのついた年季物の帽子を被ったままで、これまた年季の入ったジャケットの中から小瓶を取り出した。相変わらず、赤い瞳にはキラキラとした好奇心の光が灯されている。

 ナンも何の気負いもない穏やかな声でクー博士に訊ねた。

「じゃあ、採集空間を10キロ立米で設定するか。それでいいかね? クー博士」

 まるで裏山へのピクニックの途中のような気楽さである。


「うん、それだけあれば十分だよ。風の精霊場が高密度に圧縮されるから、加工した際に、かなりの高出力精霊魔法になるだろうな」

 クー博士も小瓶を両手の中で転がしながら、気楽な調子で答えている。



 その時、クー博士とナンの浮遊する場所に太い雷が落ちた。空気を切り裂く独特の轟音が暗黒の嵐の中に響き渡り、2人の防御障壁がまぶしく光った。

 その雷を防御障壁の中から見ていたクー博士が、赤い瞳を輝かせた。

「おお、これも採集したいな。ナン」

 それを聞いたナンが少々呆れながら、彼を制止する。

「クー博士、雷と暴風は別々に採集するのが無難じゃよ」


 博士が少しすねたような顔をした。赤い瞳のキラキラ具合が減っていく。

「細かいなナンは。了解、後で採集するよ。始めてくれ」

 ナンが、すっと右手を上げた。

「因果律回避2秒、空間捕縛、開始」

 同時にクー博士が小瓶を開ける。

「風の精霊場を吸引、開始」


 呪文らしき言葉も発していないが、採集作業がこの命令を合図にして自動的に始まった。


 10キロ立方メートルもの広大な空間に充満している強力な風の精霊場が、一気に小瓶に入る。その反動で、辺りが無風になった。暗黒の凶悪な形相をしていた分厚い雲すらも消えてしまい、突然台風の目の中に入ったような、きれいな澄んだ夜空が上空に広がる。荒れ狂っていた暴風は全て、この小瓶に入ってしまったようだ。

 赤いオーロラが北の方の空に広がっているのが見える。しかし、下の荒波だけは相変わらずで、不自然な対比を見せている。


「上々だ。良いサンプルになるよ、これは」

 クー博士が満足そうな顔をして小瓶のふたを閉めた。澄んだ夜空もたちまち幻のように消えて、また分厚く暗い嵐に包まれていく。暴風と雷も戻ってきた。



 気がつくと、2人はいつの間にか沿岸まで風に流されていた。

 沿岸にそびえる巨大都市もブロック区画ごとに電線が断線したりしているのだろうか、パッチワーク状に灯りがついている地区と、真っ暗になっている地区とに分かれている。

 そして、次第に真っ暗になっている地区の数が増えてきていた。ポツポツと自家発電を稼動させている場所の明かりが目立ってくる。


 その様子をあまり関心なさそうな顔で上空から見下ろしているクー博士が、ナンに話しかけた。ちょっとヒマになったらしい。

「ナン。この文明都市は、これまでこれほどの嵐を経験していないそうだね」

 ナンがクー博士の視線の先を追って答えた。

「うむ。600年余りしか経っていないからな」


 それを聞いて、何の感慨も感情もない声でクー博士が告げた。

「であれば、この風には耐えられないか。ざっと見ても、200万人は居るかな。この内1万人は死傷するだろうね。あ、魔法が使えないからもっとか」



 その時ナンの細い目がピクリと動き、今までの気楽な雰囲気が消えた。

「クー博士、まだ小瓶はあるかの?」

「予備で1つあるけど、どうしたんだい? ナン。これから雷系の精霊場を採集しようと思うのだが」

 訊ねるクー博士に、ナンが目をさらに細めて告げた。

「地震じゃよ。この地下40キロで起こるぞい」


 クー博士の赤い瞳が好奇心の光を宿した。

「うむ、それは珍しいな。採取してみるか。精霊魔法は専門外だけど興味があってね。ええと……地震エネルギーは地の系統だな。雷とは別か。むう、もう一つ持ってくればよかったよ」


 残念がる博士の横で、ナンが採集の準備を始めた。海面を見下ろしているが、恐らくはその下の地殻の中までも見透しているのだろう。

「因果律回避5秒、遠隔空間捕縛」

 同時にクー博士が持っている小瓶が消える。

「転送よし、地震エネルギー吸引、範囲10キロ立米、完了、戻れ」


 瞬く間に、クー博士の手の中に小瓶が戻った。かなり熱くなっているようで、両手でお手玉をして小瓶を冷やしている。しかし、その顔には満足げな表情が溢れていた。

「おお、容量一杯だ。これは相当な地震だったな。この都市は運が良かったぞ、我々がエネルギーを吸引しておらねば、崩れ去っていただろ……お?」


 お手玉の手を休めずにクー博士が驚いたような顔をした。海面を見下ろす赤い目に鋭さが宿る。その横に浮かんでいるナンも同様な顔で驚いているようだ。

「ああ。同時に起きた。3発……か? 海底の堆積層がエビのように跳ねおったわい。3ヵ所で差し渡し50メートルほど一気に水平方向にずれたかの。垂直方向には最大で10メートルほどじゃな」


 そう言ってナンが西の海を見た。嵐の暗闇の中なので、どこを見ているのかは分からないが。

 しかし、クー博士も同様の結論に達したようだ。同じように西の海を見る。



 太鼓をめちゃくちゃに叩いたような不気味なうなり音が、秒速100メートルの暴風の中でも響いてきた。

「さて……採集ビンも容量が満杯だし、帰るよ。今回も良い採集ができた。この嵐に地震か。ナン、ここは終わったな」

 クー博士が他人事のような口調で肩をすくめる横で、ナンも顔を曇らせた。

「ああ……誰も助けに来れぬじゃろうな」


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