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その季節  作者: あかあかや
10/38

パリ

 炎天下の灼熱のパリは、気温が40度を超えているので、さすがに街には活気がなかったが、新型インフルエンザへの対策は万全だったようで、インドのように道端で腐っている物は見当たらない。しかし、やはり通りには人影が少ない。元々、寒さ対策を施した都市であり、分厚い石やレンガ、コンクリートで固められた建物は中の熱が逃げにくい構造になっている。なので、日中に建物や道路が熱せられると、夜中になってもなかなか気温が下がらない。このところ毎年のように熱波が街を襲うようになってからは、さすがにエアコンが普及してきたが、それでもまだ充分とは言えなかった。今月も当たり前のように日射病や脱水による死者が続出していて、もうニュースにもならない。


 そのような状況だったが、それがかえって姉妹女王にとっては楽に歩けて都合がいいようで、スキップしてはしゃいでいる。彼女達の周辺の空間がスパークをあげているが、お構いなしのようである。やや大き目の薄いピンク色と黄色のストライプが入ったTシャツには、大きく漢字で愚者と印刷されており、薄青い柔らかそうな生地のジーンズにワンポイントがあるジョギングシューズを履いている。日差しが強いので、これまたやや大きめの白い帽子をかぶっている。妹の方も姉とほぼお揃いの服装だが、こちらの方はより活発そうな印象を受ける。姉妹ともにこれだけの直射日光を浴びても、肌がまったく赤くなっていない。少ないながらも道行く人々は、そのあまりの元気さに目を丸くして驚いている。皆、日焼け対策に大きな帽子か日傘、それにサングラスをかけ、さらに黒カビの胞子対策のためにマスクをし、あまり肌も露出させないようにしているので、姉妹らの気楽な服装は逆に目立っている。


 そのパリは、南風が次第に強まってきていて、時折、突風が吹いて、黒カビで枯れた観葉樹の枯葉を盛大に巻き上げていた。この暑さがなければ、それなりに黒いながらも紅葉しているので、晩秋のような美しい風景である。ただ、砂塵や粉塵が多く空中に漂っているので、きれいな青空というわけにはいかないが。遠くに目を向けると建物は蜃気楼で歪み、道路には逃げ水がたたえられている。ただ、パリは元々湿気が少ない場所にあるので、東南アジアなどで見られるような立派なものではない。

 東アジアで発生して世界中に広まった経済危機による物流停滞で、車の燃料などが不足し、そこかしこに路上駐車されて動かなくなった自動車が数多く放置されている。そのほとんどは、タイヤやミラーなどのパーツが盗まれて無くなっていた。一時、自転車が増えたが、これもタイヤの不足が起きてパンクしても修理できない状態になってきていた。現在は歩く人がほとんどである。電気も火力発電所が停止し始めたので、停電になる区画が増えてきていた。パリも下町区域では停電時間が次第にのびて深刻な状態になり始めている。


 さて、公園と街路樹で一通りはしゃいだ姉女王が、ニコニコした顔をナンに向けた。

「お坊様、ご苦労をかけるわね」

 ナンが苦笑しながらも微笑んだ。そして、少し困惑した表情を浮かべる。

「いえ女王様、それよりも私は、その、ファッションというものについては専門外でして」

 姉妹がクスクスと笑いあった。妹女王がウインクする。

「大丈夫よ、分かっているから。さ、時間がないわよ」

 そう言って、専門店ではなく、一般の百貨店に入っていく姉妹女王。

「あれ?」

 ナンが不思議そうな顔をしたのを、姉が笑って見返した。

「カード払いでしょ、ああいった店は」

 ナンが、ようやく腑に落ちた顔をした。思わず両手を合わせる。

「ああ。しかし、カード決済などは、もう機能麻痺しているのに、今でも入店するには必要なのですか」

「プライドってやつ、なのかしらね。私は専門店よりもこっちのほうが楽しいわよ」

 姉女王が、少し肩をすくめて専門店を見て、すぐに百貨店にスキップして入っていった。慌てて後を追いかけるナン。時おり空間が火花を上げるのを抑えて回っている。


 百貨店の中は、さすがに冷房が効いていた。相変わらず人で溢れていて、活気に満ちている。そして一般客に混じって特売品荒らしや試着を延々と楽しむ女王姉妹を感心した様子で眺めるのは、ナンである。立派に他の買い物客と特売品を巡って争っているのが、相当意外に見えるようだ。もう、かれこれ1時間は経過した。

「こうしてみると、普通のお嬢さまですね」

 普通の育ちの良いお嬢様は、そのようなマネはしないのだが、ナンは率直に感想を述べた。姉妹も楽しそうに笑って、60名を超えるオバサン達がひしめき合っている中で、特売品のスカートを見事な早業で分捕った。魔法は使っていないようで、これにもナンが驚いた顔をする。姉女王が満足げな表情でナンに微笑み返した。

「ふふ。こんな機会でないと、こんなことできないもの」

 勝ち取った特売品を大量に抱え込んで、ご満悦の姉妹女王。首をかしげているナンに妹女王が説明する。

「素材は魔法っ気がないから、私たちの世界では貴重なのよ」

 なるほど、とうなずくナン。

 その仕草で思い出したのか、姉女王が指を鳴らした。

「あ、そうそう。ポカンちゃんの分も、買っていかないと」

 そう言って、妹女王と再びタッグを組んで、今回も留守番役の末の妹のために更に特売品のコーナーを引っ掻き回し始めた。本当に楽しそうである。周辺にひしめくオバサンたちの怒声や体当たりも華麗にスルーしていて、堂に入った動きを見せている。


 小物売り場でも同様のことをして、灼熱の路地のビストロで食事休憩になった。ふた抱えはある特売品の服や小物が入った大きな袋を、満足げに眺める姉妹女王。しばらくすると荷物運び用に召喚した、魔族とおぼしき連中が、何とか普通の人間の姿に変化して、姉妹女王の袋を丁寧に担いで路地裏に消えていった。

 ナンが、少々あっけにとられた顔で、魔族達を見送る。

「あの、女王様。彼らは、魔神クラスの魔族ではないのですか?」

 姉女王がクスクスと笑う。

「いいのよ。たまには運動させなきゃ、糖尿病になるでしょ」

「はあ」

 ナンもそれ以上は追求しなかった。しかし、ハイエンシャント魔法すら使いこなし、契約により魔法使いたちへ魔力を提供しているような魔神達を平気で召喚して荷物運びさせて、大丈夫なのだろうか?魔神に糖尿病も何もないと思えるのだが。もちろん、ナンなど足元にも及ばないほどの強力な魔法を使う連中である。多分、クー博士がウィザード魔法を使うために契約した魔神もいたのかもしれない。


 ビストロでは姉妹たちは路地に張り出した、簡素なテーブル席についていたが、他には誰も見当たらない。40度を超える猛暑の中では当然だろう。客は全員、空調の効いた締め切った室内で食事をしている。すぐにサービス係がやってきて、空調が効いている中の部屋へどうぞと勧めるが、姉妹は丁寧に挨拶して、平気だからと微笑んで断った。確かに汗ひとつもかいていない。怪訝な顔をするサービス係だったが、客の様子を見て、大丈夫なのだろうと判断して室内に戻っていった。

「締め切った室内では、魔力がどうしても溜まってしまいますからね」

 と、ナンが苦笑する中、メニューをペラペラめくって、黒板に書かれた料理にも顔を向けて、どれにしようかと姉妹で楽しそうに相談している。ワインリストもパラパラとめくって笑っている。本当に楽しそうだ。


 ナンがそれを見ながら姉妹女王たちに尋ねた。

「あの、女王様。ビストロではなくて星付きのレストランの方が料理やワインが充実していると思うのですが、ここで良かったのですか」

 それには妹が答えてくれた。

「特売品を大量に手にしたまま、そんなレストランに入るのは、さすがに気が引けるのよ、お坊様。こういった気楽な店の方がいいの」

 姉も同意してうなずく。

「そうね。こう見えて私たちは仕事で忙しいのよ、お坊様。いくら時空を操作できるといってもね。高級レストランでは息抜きできないでしょう?ドレスコードがあるとリラックスできないのよ」

 どうやら、そういうことらしい。ナンもとりあえず同意する。


 5分ほどかけて料理とワインを決めて、サービス係に注文をする。小柄な坊主と、身長はあるが華奢な体つきの姉妹が頼む量ではない。サービス係が、さすがに確認したが、姉妹は微笑んだままで大丈夫と念を押した。

 ナンがまたですか、とでも言いたげな顔をするのを見て、姉妹が目を輝かせた。

「だって、食べ納めでしょ。悔いの残らないようにしなくちゃね」

 やがて、次々と巨大な皿に山盛りになった料理が運ばれてきた。まずは魚料理が数皿。中でも巨大な川カマスのグリルが圧巻である。また、たこ焼きの焼き皿になんとなく似ている陶器の穴に、ぎっしりと剥き身のエスカルゴが詰まって緑色の独特なソースがたっぷりとかけられた料理もある。同時に白ワインがボトルで出されてきた。ナンにはよく分からないが、どうやらビストロで扱うには結構高価なワインのようである。ソムリエがワインを開けてテイスティングを姉女王にお願いする。

「うん、いいわね。このワインの適温は、今の温度かしら?ソムリエさん」

 めったに開けないワインを提供したせいなのもあるのか、汗だくになっているソムリエがうなずいた。

「はい、そうですね。しかし、この気温ですから、氷で冷やしてもすぐにぬるくなってしまいますよ」

 大丈夫よと、姉女王が微笑んで、礼を述べた。たちまち姉妹が持っているグラスに霜がかかる。

「あのソムリエさん、なかなか優秀ね。この手のワインはね、温度変化で味や香りが変わってくるのよ。ソムリエさんが言う温度が適温ね。あとはお皿に応じて温度を調節すればいいわね」

 そう言って、妹女王がナンに微笑んだ。

「さあ、いただきましょう」


 上品に、あくまで上品に、大皿を平らげていく姉妹。さすがにサービス係も驚いたようだ。あの細い胴体のどこに収まっていくのだろうか?今や北海産が多くなった岩牡蠣もダース単位で頼んで、ライムや塩をかけてパクついている。

 ワインも次々に注文して、ボトルを開けていく。しかし、全く酔った様子は見られない。

 ナンは、水だけをすすりながら、姉妹の食事を見守っている。

 スズキのパイ包み焼きを、パイ生地ごときれいに平らげた後、肉料理が次々と運ばれてきた。これまた大皿ばかりである。家畜は、この酷暑を避けて、イギリスや北欧で飼育されていたが、さすがに野鳥は見当たらない。高級レストランでは、特別に宇宙コロニーで放し飼いしている野鳥を出すところもあるようだが、こういったビストロでは期待できない。まだ落葉樹の森が残るロシアや北欧で木の実を食べさせて育てた黒豚のローストに木苺やベリーのソースを添えたものや、北海の海岸沿いの草地で育てた仔牛の肉や骨髄の煮込みなども、しっかりと注文して嬉しそうに食べている。さすがにナンが事前に調査して選んだ店だけあるようだ。


 赤ワインも色々開けてぜいたくに楽しんでいる姉妹だったが、肉料理が終わって、さすがビストロというべきなのかパスタ料理になると、ようやく一息ついたのだろう、水ばかり飲んでいるナンを妹女王がからかい出した。

「天気が落ち着いたら、また来ようかしら。ワインなどは確か地下室に保管してあるのでしょ」

 ナンが、あきれた顔をした。

「だめですよ、女王様。盗んじゃ」

「あら、だって、ここはもう、誰もいなくなるのよ」

 澄ました顔で言ってのける姉女王に、さらにあきれた顔をするナン。

「それでも、誰もいなくなってからですよ。でないと、近隣世界にコソ泥女王ってニュースが流れてしまいますよ」

「あら」

 目を点にする姉妹女王を見ながら、ナンが再び水をすする。

「でも、例え後日発掘したとしても、地下室の温度もその頃には大きく変わっていますから、ワインも変質していますね」

「うーん、そうかー。残念っ」

 姉妹が口を揃えて悔しがった。でも、くすくす笑いだす。何か思い出したようだ。ナンに妹女王がイタズラっぽい目を向けた。

「近隣世界っていえば、あの吸血鬼、面白いところに飛ばされているわよ」

「え?誰ですか?」

 きょとんとするナンに、姉妹が顔を見合わせて微笑む。

「ほら、あなたが力任せに弾き飛ばした彼」

「ああ」

 ナンもようやく、先日落第の評価を下したバンパイア貴族の顔を思い出したようだ。水のコップをテーブルに置いた。

 妹女王が、両手で受け皿を作り、それを坊主の顔につけて覗かせる。何か両手の中に画像が浮かんでいるようだ。

「ほらここ。罪なことをしたものねぇ。ふふふ」

 無邪気に微笑む姉妹女王の横で、ナンが絶句している。相当に罪なことをされているようだ。

「安心なさいな、お坊様。もう新しいロードの統治が始まったし、あの世界の王、ミトラ君も別にどうこう考えていないわ」

 姉女王がにこやかな顔で、そう言ったが、ナンは首をかしげて腕組みをしたままである。

「そうですか。彼にも酷なことをしてしまいました。思い切って滅ぼしてしまったほうが、彼にとって良かったかもしれません」

 姉女王がそれを聞いて、少々驚いたような顔をした。妹女王はせっせとパスタをフォークで突き刺したり巻きつけたりして口に運んでいる。トマトソースを絡めたパスタのようである。

「あらあら、お坊様らしくないわね。まだ、迷いというものは残るものなのかしら」

 姉女王がナンの細い目をのぞきこむような仕草をして訊いた。ナンが素直にうなずく。

「ええ、残りますよ。解脱も道半ばというところですね」

 姉妹が微笑んだ。姉もトマトソースのパスタが無くなりそうなのを見て、急いでフォークとスプーンを持ち直す。

「ふふふ、そういうところ、好きよ。あ、そうそう、巨人やドラゴン達も、色めき立っているようよ。あ、こら、パロン。私の分も残しなさいってば」

 げんなりするナン。ため息をついて、また水をすすった。

「楽しそうですね」

「わかる?」

 姉妹がニコニコした笑顔をナンに向けた。今度はデザートを注文している。サービス係も、よく食べてくれるので、気前よく小ジョッキにたっぷりと注がれたコニャックを口直しに差し出してきた。ナンにも出されたが、彼は目を白黒させて困惑している。香りを楽しむには量が多すぎるようだ。姉妹女王がサービス係に礼を述べてジョッキを受け取り口をつけて、満足げな顔をする。そして、ソムリエを呼んでデザートワインやポルトワインをどれにしようかと相談し始めた。さらに熟成チーズのリストにも身を乗り出して物色している。


 そして、1時間が過ぎた頃、南風が突風になって吹き始めた。通りの看板などが飛ばされ始めてうるさくなり、砂塵や枯葉が舞い上がってきたのを、姉妹がコーヒーを味わいながら見て、残念そうな顔をした。

「もう、時間ね。うるさくなってきちゃったわ」

 南の空が黄色いもやに包まれてきていた。次第にこちらへ向かってきている。

 ナンもコーヒーをすすりながら、南の空を見上げる。

「そうですね、アフリカからの砂嵐ですね、あれは。気温も一気に5度ほど上がりそうです」

 姉女王が、ため息をついた。

「もったいないわねぇ。本当に盗んじゃおうかしらワイン」

「もう、ご案内しませんよ、女王様。では、お会計しますね」

 ナンが苦笑して、席を立った。会計に向かう後ろ姿を見ながら、姉妹女王がコーヒーをすする。色々考えているようだったが、あきらめたようだ。

「あーあ、本当に残念」

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