ニューヨーク2
ニューヨークは、50mを超える雪に埋まっていた。雪はなおも大量に降り注いでいるので、今後は完全に雪の下に埋没するだろう。その雪の下のデパートの倉庫にナンがいて、棚を物色して回っていた。もはや非常灯も切れて、室内は真っ暗である。50m以上の厚さの雪の重さでデパート自体がミシミシと音を立てている。崩壊も時間の問題だろう。やがてナンが、商品棚に残っていた紅茶のパックを1つ手に取って、ため息をついた。
「茶も気軽に飲めなくなるなぁ。この2000年余り楽しめたのだけど」
「お、万引きかね?ナン」
不意にクー博士が姿を現して、ナンを冷やかした。ナンも彼が現れることは予測済みだったようで、苦笑して博士の方を振り返った。
「支払いたいのは山々なんだけどね。で、なんだいクー博士」
「遭難事故だよ」
そう言って、クー博士が肩をすくめた。また雑用を任されたようだ。
崩壊寸前の高層マンションの最上階の部屋は、破壊された窓から暴風雪が吹き込んでいるが、雪に埋まっていない分だけ、空気が新鮮だった。しかし、窓のすぐ下まで雪が積もっているので、ここも時間の問題で雪に埋もれるだろう。その荒れ果てた部屋に無造作に座って、茶をすするナン。クー博士が、ポケットからクシャクシャに丸まっていた紙切れを取り出して読み上げる。
「セマンの冒険家と、ドワーフの暴走族、ウィザード魔法使い数名、バンパイアもいるらしい。救助要請が来ているよ」
「ずいぶん非正規ゲートが増えたものだな。私は動かないよ」
ナンは、そう言って外を向いたままで茶をすすっている。
クー博士がグシャグシャの髪をポリポリかく。
「ナン、正規の転移ゲートを使っていない連中だから気持ちは分かるが、頼むよ。ほっておくと、連中のお仲間が救助隊を組織して、この世界へやってくるぞ。今度は正規のゲートを使って」
そう言って、ほら、と空中に大きなディスプレーを出現させてナンに見せた。6分割された画面状には、それぞれの世界が映し出されていて、確かに大勢の群衆がわーわー騒いでいるのが見える。ナンがそれを一目見て、ため息をついた。
「クー博士、この雪の下にはね、2億の人間が凍っているんだよ。その50m上で遊んで遭難した連中を助ける気にはならないなぁ」
クー博士が、うなずいた。
「うむ、ま、君らしい答えだな。しかし、遭難した連中がもし人間と接触したら面倒だぞ。捜索隊も間違いなく探索呪文を乱発してくるだろうし。この魔法禁止世界でね」
ナンの顔が曇った。キッチンに転がっているフォークを1本浮かせて呼び寄せる。
「むう。いっそ滅ぼしていいかね?今」
クー博士が苦笑して、さらにグシャグシャ髪をかいた。赤い瞳の目が細くなる。
「となると、私は君を捕まえるように、遭難者の出身世界の警察に通報しないといけなくなるなぁ。研究者にこれ以上雑用させないでくれ」
ナンが、それを聞いて肩をすくめた。浮いていたフォークも元に戻される。そして、窓の外を眺めた。
「やれやれ、分かったよ。目標補足。召喚」
たちまち遭難者が全員現れる。皆、息も絶え絶えの状態で凍結している部屋の床に倒れ伏している。凍死寸前といったところか。彼らを見下ろして、ナンが残念そうな顔でつぶやいた。
「なんだ、まだ息をしていたか」
クー博士が苦笑する。
「死んでいたらどうする気だったんだい」
「そりゃもう、死者の世界へまとめて転送するだけだよ。蘇生なんて面倒だし」
そう言ってのけるナン。冗談ではなさそうだ。クー博士も、また頭をかいて同意した。
「だろうな。だったら簡単だった」
床に伏していた美女が顔を上げ、それを聞いて慌てる。
「ま、まて、送り返すな」
しかし、あまりにも衰弱していたので声になったのかどうか。他の者たちは声すら上げることができないようだ。
雪が吹き溜まっている部屋の床に倒れてうめいている連中を、ウィザード魔法で診断していたクー博士がため息をついて、ナンに頼んだ。
「まあ、生命には問題ないな。とりあえず凍傷を治してやってくれ。セマンやドワーフは、この手の治癒魔法を知らない」
診断できたくらいだから、治療もできると思えるのだが、そこは大人の事情があるのだろう。
ナンもため息をついて、一瞥した。
「これくらい勉強してから来るものだ」
それだけで黒くなっていた凍傷部分がめきめきと音を立てて治っていく。その代わり、かなり痛いようで全員、うめき声を上げてのた打ち回っている。
クー博士が苦笑して、その苦悶の様を観察していたが、ナンに顔を向けて突っ込みを入れた。
「強引な組織再生魔法だな。それは痛みを感じない低級アンデッドの傷修復に使うやつだろ。グールとかゾンビとか」
ナンは、どうでもいいという顔。
「いい薬になる。さて、送り返すぞ」
ドワーフの連中が、ようやく痛みから解放された途端に、ナンにつっかかってきた。やはり、かなり血の気が多いようだ。確か暴走族とかクー博士が言っていたようだが、バイクや車のような乗り物は周辺に見当たらない。多分、ナンがドワーフだけを呼び寄せたのだろう。しかし、着用している派手な色のスーツは、確かにレーシング用とも見える。
「この坊主、痛えじゃねえかよ」
「さっさと帰れ」
ナンが、でこピンの仕草をする。それだけでドワーフ達が消えてしまった。それを見て他の者が、全員驚愕する。次いでセマンを見るナン。彼の服装はクー博士と同じ系統で、これは冒険家と言われても納得できる。くしゃくしゃの髪の毛まで同じ系統だ。だが、リュックサックなどの荷物が1つも見当たらない。これもやはりナンのせいだろう。かなり手を抜いた召還をしたようだ。
セマンが、血相を変えて喚き出す。
「ま、待て。坊主、どこに転送する気じゃ」
「君の世界のどこかだよ」
ナンは、ますます面倒くさそうな表情になっている。
「なっ、わしを誰だと思って。。」
セマンが、さらに喚くが、ナンは、
「あとは向こうで探してもらいなさい」
びし!と、でこピンの仕草一発。何か叫んだが、あっという間に消えるセマン。クー博士が楽しそうに笑う。
「はは、これはこれで、後がやっかいだな。面白いが」
救助された魔法使い達は、慌てて身だしなみを整えて杖をナンに向けて、転移呪文を唱え出した。
「わ、私達は自力で帰ります」
そう言ったが、呪文詠唱と術式展開に手間取っている。ナンが管理している、この世界の正規の空間転移ゲート自体は既にナンがロックを解除していたので、この魔法使いたちも使用できる状態ではある。しかし、ウィザード魔法にステップダウンされたとはいえ、この転移魔法自体が元々高度なローエンシャントの魔法なので難航している様子である。結局5秒後、ナンが面倒くさそうな顔をさらに深めて、無言で、でこピンを一発かました。悲鳴を上げて抗議する魔法使い達だったが、その悲鳴さえ途中までしか発することができず、あっという間に消えてしまった。
「ま、待て、坊主。。」
残ったのは美女一人。かなり狼狽している様子だ。先ほどクー博士が言っていた、バンパイアなのだろう。肌の色が異様に白い。黒髪はややきつめにウェーブがかかっていて、優雅に背中の肩甲骨の辺りまでふわっと覆っている。灰白色の瞳でつり目だが、はっきりと自己主張していて、彫りの深い顔立ちである。見た目は20代前半といったところか。一方、服装はこういっては何だが、家政婦や下女働きをしている者の作業着に近い。しかも、膝や肘のあたり、肩のまわりを中心に擦り切れと生地の変色が見られ、全体に生地の黄ばみも伺える。靴も一応は革であるが、水仕事で濡れてふやけたのか型が崩れてしまっており、表面のワックスもかなり剥げ落ちている。それでも、生まれ持った気高さはいささかも損なわれてはいないようだ。
ナンは、穏やかな表情に戻っていた。でこピンの仕草もやめる。
「読心したよ。戻ったら滅ぼされるか、呪いで隷属にされるようだね」
クー博士も、にこやかな顔で美女に話しかけた。
「真祖階級にしては精神障壁が甘いよ。そんなに新しい王様は嫌いかい?元お姫様」
美女は、危機がとりあえず過ぎ去ったので安心したのか、腰が抜けてしまったのか、床にへたり込んでしまった。
「母も兄も奴の召使にされ、配下も裏切った。坊主、お前のせいだ」
そう言ってナンを睨む。が、肩を落とす。
「く、効かぬか。化物め」
クー博士が、にやにやしてアドバイスした。
「咬みついて魔法をかければどうかな?しかし面白いな、仇だと、ナン先生」
ナンが首をかしげた。
「ふむ、障壁を全て消せば良いかね?」
美女が、上目遣いでナンを睨みながら、ナンの提案を却下した。
「今さら、お前を滅ぼしても何も変わらぬし、そもそも私程度のバンパイアではお前に傷をつけることすらできまい。それに、父上はお前と正々堂々戦い敗れたのだ。恨みはない」
クー博士が苦笑する。
「正々堂々ね。ま、そうだな。で、どうしたいんだい」
美女が一瞬息を飲んで黙ってから、おずおずと口を開いた。
「読心したのなら、わかっておろう。この世界に亡命したいのだ」
クー博士が大げさに驚く。
「ほう。ここは魔法禁止の世界だぞ」
美女が、クー博士を睨みつけるが、魔力を込めたそれは簡単に博士の障壁に弾かれてしまった。弾かれた先の床が青く炎を上げて数秒間だけ燃えて消えた。
「分かっている。真祖の力は使わない」
たった今使用したはずだが、ナンはこのやり取りを見て微笑んだ。
「分かったよ。この世界での約束は2つだ。因果律に関わる魔法は使わないこと、そして、この世界の歴史に関わらないこと。いいかね」
クー博士が補足する。
「時間と空間の制約だ。我々はこの世界の住人ではないからね」
美女がうなずいた。それを確認して、ナンが目を細めた。
「では、君の呼び名を決めようか」
クー博士が、何か思いついたようだ。
「南極にいたから、ポーラでどうだい」
かなり適当な理由と発想だが、ナンも美女も異論は無いようである。ナンがちょっと考えて美女に提案した。
「英語名か。古ギリシャ語か、原シュメール語、もしくはラテン語でもよいが」
美女は、力なく首を振った。
「亡命者だからな。英語名で十分だ」
それを聞いて、ナンと博士の2人がうなずいた。クー博士が、ポーラになった美女に微笑んで話しかける。
「では、その旨を死者の国のマズドマイニュ王に伝えよう。なに、こいつが保護者だから何も言えないよ」
息を飲んで、うなずくポーラ。ナンもそれを微笑んで見ていたが、不意に部屋の中が明るくなった。嵐の雲のすきまから日が差したようだ。それを見上げてナンがつぶやいた。
「嵐が終わりそうだな」




